第113回 二村 まどかさん 国連大学
プロフィール
二村まどか(ふたむら・まどか):京都府出身。同志社大学にて法学を学び、その後London School of Economicsにて国際関係学修士号を取得。続いてロンドン大学King's Collegeにて博士号を取得する。帰国後は同志社大学にて勤務し、2008年に国連大学の公募ポストに応募、採用されて現職に至る。
Q. まず現在のご関心から教えて下さい。
現在の中心的な研究テーマは、博士課程で取り組んだ国際戦犯法廷、国際刑事裁判です。修士課程では人道的介入と平和活動を取り上げたのですが、一貫した問題意識は、国際安全保障の枠組みの中で人権や正義の問題をどう捉えるのか、そして、国際刑事裁判や武力行使をめぐる議論や実践を通して、国際社会がどう変わってきているのか、ということです。国家主権と人権が拮抗し、徐々に人権が重視されるようになる、また、国際政治の場で正義の問題が取り上げられるようになっている現状を、どのように考えるのかということに興味があります。
また、国際関係の国家中心の枠組みの中で人間個人のことをどう捉えればいいのかということにも興味があります。例えば、難民や戦争犯罪の被害者を助けたいと思ったときに、国際レベルで何ができるのかという問題です。こういった問題は、いわゆる人間の安全保障、移行期の正義(transitional justice)、あるいは平和構築といわれる分野になり、私も国連大学に着任してからは、広くこれらのテーマに取り組んでいます。ただこれらは、現状が先で理論が遅れる傾向にあります。現場では3、4年前から問題となっていたであろうことが、遅れて学界で議論される。理論構築や分析が、どこまで現場のニーズや現状についていけるのかが課題ですね。
Q.国連職員になった経緯をお聞かせください。
ロンドン大学での修士・博士課程では、広くは国際安全保障をテーマとして研究をしました。博士号を取得し、同大学で少し働いた後、帰国し日本の大学に勤めました。これからどうしようかと思っていたときに国連大学の公募について知り、応募したところ、縁あって採用されました。
ロンドン大学時代に専門にしていたテーマは、平和ではなく戦争でした。戦争あるいは武力の行使とそれに付随する戦争犯罪が研究テーマで、今も同分野の研究を続けています。そういう意味では、国連職員になりたいというよりは、研究を続けたい、学問に携わっていきたいという思いで、国連大学のポストに応募したのです。実は採用されてからも少し迷いがありました。国連大学はとてもユニークなところで、普通の大学とも他の国連機関とも少し違い、研究機関でもあり国連機関でもある。私自身も、研究者という立場と国連職員という立場とのバランスがうまくとれずに戸惑うことがあります。国連職員かつ研究者であるということで、研究テーマもアプローチも違ってきます。大学にいた頃はもっと理論的、哲学的なテーマ・視点に興味があったのですが、現在は、今まさに国連の活動の場で問題となっていること、政策に直接通じるような研究が求められてくるので、新鮮でありチャレンジングでもあります。
採用の直後に中学時代の恩師にばったりお会いしました。国連大学で働くことになったと報告したら、「そういえば国連で働きたいって言っていたなぁ」と言われて(笑)、ああそうだった、私は中学生の頃は国連で働きたいと思っていたのだと思い出しました。小学生のときにイギリスに住む機会があり、その時に、日本の外に国際社会というものがあるということを肌で感じました。日本に帰ってきて漠然と、将来は国際社会に接していられるような仕事がしたいと思っていたとき、新聞か何かで国連職員という職業があると知ったんです。すぐに本屋に行って国連の本を探したのですが、その頃は「国際連合?ああその隅に1、2冊本があったと思いますよ」なんて言われて。でもそれを読んで、国際問題を扱う仕事がある、私もこういうところで働きたいと思ったのが中学生の頃でした。
でも、大学に入って国連で働きたいという人が周りに増えたときに、私自身は少し方向性が違うのかなと感じました。とても問題意識が高く、行動力があり、活発な人が多い中で、私はどちらかというとゆっくり考えて、足が止まってしまうタイプでした。そういうギャップも感じて、大学時代には国連職員になるというよりは国際問題を勉強していきたいと思うようになりました。縁があったのか、回り回って国連職員のポストに就いたというのは不思議ですね。
Q.特に戦争や平和ということに研究の焦点を当てたのには何か理由があったのですか?
先日昔の荷物を整理していたら小学校時代の作文が出てきたのですが、テーマは平和でした。どうやら子どもの頃から平和に漠然とした興味があったようですが、いつの頃からか逆に戦争へと興味が移っていきました。なぜ戦争が起こるのか、そのメカニズムは何か、なぜ戦争はなくならないのか、戦争状態を支える要因は何か。平和について理解するために、戦争自体のことをもっと知りたい、そう思うようになりました。武力を使うとはどういうことか、その過程で多くの人が傷つく事実をどう考えるのか。多くの犠牲を生み出す戦争を防ぐために、まずその原因と背景を知りたいと思ったのです。
Q.なぜ人は戦争をするのですか?
国家間の戦争が中心であった時代は、政治的要因が強調されていました。しかし冷戦が終わり、いわゆる民族紛争や内戦が増えることで、「武力紛争」の原因についても様々な考え方が出てきています。経済的要因、歴史的対立、貧困、最近は気候変動と武力紛争との因果関係も指摘されていますし、プライドや欲といった感情的要因も注目されています。と同時に、ユーゴやルワンダで見られたように、集団・大量虐殺が戦争に付随して起こるものではなく、戦争実行における明確な手段である場合もあります。単一民族の国をつくるために異質な人たちが邪魔になり、その人たちを殺し、虐げることで単一性を確保しようとするのも一例です。戦争における犯罪的行為が手段に、時に目的そのものになっているのも、現在の武力紛争の特徴です。ですから、紛争分析もますます複雑になっています。なぜ人は戦争をするのかという問いは、なぜ人を殺してはいけないのかという問いと同じように、哲学的な問いを含んでいるように思います。
イギリスで勉強して日本にいた時と考え方が変わったことの一つは、武力の行使そのものは中立的なのではないかということです。日本では武力行使=戦争=悪、と捉えられがちですが、戦争と武力行使は同じではありません。ですから、例えば人道的介入と戦争を同じレベルで議論するのではなく、何のために武力を使うのかという点を問題にするべきです。つまり、いつ、なぜ、どのような形で武力を使うのかということ、その是非が重要だと思います。「保護する責任」の議論の焦点の一つも、まさにそこなのですよね。
Q.国連にお入りになり、最も面白かった仕事は何ですか?
国連大学に来てまだ1年ですが、昨年(2008年)の7月に、広島の平和構築人材育成センターと国連本部の平和構築支援事務所(Peacebuilding Support Office: PBSO)と合同でワークショップを開催しました。PBSOは、世界中の現場で平和構築に従事している国連職員をメーリングリストを通してつなぎ、現場からの疑問や意見を交換するフォーラムを立ち上げたのですが、昨年のワークショップは、ネット上でつながっていた職員たちを実際に一堂に集め議論してもらうという初めての試みでした。
広島で3日間の議論、その後東京でその成果をまとめて発表という形をとったのですが、私も研究者の立場から実務者に混じって議論に参加し、とても勉強になりました。国連にもいろいろあるのだなあと。本部と現場では平和構築に関する理想も考え方も違うことを感じましたし、場合によっては対立することがあることも知りました。また、現場で問題と取り組んでいる人たちの話を聞くと、理論や政策枠組みもいいけれど、今日明日使えるものが必要だと訴えられました。これは研究者として耳が痛いところですね。国連大学で行っている研究は、現場の国連職員にどのようなインパクトを与えるのか。現場でのニーズ、活動している人たちとのつながりを意識することの大切さを痛感しました。
Q.想像していたのと違った、国連が直した方がいいと思うところはありますか。
何を今さらとおっしゃるかもしれませんが、国連は官僚的な組織ですね(笑)。私はずっと大学にいたので、カルチャーショックがありました。国連システム内では、同じことを目指し、似たような活動を行っている人たちが本当にたくさんいるのに、一緒に協力して考え、行動することが難しいように思います。一対一で話していると考え方が同じなのに、全体となると各部署や各機関の違いに囚われてなかなか話し合いや意思疎通ができない。まさにこの問題と取り組むために、国連平和構築委員会(UN Peacebuilding Commission)ができたわけですが、国連の重要な課題であるように思います。国連はこれだけ力のある機関だからこそ、とても歯がゆく思います。
Q. どうしてそうなってしまっているんだと思いますか?
平和、開発、人権といったあまりにも大きな目的や理念を掲げる一方で、細かい雑務や組織内政治という現実もあるのだと思います。そんな現実の中で、なぜ自分はその仕事をしているのか、自分のやっていることが広くはどういった目的につながっているのかということが、見えにくくなってしまうのかもしれません。これは国連に限ったことではありませんし、私自身の反省点でもあるのですが、目的を忘れて、日々の仕事をこなすことが目的化している。なぜ自分はこの仕事をやっているのかが明確であれば、仕事のやり方や、その仕事そのものが間違っていると悟ることもあるかもしれないし、もしかすると自分が所属する機関の存在意義も否定してしまうことになるかもしれません。とても大きなジレンマですが、目的と手段とどちらが大切なのかを考えることも重要だと思います。
Q.今後のキャリアをどうお考えでしょう。
やはり研究者としてのキャリアを積んでいきたいですね。その一方で、こうして国連大学を通して、国連の活動に直接触れるお仕事をさせていただいているのは本当にいい経験だと思っています。普通の大学にいては出会えない方々にお会いする機会も多いですし、国連の中からしか見られない現場、見られない文書に接する機会もあります。そういうことを通して、私が研究していることと世界で起こっていることがどのようにつながっているのかを考えることができる。そうすることで今まで以上に、現実社会に関わっている、あるいは関わらなくてはならないという意識も生まれてきます。また、大学にいた時は実践に理論を後付けするような形で研究していましたが、今はもう少し早く情報を取得し、現状に即した研究ができる環境を与えられている気がします。
国連大学は、来年から修士課程のプログラムをスタートさせます。普通の大学の教員同様「教える」ことが仕事の一部に入ってきます。負担は増加しますが、学生と接するのは好きですし、教えることも好きです。教えることは学ぶことだと思いますし、学生とのやり取りを通していろいろと考えさせられます。ですので、これからも「大学」で働いて行きたいと思っています。
私自身、本当に多くの人たち、先生方から、いろいろなことを教えていただき、ここまで来ました。知らなければ何も始まりません。平和構築でも戦争犯罪の問題でも、こういう現状があるということを知らないと動き出せませんし、どのような考え方や物の見方があるかということを知らなくては、解決策も思いつきません。こういう現実がある、こういう考え方がある、こういう人たちがいるということを少しでも知ってもらうのも、研究者の仕事の一つだと思います。ただ私自身は、答えや価値判断まで提示する立場にはないと思います。それは一人ひとりが考えるべきことだと思うからです。ワークショップや講演、授業を通してこちらが話したことを、持って帰って、行動につなげる方が一人でも二人でもいらっしゃれば、万々歳ですね。そういう意味では、これから先も、教育に携わっていきたいと思います。
Q.理論と実践のバランスについてどのようにお考えですか?
理論と実践の間に政策があると思います。理論と政策の間にはギャップがあるし、政策と実践との間にもギャップはあります。そうすると、理論から実践までいく間に二つのギャップを越えなければならない。これについて明確な答えがあるわけではないのですが、例えば今度ブルンジでワークショップを行います。これは、様々な国で平和構築に携わるローカルの専門家同士の間で経験・意見交換をすることが目的です。このこと自体も重要ですが、ローカルの当事者間の知識や経験の意見交換を、研究者としてどう見るかということが重要になります。こうした取り組みにより、国連が考える政策としての平和構築や、学者が考える理論としての平和構築だけでなく、現場からの実践としての平和構築に触れることができる。そうした現場の声を知った上で、研究者として理論と政策と実践の間の関係をどのように見るのか、大きな課題ですね。
Q.グローバル・イシューに取り組もうと思っている人たちにメッセージをお願いします。
1番大切なことは、先ほども申し上げたように「知る」ことではないかと思います。国際貢献したいとか、国連職員になりたいということをゴールにするのではなく、まず「イシュー」について知り、興味を持つことが大切だと思います。知った上で自分は何をしたいのか、それを中心に据えると、国連はその手段として最適かもしれないし、そうではないかもしれない。同時に、国連が何ができるか考えるだけではなく、自分たちが国連に対して何ができるかも考えるべきだと思います。国連は政治的にも文化的にも多様な思想が混在するモザイクのようなもので、実は普遍的な機関として存在していること自体、すごいことなのかもしれません。その意味では、国連に幻想を抱かず、国連には限界があると思う批判的な人にこそ、国連で働いていただきたいと思います。
(2009年2月19日、ニューヨークにて収録。聞き手と写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、フォーラム幹事会コーディネータ。同席:長山思穂子、中山莉彩。ウェブ掲載:岡崎詩織)
2009年10月6日掲載