第98回 一盛 和世さん 世界保健機関(WHO)ジュネーブ本部 専門官

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プロフィール

一盛和世(いちもりかずよ):玉川大学農学部卒業後、東京大学医科学研究所でフィラリア症を研究。 英国ロンドン衛生・熱帯医学大学大学院で博士号取得後、ケニア、タンザニア、およびグアテマラで熱帯病の対策、マラリア総合予防対策プログラム、ツェツェバエ、ブユ、および蚊の研究に従事。1992年以後WHO勤務。熱帯病部門で昆虫媒介病の対策、特に媒介昆虫の総合的なコントロールと管理分野担当。特に、太平洋の島嶼国、サモア、バヌアツ、およびフィジーなど西太平洋地域を担当。

Q. WHOで働くことになったきっかけを教えてください。

私は寄生虫学、昆虫学が専門で、それらが引き起こす熱帯病の研究をしていました。人類と昆虫が媒介している病気との闘いに興味があって、その中でも特に熱帯地における闘いにたいへん興味がありました。熱帯地は生物層・昆虫層がとても厚く、昆虫の研究という観点からもとても魅力的な場所なんですね。ですから、熱帯病というものを一度知ってしまったからには、熱帯地に行きたくなってしまったのです(笑)。そして、熱帯地における病気を通した人類と昆虫との闘いに携わるにはWHOだと思ったわけです。

Q. これまでのお仕事について教えてください。

私は昆虫の専門家として、特に、寄生虫を介して起こる病気の対策について、「人類対寄生虫」という大きな視点から取り組んでいます。ハリウッド映画などで人類がエイリアンと存亡をかけて戦うという内容の映画がありますが、まさにそれと同じ構図です。国は違えども人類は同胞、一国一民族に焦点を絞るのではなく全人類の視点で考える、そういう意識で仕事をしています。

最前線の現場での活動は1分1秒を争う闘いであり、マラリア対策においても明日や先のことを考えている余裕はありません。今持っているものをすべてその瞬間に使わなくてはならないのです。私達は現場に出ると現場監督となります。例えば、もし対策のための用具として蚊帳しか調達できないのであれば、それをどう配りどう使ってもらうかということを監督として考えます。

WHOは世界の保健省といえるでしょう。人類としての健康を脅かすものを見極め、その対策を打つのがこの機関なのです。また、医療は必要としている人に届いて初めて成り立つものです。医療があっても患者に行き届かなければ意味がありません。日本では薬を飲めばすぐ治ってしまうような下痢でも、薬が調達できなくて下痢が止まらなければ、脱水症状で死んでしまいます。切り傷でも血が止まらなければ死んでしまうのです。

その意味で、実際の仕事は、まずWHO本部からの戦略をその国の政治や状況に合わせ、それをどこでどう使うかという計画を立てることから始まります。その後、実施に向けてどのようなチーム構成にするかを決定したり、ある病気の根絶に向けてどのような対策を打つかを考えたりします。この流れはどのプログラムでも行うことなので重要な要素です。

また、保健の仕事は、保健に関することだけではなく、人や社会を知るところから始まりますので、人類学や社会学も駆使し、国の政治なども含め全部動かさないといけないのです。そうしなければ医療は患者に届きません。

例えば、マラリア、フィラリア症などのいわゆる「風土病」の中には、足が肥大する症状(象皮病)を引き起こすものがありますが、現地の人はそれを病気とは捉えず、呪いやいけないものを食べたから生じるといった迷信を信じ、患者を隔離し、村八分にするという現状があります。私達は、現地の慣習を理解した上で、これらは呪い等ではなく病気であることに気付かせなければなりません。そして誰でもかかる可能性があり、決して他人事ではないということを知らせる必要があります。そうすることによって人々は、薬を飲んだり病院に行ったりするようになります。また、国によってはブラックマジック(黒魔術)など伝統的なものを信じ、現代の薬を信じない、受け付けない場合もあります。

このように、皆が医療サービスを受けようと思ってくれるように働きかけていくことは、医療制度を整えることと同じように大事なのです。私達は熱帯病を「顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Disease:NTD)」と呼んでいます。病気が病気として認識されていない場合、人権問題にも関わってきます。

さらに、私達は単に病気への対応だけではなく、病気そのものをなくすこと、病気を次の世代に残さないことを目指しています。例を挙げれば寄生虫病は地理的に広い範囲に広がっており、また寄生虫は人体に長期間潜伏するため、長い時間をかけて多くの人の人体機能に障害を与え、後遺症を残します。いま述べたフィラリアの場合、これに罹ると足が腫れてしまって歩けなくなりますが、その人達は残りの人生をそのままで生き続けなければなりません。そのように見捨てられた人々・不自由な人を出さないように、寄生虫そのものを根絶する。それが私達の仕事です。この意味から「公衆衛生」とは地域の健康を守ろうというものです。個人だけでなく地域を健康にすることが私達の最大の使命です。

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Q. このお仕事の魅力は何でしょうか。

最大の魅力は、「底上げ」です。個々の病気を今日治しても、明日また同じ病気に罹ってしまうかもしれません。しかし、個人ではなく地域の底を上げれば、全体として罹患する人が少なくなるのです。いうなれば、病気を治すのではなく、病気にかからないようにすることを目標にしています。先ほど病気を媒介する寄生虫を根絶することが目標、と申し上げましたが、実際に根絶するにはたくさんのことが必要となります。その問題に対するチームの立ち上げや政府との交渉、さらに薬の調達などすべてがなされなければなりません。しかし逆に言えば、それらをしっかりやっていれば底上げはされるのです。時には災害や戦争などで培ったものが崩れてしまい、すべてが一からやり直しとなり、たいへん残念な気持ちになりますが、その底上げに向かって仕事をすることが一番の魅力です。

また、国籍も違ってバックグラウンドや価値観も当然違う職員と同じ目的を持って仕事をすることに楽しさと難しさがあることも魅力ですね。職員や同僚がいろいろな国から来ていますので、そこがすでに国際社会なんです。日本人同士だと暗黙の了解やあうんの呼吸がとれたりすることでも、相手がどこまで分かっているか分からない状態なので、細部まできっちり言わないといけません。これは非常に難しいことです。そして誰に何の情報をどう出すか、ということも難しいことです。

Q. そのなかでも調和やバランスをとることも大事だと思いますが、気をつけていることはありますか?

待つことです。自分に考えがあっても、まだ全体の合意が得られなければ、その機会を待ちます。議論は会議だけとは限りません。私は現場での活動を20数年やっていましたが、現場ではその場で政府とのやりとりがあるため、現地での対応力が問われます。現地事務所ではその場その場での対応が重要なのです。しかしいつも待ってばかりではなく、もしその問題が緊急性を伴うのであれば、早急な対応を政府に要求します。その中には行政的なことも含まれてくるため、政府と激論を交わすこともあります。私は1992年からWHOに勤めていますが、WHOの仕事は総務的な能力と専門性の両方が必要だと感じています。

また、議論をするときには相手の意見のポイントを押さえ、同時に自分の意見を相手に理解してもらうことがスタート地点だと思っています。といっても、それは相手に分からせようとして先方をやり込めてしまうこととは違います。お互いの意見をきっちり述べることは大事ですが、それを踏まえて、その意見をどこにぶつけ、相手にどう伝えていくか、そこをよく考えます。そうすることによって、新しい合意が生まれるのです。議論とは自分の意見を通すことではなく、お互いの意見を伝えあって、納得し合い、階段をあがっていくことで新しいものを生み出すことを目的とするものです。そしてそれを繰り返すことでより良いものを作り上げていくのです。良いものを作っていくためには当然その問題に対する専門性が必要になります。特に各分野の専門家が集まる会議においては、各々が意見をどんどん出していくことが重要となってきます。

Q. WHO本部や政府と意見がかみ合わず、歯がゆい思いをされた経験はありますか。

WHOは193か国の合意から政策を作り、それが各国に伝わります。ですが、国には国の政治や特有の事情があるので、完全に噛み合わせることは困難と言えます。その国や現場で使えないもの、合わないものは、こちらで調整しなければなりません。全世界共通で使えるものなど存在しません。アフリカを想定して作ったものをアジアで使うことは基本的には無理なのです。ですから、何事もその場その場で合わせていかなければなりません。常に核として持っている自分達の政策と技術を最大限に活かしながら取り組む必要があります。非常にたいへんですけどね。

本部でも国事務所でもどちらでも仕事は楽しいですね。国連の仕事は現場と本部の両方があって成り立つものなので、現場の仕事を通して初めて分かることがたくさんあります。そうでなければ、すべてが机上の空論になってしまいます。本部は全体を統括するところですので、どうしても現場の感覚が伝わりにくいことがあります。ですので、我々が最終的な目標をどこにおいてやっているかという目線が本部と国事務所で噛み合わなくなることもあります。その目線がずれるとうまくいかなくなってしまいます。

Q. 今まで辛かった、または苦労された経験をお聞かせください。

それはもう毎日です。特に現場での仕事は、最前線で闘っており、政府との交渉などがたいへんです。また、「人の住んでいないところに人は住めない」という言葉がありますが、身をもってそれを体験したこともあります。ケニアの国立公園に行った時のことですが、そこでの任務はまさにその“人の住めない”ところで生活しなければならないというものでした。野生の真ん中で、時には象に襲われそうになったりすることもありました。いうなれば、毎日がプロジェクトXです(笑)。

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Q. 今後はどのようなプランを描いていらっしゃるのでしょうか。

私はフィラリア撲滅などの大きなプロジェクトをやってきました。すなわち、一つの病気を撲滅することに全力を挙げ、地域全体の健康の底上げをしてきました。今後は、もっと小さなところでの「人類の幸福、健康とは何なのか」、「病気とは何か」、「公衆衛生をよくしていくとはどういうことなのか」というところをやっていきたいですね。また、元来が昆虫の研究者ですから、昆虫についてもう一度研究もしたいです。昆虫の世界は小さな宇宙です。生物同士の関わりにもまだたいへん興味があるので、そちらの研究もいつかしたいと思っています。夢ですが、まったく諦めていません。

また、日本人にもっと国連に来てほしいと思っています。しかし保健の分野の教育でいえば、日本では「医療=患者をみる、病気を治す」ことになってしまっています。つまり、病気の名前は教えても、その公衆衛生的な対策は教えないことが多い。伝えることができる人がいないから伝わらない、伝わらないから興味を持つ人も増えないという悪循環なのでしょう。WHOなどの世界で働く魅力と意義を的確に伝える機会が少なすぎるのです。若いうちにそういった話を聞き、経験を積むことが大事ですから、私も世界で働く魅力と意義をもっと伝えていきたいと思っています。知っているからこそ伝えたい。そうすれば若い方々がもっと世界に出てくるきっかけができるのではないでしょうか。

Q. グローバルイシューに関心がある若者へのメッセージをお願いします。

先ほども言いましたが、私はいつもこの仕事を人類の視点で考えています。そういった立場で物事を考えてみてもよいのではないでしょうか。地球上で人類がこれからどう生きていくか、また人って何だろうと考えてみる。生物としての人間、他生物との関わりも考えてみるべきです。地球が丸いように、一国で始まった金融危機が世界中に広がるように、地球はつながっています。良くも悪くも人類はつながっているのですから、人間同士で戦っている場合ではないのです。人類は皆同胞、そういう視点で考えることがとても大事だと感じます。そして、異文化の人々と何かをするときも、我々はどこでつながっているのだろうかと常に考えることで、より良い人間関係を築いていくこともできると思います。

(2008年10月15日、聞き手: 関西学院大学商学部、久保田啓介、同文学部 上田真有。写真: 先端医療センター、元WHO災害精神保健専門官、堤敦朗。ポートピアホテル(神戸市)にて)ウェブ掲載:田辺陽子)

2009年3月8日掲載