第27回 白木 夏子さん ジュエリービジネスを通じた貧困問題解決への挑戦

白木夏子さん

プロフィール

白木夏子(しらきなつこ)さん

1981年生まれ。名古屋市の南山短期大学卒業後、2002年から英ロンドン大学キングスカレッジにて、発展途上国の開発について学ぶ。卒業後は国連人口基金ベトナム・ハノイ事務所とアジア開発銀行研究所にてインターンを経験し、投資ファンド事業会社勤務を経て2009年4月にエシカル・ジュエリービジネスを展開する株式会社HASUNAを設立。現在、同社代表取締役。
Website: http://www.hasuna.co.jp; HASUNA blog: http://www.hasuna.co.jp/blog

1.はじめに

2010年4月1日で株式会社HASUNAを創設してからちょうど1年が経ちます。ジュエリーを通じて、貧困問題を解決に導き、笑顔で輝く人がこの地球上にもっと増えてくれればいい。そうした思いでこの事業を志したのが、私が26歳の時です。まさに紆余曲折の毎日でした。様々な壁などを乗り越え、起業からようやく1年が経とうとしているところで、「私の提言」に、今まで経験してきたことや考えを書かせていただきます。ここ数年、BOPビジネスや、こうしたいわゆる「社会起業」を志す方も増えていると感じますが、私の経験が皆様の今後の参考になれば幸いです。

2.私的経験から起業へ

2-1.国際協力への目覚め

私が国際協力に目覚めたのは、18歳の時でした。当時、愛知県名古屋市にある短大に通っていた私は、卒業後の生き方について考え始めていました。入学して2カ月ほど経ったある時、フォトジャーナリストである桃井和馬さんの講演を聴く機会に恵まれます。世界100カ国以上を渡り歩き、貧困、環境破壊、飢饉など、社会に対するメッセージを写真というメディアを通して訴えている方でした。彼の写真と話に衝撃を受けた私は、地球上で起きているこうした問題の解決に貢献することが私の生きる道である、との思いを持つに至りました。

その後、フィリピンのストリート・チルドレンの通学支援をおこなうNGOのボランティアに参加したり、フィリピンに直接足を運ぶなど、国際援助・協力の世界へ入っていきます。短大卒業後は、ロンドン大学キングスカレッジへ入学し、国際開発の授業を通じて、国際援助・協力に関する知識を身につけていきました。

2-2.インドでの経験

ロンドン大学1年生の夏に、貧困問題への理解を深めようと思い立ち、自分なりにできることは何かについて探す旅に出ました。南インド・タミル州では、アンタッチャブル(不可触民)と呼ばれる被差別民たちの住む被差別部落に滞在し、2カ月かけて30か所以上の村を回りました。農業奴隷として人々が働かされている村、牧畜奴隷として人々が働かされている村、様々な村の中で、私が最も衝撃を受けたのは、鉱山労働をする人たちが住む村でした。

写真①

それまで、途上国の子供たちは、キラキラと目を輝かせて、いきいきしているというのが私のイメージでしたが、この村は違いました。子供たちに笑顔はなく、大人たちもネガティブなことしか言わない。朝から晩まで過酷な鉱山労働を強いられ、ひどい差別の中、わずかな賃金を渡されるのみで、食事は一日に一食の生活でした。当然子供は学校には通えず、鉱山で働いています。働く人々の手はボロボロです。「君が今見ているこの村のような事態が、ルビーやサファイヤ、金など他の鉱山でも同じように起こっているんだ。インドだけではなく、アフリカや中南米でも同じこと。お金持ちが買い求めるものの裏に、こうして苦しむ貧困層の人たちがいるんだ」と、村を一緒に回ったNGOのインド人の職員から聞かされました。この村を訪れた後、しばらく私はその陰鬱とした雰囲気が心の中に残り、とても暗い気分になりました。

こうした問題を解決するにはどうすればいいのか。2カ月間のインド滞在を終えた私は、イギリスに戻って考えました。社会の問題を解決へと向かわせるためには、社会のシステム自体を変えなければならないのではないか。その取り組みに実施するのに最も適した場所だと考えたのが国際機関であったため、大学卒業後は、ベトナム・ハノイにある国連人口基金と、アジア開発銀行研究所にて、インターンを経験します。

2-3.国連でのインターンから学んだこと

半年間に渡る国連でのインターン経験では、リサーチの仕事をしつつ、他国連機関の職員の方や、他の開発援助協力に携わる方のお話を聞いて回りました。志が高く素晴らしい方に沢山お会いできたのは、又とない機会だったのですが、この時、私の中に一つ疑問が沸きました。

「はたして、“援助”で貧困はなくなるのか?」

開発援助・協力に携わっている方は、人間として大切なことをひたむきに追いかけている方が多く、私は彼らの活動に心打たれていました。そして、途上国の自立を促すために支援をしているNPO、NGO、国際機関も沢山あり、それぞれの領域で効果を上げていることも分かりました。ですが、恐らく開発援助協力に足りないものが一つあると感じました。それは、“開発援助・協力業界にいない人々の参加”です。

貧困など社会や世界の問題に関心のない、または、興味があっても生業として携わっていない人々。この世界のほぼ100%を占めるこうした人々が、何らかの形で貧困などの問題に携わっていかないと、根深い問題はいつまで経っても解決されないのではないか、と感じたのです。

では、その人々が毎日携わっていることは何か?

それは、“ビジネス(経済活動)”ではないだろうか。ビジネスを通じて、彼らを動かすことはできないのか。彼らが経済活動を行う中で、何らかの形で、貧困問題に対して働きかけていくことはできないのか?と考え始めました。

ビジネスを通じてより多くの人たちを巻き込んで、貧困問題の解決に導きたい。そう決意し、国際機関で働くというキャリアから大きく方向転換します。2006年はじめにベトナムから日本に戻ってすぐに就職し、ビジネスをゼロから学びはじめました。

2-4.ビジネスを通じて、貧困問題を解決する

私が就職したのは、当時東証一部に上場していた不動産投資ファンド事業を営む会社でした。当時は日本の不動産が投資対象として価値が急上昇しており、海外から投資された何百億という資金を運用していました。

ただし、入社当初から、朝は始発で会社に行き、夜は深夜にタクシーで帰宅するという生活をしていたため、とても“ビジネスを通じた貧困問題の解決”のビジネスモデルを考える時間はありませんでした。目の前の仕事をこなすのみで、土日もなく、家では倒れるように眠っていました。

入社して約2年後、転機が訪れました。サブプライム問題を端緒に金融危機が始まったのです。対岸の火事は、またたく間に日本にも飛び火し、私が勤める会社の業績も悪化していきました。仕事の拘束時間も少なくなり、結果として次のステップを考え始めることができました。それが2008年初頭のことです。

“ビジネスを通じて、貧困問題を解決する”。このキーワードで様々なビジネスモデルを考えました。途上国の女性の自立に特化したマイクロファイナンスをしようか、途上国の社会起業家を支援するファンドを作ろうか、途上国のリゾート地の不動産を買ってエコリゾートをつくり、海外からお金を呼び込むようなことをしようか。思いついたものはノートに書きだし、人に会って話を聞き、どうすればそれが実現可能になるか考える日々でした。

リスクの高すぎるものや、身の丈に合っていないもの、社会的に意義はあっても、自分がワクワクしないものは、削ぎ落としていくステップを繰り返すと、最後に残ったものが、「ジュエリー」でした。

私の母親が、以前ファッションデザインの仕事をしていたこともあり、私にとって服飾の世界は身近でした。幼いころから洋服やアクセサリーを作るなど、ファッションは自分が大好きなことのひとつでした。イギリスでは、学業の傍らファッション関係のアルバイトもして、時には自分でジュエリーを制作することもありました。

ファッションの中でもジュエリーは、自分にとって思い入れの強いものです。身につけることで勇気が出たり、人を輝かせたり、2人の愛の象徴だったり。親から子へ、子から孫へ受け継がれるものであったり。数あるファッションプロダクトの中でも、特別人の想いがこもっているものだと思っています。

社会人として働き始めた以降も、時折ジュエリーを自分の手で作ることがあったのですが、貧困問題を解決するビジネスモデルを考えている時、ふと自分の手にしている宝石や貴金属は、ほぼ全てが発展途上国から来ていることに気づいたのです。

そして、インドで鉱山労働をする人たちの村を訪問した際、ひどく暗く嫌な気分になった大学時代の自分を思い出しました。また、2006年に公開された映画「ブラッド・ダイヤモンド」には、ダイヤモンドをめぐり採掘権の紛争があることや、密輸、武器輸出の対価として扱われること、そして少年兵の問題も存在することがストーリーに織り込まれていました。更に調べていくうちに、鉱山で働く子供が世界で約百万人もいることや、金の小規模鉱山で横行する児童労働、また、鉱山によっては不適切な採掘方法をとることで環境破壊が進んでいることなどが次々に分かりました。

ところが、日本語で鉱山での児童労働の問題や貧困の問題を調べても、全くといっていいほどそれらに関する記事が出てこないことに気づきました。それはつまり、日本ではまだこの問題に関する認知が低く、働きかけている人も少ない、ということだろうと思いました。

問題に気付いた者はその解決に関して働きかけなければならないと感じ、それは私であると、使命感を覚えたのが2008年の3月。ジュエリーで、「悲劇」を生むのではなく、もっと「笑顔で輝く人」を生み出したい。ジュエリー業界に生まれた歪みを、少しずつ正していく作業をビジネスを通じて行いたい。そう決心し、1年がかりで起業に向かって準備を始めます。

写真②

3.問題点分析

冒頭に書いた通り、起業準備から設立約1周年の今日まで紆余曲折ありました。ここでは今まで困難だったことを、ビジネスで重要な3つの要素である“ヒト(人)”・“モノ(物)”・“カネ(お金)”に分けて書いてみたいと思います

ヒト

設立直後に痛感したのは、個人の能力の限界と絶対的な人材不足です。HASUNAは実質一人の会社であったため、商品企画、素材調達、商品試作、マーケティング、制作、営業・販売、物流、カスタマーケアといったビジネスから、会計・税務、在庫管理、総務といったバックオフィス業務まで、多岐にわたるジュエリーの会社の業務をほぼ全て自ら行わなければなりませんでした。
例えば、素材調達をおこなったあと、お客様とのミーティングに出かけ、デザインの打合せをしながらランチを済ませ、商品の発送をおこなったのち、営業先を訪問し、帰宅後は納品する作品を制作し、夜は経理業務をしながら営業戦略を練る、こうした日々が休みなく続きました。私は当然すべての業務に精通しているわけではないので、不慣れなことには時間もかかればその進め方もよくわからない、といったことも頻繁にありました。結果として不動産投資ファンドでの多忙な日々と同じように日々の業務で手一杯となり、5年10年といった長期的な計画の検討と会社の方向性のかじ取りがどうしても後回しになる状態が続きました。私が得意な業務に集中するためにも、HASUNAに協力してくれる人を探すことは必須でした。

モノ

一般に、宝石や貴金属に関してはその由来がわからないことも多いうえ、その産出方法や労働環境に関しても不透明なことが多いのです。エシカルを掲げ、関連する人々や社会、環境に配慮したジュエリーを展開するHASUNAとしては、従って、まず大切にしたいのは私たちが扱う素材です。また、HASUNAはジュエリーの会社ですから、一流ブランドに負けないデザイン性を目指すうえでも、使用可能な素材の選択肢を増やしてゆくことは必須です。しかしながら、産出地域もわかり、産出方法も明らかでかつフェアトレードで仕入れられる、そうした素材は非常に限られているのが現状です。

カネ

資金面での悩みは多くの企業に共通だと思いますが、HASUNAも最初の資金調達の面で大変苦労をしました。2009年4月の立ち上げ時には、私のわずかな貯金などをかきあつめて、150万円で起業したのですが、程なく底を尽き、全ての事業がストップしてしまいました。ジュエリーの素材を仕入れて製作して、販売するというビジネスサイクルにおいて、資金繰りができないと、材料の仕入れもできず、サンプルも作れず、営業にも行けないということになります。営業に行けないということは、販売チャネルの開拓もできず、ひいてはお客様にジュエリーをお届けできないという事態に追い込まれてしまうのです。困り果てて銀行などに行きましたが、当然どこもお金がない零細企業には融資をしてくれませんでした。

4.提言

上記の問題点を踏まえて、ここでも“ヒト(人)”・“モノ(物)”・“カネ(お金)”に分けてHASUNAの今後のアプローチとして提言を書きたいと思います。今後、起業を志す方への御参考になれば幸いです。

ヒト

人材不足という“人”に関する課題においては、結果としてさしたる努力もせずに解決の糸口が見えてきました。これは、起業をした人たち、特に、社会的な事業を行っている方が口を揃えておっしゃるのですが、必要な時に、必要な人が現れてきます。「アクセサリーのデザインができる人いないかな」「マーケティングが得意な人いないかな」「だれか会計税務やってくれないかな」こうしたアンテナを立て、人に聞いてまわっていると、必ずと言っていいほど理想の方にめぐり会うことができます。

また、まだ然るべき対価をお支払してひとを雇う余裕がないため、多くの方に、ボランティアでお手伝い頂いています。近年、「プロボラ」「プロボノ」という言葉が出てきましたが、社会人の方が自分のスキルを生かしてNPOや社会事業に無償で協力をする方が増えてきています。志に協力してくださる方が多く、大変助けられています。

社会的事業には、大きな志があります。志に共感した方が、沢山集まり、協力をしてくれます。ただ、その協力してくれる方々を、うまくマネジメントできないと、せっかくの共感が無駄になってしまいます。共感を、力に替えて更なる大きな動力にしていくことが、もう一つの人に関する2010年の目標です。更に、こうして志に集まる人々に、金銭でない対価を提供していくのも重要です。感謝の気持ちももちろん大切ですが、関わる人が、その人の持つ能力や個性を生かし、活躍できる場を提供することも、社会的事業におけるマネジメントに必要な要素であると思います。

多くのプロボノ達に支えられているHASUNAですが、販売チャネルを開拓し、事業の拡大に伴い、フルタイムで動ける人を増やさないと回らないフェーズに入ってきています。2年目に入る2010年4月には、初めての正社員を雇用します。彼女を育てつつ、安定化に向けて業務を振り分けていくことが、2010年度の課題です。

モノ

物に関しては、HASUNAのビジネスにおいて、大変重要な位置を占めています。エシカル(環境や社会に配慮をした)素材を調達するために、今でも苦労をしています。ジュエリーは、様々な国から様々な素材を仕入れて、ようやく一つの商品になるので、多くの国との取引が必要になります。

フェアトレードで仕入れることのできる素材、リサイクルの素材、どこで作られているのか、その由来がはっきりしている素材など、可能な限り調べたり、友人知人に聞くなどをして、素材調達先を探しています。また、素材を探しただけでは意味がなく、途上国現地の職人や素材を生産する方たちと、密にコミュニケーションが取れる人間が必要です。

途上国では、ベリーズ、ルワンダ、ミクロネシア、コロンビア、ナミビア、こうした国から現在は素材の調達ができていますが、これらは一つ一つ、協力者を、友人知人の繋がりで開拓していきました。

たとえば、アフリカのルワンダには、元青年海外協力隊員として活動していた日本人女性が住んでおり、彼女が協力隊時代に手掛けていたプロジェクトが、牛の角を研磨しアクセサリー用素材などを加工するプロジェクトでした。牛の角加工工場を立ち上げ、元ストリート・チルドレンであった青年たちに技術指導をし、仕事を通じて経済的自立を促しています。HASUNAはこの工場にオリジナルのデザインでの加工を依頼し、デザイン性の向上を促しつつ素材を仕入れることで、雇用の創出と生活の維持に繋げています。

写真③

しかし、このような素材調達ができることは非常に稀なケースで、今現在でもその調達経路は困難を抱えています。

HASUNAでは、素材調達の面で、独自に「エシカルフレームワーク」という基準を設け、それに則した形で素材を調達することを心がけています。

エシカル・フレームワークとは、図1・2に見られる宝飾業界における負影響を、図3の+の面に変化させていくための行動指針です。雇用、社会経済基盤、自然環境という、3つの側面のそれぞれに対するプラスの影響を、ビジネスのバリューチェーンに組みこんでいくことで、貧困問題をはじめとした、宝飾業におけるマイナスの側面を、プラスに転じていくことができると考えています。

図1 ジュエリービジネスの影響範囲
(出典: HASUNA エシカルフレームワーク 2010)
図2 エシカルジュエリーが生まれた背景
(出典: HASUNA エシカルフレームワーク 2010)
図3 HASUNAが考えるエシカルフレームワーク
(出典: HASUNA エシカルフレームワーク 2010)

このフレームワークは、弊社だけでなく、エシカルな物づくりを考えている他の企業や団体にも応用していただけると考えており、まずは2010年度、HASUNAが実行し、その後、他社・他団体への応用を促していく予定です。

カネ

150万円で株式会社を設立し、資金が枯渇した後、銀行に行っても全く取り合ってもらえなかった際、途方に暮れて知人の経営者に相談をしたところ、株式を発行することを薦められました。自分の力だけで会社を立ち上げて運営したいと考えていた私には、人様のお金を使って経営するなどは、全く考えてもみなかったことでした。

自分の近しい友人・知人から出資をしてもらおうと、事業計画書を書き、電話をし、直接会って事業の説明をし、志に共感してくれた友人・知人から、合計600万円を集めることができました。私の両親も、定年間近でお金も沢山あるわけではなかったのですが、涙を流して頭を下げ、本当に私のやりたいことが見つかったと説得し、あまり良い顔はしなかったものの、最終的には出資をしてくれました。

集めたお金を運営資金に回し、積極的に営業活動を行い、2010年3月現在まで、計6か所の百貨店での期間限定ショップと、1か所の常設店を設けることができ、少しずつ、売上を伸ばしています。

但し、HASUNAの商品は原価率が高いため、まだ単月黒字になる月は少なく、今後の更なる努力が必要です。どんな事業でも同じだと思いますが、利益率は少なくとも、まずは安定した収益を得られる事業に集中していくことが、成功の鍵であると考えています。

HASUNAには、現在、2つの事業があります。一つが、18金やプラチナ、ダイヤモンドを使用した結婚指輪・婚約指輪。もうひとつが牛の角や貝殻を使用した、カジュアルなジュエリーコレクションです。弊社の場合、安定的な収益を得られるものは、前者の結婚指輪・婚約指輪の事業であり、2010年度は、この結婚指輪・婚約指輪の事業を安定稼働させることに、事業安定化の鍵があると考えています。

写真④

5.あとがき

この論文では、わたしの起業へ至ったきっかけから、立ち上げ、現在抱える問題点をまとめました。立ち上げ時には、全てが暗中模索であり、もがき苦しむこともありましたが、常に解を探りながら行動していくことで、何らかの答えを導き出していくことができました。

答えを導き出して、行動ができているのは、周りの人たちの支えがあってこそのことだと思っています。事業をするにも、何をするにも、結局人が一番大切です。人とのご縁、繋がり、そうしたものを一つ一つ大切にしていくことで、問題を解決に導けるのだと、強く思います。

2010年は、まずは事業の安定化を目指します。その中で、この世界で輝く人が増え、輝きと笑顔をジュエリーで繋いでいくことに、大きく貢献をしていきたいと考えています。

写真⑤

6.参考文献

Alliance for Responsible Mining
http://arm.unixlandia.com/

ILO駐日事務所 産業別の実態と取り組み<鉱業>, “鉱山で働く子どもたち”, 2005.07
http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/ipec/facts/sectorial/min_quar/01.htm

ILO (International Labour Organization), “PERU: CHILD LABOUR IN GOLD MINES”, 2005.06
http://www.ilo.org/global/About_the_ILO/Media_and_public_information/Broadcast_materials/Video_ News_Release/lang--en/WCMS_067872/index.htm

Stefan Lovgren, “モンゴル、ゴールドラッシュの負の影響”, NATIONAL GEOGRAPHIC , 2008.10
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=10277748

Rukmini Callimachi and Bradley Klapper, “Thousands of Children work in African gold mines”, The New York Times, 2008.08
http://www.nytimes.com/2008/08/11/world/africa/11iht-mines.4.15181447.html

武内進一, 2001b. 「『紛争ダイヤモンド』問題の論じられ方―グローバル・イシューの陥穽―」『アジ研ワールド・トレンド』No. 69 (2001.06) 28-35

吉田 敦, 2004.「鉱物資源問題と世界経済」―コンゴ民主共和国の「紛争ダイヤモンド」問題を例証として― Mineral Resources Problems and the World Economy 『明治大学商学研究論集』第21号, 2004.09, pp137-168.

2010年3月23日掲載
担当:中村、菅野、宮口、藤澤、迫田、奥村、高橋、荻