第9回 芳野行気さん (株)ローランド・ベルガー シニアコンサルタント「多くの途上国が環境先進国となるインセンティブとして、国際排出量取引を活用しよう」

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プロフィール

芳野行気(よしのこうき)さん

東京都出身。京都大学法学部卒業、ダートマス大学経営大学院修了。環境省にて化学物質対策、廃棄物リサイクル対策、地球温暖化対策などに携わり、京都議定書に基づく日本の国際排出量取引の制度設計も担当。2007年4月から現職、様々な企業に対する経営戦略コンサルティングを担当。

1.背景 : 途上国の開発と環境保全を概念論だけでなく実践論として両立させる方策が必要

途上国の開発と環境保全の両立は、言うは易く行うは難しのテーマである。特に環境問題が地域の水質汚染のような局地汚染的なものから越境するもの、更には地球温暖化問題に代表される地球規模のものとなった。途上国における開発がいかに地域の生活環境や自然環境に配慮したものであったとしても、開発は温室効果ガスの排出増をもたらし、地球温暖化問題の深刻化へとつながっていってしまう。特に人口規模の大きい中国、インドの2カ国の急成長は地球環境面からは大きな脅威である。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の最新の報告によれば、世界の温室効果ガスの排出量は1970年から2004年までの間に70%増加しており、現状では今後数十年にわたって更に増加していくと予測されている。この温室効果ガスの排出増によりもたらされる影響の深刻さについてはなお不確実なものがあるが、現在でも氷河の減少など実際に観測されている事象もあり、深刻な影響が出始めてから対策を講じるのでは遅きに失することはたしかである。温室効果ガスの排出増の速度を抑制するためには先進国だけでなく、これから経済成長期を迎える途上国における対策が重要である。このため、途上国の開発と環境保全という2つの課題を概念論でなく実践論で両立させる方策が模索されている。

2.問題点 : ODAスキームは環境配慮を標榜するようになったものの、地球規模の環境問題に対しては無力

途上国の開発を援助するメカニズムとしてODAのスキームがあるが、このODAに対してはかつて公害輸出である、環境破壊的であるという批判がついてまわった。というのは、ODA予算を消化し援助実績をアピールしたい援助国の政府と、ビジネスが欲しい援助国の経済界、少しでもインフラを整備したい被援助国の政府が結託して、必ずしも被援助国の国民が必要としていないインフラを、現地の生活環境や自然環境を考慮しない形で独善的に整備する事例が多発したからである。このような批判が声高になるにつれ、各援助国はODAを実施する際に環境への影響についても事前評価(環境影響評価)するようになり、その手続をルール化、情報開示する動きが一般化した。こうした動きは被援助国である途上国の環境を最低限守るという意味において評価されるべきものであるが、最低限以上、つまり途上国の開発と環境保全を両立させ、更に環境の改善を図っていくという意味においては無力である。特に慢性的にしかその影響が発現せず、かつ開発とその影響の直接因果関係が立証できない地球温暖化問題のような新しい問題に対しては満足に対応できていない。

3.分析 : ODAスキーム上の環境配慮は消極的確認に過ぎないところに限界があり、真に開発と環境保全を両立するにはインセンティブを付与する必要がある

既存のODAのスキームに環境保全面で限界があるのは、開発援助スキームを維持しつつ、事後的に環境配慮を組み込んで対応してきた結果であり、極論すれば環境配慮が開発を進める上での消極的な確認事項にしか過ぎなかったからである。概念的にいかに高尚な御託を並べようと、いかに厳格な手続で縛ろうと、ODAの各ステークホルダーに積極的に環境保全を図ろうという積極的なモチベーションがなければ、現実に開発と環境保全の両立を図ることは困難である。

途上国における開発と環境保全の両立を図るためには、まず大前提として、開発と環境保全が主従関係にあるのではなく、主主関係にあることを各ステークホルダーがきちんと認識する必要がある。つまり、開発まずありきで物事を進めるのではなく、生活環境や自然環境への配慮はもちろんのこと、地球環境にも過大な負荷がかかっていないものであることをゼロベースで検証した上で、そのような環境要件に当てはまらない開発は行わない、より環境にやさしい開発方法があれば当該方法を選択するということである。概念的には当たり前のことであるが、実践面に落とし込んでいくためには、ODAのルールなどで縛るだけでなく、地道な普及啓発活動を並行して進めることで浸透させていく必要があるだろう。特に開発援助を受け入れる途上国側の草の根レベルの普及啓発活動は、途上国の自立的な開発の比重が高まる中長期において効果を発揮するだろう。

より重要なのは、このような思想を担保するため、各ステークホルダーに対する実利的なインセンティブを付与することである。具体的には、環境に配慮すればするほど経済的なインセンティブが付与される仕組みがあれば、誰もがこぞって環境保全に注力するのではないか。たとえば、開発における重要な要素の一つが開発されたインフラを維持するエネルギー源の確保であるが、これを石油や石炭の化石燃料に求めるのか、それとも太陽光や風力などに求めるのかで開発の環境に与える影響は大きく変わってくる。現状では化石燃料出自のエネルギーの方が太陽光や風力出自のエネルギーよりも安価であり、経済的なメリットを考えればどうしても前者を選択してしまうが、両者を少なくとも経済的に等価値にするようなスキームがあれば、開発に携わる各ステークホルダーの価値判断も変わってくるだろう。

4.提言 : 途上国は国際排出量取引を活用して開発と環境保全の両立を図り、将来的には環境立国として先進国のロールモデルとなることを目指すべき

途上国の開発の現状、ODAの現状を踏まえると、環境保全との両立を果たすためには、各ステークホルダーに対するインセンティブを付与する前提として、開発における環境価値を経済価値として評価することが重要である。環境に負荷を与えた場合の費用、環境負荷を取り除いた場合の利益それぞれを適正に経済価値として評価できるようにしなければならない。具体的にどのように環境価値を経済価値として評価するかという点については学問的にも実務的にも長らく議論が為されており、環境会計の普及など部分的に成果が出始めているものの、一般化にはまだ時間がかかりそうである。それでは、それまで座して待つしかないのだろうか。

このような現状の打開に一石を投じる興味深い動きとして、国際排出量取引の急拡大がある。地球温暖化対策のための国際条約である京都議定書が発効し、同議定書に基づく温室効果ガスの国際排出量取引のスキームが2007年から正式に稼働を始めた。京都議定書では、先進国各国に温室効果ガスの排出削減目標が定められており、自国内の排出削減対策で排出削減目標が達成できない場合には、国際排出量取引により他国から温室効果ガスの排出枠を獲得することが認められている。国際排出量取引には複数の形態があるが、本稿と関係するのはCDM(Clean Development Mechanism)である。CDMとは、先進国が途上国に資金・技術を供与して途上国内において温室効果ガスの排出量を削減する事業を実施した場合に、その事業実施による温室効果ガスの排出削減分が先進国の排出削減分として認められるスキームである。省エネ対策の進んだ先進国内で排出削減するよりも、省エネ対策の遅れている途上国で排出削減した方がコストをかけずに同量の温室効果ガスを削減できるため、先進国の国内対策の遅れの顕在化、更なる排出削減の要請に伴い、今後、市場の更なる拡大が予想される。

この国際排出量取引の優れている点は、環境価値を経済価値に変換し、それを誰もが取引可能なものとしているところにある。さらに、CDMというスキームは排出削減枠が欲しい先進国にも外貨が欲しい途上国にもメリットがあるため、途上国における温室効果ガスの排出削減事業を促進させる力を内在している。未だ解決すべき課題も多く、環境全般ではなく地球温暖化問題という限られた環境分野を対象にしているとはいえ、環境保全に関し経済的インセンティブを持ち込んだ画期的な制度であるといってよいだろう。

では、この国際排出量取引、CDMが途上国の開発とどのように関係するのだろうか。短期的には、途上国においてCDM事業を実施すれば途上国に外貨が流入するとともに、新たなインフラが整備され、雇用機会も生まれ、先進的な技術ももたらされることになる。たとえば、風力発電施設をCDM事業として途上国に設置するような事業を実施すれば、新たなエネルギー源だけでなく、施設を建設・維持管理するための新たな雇用や技術が途上国にもたらされることになる。ミクロレベルではあるが、CDM事業を通じて途上国の開発と環境保全の両立が達成されるのである。ODAとCDMの関係についてはまだ国際的な議論が収束していないものの、既存のODAスキームやネットワークを活用しつつ、途上国の得る経済的メリットが減少しない形でCDMのスキームを統合させていければ、ODAスキームにおける開発と環境保全の両立も実質的に図られるようになると考える。個人的には、住民の最低限の生活基盤の確保に関わる援助(日本でいう無償援助の範囲)以外のODAについては原則CDMとするといったような考え方があってもよいと考える。もっとも、そのような考え方を公言すれば先進国のエゴであるという途上国側からの批判は避けられないだろうが。

中長期では、このようなミクロレベルの動きとともにマクロサイドからのアプローチも必要であろう。少し突飛かもしれないが、環境ビジネスを主産業とすることを国策として標榜する途上国が現れ、先進国各国のCDM事業を積極的に引き受けながら環境立国としての地位を国際的に築いていくことを総力挙げて目指せば、海外からの更なる投資を呼び込めるだけでなく、世界各国が目指すべき持続可能国家のロールモデルにもなり得るのではないか。目指すは、食料も水もエネルギーも環境負荷を増やさない形で自給自足し、先進的な環境技術により次々と新しい環境低負荷型の製品やサービスを開発、輸出する国家である。我々の常識や価値観からすれば今はまだ夢物語かもしれない。

このような動きを妨げているのは、拝金主義的なものの考え方とともに、環境は儲からない、環境と経済は両立し得ないという根深い先入観が世界的に蔓延しているからであると考える。ウォーラステインが主張するように資本主義が新参者にとっては著しく不平等な搾取的システムであり、決して古参者には追いつくことができないシステムであることを前提とすれば、短期的にはともかく中長期的な途上国の発展を考えると、先進国の真似をしているだけでは永遠に途上国に未来はない。資本主義の申し子であるパクス・アメリカーナが曲がり角に差しかかっており、一方で環境を基軸としたパラダイムシフトが起きつつある現状を敏感に感じ取り、小回りの利かない先進国が対応できない間に先手を取るのが目指すべき道なのではなかろうか。

(参考文献)

  • 外務省ODAホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/
  • ウォーラステイン「入門世界システム分析」(藤原書店)
  • 鷲見一夫「ODA援助の現実」(岩波新書)
  • 草野厚「ODAの正しい見方」(ちくま新書)
  • 芳野行気「温室効果ガスの排出量取引に関する法的論点について」(有斐閣ジュリスト2006.9.1号)

2008年1月17日掲載
担当:中村、菅野、宮口、藤澤、迫田、奥村