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第26回 近田 めぐみ さん

国連スーダン・ミッション(UNMIS)
帰還・再定住促進支援担当官


こんだめぐみ 日本の大学卒業後(数学専攻)、アメリカのSyracuse University Maxwell School of Citizenship and Public Affairsにて国際関係論の修士号を取得。在学中、International Organization for Migration(IOM)ジュネーブ本部にて夏季インターンを実施。日本の私企業に3年半勤務後、日本のNGOに転職。日米のNGOより派遣され、エリトリア、スーダンに約4年勤務後、2006年6月より現職。

 

「スーダン国連PKO(UNMIS)と国内避難民の帰還・再定住促進」

 

1.UNMISの設置とRRR(帰還・再定住促進支援)部

スーダンでは、イスラム教徒を中心とする北部政府と、アニミストとキリスト教徒中心である南部のSPLM/A(Sudanese People’s Liberation Movement/Army: スーダン人民開放戦線)との間で、2005年1月9日(国民の祝日となっています)に包括的和平合意(Comprehensive Peace Agreement: CPA)が署名され、21年に及んだ紛争が終結しました。このCPAには、権力や富の配分、石油を巡り問題となっている地域における南北境界線の決定、2009年に実施される予定の大統領選や知事選など民主化と地方分権に向けた選挙、そして2011年に実施予定の南部スーダンの北部からの独立を問う住民投票までの政治プロセス等が規定されています。この履行を監視するために、安保理決議1590により、スーダン国連PKO(United Nations Mission in Sudan: UNMIS)が2005年3月に設立されました。

UNMISは、CPA履行の監視のほか、難民と国内避難民の自発的な帰還(CPA署名が要因となって発生した帰還)の促進と調整を担い、私の所属する文民部門の中のReturn, Reintegration and Recovery(RRR)部がそれを担当しています。スーダンでは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民の帰還と地域再定住の役割を担っているため、RRRは国内避難民の帰還促進と地域再定住に焦点を当て、それらの調整・計画と監視、情報収集・分析、分析によって浮かび上がったニーズの啓発、そして能力構築の4つの主要な責務を負っています。帰還と帰還後の地域再定住のための調整と計画立案を行うべき現地政府の総合的な責務と役割をサポートし、また国家レベルでの帰還分野のリーディングエージェンシーの役割も務めています。

RRRは文民部門のセクションの中でも一番大きなプレゼンスがあり、南部全10州、および南北境界線上に位置し、南北それぞれの支配地域が混在する「暫定地域」(Transitional Area)全3州、そして首都ハルツームに国際・現地スタッフあわせて約70名が配置されています。

スーダン全土の中でRRRの支援対象となる国内避難民は、一部の「暫定地域」出身者をのぞのいて、大部分が南部出身者です。圧倒的に多くの避難民が首都ハルツームにて避難生活をしており、一部、南ダルフール州に逃れて避難生活を送っている南部出身者もいます。国内避難民が避難生活を送っている州では、彼らが出身地域に戻る手助けをすること、そして国内避難民の出身地では、彼らが戻ってくるのを受け入れ、そして再定住を促進することが仕事となります。

首都を出発する帰還コンボイ

 

2.地方での仕事

ブルー・ナイル州
最初に赴任したのは、ブルー・ナイル州の州都ダマジンでした。この州は南北境界線上に位置し、南北それぞれの支配地域が混在する「暫定地域」の一つで、5つに分けられた地域のうち、4地域は北部政権管轄下に、残る1地域はSPLM/Aの支配下にあります。CPAに基づき州知事などの州政府の要職は、北部代表のNational Congress Party (NCP)と南部代表のSPLM/Aが 、選挙実施前までの任期の半分づつを交代で務めることになっており、このことから「小さなスーダン」とも呼ばれています。同州北部4地域は居住者の大半がイスラム教徒で、イスラム法による統治下にあるためアルコールは禁止ですが、SPLM/A支配地域では南部出身者のキリスト教徒が大部分を占め、モスクよりも教会が多く、飲酒可能となっています。

この「小さなスーダン」を象徴するように、この地域を通る避難民の動きも実に複雑でした。SPLM/A支配地域である隣州から北部政府支配下の州都を経由してSPLM/A支配地域へ避難、一部はさらに東のエチオピアへ向かうという動きと、SPLM/A支配地域から逃れて州都とその周辺、さらにはエチオピアへ避難するという動きが主な避難の際の動きです。CPAの署名を機に、帰還への要望が高まり、2006年にUNHCRがエチオピアからのスーダン難民のブルー・ナイル州への帰還と定住促進活動を始めました。

ここでのRRRの仕事は、UNHCRがすでに帰還を支援した帰還民の定住促進の進捗調査をWFP、UNICEF、州政府と合同で実施し、調査によってさらに必要とされた支援を国連機関やNGOへ要請すること、州全体にいる国内避難民を把握し、帰還を計画立案するための国内避難民登録を実施、特に帰還民が多く戻ってきた地域やこれからの帰還が想定されている地域に重点を置いた水・保健・教育施設などのインフラの調査、そして、帰還準備の一環として帰還に使用できそうな経路を技術面から確認するための合同調査の実施などでした。また、帰還とはかけ離れますが、政府からの要請に基づく洪水の被害調査のため、UNMISのヘリコプターを手配して被災地上空を低空飛行し、被災地近辺ではその地域を通ってきた人たちに聞き取り調査を行ったこともありました。

一番大変だったのは、雨季と地雷のため、陸路でのアクセスが限られている中で帰還と再定住の支援を進めることでした。雨季で陸の孤島となった地域での再定住調査を行うために、ヘリコプターでの移動を手配したのですが、ヘリが着地したところから一歩踏み出す度に靴底に泥がへばりつき、泥だらけでヘトヘトになって調査を終えたと思ったら、ヘリの車輪が半分近く泥に埋まり、離陸に苦労したこともありました。

痕の残る地に戻った帰還民たちの家屋

 

ジュバ
ブルー・ナイル州での7ヶ月の勤務後、ジュバへ転勤になり、エクアトリア地域の3州を担当することになりました。ジュバは南部スーダンの首都で、南部スーダン政府や軍、そしてUNMISの南部地域事務所本部があります。帰還・再定住促進事業におけるジュバでの課題の一つは、首都ならではのより良いサービス(特に、就業の機会、子どもへの教育、保健施設)を求め、近隣出身だった難民・国内避難民が帰還途中、自分の出身地へ戻らずにジュバに留まる人が多いということでした。また、人々が戦禍を逃れ国境を越えて難民生活を送っている間に、その人々がかつていた土地家屋に別の民族が避難してきたために、難民・国内避難民の帰還とその土地・家屋の問題が多く発生し、帰還計画に伴う準備段階でそれらの問題解決のため、かなり幅広く関係省庁や関係機関との調整を要しました。

市場で行った、洪水による被害調査

前に述べたように、スーダンにおいて、RRRは帰還と帰還民再定住分野を調整するリーディングエージェンシーを務めています。その主だった活動の一つとして、首都ハルツーム、ジュバ、そして州レベルで、関連する課題の議論、問題解決、行動計画立案に特化した調整会合を、政府カウンターパートと共同で開催するというものがあり、私は州レベルの調整会合の共同議長を務めていました。ジュバは多くの援助機関が事務所を構え活動をしているのですが、定期的に行われている人道支援の調整会合は、南部10州をカバーする拡大調整会合(帰還・再定住支援専門)と、そして私が共同開催していた州調整会合(同様に帰還・再定住支援専門)の2つのみであったために、本来の範囲を超えた幅の広い人道的課題がかなり多く持ち込まれ、それを関係機関と調整するのが一番時間を要する仕事でした。

大きなチャレンジの一つは、人道支援の要請が政治がらみで持ち上がることでした。ジュバは南部スーダン政府の首都であるため政府、議会、軍の本部機能があること、また南部の部族間でのつながりや権力争いが激しいことから、国連やNGOからの支援を呼び込むことで自分の政治的権力の誇示に使おうという政治家が我々の政府カウンターパートに圧力をかけるために、特定の地域への支援要請がたびたびあり、政治的圧力と人道的ニーズのバランスを保つことが大変でした。調整会合で支援ができるか否かを考慮し、可能でないという結論に達した後も、政府関係者が組織の上の方に詰問に訪れたり、その後の活動に賛同が得られないなどの困難に直面し、多民族国家で政治的背景が複雑な状況での支援の難しさを痛感しました。

3.首都での仕事

2度マラリアを患った8ヶ月間のジュバでの勤務を経て、首都ハルツームに異動になりました。ハルツームでの仕事は、帰還と再定住促進の計画立案・実施・調整を国家レベルでリードすることですが、私は首都とその周辺に居住している大多数の国内避難民の帰還全般を任されました。避難民の帰還は、スーダン国家統一政府、南部スーダン政府、WFPやUNICEF等様々な国連機関と国際移住機構(IOM)との合同事業になるのですが、実際は、UNMISや他の国連機関とIOMが、資金や技術面(ノウハウ)のサポート、食料を含む必要な支援物資や資機材提供、広報活動、陸路と治安のアセスメント、移動手段の確保、避難民の健康状態のチェック、そして長距離移動の際に途中で宿泊する施設(ウェイ・ステーション)の運営など多岐に渡る中央、南部政府への支援を行っています。私が担当しているのは、RRRを代表して帰還コンボイの移動計画立案をすること、上記に挙げられた支援の準備を整えるための全てのパートナーとの連絡・調整・トラブルシューティング、コンボイ移動時のモニタリングです。乾季の帰還シーズンには合同計画タスクフォースというフォーラムで、週に1-2回、両政府や国連機関全てのパートナーと顔を突き合わせて、計画、実施、調整、問題解決を行い、帰還を進めていきます。

コンボイ移動計画立案の際は、目的地へのルートの調査、現地のインフラ状況、現地政府の受け入れ準備、そして治安(地雷・不発弾の有無についても)の確認が鍵となりますが、それを12のフィールドオフィスにいる同僚と調整することも大切な仕事の一つです。帰還の移動を計画する際、送る側としてさらに必要なのが、避難民とのこの帰還コンボイについての情報共有、この帰還支援を受けたい避難民の登録確認、移動手段や食料等支援物資の調達と配備、また移動中の避難民の保護などの観点から抜けがないよう準備することです。そのために各テーマ毎に分科会が設けられ、週ごとに関係する機関の担当者が集まり、必要な事項、過去の事業実施からの教訓、新たな課題等について議論し、合同計画タスクフォースに技術面での提言をしています。

南部へ帰還する南部出身の子どもたち

2008年3月には帰還ルート上で治安状況の悪化があり、移動中だった複数のコンボイが1週間足止めになりました。その当時はスタッフを約70名抱えているRRR部の代表代行も務めていたため、緊急事態を事務総長特別代表補に常に報告するとともに、帰還コンボイが通過する4つの地域と首都との間で、国連軍総代表、国連軍地域代表、事務所長、治安担当者、現場のRRRの同僚達を調整し、帰還コンボイへの国連軍のエスコートをアレンジしました。このような状況下の帰還事業は1ヶ月続きました。

首都ハルツームからスーダン最南端への陸路による帰還は、約1週間の移動を要します。児童の就学が休みに入る3月以降の帰還のピーク時には3日おきにコンボイを出していたので、治安に影響を及ぼす政治状況の変化や最新の治安情報に目を光らせながら全ての関係者に常に最新情報を提供することが要求され、避難民と支援物資の到着が確認されるまでは、24時間体制で備えるとともに突発的事故がないよう祈る思いでした。

4.最後に

21年間続いた南北間の紛争で故郷を追われ、住環境の良い首都で避難生活をしてきた避難民にとって、開発がままならない南部へ戻る決心をするのは大変なことです。2009年に実施が計画されている様々な選挙や、南部スーダンの独立を問う2011年の住民投票を前に、依然として帰還をめぐるニーズは高いと思われます。

ただ帰還は一過性の事象で、大きな挑戦が待ち受けているのは、故郷に戻ってからの生活再建です。都会での生活に慣れ親しんだ人たちが、農業や放牧に適したような地で雇用機会も限られた環境の中、食糧援助から抜け出し、どのようにして生計を立てていくのか。法の施行や武装解除がほとんど進んでいない上、部族間の闘争による避難を強いられるような状況の中、どのようにして生き延びるか。また、難民や避難民となって故郷を離れている間に、そこへ避難してきた人たちによって自身の土地や家屋が占拠されている問題をどう解決していくか。南部スーダンには様々な分野の大問題が山積しています。今後必要と思われる復興プロセスは、政府&国連&NGOの合同復興・開発計画作りとその実施、政府への継続したキャパシティ・ビルディング、多分野に渡る問題解決のための関係する複数の省庁間や国連機関内での連携、緊急支援から復興、そして開発へのスムーズな移行です。それを可能にするためには、政治・軍事関係者の理解と協力も必要不可欠です。その長いプロセスの中、現地政府が国家・州・地方/村レベルで、多分野を複合したアプローチで生活・就労・教育などの状況の改善、そして発展につなげていくことが、帰還した人々、そして今後帰還を考えている人々にとって、直近で一番求められることではないでしょうか?

(2008年12月30日掲載 担当:大仲・井筒 ウェブ掲載:柴土)

 


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