第38回 京 靖子さん
アルメニア開発機構(ADA)
国連ボランティア人事エキスパート
京靖子さん アルメニア開発機構(ADA)
京靖子(きょうやすこ):大阪府生まれ。富山大学経済学部経営学科卒業。ドイツ系化学メーカーでの人事(採用、教育、人事考課制度)を経て、フィンドレー大学大学院教育学(人材育成専攻)修士号取得。UNESCAP人事部インターン、チームアシスタントを経て、2009年度JPO派遣予定。
はじめに
UNIDO(国連工業開発機構)とのパートナーシップにより、UNV(国連ボランティア計画)のCPS(Corporate Private Sector)プログラムを通じて、アルメニア共和国のアルメニア開発機構(ADA)にて、国連ボランティア人事エキスパートとして3カ月間勤務しました。いわゆるイメージされる汗と埃にまみれて働く途上国のフィールドとは異なりますが、ADAでの私の役割は、従業員の能力を引き出し、モチベーションを高め、ヒトが最大限の力を発揮できるように目標管理制度の導入、従業員満足度調査、トレーニングを行うことでした。
アルメニアという国
みなさんは、アルメニア共和国がどのあたりにあるかご存じですか?私もこのお話をいただくまでは、よく知りませんでした。1991年にソ連の解体とともに独立国家となったアルメニアは、黒海、カスピ海に囲まれたカフカス地方にあり、トルコ、アゼルバイジャン、イランといったイスラム教国に囲まれながら、世界で初めてキリスト教を国家宗教として正式に認めた国です。
人口約300万人、住民のおよそ97%はアルメニア人で構成され、公用語はアルメニア語となっています。旧ソ連の構成国であったこともあり、ほとんどのアルメニア人がロシア語も話します。 アルメニアは、旧ソ連諸国の中では早期に価格の自由化、国営企業の民営化など、市場経済化に向けて努力を行っている国です。都市部の治安は安定していますが、アゼルバイジャン領域のナゴルノ・ガラバフ地域を巡って、アゼルバイジャンとの紛争が続いており、アルメニアにとって課題となっています。
アルメニアのUNオフィスにて
アルメニア開発機構(ADA)
アルメニア開発機構(ADA)は、1998年にアルメニア政府によって、アルメニアへの投資促進と輸出振興のため設立されました。ADAは商取引プロセスの効率化を図るためのワンストップ・ショップとして、民間部門と政府の間で仲介的に存在し、外国の投資家に対するアルメニアへの投資誘致と外国のマーケットに対する輸出振興を目指しています。ADAで働く人材の力を引き出すことが、市場経済移行国アルメニアの経済発展、成長の支援につながると考えられています。
ADAのオフィス
人事の仕事
ADAの組織強化のため、既存の人事管理システムの見直しが必要ということになり、従業員のモチベーションを高める目標管理制度とスキル・知識の向上を目指したトレーニングの実施が依頼されました。
1)目標管理制度
人事考課制度に求められているものは、客観的でより公平な評価を行うことと、それを公正に処遇に結びつける賃金システムです。公平な評価を行う上で、目標管理制度がツールとして活かされるように導入しました。
目標管理制度を導入する前に、各人の職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)の作成、見直しを行い、各職種の職務の要素および個人が目標とする役割を明確にしました。目標管理制度の導入にあたっては、新しい制度導入の目的、目標設定、目標シートの記入の仕方をマニュアルとともに各部署長に配布、説明を行いました。説明時には理解されているように思っていても、実際提出された目標シートを確認すると目標設定の仕方が曖昧であったり、上司と部下の目標が全く同じであったり、何度もやりとりを重ね、一人一人の職務記述書、目標シートを作成しました。今後は、1年目の導入経験をもとに目標設定が部署毎、従業員毎により精密にカスタマイズされ、業績の評価ツールとして信頼されるものになることを期待しています。
2)トレーニング
投資部、輸出部のスタッフメンバーにプレゼンテーショントレーニング及びネゴシエーションスキルトレーニングを実施しました。投資部は海外投資家のアルメニアへの投資誘致を、輸出部はアルメニアの輸出促進を高めるため、海外投資家、輸出受入先との交渉時にアルメニアの魅力が伝えられるスキルを伸ばすことが目的でした。
私は人事の仕事は経験がありますが、トレーナーとしての経験はないため、当初、アルメニアのトレーニング機関にトレーニングを実施してもらう提案をしましたが、十分な予算がないことから、私自身がトレーナーも引き受けることになり、不安もありました。一番困ったことは、トレーニングを開催する日を決定することと、参加率を上げることでした。仕事が少し忙しくなると、トレーニングの日にちを変更して欲しいと依頼があり、実際トレーニングを開催した日も通常業務に戻る参加者もいました。
トレーニングを行う際には、アルメニアのトレーニング機関ができなくて、私ができることは何かということを考え、アルメニアと日本(アジア)の双方の文化を知っているという強みを活かすことにしました。参加者にとって身近なアルメニアの伝統的パン、「ラバッシュ」を日本に輸出するにはどうすればよいか?といったエクササイズや、日本人の私がアルメニアで感じた文化や思考の違いの話を組み入れ、ADAがアジアの国の人と交渉する際に参考となる交渉のポイントなどを、テキスト上の話ではなく、トレーニング参加者の目線に立って学べるように心掛けました。
3)従業員満足度調査
従業員のモチベーションを高めるため、動機付けの要因となる金銭的報酬(給与、昇進など)と非金銭的報酬(人間関係、達成感など)の15項目について現在の満足度を問う調査票をアルメニア語と英語で作成し、各人に配布しました。初めての従業員満足度調査ということで、受付に設置した回収箱への興味、従業員の関心も高く、ほぼ100%の回答率でした。給与は、他の項目に比べ、差をつけて満足度が最も低い結果となりました。アルメニアの物価は安いわけではありませんが、平均的な従業員の給与は月300ドル程度であり、今の段階では仕事そのものにやりがいを見出すというよりも、非金銭的報酬、給与に満足がいけば、従業員が喜んで働くという現状であると思います。給与テーブルの変更は難しかったため、人事考課制度とリンクさせ、優れた成果を残した社員にはボーナスを支給するという提案をし、導入が検討されることになりました。年に1回は同様の従業員満足度調査を行うことによって、ADAが取り組む人事制度に対する従業員の満足度の推移を把握することができるので、満足度調査を今後も継続して行えるようADAのスタッフと共に実施しました。
トレーニング中
アルメニアでのチャレンジ
イメージ的に自営でコーヒーショップを経営している街中のおじさんに「人事制度の導入」を勧めたような感覚です。アルメニアは経済的に厳しいという背景がありますが、人的資源の活用という概念がまだまだ定着しておらず、今までは業績に関わらず一律に固定された給与が支給されていた状況です。業績を評価する仕組みはこれがはじめての試みとなり、人事制度とは何か、仕組み、考え方を理解してもらうことからはじまり、なんとか制度の導入のところまでは持っていくことができました。
日本人と仕事をしていると締切はいわずもがな、守ってくれるのが当たり前ですが、目標管理制度の目標シートの提出、トレーニングへの出席、すべてにおいて催促が必要でした。メールで文書の提出を催促するのは簡単ですが、できるだけ各人のオフィスに足を運んで、サポートが必要であれば、一緒に書類を作成したり、ドラフトを私の方で作成して、意見を加えてもらう形にしたり、工夫を重ねました。
“忙しい”レベルの違いも痛感しました。日本の民間企業で働いていた時には夕方6時頃から、午前、午後の部が終わり、第3ラウンドが始まるといったところでしたが、アルメニアでは朝の出勤もランチタイムものんびり、夕方6時前にはオフィスを去るというタイムテーブルを変更しなければならなくなった時に、初めて忙しいという考え方になるという違いがありました。これは単に文化の違いだけではなく、給与が入社時5年前と同じであったり、残業代もでないことなど、いろいろな要因が影響しているからだと思います。
また、アルメニア人の感情表現の仕方の違いに当初は戸惑いました。感情をダイレクトに表現するため、彼らの会話はまるで討論しているかのように感じることがよくありましたが、 毎日、一緒に時間を過ごす中で彼らの文化に馴染んでいき、怒っているのではなく感情をストレートに表しているんだなと理解できるようになりました。
プレゼンテーションのエクササイズ
おわりに
3ヶ月という期間では人間関係、信頼関係の構築、人事制度の運用など、限界がありました。人間関係ではようやくスタッフが相談に来てくれるようになったり、依頼事のレスポンスが早くなってきたと思えた時にこのアサインメントが終了となりました。目標管理制度では導入よりも実際の運用で直面する問題(目標を変更せざるを得なくなった、部署間での有利・不利の調整など)や様々な課題に対処する時間を共に過ごせなかったというのが本音です。ただ、私企業の利益のためではなく、市場経済移行国アルメニアの経済発展に貢献していると感じられたことが、なによりも私の原動力でした。ある日、ADAの人事担当スタッフに「私の職務経歴書に今後もっと人事の仕事を追加して欲しい。」と言われた時は、彼女が人事の仕事に興味を持ち、もっと積極的に取り組んでいきたいという姿勢がこちらに伝わり本当に嬉しかったです。
民間企業で培ったスピード感、効率性の追求、チームワークの連携などは今回の人事エキスパートの仕事で役立てることができたと思います。スピード感で言えば、クライアント(人事の場合は従業員)に合わせた意識、一瞬のタイミングを逃さないことではないでしょうか。海外出張で世界を飛び回り、日本に一時帰国している社長が部屋から出てくる一瞬のすきをみて、人事部のすべての企画書の承認を得なければならなかった経験、顧客回りに帆走する営業部がオフィスに戻ってきた束の間に担当スタッフをつかまえて、人事案件の話をまとめた体験は、ADAの多忙を極めるディレクターとの仕事に活かされたと思います。チームワークは、いい意味で一人ですべてやろうとしないことではないでしょうか。ADAの各部署に対する提出物の催促も、ADAの人事担当者から話してもらった方がスムーズに運ぶこともありました。これはアルメニア語でコミュニケーションが図れるということだけではなく、スタッフ間で既に信頼関係が構築されているからだと思います。人事は様々な従業員と関わらなくては仕事ができませんが、やっぱり人間ですので相性はあり、自分が苦手だと感じる相手にはその相手と関係が良好な同じチームのスタッフに橋渡しをしてもらって、仕事を進めてきたこともありました。このような経験をうまくアレンジしながら今後も活用していきたいと思います。
国際社会が抱える問題が激しく変化している中、組織で働く一人ひとりの持っている能力が十分に発揮できる環境があってこそ、はじめてそういった問題も解決できると思います。時代のニーズに合わせて柔軟に対応する(できる)人事の役割は重要になってくるのではないでしょうか。今後は人事のエキスパートとしてアルメニアのアサインメントが扉を開いてくれたように、国連や国際社会で働く人材の力を人事システムを通じて引き出し、世界の発展に寄与できるフィールドに携わっていきたいと思います。
従業員満足度調査票の前にて
(2010年2月16日掲載 担当:高浜 ウェブ掲載:秋山)