「PKOの3つの視点―ミッション、国連本部、安保理」
国連日本政府代表部参事官
川上 隆久氏
■1■ ミッションからの視点
■2■ 国連本部からの視点
■3■ 安保理からの視点
■ 質疑応答
講演者が勤務した国連カンボジア暫定機構(UNTAC)は、当時、「革新的」PKOと言われていた。それまでのPKOは、国家と国家の間に入って停戦監視を行うのが基本であり、任務はシンプルで、規模も小さかった(「古典的PKO」。)UNTACは、停戦監視のほかに、選挙管理、行政のコントロール、人権、難民などを扱う複合的なミッションであった。
ミッションの現場では、当事者間の合意と安保理によって与えられたマンデートをいかに履行するかが最大の課題である。PKOの活動とは、マンデートに基づいて行われる個々の行動の総体、積み重ねである。そこでは、現場の采配で活動することが期待されている。自分は明石特別代表の補佐官として、最高評議会(暫定政府)と交渉するのが主な任務であったが、国連本部に対しいちいち指示を仰ぐことはなかった。
物事がうまくいっている限り、自分たちの判断で行動して問題はないが、うまくいかないときは、国連本部との相談、安保理との協議が必要になってくる。カンボジアの場合は2つの大きな問題があった。1つ目は、停戦プロセスである。停戦監視から武装解除に移行する際、ポト派が武装解除に応じないと主張し、当初のシナリオが狂った。国連PKO局、事務総長と相談し、安保理にも提起、安保理もポト派説得の措置を取ったが、結局ポト派を残したまま武装解除を始めた。しかし、ポト派が拒否を貫いたため、結局他派の武装解除も停止せざるをえなくなり、武装解除が行われないまま、選挙プロセスに突入した。
2つ目は、選挙の中立性に対する問題である。プノンペン政権による選挙妨害が甚だしく、選挙ができる環境なのかどうかが問われた。国連本部とも相談したが、明石特別代表はここで選挙を停止しては悪影響を及ぼすと判断し、選挙を強行した。結果として選挙は平穏に行われ、ご承知の結果―シアヌーク派の勝利―となった。
なお、ミッションの中でも、UNTAC本部(プノンペン)と現場(地方事務所、部隊、選挙監視員)との関係は、国連本部とミッションとの関係に類似する点がある。
国連本部は司令塔として、全てのPKOを総監督している。特に、新PKOの計画作りは本部が行う。PKOが立ち上がった当初は本部から指図することが多いが、その後は現場に権限を委ねていく。
国連本部において、自分は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の計画づくりを担当した。先に述べたUNTACは直接行政を行わなかったが、東ティモールでは独立までの間、国連が同島を行政管理することになっていた。当初はインドネシアの行政機構を利用すれば良いと考えていたが、住民投票で独立派が勝利すると、インドネシアはあっという間に手を引き、警察も技術者も先生も全員いなくなってしまった。このため、ティモール人が全く育っていない中で、国連が全面に出るような計画を立てることになった。
現地には住民投票を実施した国連東ティモール・ミッション(UNAMET)がまだ存在していたが、計画作りは国連本部で行われた。この過程で、UNDPなどの国連機関、世銀・IMFとも何回も協議を行った。UNTAETが立ち上がると、現場に対して権限を委譲していった。暫定期間中は、国連本部は、客観的・中立的な立場から国連職員が行政の責任者となることを想定していたが、UNTAETのセルジオ・デ・メロ特別代表は、ティモール人の直接参加を主張し、彼らを事実上の閣僚に任命した。このティモール人化により、予定より早く、2002年5月、国連の行政が開始されてから2年ちょっとで新しいティモールが発足した。当時、これは輝かしい成功と考えられていたが、現在のティモールの状況から独立が早すぎたとの声もあることは否めない。
安保理は決議を採択する側に立つわけだが、安保理には安保理のロジックがあり、事務総長報告を必ずしも丸呑みして決議に落とすわけではない。各国の国益も絡んでくる。たとえば、国連スーダン・ミッション(UNMIS)の場合、開発・復興もPKOがやるべきという考えに対しては、PKOは調整に徹するべきであり、そこまでやる必要はないとして日本は反対した。フランスは憲章6章下のミッションであるから、要員規模が大きすぎると難色を示した。
より極端な例は、国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)である。要員規模が足りないので1万人から2万人に倍増するよう国連事務総長が提案したのに対し、安保理は6千人までしか認めなかった。ちなみに、旧ユーゴの安全地帯構想では、ブトロス・ガリ事務総長(当時)と国連保護隊(UNPROFOR)の提案した増員数に米国などが反対し、少数の増員しか認めなかったため、スレブレニッツァで、セルビア人勢力による虐殺が起こったと考えられている。この反省の上に、2000年のブラヒミ報告において、PKOには必要数は認めるべしとの勧告が出された。その後、東ティモールなどで要求がそのまま認められてきたが、ここに来て、MONUC、コート・ディボワールのケースなど、安保理が要求を「値切る」ケースが再び目立ちつつある。
国連本部と安保理の関係は、お互いに鏡をしながら仕事をしているようなものである。相手の姿は見えるが、なかなかうまくいかない。事務総長報告の提言を安保理が認めない、安保理の考えが国連事務局にうまく伝わらない、など双方が相手に対して少なからぬ不満を持っているように思われる。
(担当:清水)