国連児童基金(UNICEF)プログラム・アシスタント
相澤瑞穂(あいざわ・みずほ):大学卒業後、海外経済協力基金(OECF)にてスリランカやバングラデシュを中心とした円借款業務に携わる。4年の勤務の後に退職し、渡米。帰国後に米国公認会計士試験に合格し、ソフトバンク株式会社にてIR(投資家向け広報)室に勤務。2年後に国連世界食糧計画(WFP)へ転職し、民間協力に携わる。2010年6月から国連児童基金(UNICEF)東京事務所に勤務。担当は日本政府とのパートナーシップ業務。 |
Q. 国際協力に興味を持ったきっかけを教えてください。
子どものころ、メディアの映像や報道で途上国の子どもたちの貧困の様子を知って、日本で生まれ育っている自分の生活との格差を感じたことです。その時、子どもながらに、心を動かされて興味を持ったんです。それで、将来は貧困問題の改善に貢献していきたい、と漠然と思うようになりました。
大学に入学してからは経済学を専攻し、開発経済学やマクロ経済学などを勉強していました。在学中にタイへ旅行に行ったときに、実際に現地の人々の声を聞いたり、日本の円借款が国際空港、送配電網、通信網、高速道路などのインフラ整備に役立っているのを目の当たりにしたりして、開発支援がタイの経済発展に貢献していることを実感しました。そして、貧困問題を解決するには「経済成長」がベースになってくるのかなと考え、自分はそこに関わっていきたいと思うようになりました。
Q. 国連児童基金(UNICEF)に勤務される以前のことを教えてください。
海外経済協力基金(OECF、現JICA)に4年間勤めた後、退職してアメリカに約1年間滞在しました。帰国して日本の民間企業に約2年間勤めた後、国連世界食糧計画(WFP)で5年4か月ほど働きました。
大学卒業後は、タイでの経験から途上国の経済成長に関われる仕事をしたいと思いました。それでOECFに就職し、最初はスリランカとバングラデシュへの円借款の担当課に配属されました。当時のOECFでは、職員数が多くはなかったこともあり、新人でも事務職でも重要な仕事を任せてもらえる土壌がありました。私も、事務職ではあったのですが、現地に出張して、マクロ経済や保健セクターの調査、スリランカの中央血液銀行の改修事業の案件形成なども行っていました。
一方で、数年経つと、留学をしていた総合職の同期たちは、それぞれ専門性を身につけて帰ってきていました。それを見て、私も何か専門性を持たなければ業務に付加価値をつけられないなと思い始めたんです。そんな折にちょうど、家庭の事情でアメリカに行くことになり、OECFを退職しました。これを機に財務や会計の勉強をしようと思い、ひとつの目標としてアメリカの公認会計士の資格取得を目指したのです。ある円借款案件で、途上国側の実施機関の財務状況が悪化して案件の進捗がスムーズに行かなくなったことがあり、どんな組織でも健全な財務基盤がなければ本来の目的を果たしていけないのだと実感したのが、この分野に興味を持ったきっかけです。専門学校の講義ビデオとテキストで自習をして、試験には帰国後に合格することができました。
Q. 帰国後はどのような経緯を辿られたのですか。
学生時代から、また、OECFにいたころから、グローバル化や相互依存といったキーワードがますます頻繁に聞かれるようになっていました。途上国に対する資金流入においても、公的資金だけではなく民間資金の額や割合がどんどん増加する時代となってきていました。このような潮流の中で、開発問題に対しても官民が一緒になって取り組むことが重要だし必要不可欠だなと思っていましたね。
それで民間部門を経験したいという思いと、財務・会計の知識を実践することによって本当に自分のものにしたいという気持ちから、民間企業のIR室で働くようになりました。IRとはInvestor Relations(投資家向け広報)の略で、主に保険会社などの機関投資家や証券会社のアナリストに対して、正しい投資判断に必要な情報、例えば会社の財務状況、事業の現況、戦略や計画などを説明する仕事です。証券取引所への情報開示もIRの担当です。私が働いていたのは大きなグループ企業の持ち株会社でしたが、IRは経営に非常に近い部門なので、企業の意思決定、事業展開や資金調達のプロセスなどを間近で見ることもできました。
Q. WFPで働くようになった経緯と仕事内容を教えてください。
民間企業での仕事は知的刺激にあふれ、また、そのビジネスが社会を動かしているという実感もあり、とてもエキサイティングだったのですが、2年が経とうとしたころ、自分が国際協力や途上国開発の世界から離れていることにさみしさを感じるようになりました。子どもの時から自分の根底にあった貧困問題に対する疑問に関わりたいという思いが消えず、このまま自分の行きたかった道から遠ざかっていていいのかな、と。それで国際協力の仕事を探したところ、WFPの求人広告を見つけ、民間協力の部門で働くことになりました。
仕事は、企業や団体に対してWFPの使命や目標、活動内容やその重要性などを説明し、飢餓や貧困の問題、それに取り組むWFPの活動を理解・支援してもらうことです。IRと非常によく似ていますね。私が採用されたのは、民間でのIRの経験、スキルがあったからだと思います。財務・会計の知識も、さまざまな企業やWFPの民間協力を支援するNPO法人などと一緒に仕事をしていく上で、また、国際公会計基準(IPSAS)の導入にあたってルールやシステムを理解するのにも、とても役立ちました。
企業や団体からのWFPへの支援には、現金の他に物品やサービスもあるのですが、その支援を取り付けて実施まで調整することも、私の主な業務の一つでした。ただ、WFPの日本での認知度は、公共広告などの効果でずいぶん上がってきてはいたものの、当時はまだWFPを知らない人も多く、最初に話を聞いてもらうまでも大変でしたね。そこから実際に協力が実現するまでの道のりは、一件一件とても長く感じました。民間協力部門自体が本格的に稼動しはじめてからまだ日が浅く、すべてが手探り状態でした。
Q.UNICEFで働き始めたのはいつごろですか。こちらではどのようなお仕事をなさっているのですか。
2010年6月から勤務しています。東京事務所は、主に各国政府とのパートナーシップを管轄する本部の公的資金調達部の一部で、日本と韓国の政府からの資金調達やアドボカシーを担当しています。UNICEFが子どもの権利を守るというミッションを遂行するのに必要な資金を、より適切な形で支援していただけるよう、政府との関係や政策対話を維持・強化しています。そのために、UNICEFが政府の開発政策の中で重要な戦略的パートナーとして位置づけられるよう、専門的・技術的なインプットを行うことなども主要な機能の一つです。また、政府から支援された資金が、UNICEFの戦略計画の達成のために効率的・効果的に使われ、結果について適切な報告を行えるよう、現地事務所に対するサポートも行っています。私はそれらの業務を主に事務の面からサポートしているほか、案件によっては主担当として携わっています。
Q. 職場としての国連の好きなところを教えてください。
世界という大きなコンテクストの中で仕事ができるところ、それから、多様な人種や様々なバックグラウンドを持った人が集まっていて、刺激的なところですね。現在事務所には国際職員(日本以外でも勤務の可能性がある国際採用職員)が7人いるのですが、業務の性質上、そのうち外国人は今は2人だけです。それでも、電話やメールなどで途上国の現地事務所と一緒に仕事をしていると、その国の人だけでなく、いろんな国籍の人と仕事をする機会があります。国連の基本的価値観にRespect for Diversity(多様性の尊重)というものがあって、多様性の中でいろいろ学びながら仕事をできるのが楽しいですね。国連に入る前は、途上国の現場との仕事が多くて物事がなかなか進まないこともあるのかな、と想像していたのですが、意外とそういうこともありません。本部から人事関係の書類が来なくて、何度もお願いしたのに、結局来なかったことはありましたけれどね(笑)。
Q. 民間企業との違いなど、働く環境はどうですか。
公的機関ですし、今の職場は日本にあって主に日本のカウンターパートと仕事をしていることもあって、あまり自由でのびのびしているという感じではないと思います。常に仕事に追われている、スピード感や成果を常に求められるという点では、民間企業で働いていた時と同じですね。
スタッフの中には、途上国の現地事務所やニューヨークにある本部とやりとりをする場合に、時差の関係で夜遅くまで働く人もいます。ただ、民間企業とは違うと感じたのは、24時間働くことが美徳とみなされたり、それが当然という雰囲気がないということですね。その点では、ワーク・ライフ・バランスが尊重されているという実感があります。休暇は業務や同僚の予定と調整すれば、比較的とりやすい雰囲気です。私は仕事で現場に行けることはほとんどないのですが、やはり現場を見たいという気持ちがあるので、休暇を使って途上国へ行くことも多いです。次の休暇もブータンでUNICEFやWFPのプロジェクトを見せてもらう予定です。
終身雇用ではないので、一年一年、きちんと成果を出して認められていかなければならないという責任感や緊張感は、常に強く感じています。
Q. ご結婚されて、お子さんができてからも仕事を続けていきたいと考えていますか。
国連には、お子さんもいるのに途上国などへの転勤も厭わずに働き続けている、エネルギーに満ちあふれた女性がたくさんいらっしゃいます。今の事務所でも、夏休みなどで学校が休みの時期や、子どもが熱を出して保育園に行かせられない日に、事務所に子どもをつれてくる人もいて、事務所の中を子どもたちが走り回っていることもあります(笑)。そのような柔軟性があって働きやすい部分もある一方で、UNICEFでは「世界の子どもたちのための仕事で忙しすぎて、自分の子どものことがおろそかになってしまう」という悩みもよく聞かれますし、家庭の事情にかかわらず、自分やチームの成果をしっかり出さなければいけない厳しい世界だとも感じています。でも、それに見合うやりがいや喜びのある仕事なので、私も家庭の環境が変わっても、できる限り続けていきたいと考えています。
Q. 今後のキャリア・プランはどのように考えていますか。
就職した当時は、自分が国連で働くなんて考えてもいなかったですし、今はこの事務所にお世話になっていますが、今後どうなるかはわからないですね。ただ、自分が以前から持っている問題意識に取り組める場所にいたいですし、直接的ではなくても自分の力を少しでも活かせることをしたいです。今はUNICEFで続けていきたいと思っていますが、将来その時点で自分がどこにいたいのか、誰といたいのかなどを考えて、選択をしていきたいと考えています。日本人として、日本の経験を生かせるような関わり方も考えながら、また、自分なりの付加価値もつけていけるように努めながら、今後もできるだけ長く国際協力に携わっていきたいですね。
Q. 最後に、次の世代など、これからグローバルな分野に関わりたいと思っている人に向けてメッセージをお願いします。
今まで4つの組織で仕事をしてきて思うのは、組織は「人」だということです。UNICEFにも多くの学生インターンさんが来て下さるのですが、皆さん、目的意識が明確で、専門性や語学力も高く、こちらが学ばせてもらうことのほうが多いくらいです。ただ、最初から国連など特定の組織を目指すよりは、若いうちはいろんな場所で様々な経験を積んで、バランス感覚を養ってからこの世界に入ってくるのがいいのではないかと思います。そうすれば、視野も広がって多様な考え方もできるようになりますし、柔軟な姿勢も身につくと思います。
国連は公的機関で特殊な組織なので、民間の風が入ってくることも大事だと思います。ビジネスの分野でいろんな世界と関わってきて、バランスのとれた物の見方を持った人が増えていくと、国連の中でも、すべてのスタッフがそれぞれの能力を活かせる環境をつくりやすくなると思います。高い専門性を持つことも大切だと思いますが、専門家ばかりが自分の専門分野しか見ていないと、組織としてはあまり上手くいかないですからね。現在では、民間から国連に入ってくる人も増えていますし、民間部門と協業していく上でも、効率や結果を重視するビジネスマインドを取り入れ、強化していくことは重要だと思います。
2011年4月7日、東京にて収録
聞き手:串田裕梨、曽我太一
写真:田瀬和夫
プロジェクト・マネージャ:太田徹
ウェブ掲載:柴土真季