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南口直樹さん

国連「メーホンソーン高地生活総合開発」合同事業 プログラム・マネージャー

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南口直樹(みなみぐち・なおき): 大学卒業後、渡米し公共政策および環境科学修士号を取得。環境計画コンサルタントやタイの研究機関を経て、1995年国連食糧農業機関(FAO)技術協力課に勤務。その後、ローマ本部早期警報課ならびにアジア太平洋地域事務所にて飢餓・食料安全保障問題と脆弱性分析に携わる。2010年よりタイにおける国連合同事業(UN Joint Programme)のプログラム・マネージャーを務める。大阪府出身。

Q. 国連で勤務することになったきっかけや経緯を教えてください。

子どものころから自然が大好きで、毎日毎日、夢中になって林の中で虫取りをしたり、川で魚を獲ったりしていたのですが、ある時、近くの工場排水の汚染で川が緑色や黄色に濁り、どんどん魚がいなくなりました。虫取りをしていた林も周りがコンクリートで固められ、自然が破壊されていくことに、子どもながらに心を痛めていました。

このような背景があったからか、大学に入ってからは将来は公害問題に取り組みたいと思ったんです。当時は尼崎大気汚染など、目に見える形で進んでいた身近な地域の人権問題ともいえる公害問題に取り組めればと思っていたんですね。

ちょうどそのころ、たしか1987年にカナダのモントリオールでフロンガス削減を合意した議定書が採択され、翌年にはトロントで先進国首脳会議G7(トロント・サミット)が開かれ、地球環境問題が議論されました。その際に、竹下登首相が日本政府として真剣に地球環境問題に取り組んでいくことを各国に宣言したのですが、そのことに鼓舞され、自分も国内だけでなく、アジア地域やもっと広くグローバルに貢献できないかと考えるようになりました。

ところが当時、公害問題とは違い、政治、経済、社会、科学、エコロジーなど多面的に環境問題を勉強できる大学院が国内にはまだなく、やむなく米国に留学することにしたんです。単に文科系の科目だけでなく、科学も知らなければ環境問題のしくみや原因を理解できませんから、環境科学と公共政策の両方を学びました。そして、卒業間近にちょうどジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)の募集を知り、応募し採用されたことで国連に勤務することになりました。



Q. その後、国連食糧農業機関(FAO)で経験を積まれ、現在は国連合同事業に携わっていらっしゃいますが、合同事業でのプログラム・マネージャーとはどのようなお仕事ですか。

8つの国連機関が協力しあって、タイのメーホンソーンにおける高地生活総合開発事業を行っています。これまでにもいくつもの合同事業がありました。たとえばHIVの拡大防止という1つのテーマに複数の国連機関が携わっていたんですね。ところが今回は、3つの目的の下、11のテーマを設け17の活動を包括的に進めるという初めての試みになります。1機関では達成することができない、より大きな援助の効果を目指しています。3つの目的というのは、@収入・生産性の向上(貧困削減)、A持続可能な自然資源・環境管理、B社会サービスの充実化、です。

そのような画期的な合同事業における私の仕事は、事業全体を総括するまとめ役。調整役といいますか、事業運営を円滑に進めるための枠組みやルール作りから始まり、重点援助地域選定、年次作業計画の作成、そして運営委員会および諮問委員会の事務局を担当し、普段は援助する村々を訪れ事業の進捗状況をモニタリングしたり、各国連機関とワークショップやトレーニングを企画・実施したりしています。重要なことのひとつは、人と人とをつなげることです。国連職員どうしをつなげるだけでなく、県政府や地方自治体と国連をつなげる、受益者(村民)と国連をつなげることも含まれます。国連職員、県・地方自治体職員、村民を結びつけるのに役立つことなら何でもしているといった感じです。

Q. FAOは今回の合同事業でのリード機関ということですが、南口さん自身はどのような意識をもってお仕事に取り組まれていらっしゃるのでしょうか。

メールアドレスはFAOのものを使っているのですが、FAOの職員としてではなく、国連合同事業の職員という意識をもっています。他の機関とわけへだてのない、同じ目的を達成するためのチームメンバーのひとりという意識ですね。そうでないと、複数の機関がお互いに連携しあう合同事業の目的に逆行してしまいます。

Q. 現在のお仕事で一番たいへんなことは何でしょう。

今はもう解決されて悩んではいませんが、メーホンソーンでのプロジェクト立ち上げ当初は、事務所も設備もない、ゼロからのスタートだったのでかなりたいへんでした。コンピュータも電話もないので、町中のインターネット・カフェに行って仕事をしていました。物品を調達する際にも、国連のルールやスタンダードに沿わないため、例えば机を買うために遠く離れた都市部まで行かなければならないなどの苦労がありました。

さらに、たいへんさというより難しさになりますが、地方政府の仕事のやり方と国連の仕事のやり方の違いが挙げられます。例えば、地方政府職員はEmailを公式メッセージとして扱いません。国連では、部長であっても課長であってもメールでやりとりされたメッセージは公式なものと考えますが、タイの地方政府では単に来客者をお知らせするメッセージでさえ公式な手紙(Official Letter)しか受け付けません。そのうえ、本人に届くまでのプロセスが長い。バンコクの国連機関から県知事に手紙を出しても、まず部下がその手紙を読んで、まとめて言い換えて作成した文章を知事に渡すといった具合です。このような仕事のやり方の違いを一つひとつ学ぶ必要がありました。共同の作業計画ができあがって、ようやくひと段落つきました。

Q. ご多忙のなか、プライベートはどのようにお過ごしでしょうか。

自由時間があれば、毎回テーマを変え仕事と関係のない本を読んでいます。今は免疫学の本を読んでいます。リラックスできる場所で本を片手に、完全に頭を切り替えてリフレッシュします。若いころは小説も読んでいたのですが、今はあまり読まないですね。週末は仕事がなければバンコクに帰って家族と過ごしています。息子が所属しているサッカーチームの練習を見に行くなど、できるだけ家族との時間を大切にしています。

Q. 今後のキャリアアップについてはどのようにお考えですか

私の仕事は、究極的には人を幸せにする仕事で、いつもどうやったら人を幸せにできるのかを考えています。人を幸せにするためには職員一人ひとりが幸せである必要があります。チームのメンバー一人ひとりが仕事のやりがいを実感し自覚することで、さらにがんばろうという意欲につながる、そんな環境づくりを目指しています。

キャリアアップとは違うかもしれませんが、いいチームをつくるためのマネージメントのスキルを磨いていきたいと思っています。合同事業では特に利害関係者や関与するアクターが多いので、自分ひとりで貢献することはできません。志を共有して同じ思いで働くにはチームワークが大切です。今後も、仕事を通して効率的に組織を動かしていくためのスキルを向上させていくつもりでいます。

Q. 国連で働く魅力は何でしょうか。

さまざまなバックグラウンドの人と働く機会が与えられており、まだ行ったことのない国の様子がすべてではないもののわかることです。訪れたことのない国であっても、その国出身の職員と働くことで、文化・社会も含めてある程度知ることができます。本や書類を読むのとはまた異なった知識を得られ、いずれ、その後の自分に役立ちます。将来への準備ができるということですね。

Q. 16年以上のキャリアのなかで一番思い出に残った仕事は何ですか。

2つあります。1つ目は飢餓と栄養失調のための早期警報システムで働いていたときです。このシステムは飢餓が発生する前に、その情報を世界に発信するものです。身近な例で言いますと、北朝鮮で今年は米が何十万トン不足します、というような情報を発信します。

自分の提供する情報が各国政府の援助政策にも影響を与えるため、間違った情報を発信することが許されない非常に気を使う仕事でした。一方、自分の提供した情報をきっかけに援助が開始されることもあるので、非常に充実感が得られる仕事でした。みんなにやる気があるチームに恵まれたこともあって、印象に残っています。

2つ目はミャンマーで仕事をしていたときですね。中国との国境に、ワ族という中国語を使う少数民族が形成している自治区があります。雨季にはヤンゴンからそこに到着するまでに1日以上もかかり、現代の私たちの生活からかけ離れた、まるで封建時代のような制度をもっている自治区で、人々は半分奴隷のような扱いを受けていました。江戸時代でいうと士農工商の農に属する人たちのように、人々が年貢を収めないといけない雰囲気のある抑圧された世界でした。実はカウンター・パートである自治区の支配者はケシを栽培し麻薬を密輸しているシンジケートの首領(ドン)なんです。支配者の家に飾ってあった写真はバズーカ砲を持って訓練している様子のものでした。交渉するときは周りを機関銃を持った民兵に囲まれ、脅されながらのとても難しい仕事でした。

Q. いろいろなご苦労があるかと思いますが、国連に入って一番たいへんだったことは何でしょうか。

家族と離れて仕事をしなければいけないことが一番たいへんだなと思っています。とくに危険地帯で働く場合には家族を連れていけないので、家族と離れて過ごす人が結構多いです。でも私は家族とは一緒にいた方が良いと思っているので、週末は仕事がなければ、バンコクに住む家族と過ごしています。

Q. 現在取り組んでおられる分野で日本ができる貢献についてどうお考えですか。

いま私が取り組んでいるのは、人間の生活に関するいろいろな側面をサポートする総合開発ですが、日本には特定分野での専門知識を持っている方がたくさんおられます。そのような方々に世界で知識や技術の移転をしていただくことが日本の貢献につながると思います。個人個人の開発教育ですね。

Q. それでは最後に、グローバルイシューに取り組むことを考えている人たちに、贈る言葉をお願いします。

一人ひとりにできることはまだまだたくさんあります。「グローバル」という限定はしたくないのですが、日本にも貧困問題があるように、社会、世の中を変えていくためには、身近なところ、小さいことでもできることはたくさんあるんです。日本でも、アジアでも、どの国であっても良いのですが、自分ができることは何だろうと考えて、その自分の知識と技術を生かして貢献していただきたいです。

私自身の原動力になっているのは、受益者の幸せそうな顔を目の当たりにし、自分の仕事が役に立っているという実感です。自分にしてほしいことを他の人にするという幸せの循環は、特に現場にいると実感できると思います。

国連では、現場だけではなく、本部での経験も積むことが大事だと思います。最新の開発アプローチを学ぶためには、世界の知見が集まる本部で働くことも必要です。他方で、現場での仕事のやり方を知らないまま本部で仕事をするというのも問題です。現場と本部をバランスよく経験することが重要ではないでしょうか。

2011年12月23日、メーホンソーンにて収録
聞き手:井上良子、長辻貴之
写真:吉村美紀
プロジェクト・マネージャ:田瀬和夫
ウェブ掲載:斉藤亮

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