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石川直己さん

国連事務局国連平和維持活動局・政務官

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石川直己(いしかわ なおき): 東京都出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、東京大学大学院にて修士号を取得。国連代表部専門調査員を経て、JPOに合格。2009年より国連平和維持活動局にて勤務。

Q. 今されているお仕事を教えて下さい。

現在 (注:2012年7月時点) は、国連平和維持活動局運営部アフリカ第二部ソマリア計画調整チームに所属しています。ソマリアでは国連の平和維持活動(PKO)は展開されていないので政務局がソマリア問題を主管しています。その政務局と協力しながら、PKO局は軍事部門や警察、法の支配に関する支援、アフリカ連合(AU)が展開する平和維持部隊であるアフリカ連合ソマリア平和維持部隊(AMISOM)の運用支援などの、PKO局が専門性を持つ分野で支援を行っています。

僕の所属するチームには、PKO局の活動を調整する役割と、AMISOMが将来的に国連PKOに移行する場合に備えての計画作り、または移行しない場合の代替案を検討する役割があります。そして海上での海賊対策活動の情報収集を行う役割も担っています。政務官の仕事は主に、情勢分析、政策提言、調整なので、僕は日々のソマリア政治・治安情勢を分析しながら、チームの中で一番若手の職員として、PKO局の幹部の発言要領、様々な事態の進捗状況を取りまとめた資料の作成など日々のいろいろな要請に応えています。僕のチームは、情勢分析等の意見交換を日々活発に行っていますが、その中で、2〜3年先を見越したソマリアでのPKOのあり方を検討しています。

この中で、AUとの協力も仕事上の一つの大きなテーマです。PKO局はAU本部(アジスアベバ)に対し、AUがAMISOMを含むPKOの計画作りや運用を行う能力を高めるための支援をしています。この支援を強化するため、2010年7月に、それまで複数に別れていたアジスアベバ所在の平和と安全の問題に関わる国連出先機関を統廃合した新しい国連AU事務所(United Nations Office to African Union-UNOAU)ができましたが、僕はその立ち上げに携わりました。最近では、2011年後半以降、AMISOMと周辺各国による武装組織アル・シャバブの撃退が進んだため、AMISOMの活動地域と規模の拡大が必要となり、その計画作りと必要な資源を確保する作業を支援するため、アジスアベバへの出張を含め、UNOAUと活発に仕事をしています。その成果として、2012年2月下旬にAMISOMに対する国連の支援パッケージを拡大する安保理決議が採択され、取り敢えず一段落着きました。

Q. いつごろから国連勤務をめざされたのですか。

実はそんなに強く思ったことはないんですね(笑)。僕のキャリアを考える上で、国連職員が絶対的なゴールだと思ったことは一度もなく、漠然と平和と安全という分野で政務官として働きたいと思っていました。その中ではもちろん国連が一番分かりやすい選択肢の一つだったのですが、結果的にはたまたまそこに繋がる道を歩むことができただけだと思います。

Q. 模擬国連を学生時代にやっていらっしゃったということですが、学生時代に力をいれたことはありますか。

僕にとって政治、平和と安全、そして国際社会は大きなテーマだったので、学部に入って国際政治を勉強したい、その中でも国連や国際機関を勉強したいと思っていました。サークルを考える時にも、そういった分野に関わりたいと思いインカレの模擬国連に入りました。さらに、バランスを保ちたかったので、もう一つ、学内の外国人留学生を生活面で支援するサークルにも入っていました。

模擬国連ではかけがえのない友人たちと出会い、国連のリアルな姿を少し目にすることできました。しかし、学部時代は必ずしも国連ばかりをテーマとしていたわけではなく、最終的に僕は欧州連合(EU) の政治を専攻しました。EUの大家である教授が国連を勉強することを支えてくださったのが始まりですが、お陰で国連を絶対視しないような視点・視座を育むことができたかなと思います。また、組織的にはより発展した欧州の組織を勉強したことは、国連を相対化する視点だけでなく、現在のAUとの仕事をする上での知識としてもとても役立っています。

Q. 大学に進学される前から国際政治や留学生の交流に興味があったとのことですが、原点はなんでしょうか。

三つあります。一つは7歳か8歳の頃に、親の仕事でニューヨーク郊外にいたことです。そこで外国人を外人として見ない、外国人をまったく異なる人として見なくなりました。言葉とか習慣とか見た目は違うかもしれないけど、基本的に人間は同じなんだと。外国に対するアレルギーみたいなものが生まれなかったことが大きいです。

二つ目は、心臓の手術をしたことです。幸いにも今は普通の人と同じような生活ができるようになっているのですが、先天性の心疾患を持ち、小学校1年生の時に大きな心臓の手術をしました。その後、自分はいつ死んでもおかしくないんじゃないかという恐怖を持っていた時期もありますが、小学校後半頃には「生きていればなんとでもなる。生きている限り可能性は無限大に広がる。」という思いに辿りつきました。同時に、自分が死んだら、おそらく一番悲しむのは家族だろうと思ったんです。

また、自分は、医療技術だったり、献血などで僕の手術に協力してくれた人を含めて社会というシステムに生かされているという気持ちが強く、恩返しをしたいという気持ちもありました。そこで、おそらく肉親を理由なく失うことが人間にとって一番苦しいことで、それが人為的に大規模に起こるのが紛争や戦争であろうから、それをできるだけ抑え、その結果悲しむ人をできるだけ減らすことができないだろうかと考えるようになりました。

そして最後に、なぜか良く分からないのですが、政治という分野には小さい頃から興味がありました。今は、様々な希望や困難、課題を持った人々が、自由に生きている中で、どうやって社会は回り、維持されるんだろうというのは非常に面白いテーマだと思っています。例えば僕は、渋谷のスクランブル交差点を見下ろすスターバックスでコーヒーを飲みながら人間観察をするのが好きなんです。交差点を埋める個々の人々はそれぞれの世界の中で頑張って生きていて、行き違う人々とはまったく関係ないように見えるけど、全体としては同じ社会を構成している。不思議じゃないですか?できる限り紛争や戦争の犠牲者を減らす仕事をする上で、僕にとっては人道分野や開発分野ではなく、社会の秩序維持という大きな枠組みから問題解決を図るというアプローチが、自分には一番向いているのではないかと思ったのです。

ちなみに、先日、国連を訪問して来た小中学生にブリーフィングした際、「どんな時に平和を感じますか」という素朴な疑問を投げかけられ、ちょっと困りましたが、スクランブル交差点の話しを取り上げ、「人々が命を奪われる心配なく交差点を渡れるのを見ている時」と答えたら妙に納得してくれたようでした。交差点を安全に恐れずに渡れるためには、信号だけではなく、結構目に見えないいろんな社会システムが必要だと思いませんか。

Q. 国連以前にはどのようなお仕事をされていたのですか。

実は初めてのキャリアが、日本政府国連代表部でした。一浪して大学に入り、大学4年生で1年間の交換留学。帰国後、国際政治学の理論をきちんと勉強したいと思い、大学院に進学しました。また、その頃ボランティアを始めたピースウィンズ・ジャパンでは、ボランティア組織の立ち上げや改革などマネジメント系の経験を積ませてもらいました。その後、博士課程に入り、実務をする機会を探ってみようという気持ちが強くなり、たまたま公募のあった国連代表部の専門調査員のポストに応募しました。そして、国連代表部での3年間勤務中にJPOに合格し、現在に至ります。実は、JPOはそれまで2回程書類審査で落ちていたので、これで最後にしようと思って受けたんです。

Q. これまで一番印象に残ったのはどのようなお仕事ですか。

国連代表部に入って最初の仕事が一番印象に残っています。最初の一週間に上司に連れて行かれた会議が、平和構築委員会の初会合(2006年6月23日)と国連総会でのモンテネグロの加盟承認(同28日)でした。特に、後者は印象に強く、総会議場がほとんど満席になるくらい人が集まり、今そこで新しい国際社会のメンバーが生まれるという、独特の熱気に包まれていたのを覚えています。モンテネグロという国が生まれるまでの多くの人の苦労を考えると、国際社会に一人前のメンバーとして認められるということは非常に大きな出来事でした。そのような華々しい場において、僕はある種の感傷に浸っていたんです。というのは、僕は学生時代、模擬国連の大会で総会議場に一度座ったことがあります。当時は、そこで漠然と将来世界の平和と安全に関わる仕事をしたいなと思いました。そして、改めて総会議場の日本の席に座り、新たな国の誕生に居合わせたその時、今やそこにいることが大事ではなく、そこで何ができるかが重要だなと強く思いました。それが国連代表部での仕事の出発点であり、今も国連職員であることではなく、国連職員として何ができるかが一番重要だと思って仕事をしています。

大学生の時は、漠然と世界の平和と安全に関わる仕事をしたいなと思っていたのですが、総会議場の日本の席に座り、新たな国の誕生に居合わせたことによって、今やそこにいることが大事ではなく、そこで何ができるかが重要だなと強く思いました。それが国連代表部での仕事の出発点であり、今でも国連職員であることではなく、国連職員として何ができるかが一番重要だと思って仕事をしています。

Q. では逆に国連に入って一番大変だったお仕事はなんでしょうか。

ソマリアでは国連PKOがない中で、様々なアクターが存在しています。国連の中でリーダーシップが必ずしもはっきりしていない中、いろいろな理由から国連各局の利害がぶつかるケースでもあります。そんな中、複雑な利害関係や国連組織内の役割の分散がなぜ必要かは、国際社会全体のソマリアに対する取り組み方を理解すれば、なんとか理解できる。そして、その中で自分やチームの仕事の役割や限界も理解できる。ただ、それでもなお、ソマリアの安定化に向けての国連全体としてのパフォーマンスを上げることに、自分が思うほど効果的に貢献できてないのではないかというもどかしさはありますね。

Q. お休みの日に何をされていますか。

いろいろなことをしています(笑)。まず料理をします。基本的は男の料理で切る、焼く、食べるで、レシピに書くと3行くらいです。ただ、やっぱり少人数の料理は難いので、もう少しみんなを呼んで一緒にわいわいやる会を増やしたいですね。旅行やドライブも好きで、結構思いつきで短い週末でも出かけたりします。ニューヨークでは碁を広げる活動にも関わっています。写真も好きですが、徹底した凝り性ではないので、そこまで投資はしていません。また、気が向くと週末に部屋の模様替えもよくします。本来は、所謂DYI、日曜大工が好きで実家にはいろいろ入った道具箱があるんですが、流石にニューヨークでは控えています。

Q. 現在取り組んでおられる分野で日本ができる貢献についてどうお考えでしょうか。

ODAが削減されて日本の資金力という意味からの貢献やレバレッジが減ってきているという議論はありますし、そのとおりの部分があると思うのですが、日本が貢献できる分野はまだまだあると思います。日本の外交ネットワークは普通の国よりも広く強く根をはってきていますから、その財産を使わない手はないと思います。また、日本が多くの紛争に直接関わっていない(=クリーンである)ことから果たせる、仲裁者としての役割には可能性があります。日本が積極的に世界各地の平和を生み出す過程に関わっていくことで、世界に多くの友人をつくり、国際社会を日本の味方につけて行くことが、様々な日本の国益に関わる国際問題に取り組む基盤として重要です。

しかし、平和と安全の分野において、日本がもっと効果的な役割を果たすためには、もう少し世界がこうなって欲しいというイメージを持ってもいいかもしれません。日本の支援は、オーナーシップを尊重する観点から、受動的になりがちです。しかし、国際社会と関わる際に、国際社会が日本にとってどうあってほしい、その中で支援対象国の安定化は日本としてはこうしたら実現すると思う、というアイディアがない状態は発言力を低下させます。

意見を言うという知的貢献を行うことは、押しつけではないですし、オーナーシップと相反するものではありません。例えば、ソマリアがどうなって欲しいですか、具体的に何が必要ですかと聞かれた時に、答えがないという状態では、重要な意思決定の場には呼ばれず、お金だけ期待されることになってしまいます。もちろん、世界中の問題に日本が意見を持つということは非常に難しいことですし、日本の国益に取って重要ではないかもしれません。しかし、いくつかの案件で大きな知的貢献をすることができれば、日本の影響力というのは今の何十倍にもなるのではないでしょうか。

Q. これから国連をめざす若者、グローバルイシューに取り組もうと考えている若者にメッセージをお願いします。

国連をめざす人は、自分がその分野においてどのような貢献ができるかということを、自分のこれまでの経験や特性、好き嫌い、直感、体力などに照らして、最も自分に比較優位がある分野を見つけ出して行くことが、本人にとっても幸せで、国連においても機会を見つけやすいのではないかと最近では考えています。また、特定の組織に入ることが目的化すると仕事を探すのが大変だと思います。そうではなく、就職活動をする際には、社会の中や組織の中の自分の役割に焦点を当て、それに一番適した場所を考えて行くことが良いのではないかと思うし、僕自身もそうしたいと思います。このためには、とにかくいろいろな経験や体験をし、考え、様々な人と意見交換をすることが大事だと思います。ですから、大学の科目は直接自分に関係ない分野もつまみ、サークルやゼミ、アルバイトなどで様々な社会を知り、国内外を旅することをぜひ勧めたいです。

例えば、PKO分野でもいろんな職種があるのですが、財政やロジスティクスを担当している人もいれば、軍事、警察の方もいます。僕は残念ながら手術をしていて強い肉体を持っていないので、自分の得意分野がどこにあるかと考えた時に、今まで学んだ政治学のバックグラウンドに加え、これまでのサークルや仕事などの社会経験の中で、調整や分析、政策提言をすることに比較優位があると思い、政務官という職種を目指すようになりました。また、一歩引いて客観的に物を見ようとしてしまうタイプなので、あんまり熱血になれないのです。そういう僕には、辛抱強さと広範な優先課題をバランスする能力が必要な本部での仕事の方が向いていると今は思っています。本部では嫌になる程、政治や官僚主義に直面します。しかし、それに折れることなく、現場のニーズを国際社会のプロセスに乗せられるように翻訳していくことが僕の役割だと思っています。もちろん、現場経験も必要なので、現場にも行く機会を探っています。

余談ですが、将来的には紛争解決の仲介に関わりたいと思っています。PKOは平和を維持することには多くの成果を残し、非常に有効な手段だと思うのですが、紛争を解決することに関して必ずしも成功していません。言い換えると、PKOは平和を創ることの手段の一つであり、完全ではありません。足りないのは、将に政治的な和平交渉や仲介活動で、将来的には是非その分野に携わりたいと思っています。

比較優位を見つけるのが良いというのは、言うに易し、行うに難しですよね。引退しても結論は得られないんじゃないかと思います。生涯学習ではないですが、生涯やり続けることですね。その中で変わっていくだろうし、失敗することもあるだろうし。ただ失敗しても反省することがあっても、後悔をしないようにしたい。その時に与えられた選択肢の中で最良の選択をしたと考えたい。

僕自身も、実際は、アメリカの大学院に行くか、日本の大学院に行くか、就職活動するか迷い、大学院在籍時も実務を取るか研究を取るか悩み、今でも次にどういうキャリアを積んで行くか悩み続けています。今は40歳になるまでは今の仕事をできるか試してみたいと思っています。自分は何がやりたいのか、何が得意なのか、どうやったら得意なことを活かせるのか、自分の人生の幸せは何かを考え続けるしかないかと思いますね。
一緒にがんばりましょう!

2011年5月5日、ニューヨークにて収録
聞き手:唐澤由佳
写真:田瀬和夫
プロジェクト・マネージャ:富田玲菜
ウェブ掲載:中村理香

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