国連児童基金(ユニセフ)Manager, Programme Donor Matching Unit,
Private Fundraising and Partnerships (PFP) Division
伏見暁洋(ふしみ・あきひろ):東京都出身。中央大学文学部卒業、ロンドン大学教育研究所修士号取得(教育と国際開発)、サセックス大学博士課程在学中。都内の日本語学校、青年海外協力隊(日本語教師・ハンガリー)、協力隊派遣前訓練所、開発コンサルタント見習いを経て、JPOに合格。2004年からユニセフに勤務。ガーナ国事務所(2004−2006)、在ケニア東部・南部アフリカ地域事務所(2006−2011)で基礎教育分野の開発事業に携わる。2011年末よりジュネーブに勤務。 |
Q.国際協力へのきっかけを教えてください。
もともとは学校の教員になるつもりだったんですが、同時に日本語教育に関する勉強もしていました。大学在学中に、近くのコミュニティ・センターでボランティアとして日本語を教える機会があったので、まずそこから始めたんです。そうしたら、そこには日本で働くセネガル人、ボリビア人、イラン人など、いわゆる「開発途上国」出身の「学生」さんが大勢いて、彼らを通して自分が知らない世界への興味が一気に広がりましたね。同時に、彼らの語る様々な国の問題点や課題についても、初めて自分に少し関係があるものとして捉えるようになり、それが国際協力や開発援助というものを考え始めるきっかけになったんだと思います。
その後、日本語教師として少し仕事をしてから、青年海外協力隊に応募したところ、私は中南米を希望していたのですが、意外にも中欧のハンガリーに派遣されることとなりました。1997年当時のハンガリーは、社会が大きく変わり始めていた時期でしたが、物は豊かにあり、決していわゆる「途上国」ではありませんでした。しかし、共産主義時代には見えにくかった人々の間の格差が大きくなっていく過程でもあったようです。
私自身も人種差別の対象になるなど、個人的に強烈な体験をしましたが、私が教えていた学校では、なんと少数民族であるロマ(ジプシー)の子どもたちが他の生徒たちから物理的に「隔離」されていたんです。ハンガリーを含む中東欧諸国では、ロマの教育・社会開発問題というのは未だに大きな課題ですが、自分の目の前で起きていた、そうした理不尽な現実に大きなショックを受けましたね。
今でもときおり思い出すのが、ある夏の午後、ブダペストの公園で、物乞いをしにきた7−8歳のロマの子どもと少し話した時のことです。お金をあげる代わりに一緒にお菓子を食べながら、「こんな時間に何してるの?どうして学校に行かないの?」と聞いた私に「行きたいけれど、行けない」と答え、さらに理由を聞いた私に向かって、やはり近くで物乞いをしていた彼の両親と兄弟たちを無言で指さした彼の姿は、絶対に忘れられませんね。
私自身は、下町の小さな団地で育ちましたが、当然のように義務教育と高等教育を受けて、そのおかげで自分がやりたいことを選ぶことができました。だからこそ、その一方でそうした可能性を拓く学校にすら行けない子どもたちがいる、そして「したいことがあるのにできない」ことをその子どもたち自身が分かっているという現実に、ちょっと納得がいきませんでした。「開発援助・国際協力」に関しては、これが私にとっての原体験であり原動力となっている気がします。
そんなこともあって、やはり自分の人生は一度きりですから、もし何かできるのなら、そのために時間を使いたいと思うようになりましたね。今でも援助業界の日々の仕事の中で難しいことに直面して落ち込んでも、また明日もがんばろうかなと思えるのは、こうした原体験があったからこそで、その意味でも私は協力隊の体験に非常に感謝しています。
Q.アフリカでのお仕事で大変だったこと、やりがいを感じたことはどんなことでしたか?
ユニセフのJPOとしてガーナ事務所の教育セクションで2年3か月働いた後、ケニアにある東部・南部アフリカ地域事務所で約5年半、域内20か国の教育部門を支援するチームで、基礎教育の質の向上・学校改善、教育セクター分析・計画などの分野を担当しました。
ここでは多様な国々をあえて「アフリカ」と一括してしまいますが、日常的な業務や生活で大変なことは、それこそ山ほどあると思います。ただ個人的に難しく感じるのは、教育を含むアフリカの社会開発を取りまく難しい現実に圧倒されて、ときおりふと無力感を感じてしまうときでしょうか。長い年月をかけ巨額の資金を使って事業をしてきているのに、予防可能な病気で亡くなる子どもたちや、学校に通えない子どもたちが未だ大勢います。また教育の質が低いため、せっかく学校に行っても、先生に暴力を受けたり、修了時に字も書けないような子どもたちがたくさんいたりします。一緒に仕事をする政府機関の汚職問題なども少なくありませんし、私たち援助機関側の非効率的な部分も見えてきます。
そんな時は、私の原点となった現実に対する「怒り」のような感覚が、だんだんと麻痺してきてしまうように感じる時があります。その一方で、様々な統計からわかるとおり、アフリカの多くの国では、全般的な社会・経済開発の指標は過去に比べて格段に改善されてきています。そして何より、自分が直接関わった事業で、子どもたちの生活・未来・可能性が少しでも変わると思える瞬間には大きなやりがいを感じますね。問題点に目を向けるばかりではなく、達成できたことを誇りに思うことも大事なのかなと思います。バランスですよね。
Q.20か国以上の教育分野に携わった際に意識されていたことはなんですか?
ユニセフの強みの一つは、自前の国際的なネットワークだと思います。例えば、ある国の教育省が事業を実施したいが、必要なシステムやノウハウがないという場合に、近隣諸国や他の地域の成功例を紹介・提案したり、知識の共有を促進したりすることができます。それをするのが正に地域事務所での仕事でした。それに加えて、他の組織や研究機関とも連携・協働します。
ただし、教育政策やプログラムというのは簡単に「輸入・移植」できません。開発の過程で、無駄な部分を省いてスピードを速めるという点からは、国境を超えた成功例もしくは失敗例の知見の共有というのは有効だと思います。しかし、当然ながら世界に同じ国は一つもなく、歴史、文化、人々のアイデンティティ、気候、地方分権の度合いなどによって、1つの国の中でも状況が違うので、さらに進んで、国内の各地域の様々な背景・状況に合わせた提案が必要になります。ですから地域事務所にいたころは、同一の地域に括られながらも、それこそソマリアから南アフリカまでを含む多様な東部・南部アフリカの国々で、様々な教育政策に関わる仕事ができたのは大変勉強になりましたし、刺激的でした。
その中で、安易な「移植・提案」をしないという点を常に意識していましたね。例えば、ユニセフでは、より質の高い教育機会へのアクセスを増やすことを目指して「子どもに優しい学校: Child Friendly School」という包括的な学校改善のアプローチを全世界的に推進していますが、子どもの諸権利といった普遍的な価値の促進を、各国・地域の実情にあった個別の学校改善という現実的な課題にどう落とし込んでいくのかが、一番難しく、かつ最もやりがいのあることでした。
Q.現在はどのようなお仕事をされているのですか?
ジュネーブにある、民間資金調達・パートナーシップ促進を統括する部署で働いています。世界中の個人や企業の方々からいただく寄付金には、使途を限定されない「一般募金」と「分野・地域指定募金」の2種類があります。私のチームは、後者の「質・柔軟性」を高めて使い勝手を良くすること、そしてその戦略的な分配をすることに従事しています。
具体的には、一方で全世界のユニセフ事務所、もう一方で先進諸国にあるユニセフ協会と、密に連絡・交渉をしながら、プログラムのニーズとドナーの方々の興味・関心・支援の対象を「マッチング」させるお手伝いをするのが仕事です。その過程では、各事務所の重点プログラム、資金の過不足、キャパシティ、事業の質・効果などに注意をしつつ、ドナー側の満足度を高めなければなりません。正直言って、かなり大変な仕事だなあと毎日感じています…。
アフリカの現場からこちらへ移って1年になりますが、プログラム出身である私の現在の「個人的な使命」は、途上国の現場で実際に事業の運営に従事しているスタッフと、本部やドナー国で資金調達に従事しているスタッフの、「考え方・認識」の差を少しでも埋めることだと考えています。
現在の部署の最大の特徴は、その業務内容のため、いわゆる保健・栄養、教育、子どもの保護といったユニセフの事業分野ではなく、むしろ民間企業出身でマーケティング、セールス、広報、市場調査などの経験を持った人が圧倒的多数であることです。私も以前は民間の資金調達に関して何も知らないまま現場で事業の担当をしていましたが、同様に資金調達担当者たちのユニセフ事業への理解も足りていないと感じます。
実際に現場で我々がどんな仕事をどのように進めているのか、報告書や短期出張、募金のアピールや企画書などからは、どうしてもなかなか伝わらないのが現状です。ユニセフを信頼して寄付をしていただくためには、我々の実際の仕事に関してもっとわかりやすく伝えることが重要です。現在の私の上司や同僚は、この部署では珍しい現場経験者なので、今後は一層、現場と本部、そしてドナーへの架け橋になっていければと考えています。
個人的には、途上国の教育開発の現場とはだいぶ異なる、民間企業的な仕事の仕方から学ぶことも多いですし、ユニセフのような巨大な国際機関の裏側というか、内部にいても知らなかった多くのことを学べる重要な機会にもなっています。こうした点は、近い将来現場に戻る際に役立つだろうと思います。
Q.ジェンダーに関する課題に関わる上で意識されていることがありますか?
そうですね。ジェンダーはすべての開発事業の側面で重要な問題だと思います。それぞれの社会で一般的に男女に求められる役割が違うので、同じ学校教育を考えるときも、対象となる子どもたちの男女それぞれに難しさがあります。アフリカでは東のソマリアやエチオピア、ケニア北東部、モザンビークなどでは一般的に女子の就学率が低いですが、一方で、南のナミビアやボツワナ、レソト、スワジランドなどでは男子に求められる経済的な期待などもあり、男の子の方が学校へのアクセスや学力は低い傾向があります。また「男女」間の格差に加えて、「居住地域」、「経済状況」、「民族・言語」、「障害の有無」などを考慮する必要があります。
そういえば過去に携わったトレーニングなどで、参加者のジェンダーバランスが極端に偏っていたことが度々ありました。例えばアフリカの角にあるエリトリアで、50人近くの教育省の職員と学校改善に関するワークショップを行ったときは、参加者が全員年配の男性、それも退役軍人が主体でした。一方で、南部アフリカのレソトでは、学校評価に関する会議の教育省からの40人ほどの参加者は見事に全員女性でした。こういった極端な場合は一筋縄ではいきませんし、支援する側の性別によってやりやすかったり難しかったりということはあると思います。男女の配置という点ではどちらかに偏っていると事業の内容、視点なども影響されることがあるでしょうから、どの組織でもそうだと思いますが男女のバランスが大事なのではないでしょうか。
Q.疎外された人々や子どもたちへの特別な思いがありましたらお聞かせください。
ふりかえってみると、かつてハンガリーで感じたこと、アフリカで考えてきたことには、共通する点があると思います。学校に行き教育を受けることは当然の権利のはずなのに、民族や言語、が違うことで差別され学校に行けない、もしくは貧困のため学校をやめざるを得ない。そうした課題に対応できない教育制度・システムの構造的な問題が貧困や病気、犯罪などの問題に深くつながり、社会の悪循環を生み出します。
ユニセフの組織的な重点であり一番の強みは、ジェンダー・民族的・経済的・地理的な理由やその他の障害によって最も困難な状況にある人々を対象に事業を実施していることです。私も9年ほどこの組織文化にどっぷり浸かっていますから、こうした点は身体に染みついていると思いますが、逆に私個人の思いの強さというのはユニセフ平均ぐらいなんじゃないでしょうか。
Q.国連(ユニセフ)で働く魅力はなんでしょうか?
全世界のすべての子どもの生存と発達という大きなミッション(使命)に、職員全員が向かっていることですね。子どもの権利条約に見られる普遍的な価値に基づいているので、働きがいのある組織だと思いますし、この使命の一部に貢献できるだけでも嬉しく思います。ユニセフは巨大な機関で、同僚たちは国籍や文化背景も本当に多様ですが、この一点に関する方向性はみんな一致しているのでとても面白いです。
また、それぞれの援助・政策機関によって強み、重点分野、組織文化などが異なると思いますが、ユニセフは国際機関としていわゆる個別の「国益」にとらわれず、ある意味で柔軟に事業が展開できると感じます。予算も比較的大きくて多くの専門家を擁するので、大規模な事業でセクター横断的な仕事ができるのも魅力的ですね。それから、各スタッフの自由裁量・決定権の大きさも、それに伴う責任とともにやりがいを大きくしてくれます。もちろん職員の入れ替わりが激しいですし、継続してこの機関で働き続けるのは簡単ではないと感じていますが、だからこそ日々の仕事にも緊張感がありますし、自分の性格には合っていると思います。将来はまた少し違うこともしてみたいと思いますが。
Q. 開発問題に携わろうとする人々へメッセージをお願いします。
自戒の念も込めてですが、開発問題に携わろうとするからこそ、まずは自分が幸せになる、幸せだと感じることが大切だと思います。自分がイライラしていたり、納得していなかったりしたら、仕事にも当然悪い影響があります。自分の生活も充実させて、もし家族がいれば一緒に好きな事ができて、という感じが一番いい気がしますね。
それから、特に若い方々はキャリアに関してもっと柔軟性を持っていいと思います。国際機関を目指される方とお話しする機会がときどきありますが、皆さんとてもしっかりしてらして、大学の専攻を意図的に選ぶ、在学中にインターン経験を積む、卒業後に数年企業で働きスキルを身につける、それから大学院で学位を取り、その後JPOを受けて・・・などかなり明確な計画を立てている方が多く、素晴らしいと思います。
ただ、私自身が必ずしもそうではなかったですし、人生はそんなに予定通りにいかないこともままあると思うので、まずは目の前のことを、ただの「通過点」とせずに、一生懸命にやる。そして、自分が考えていたことと違うことが起きても、それに柔軟に対応していく方が楽しいのではないでしょうか。
最後に、青年海外協力隊のOBとして、また協力隊訓練所の元職員として、青年海外協力隊への参加を強くお勧めします!国の政策の一環で2−3年間、途上国で生き、仕事をさせてもらえる経験を積めるというのは非常に貴重な機会ですから、可能であれば日本の若者全員に行ってもらいたいほどです。私もシニアボランティアで将来ぜひまた行きたいですね。
2012年9月18日 ジュネーブにて収録
聞き手:ヴィット・ユリー
写真:瀬戸屋雄太郎
プロジェクト・マネージャ:田瀬和夫
ウェブ掲載:中村理香