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岸守 一さん
国連難民高等弁務官事務所
駐日事務所副代表

.Q.国連で勤務することになったきっかけを教えてください。

岸守一(きしもり はじめ)1987年、東京大学卒。外務省出身。99年3月より在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に勤務。2001年10月より1年間UNHCR執行委員会のラポトゥール(本会議への報告者)を勤める。2005年6月より現職。42歳。

私の場合は変則的で応募さえしていません。国連で働くなんて想像していなかったのですが、1999年3月から2002年10月まで在ジュネーブ国際機関代表部で人道支援を担当し、最後の一年はUNHCR執行委員会のラポルトゥールを勤めました。それが縁となって、2004年11月頃、当時勤務していたタイの日本大使館にUNHCR本部からメールが届き、「駐日副代表のポストに関心があるか、イエスかノーで答えよ」と迫られ、尊敬する外務省の先輩の助言に従ってとりあえずイエスと答えたのが始まりでした。

もちろん断ることもできました。それでもイエスと答えたのは、外務省を退職する覚悟で来てくれと言われ、仲間として迎えられていると感じたこと、それとやはり緒方元高等弁務官の影響でしょうか。ジュネーブにいたとき緒方さんの厳しくも温かい難民支援を間近に見て、感動しました。緒方さんのようには到底なれないけど、自分がUNHCRに入って緒方さんが残されたものを少しでも次の世代に伝えていきたいと思いました。

Q.外務省から国連に入って感じたギャップはありますか。

180度変わりましたね。国連の外でドナーとして協力するのと中で貢献するのはやはり違います。私の年齢であれば当然知っているはずの規則や仕事のサイクルもわからず、現場経験を仲間と共有しているわけでもないので、最初はどうやったら自分がUNHCRの、難民の役に立つことができるのか、まじめに考え込んだりもしました。今では、自分個人が良い仕事をするだけでなく、周りのスタッフが良い仕事をできる環境整えるにはどうしたらよいか考えるようになりました。

また自分の中の日本的な価値観を強く意識するようになりました。日本人同士の場合、何かをしてあげると言葉にしなくても「お返し」を期待し期待されると思いますが、国連だとあくまでそれは「貸し借り」という認識です。自分の功績を明確に主張しないと、気づいてさえもらえないときも多いです。

Q.今のお仕事はどのようなものですか。

駐日事務所の仕事は大きく4つあります。一つ目は難民・庇護申請者の保護です。UNHCRの本流の任務です。二つ目はe-センターです。現在はJICAの協力を得て、人道援助活動に従事する方たちの能力強化を図るワークショップを随時開催しています。三つ目は資金調達を含めた日本政府等との折衝。四つ目はアドボカシーや広報です。

このうち対外関係の調整と広報が私の直轄です。典型的な一日というのはありませんが、とにかく足で稼ぎたいと思っています。誰かと会いヒントを得て次へとつなげる、というふうに考えながら走っている状況です。漠然としたアイデアを人と会うことで夢という形にする。そしてそれを仲間と一緒に着実に現実化する。そういうプロセスをたどりたいですね。アイデアというのは、始まりは妄想に近いことでも、仲間と語らって知恵を絞り実際に動くことで、やがては夢になり現実となる卵だと思っています。

Q.思い出に残っているお仕事はありますか。

UNHCRに入ってまだ1年半で、全てが思い入れのあることですが、あえて挙げれば二つあります。一つは2006年5月にスーダン南部にジャパンプラットフォーム(JPF)傘下のNGO4団体と行ったことです。日本のNGOの活動は、欧米から見ると今でも小さい、弱い、遅いという偏見があります。初動の資金こそJPFから出るようになったけれども資金調達のサイクルが短い。最初の二期一年のJPF支援からUNHCRやWFP等の実施契約に結びつけ、その後は外務省の資金を繋げて日本のNGOが継続的に現場で活動できるように「最初から一緒に絵を描こう」ということでスーダンに行きました。7か月たった今、ADRA JapanはUNHCRのパートナーとして働いてくれていますし、他三団体はもう一歩で契約というところまできています。UNHCRの活動はNGO抜きでは考えられません。UNHCRと一緒に現場で日本人が汗を流していい仕事をする状況をどんどん作り出したいですね。

二つ目はJ-FUN(日本UNHCR・NGOフォーラム)の設立です。UNHCRと難民・人道支援に従事する/関心のあるNGOのみが集まり、6月20日の世界難民の日に立ち上げました。それこそいろんな願いを短冊に書いて、それを仲間と実現させていく「毎日が七夕」みたいなフォーラムにできたらと思っています。具体的には顔(visibility)、声(public awareness raising)、手足(operation)という三つのテーマがあります。UNHCR議員連盟との定期対話を開始したり、NGOや難民のことを身近に感じてもらうために、東京ヴェルディ1969と提携して味の素スタジアムで難民がサッカーをしているビデオを流して募金活動を行ったりしました。こういった仕掛けをいろいろと実施して、日本のNGOの顔をもっと見えるように、現場の声をもっと聴いてもらえるようにしたいです。

手足とは、現場での活動を意味します。やはり我々の本領は、現場で仕事して難民の役に立って初めて意味があるのだと思います。資金調達やアドボカシーは現場で効率的に働くための手段に過ぎません。UNHCRは2006年で700近いNGOと契約を結んでいますが、そのうち日本のNGOは11しかない。これをもっと増やしたいし、資金を日本のNGOに回すことでもっと良い仕事をしてもらいたい。日本らしい良い仕事をして、信頼を得て、次の仕事につなげていく。そのプロセスを国連、外務省、NGOで組んで形にしていきたいですね。

Q.逆に辛かったお仕事はありますか。

一番辛かったのはポストカットですね。UNHCR本部の機構改革で、組織全体が縮小傾向にあるので、東京でも15のポストのうち4つが削られました。それに関連して、職場での人間関係で辛いこともありました。国連で生き残るための手段には歯止めがなく、自分は中傷された方ですが、他人を一方的に中傷することもやり方によっては強力な武器になるのだなあと痛感させられましたね。私は他人の評価より自分自身の信念を重んずるタイプですが、それだけでは国連では生き残りにくいようだと反省しています。

Q.これから携わりたいお仕事はありますか。

緒方さんが高等弁務官をなさった10年で、UNHCRは変わりました。難民をただ助けるだけでなく、国内避難民への対処や難民の帰還後の再定着支援など活動範囲を大きく広げたのです。しかし、それは意外と知られていません。UNHCRはもっと能力をもった機関だと思いますので、それをうまく表現し、日本政府やNGO、JICA等のパートナーに有効に活用していただきたいですね。

具体的にはUNHCRの強みをもっと理解してもらいたいと思っています。UNHCRの強みのひとつにNGOとの連携や豊富なフィールド(現場)経験があります。これだけ多くのNGOと連携して、現場で汗を流している職員が数多くいる国連機関はUNHCRだけだと思います。緊急事態の際のノウハウや安全面の管理経験も多く蓄積されています。こうした特性は平和構築や国内避難民の問題でもさらに活用できると思います。また、農業が得意な難民が、例えば岡山の過疎地域で地元の方と一緒に桃を作るような、ちょっと工夫した難民の日本への第三国定住も地方自治体やNGOの仲間と一緒に模索したい。アインシュタインが難民だったように、難民の方にも教育が高い人や技術を持った人もいます。そうした難民の持つ潜在力を活かせるような難民支援も追求したいですね。

Q.難民支援分野で日本ができる貢献についてはどうお考えですか。

国際社会でのルールという言葉を聞いたとき、日本人が最初に考えるのは「どうやって守ろうかな」ということだったと思います。しかし今ようやく「どう作ろうかな」という意識に変わりつつあります。国連加盟国が192カ国あるうち、日本がルールをつくって、みんなに認めてもらうには日本らしい創意工夫を示していく必要があります。それは難民支援分野にも言えることです。日本らしさとは、核を持たない経済大国、平和憲法を有し、人間の安全保障を外交の柱の一つに据え、欧米とアジアの橋渡しができる国というプロフィールに加え、日本人の価値観−例えば思いやり、勤勉さ、忍耐−を具現化することではないかと考えます。UNHCR駐日事務所の機関誌Refugee is…Vol2では、人道支援における日本のNGOの創意工夫を料理のレシピに見立てた特集を行っていますので、ご関心のある方はそちらを参照いただければと思います。

日本らしい支援のモデルになり得るのは、南スーダンにおける難民の帰還です。日本のNGOがUNHCRの事情や難民の視点で場所や援助内容を選定し、それを外務省が政策的に支援しJICAもチームに加わっている。思いやり・勤勉さ・忍耐を難民支援に意識的に活かしていくことによって、日本は、欧米のイデオロギーやビジネス感覚の強い人道支援と異なったアプローチを提示することができると期待しています。「緒方さんの時代のUNHCRはよかったね。」だけじゃなくて、新しい世代がどんどんUNHCRと一緒に日本らしい人道支援を表現する。抽象的かもしれませんが、そういう目標を持って日本との個別の協力を強化していきたいですね。

Q.グローバルイシューに取り組もうとしている若者へのメッセージをお願いします。

逆説的な言い方で申し訳ないのですが、他人からのメッセージにあまり期待し過ぎない方が若者らしいんじゃないかと思います。若者の特権は、自分で考えて動いて失敗できることでしょう。ただでさえ世の中メッセージがあふれていますから、助言やアドバイスを求めるのはほどほどにしたほうが良い気がしますね。失敗できる時期ですが、他人の助言に頼った挙句の失敗では学ぶ意味も薄れると思います。若いのだから良い意味で、のびのびと暴れてほしいですね。方向性や価値観が合えば、私も一緒に暴れてみたいと思います。そうすることで初めて何か伝えることもできるのではないでしょうか。

 

 

(2006年12月19日、聞き手:國京彬、早稲田大学、幹事会・東京事務局、写真:橋本のぞみ、幹事会)

2007年1月8日掲載

 

 


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