岡村恭子さん
国連児童基金 東京事務所
岡村恭子(おかむらきょうこ): 大阪生まれ。同志社大学卒(政治学)。米国学部編入留学後、国立保健医療科学院等で研究助手を務める。ジョンズ・ホプキンス大学より国際保健修士号を取得。2001年から3年間、JPOとしてUNICEFネパール事務所勤務(栄養とケア)。2004年5月よりUNICEF東京事務所アシスタント・プログラム・オフィサー を務める。 |
Q.国連を目指したきっかけは何ですか?
振り返ってみると、子どものころに住んでいた中東での体験が大きいと思います。日本では考えられないほど、お金がある人々と貧しい人々の格差が大きい。ものすごいお金持ちがいる一方、下町に行くと自分と同じ歳くらいの子どもがぼろぼろの格好をして、自分をもの珍しさとも羨望ともつかないような少し微妙なまなざしで見ている。そういう経験によって気づいた「格差」が、子ども心に強く残っていました。この原体験が、大学で何を勉強するかという時に国際政治を選択したこと、また、貧困や開発に興味を持ち、国連で働くという選択につながったと思います。
Q. 国連に入るまでの経歴をお聞かせ下さい。
大学では国際政治を勉強しました。まずはちょっとかっこいいかな、ということがきっかけでしたが、貧困や格差、そして経済開発よりも社会や人間に興味を持ち、自分なりにいろいろ考えるうちに母子と栄養という分野にたどり着きました。卒業後に大学院に行って栄養を勉強しようと考えたのですが、日本で栄養というと、家政学や管理栄養士になるための勉強といったことが中心で、自分がやりたいこととは違うのではないか、と思っていました。
色々調べていくうちに、まさにユニセフが栄養とコミュニティ開発に取り組んでいることを知り、先輩の紹介を得て、ユニセフのスタッフにお会いしお話を伺う機会を得ました。この時、「医者でなくても、管理栄養士でなくても、海外で公衆衛生学や社会学を学び視野を広げ、交渉力やコミュニケーションスキルを身につけなさい。そういう人材を楽しみにしています。」という助言を頂いたことが、その後の留学やキャリア形成に大きな影響を与えたと思います。
その後、学士入学での米国留学を経て、ジョン・ホプキンス大学院で公衆衛生学を学びました。でもこれもスムーズにいったわけではなくて、大学院は合格を頂きながらも留学資金がなくて、一度帰国しています。JICAや国際開発センター(IDCJ)などの機関で短期の仕事をしてつなぎ、苦労もしました。でもこの時に得た人的ネットワークや経験は、得難いものであったと思っています。
大学院を卒業後、JPOに合格する前に、カンボディアのWFPでインターンをする機会を得ました。そこで学校給食や洪水の緊急食糧支援に携わるという貴重な体験をしたのですが、私自身はよりコミュニティ全体の様々な問題にじっくり働きかけるアプローチに関心を持ち始めました。そこで、ユニセフによる栄養事業についてももっと知りたいと思い、ネパールのユニセフの栄養セクションの方に相談をしました。自分自身が興味を持っていた、コミュニティ開発と栄養の事業をまさにそこでやっており、最終的にJPOとしてユニセフネパールに赴任することになりました。
Q. ユニセフで取り組んできた仕事はどのようなものですか?
ネパールのユニセフ事務所では、栄養のプログラム担当として、地方の行政官やお母さんたちが、子どもの体重測定によってきちんと子どもたちの状況を把握していくことができるようになるためのモニタリングシステムづくりに取り組みました。データを集めるだけでなく、現場レベルの人々の能力向上のための研修、またその後のフォローアップと、現場で取り組むべきことは沢山あります。ネパールにいた時には、年の3分の1はフィールドに出て活動していました。中央レベルでは国家戦略に提言をしていく、というのも重要な仕事でしたから、村のお母さんから中央政府までという、まさに上から下まで、そして横のつながり、とあらゆるレベルにかかわる仕事はとてもやりがいがありました。
現在はユニセフ東京事務所で、より政策に近い仕事をしています。東京事務所は日本と韓国を管轄しているのですが、これらの国の政府のODAとどのように連携して一緒にやっていくか、というのが課題です。このため、現在は栄養に限らず、ポリオ撲滅や女子教育、スーダンへの支援から津波と、取り扱う分野は多岐に渡ります。フィールドから遠い仕事ではありますが、フィールドでの経験を活かし、より良い事業につながるよう、政策レベルにいかに働きかけていくのかというのがチャレンジだと思っています。
Q. これまでの仕事の中で嬉しかったことは何ですか?
やはり現場で自分が取り組んだことが「役に立った」、と実感できた時です。ネパールでフィールドレベルの活動に携わっていた時、現場の人と分かり合えずに悔しい思いをしたこともありました。例えば、子どもの成長のモニタリングの成果が伸び悩んでいた村でその理由を議論していた時、現場のファシリテーターからもっと村のお母さんの活動を支援するための予算を措置すべきだ、と責められたことがあります。私自身は自分の足で立つ、持続発展性をもっと考えてほしいと願いましたが、なかなか思いが通じず、ショックを受けました。
一方、40度をこえるような猛暑の中徹夜して準備した研修をやって、参加者から「こういう役に立つ研修を何故もっと早くやってくれなかったんだ。」と怒られた時などは、「ありがとう」と感謝されるよりも何倍も嬉しかったです。
Q. 国連で働くことの魅力は何ですか?
一つには人間の生活を真正面から見つめる仕事だということです。ユニセフの仕事は、人々の生活が土の上で、どのように営まれているのかを見つめることからスタートします。そこから現場のフィールドワーカーが活躍できる環境を作りあげ、実際にインパクトをもたらすことのできるモデルを作って行く。そしてこのモデルを国家レベルの政策に反映させていくことによって、一つの村だけでなく他の村にも広げて行くことができる。色々な取り組みの一番いい点を探し、それを広げて行くことのできる立場にあるということは魅力です。
もう一つは、子どもたちと関わることのできる仕事だということです。子どもたちというのは、ものすごいエネルギーを持っている存在だと思います。津波や紛争といった環境の中でも、学校が始まり、友達と出会い、遊び、笑う。その「前に一歩踏み出す力」というのは大人にはないパワーです。そのパワーを育てて、社会に活かしていくことに関わるというのは、素晴らしいことだと思っています。子どもは将来へのビジョンです。
Q. 国際協力の仕事を目指す人へのアドバイスをお願いします。
少し恥ずかしい表現かもしれませんが、自分が「ときめく」ことを見つけることが大事だと思います。NGO でも民間企業でも、国際機関でも、「これをやっててよかった」と思える分野や課題を持っていることが重要ではないでしょうか。自分の中にエネルギーが湧いてくるものを見つけることができたら、どのような組織にあっても、困難な問題があっても、それを乗り越えて、いい仕事をしていくことができるのではないか、と思っています。私にとっては、栄養とコミュニティ開発という分野を見つけたことが、仕事をしていく上で重要だったと思います。
それから回り道はした方がいいですね。国際協力の仕事は人とその生活を相手にしていて、決まった道や決まったやり方なんていうものはないと思います。ショートカットでキャリアを積んで行くなんてことよりも、 色々な経験をして、人間に厚みがあるほうが、良い仕事ができるのではないかと思います。私自身、大学院に受かったのに資金がなくて行けなかったり、職を転々として焦ったこともありましたが、振り返ると、その時に出会った面白い人々や学んだ問題解決能力がなければ、今の自分はなかったかもしれません。
(2006年11月30 日、聞き手:亀井温子、国際協力機構、東京幹事会事務局担当。写真:橋本のぞみ、幹事。)
2006年12月25日掲載