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佐藤 摩利子さん
国連ハビタット(UN-HABITAT) ジュネーブ事務所

佐藤摩利子(さとうまりこ):秋田市生まれ。短大卒業後1年間米国留学。秋田市役所勤務を経て再渡米し、ニューヨーク州立大学学士号(女性学)取得、邦銀に勤務後、コロンビア大学大学院修士号(国際関係学)取得。1994年よりアジア太平洋都市間協力ネットワーク(シティネット)、1998年より国連ハビタット・福岡事務所(人間居住専門官)を経て2006年より国連ハビタット・ジュネーブ事務所勤務(調整官)。

Q.いつ頃から、また、なぜ国連を目指されたのですか?

私の実家は秋田で、父親は「女性には教育がいらない」という考えの持ち主。ロータリー財団の奨学生として1年間アメリカへ留学し、帰国後は秋田市役所に就職しました。住民に一番近い行政、まちづくりを学べるということで興味があったのですが、そこでは女性の地位の低さに驚かされました。そのような現状に疑問を抱き、お金を貯めて再度アメリカへ。ニューヨークで女性学を学ぶ中で、女性の地位の低さは結局権力の構造が問題であること、権力を持つ者が力を温存するためのシステムをつくり上げ、差別を生み出しているということが見えてきたのです。

ただ、アメリカのフェミニズムは攻撃的で、日本にこの考えを輸入、そのまま定着させるのは難しいのでは、と思いました。そんな折、あるインド人女性の講演を聴く機会がありました。そこで、日本の女性は確かに差別されている、でも明日食べる物には困っていないし、宗教やカースト制度による差別はない。世界にはもっと辛い立場にある女性がいるんだ、ということを知ったのです。

1980代後半、ウォール街の邦銀で仕事をしていた頃はバブルの真只中でした。日本企業がロックフェラーセンターを買収したり、毛皮のコートが流行る時代でしたが、インドの女性の話を思い出してはギャップを感じていました。ウォール街で作り出すお金も、インドの女性たちの犠牲の上に成り立っているのではないかと。そんな時、たまたま国連の「女性と開発」という文献に触れる機会があり、これが私の「ライフワーク」と直感で思いました。途上国の女性のために彼女達と一緒に何かをしたいと思い、国連をその手段のひとつと考えるようになりました。踏みつけられているもの同士が一生懸命立ち上がり、連帯して権力へ立ち向かうことは、父親に歯向かっていく自分の姿にも見えて張り切りました。そんな中で女性と開発、市民運動、途上国、と興味が絞られていきました。

Q. 国連に入るきっかけは?

開発に興味が湧いたものの、必要な知識や技術がなかったため、仕事をしながら夜間、経済学を学び、大学院で開発経済を専攻しました。大学院修了後に勤務したアジア太平洋都市間協力ネットワーク(シティネット)では、「国連のプロジェクト」であった地位から自立した自治体のネットワークへの組織作りに従事しました。国連機関などと共同で、地域内の都市の連携を促進して自治体の能力向上、都市の問題改善などを図る事業を行っていました。と言っても実はこの頃も、私はハビタットには批判的でした。国連の場に住民により近い自治体の声はほとんど反映されておらず、もっと下の声を国際社会に訴えていこうという運動を他の自治体のネットワークと展開していました。

1996年にトルコ・イスタンブールで国連人間居住会議(ハビタットII)があり、その場でもアジアの自治体の声をぶつけ、抗議をしていたら、「福岡事務所が開設されるから、ぶつぶつ言うくらいなら自分でやりなさい」と当時の事務局長に言われました。また、ニューヨークでコフィー・アナン国連事務総長に自治体の代表団とともに「自治体の声を国連に反映させる場がほしい」と訴えたところ「ハビタットは自治体の窓口となる国連機関なのでそこを通してやりなさい」と言われたこともあって、ハビタットの福岡事務所に応募、面接を受け、1998年に着任しました。そこに至るまで、自治体、民間、NGOと大学をいったりきたりと、真っ直ぐな道ではなかったものの、これまでの経験は無駄にはなったとは感じていませんし、住民の声、女性や弱者の声を反映したまちづくりをする、都市の行政に関わるという点で常にやりたいことは繋がっていました。

Q. 今なさっている仕事はどのようなものですか。

人道支援の情報の中心地であるジュネーブにおいて、国連ハビタットがいかにより迅速に危機・災害時の人道支援や復興支援に携わるのかということを検討しています。UNICEF(国連児童基金)やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などは緊急時に即座に動き出しますが、従来ハビタットは開発重視ということもあり、緊急時の初動が遅れており、災害や紛争後の支援にギャップが存在していました。これを解消しようと、緊急時にもすぐ対応できるよう情報収集、他機関と調整をしています。例えば、スマトラ沖地震の津波の際、ハビタットは津波発生直後にスリランカでは、復興に向けた活動を開始しました。

スリランカ政府は、海岸から1キロをバッファー・ゾーン(緩衝地帯)に定めてしまったのです。復興に一番大切なのは、復興したいという地元の人々の意欲を最大限に引き出してまとめていくことだと思いますが、これではもともと住んでいた場所で復興したい住民が無理やり内陸に移動させられてしまうことになり、意に反しています。さらにはまったく新しいまちづくりを提唱したプランも出されていました。既存のインフラや住民の声を無視した計画では実行可能ではないのですが。こうした経験から、緊急支援において人命救済の初期活動後、すぐに復興支援を始める大切さを再確認するにいたりました。

また、例えばソマリアやスーダンなどでは難民、避難民が帰還していますが、そもそも再定住や復興に不可欠な土地所有権のシステムが機能していません。こうした復興の基盤整備もハビタットは支援しています。カンボジアでは、地雷が撤去された土地の価値が上がり、有力者に土地を奪われ、もともとそこに住んで地雷と共存してきた人々が追い出されてしまうという事例も見ました。これはスラムの現象とまったく同じです。スラムを改善しすぎると土地の値段が上がり、住民はそこには住めなくなってしまいます。そこでハビタットは、まず土地の利用計画を明確にし、それから地雷撤去を始めることを提案しました。このように緊急支援の早い段階で、復興を見据えて活動を始めることが不可欠なのです。

また、人道支援には貴重な資金が比較的集まりやすく、緊急ということで人々には避難テントなど一時的な居住設備が支給されます。しかし、マスコミの注目を浴びなくなった人命救済以降の段階では、復興支援の資金が続かないのが現状です。ですから、例えば仮設住宅用の資材も、常設住宅に転用できるようなものを選ぶことが大事です。人道支援で得た1つの屋根用シートや柱、窓をいかに転用できるか。そういう支援のやり方に変えるべきであると、国連システムの中で緊急支援を行う機関とともに検討をかさねています。避難民のキャンプの設置場所も散発的に行うのではなく、国土計画やまちづくり復興計画の枠組みのなかにどのように組み入れ、キャンプ解体後の活用など、長期的な視点を持って人道支援を行うべきだと提案をしています。緊急支援での資金の多くを、長期の復興支援のためにも活用できるよう知恵を絞っていくというのは、限られた貴重な資金をより有効に使うための国際社会の共通の義務であり今後の課題ではないでしょうか。

Q. これまでで一番思い出に残った、楽しかった仕事は何ですか。

私がハビタットで一番好きなところは、コミュニティづくりを重視しているところです。住民の声が行政や支援に反映されるためには、住民がまず力をつけなければならなりません。一人だと何もできないけれども、コミュニティの声にすれば、大きなパワーになります。しかし、コミュニティを築き上げるのもまた難しいことです。昔から絆のつよい農村と異なり、都市部では、除隊兵、以前敵対していた同士、各地方から土地を持っていない農民などが混在しており、どのように団結したコミュニティをつくり上げるかということは特に紛争地では大きな課題です。

プロジェクトの提案書を出してもらう時、コミュニティを築きたいので皆さん集まって下さい、と言っても誰も来ないわけです。しかし、問題を解決するという目的があれば人々は集まってきます。そこで、住民にまずゴミ、衛生、収入向上など自らの問題を明確にしてもらい、優先課題を設定し、行動計画を立ててもらいます。コミュニティの資金負担もあります。住民の自主性を促進するために、ハビタットは企業や民間セクターに事業を発注するのではなく、コミュニティに直接資金と技術支援を提供します。また、社会的弱者の視点を採り入れる、プロジェクトの裨益者は誰かなど、様々な条件もコミュニティ自ら決めてもらいます。常にコミュニティが主体性を持ちつつ持続可能なやり方で復興が進むよう、ハビタットは支援しているのです。もちろん、汚職は常に問題になりますよ。それを乗り越え透明性を保ち汚職が起こらないようなシステムをも地元でつくり上げるのです。

例えば住宅を建てることにおいては、それ自体が最終目的なのではなく、その周りを取り巻く組織や人々のつながりを築き上げていくことが大切なのです。政策形成だけに焦点を当ててもプロジェクトは成功しません。ハビタットとしては、限られた資金の中でコミュニティの強化に努め、その成功事例が点から線へ繋がるまでは支援したい。その後、線から面に移れるかどうかはコミュニティ次第です。これらの一連のプロセスがマグネットのようにイミュニティ(免疫力)が強化されコミュニティのエンパワメントに繋がっていくのです。これらの変革のプロセスにかかわることで、自分自身が強制立ち退き、社会的阻害、貧困などといっしょに戦っているような気になってしまいます。自己満足かもしれませんが。

津波のような自然災害の場合とくらべ、民族紛争からの復興の場合は単に緊急だからといって人々が団結するわけではないので、より難しい場合があります。しかし美しい話もありますよ。アフガニスタンにタジク族とパシュトゥン族が住むコミュニティを分断する道路がありました。お互いに対立する彼らの間にある道路を補修する必要があった。それでハビタットに支援要請が来ました。ハビタットが共同提案をするよう呼びかけると、最初は対立していたコミュニティですが最終的には協同事業をとうして、見事仲直りに繋がりました。このようなマイクロ・レベルの平和構築は重要だと思います。

Q.逆に、どのようなことがチャレンジだと思いますか?

限られた資源を最大限に活かすことは非常に大切なことです。ODA(政府開発援助)額などの財源が少なくなっている中で、いかに資源を最大限活用できるかは、緊急対応(responsiveness)に関わってきます。津波などの災害時の調整は非常に時間がかかりますが、今ジュネーブでは、機関常設委員会(IASC: Inter-Agency Standing Committee)の枠組みのなかで緊急事態が起きた際、どの機関がどのように調整するかということを細かく検討しています。人道援助改革や "Delivery as One"(一貫性を持った支援)といった国連改革が進み、人道支援のあり方が変わりつつある中、ハビタットのあり方も問われていると思います。

スリランカの津波復興支援ではハビタットは人々に自らシェルターを建設する機会を提供したことで感謝をされました。自分たちは尊厳を持って自らの生活を立て直したかったのに、その機会を与えてくれなかったことがほとんどだった。「信頼してくれてありがとう」と言われました。この点で、私達支援をする側も、いかに彼らを信頼するということを学ばなければなりません。

また、今回の津波被災の教訓を今後の支援にどのように活かすかというのも課題です。津波の早期警報をどのように住民に届けるかということも重要です。さらには緊急時に時間のかかるプロセス中心のコミュニティのアプローチがどこまで入り込めるのか。そのバランスも大切です。

2007年には全地球人口の半分が都市に住むと言われます。都市の時代(Urban Age)を迎えるわけです。しかし、スラムなどの現象により都市化は必ずしも"engine of growth"(発展のエンジン)にならないことが多いのです。したがって、持続可能な都市化の政策が必要になってきています。いかに都市化のもたらす利益を効率的に、効果的に貧困層も共有できるか。ハビタットは各国政府に対して都市政策や都市管理人口移動政策を整備する、都市と農村の絆を深める、都市のコミュニティの政策提言能力を強化するなどの提言をしています。

そのためには、人々のエンパワーメントが不可欠。「ガヴァナンス・サンドウィッチ」と呼んでいますが、保護政策や人々への権能付与(enabling)をトップダウンでのみ行なっても意味がないですし、逆にエンパワーメントだけあって政策がなくてもだめですよね。人々のエンパワーメントと政策の両方が大事であるのですが、政策と現場の声がリンクしていかないのが現状です。また、コミュニティや自治体レベルでもっと女性が決定権をにぎるようになっていかなければならないと思っています。

Q. 国連、特にハビタットで働く魅力とは何でしょう。

ハビタットでは、住民が自分たちの進展を見せてくれるところが魅力ですね。アフガニスタンではプロジェクトの立ち上げに非常に苦労したのですが、自分たちはこのような工夫をし、このように問題解決をしたと見せてくれるのです。自分たちが変わっているということを、誇りを持って笑顔で見せてくれ、自分たちのプロジェクトを説明してくれるということは非常に嬉しいものです。私の方が力をもらいますね。特に女性たちは同朋のように迎え入れてくれます。

国連機関ですから政府に提言できるのも魅力です。政策とは政府、コミュニティや市民にとって実行可能で受け入れ可能でなければなりません。しかし、ある政策が実行、受け入れ可能かは試してみないと分からないのです。そこで私たちは、まずコミュニティを強化し、政府のパートナーになれるかどうか試してみてはと提案します。前述の、このようなボトムアップの住民参加型のアプローチや住民参加が成果をあげ、認められ、定着し、制度化され政府や自治体の政策となったときに、この仕事をしていてよかったと感じます。

でも、国連の窓口はもっと市民社会に向いていなければならないと思います。民間の方にも理解し支援してもらえるよう、ますます国連の活動について説明していく必要があるでしょうね。以前所属していたハビタット福岡事務所は地元密着型国連機関として地元に浸透していて、スマトラ沖地震の時はソフトバンク・ホークスや県民の皆様からの支援が4千万円程集まりました。福岡事務所は福岡県、福岡市と地元35企業に支えられているので、私たちが何をしているか知らせていく必要がありますし、そうすることで県民の方々も国連機関があることを誇りに思っていただければと思っています。

Q. 国連に対して日本ができる貢献についてはどうお考えですか?

人間の安全保障というアプローチは多くの政府の政策に採り入れられ、定着してきたと思います。特にアジアには「人権」という西洋的な概念より、「人間の安全保障」の方が受け入れやすい浸透しやすいのではと感じています。例えば人々が安心して居住できることをSecurity of tenure(tenure:土地の保有権)と言いますが、明日追い立てられる心配がない、というような、安心できる感覚feeling secureを保障することが非常に大切なのです。その意味でも人間の安全保障のアプローチが今後も普及し続けると良いですね。

また、日本には広島・長崎の経験があり、戦後復興の課題、経験を共有していくことも大切です。ソマリアで、広島の焼け野原の写真を見せたところひどく感動され、「あなたたちはこんな爆撃を受けたのか。私たちは戦っているだけだというのに。」という反応が返ってきました。本来なら隠したい戦争の過去と繁栄の両方を共有できることは非常に大切なことだと思います。「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」という相手に対して平等に向き合い、一緒にやっていこうというアプローチは日本人だからこそできることだと思いますし、もっと誇りに思っていいことです。ある外国人に、「日本(人)には素晴らしいイニシアティブやアプローチがあるのにそれを共有することができない」と指摘されたことがあります。その意味でも日本人にはもっと世界の場に出て行ってもらいたいと思います。

Q. グローバルな課題に取り組むことを考えている若者への一言をお願いします。

使命感(mission)を持つことは非常に重要だと思います。私の場合は父親への反発、秋田市役所で経験した悔しさなどをつなげ、それをバネにスラムなどの女性に共感しながら働くという使命感を持ってきましたが、こうした強い使命感を持つことは仕事をしていく上で大切なことなのです。

想像力も大事です。特にジュネーブなどにいると、今やっていることが現場にどのようなインパクトを与えるのか、どのように国連組織の中を動いていくのか、常に考えなくてはいけません。

そして、現場重視ですね。途上国の声なき人々の口、耳、目、になり、彼らの心情をそのままに代弁する。そして、その地元の声をグローバルな課題として提議していくことが求められています。

 

参考)「コミュニティはイミュニティ(Community is Immunity)-コミュニティは社会の免疫システム-」 佐藤摩利子 財団法人国土計画協会機関誌 「人と国土21」 2005年3月号(第30巻6号p.68-72) http://www.fukuoka.unhabitat.org/pressrelease/pdf/keisai/0503%20kokudo.pdf
 

(2006年11月17日、聞き手:田辺美穂子、コロンビア大学国際公共政策大学院・公衆衛生大学院。朝居八穂子、コロンビア大学教育大学院。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター。)

2006年12月10日掲載


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