斎藤 万里子さん
UNDP/日本Women In Development基金
プログラム・マネージャー
.Q.いつごろから、なぜ国際開発の分野に興味をもたれたのですか。
斎藤万里子(さいとうまりこ):埼玉県生まれ。1993年、上智大学比較文化学部卒。コーネル大学東南アジア研究修士。大学院修士課程在籍中にベトナムでの外務省専門調査員に合格、1999年から三年間、ホーチミンの日本総領事館に勤務。2002年4月〜10月まで日本WID基金プログラム・マネージャー代理を務めた後、2003年4月、JPOとしてUNDPスリランカ事務所に赴任。2004年10月から現職。 |
上智大学在学時に、カリフォルニア大学バークレー校に交換留学をしました。そこでいろいろな国から来た人たちと知り合ったことが、国際開発の分野に興味をもった最初のきっかけです。留学時代の友達を訪ねてのケニア旅行などを通して世界の様子を知り、将来は大学院に進んで、途上国関連の仕事をしたいと思うようになりました。といっても、大学院に進学する前に数年は日本で仕事をしなければ、と思っていました。というのも、私はアメリカと日本の両方で育ったので、海外に出る前に日本で数年間しっかり働きたいという思いがありました。
学部卒業後は、比較経営学を専攻した経験を活かし、日本の民間企業に就職しましたが、この間にベトナムを旅行しました。このときの経験がもう一つの転機です。東南アジア特有の活気にすっかり魅了され、ベトナムに関連した仕事に就きたいと思うようになりました。そこで、大学院でベトナムについて勉強するため、コーネル大学東南アジア研究課に進学し、ベトナム研究を専攻しました。
Q.国連に入るまでの経歴を教えてください。
大学院では、ベトナムの歴史、文学などのアカデミックな研究と並行して、開発学やジェンダー学についても勉強しました。コーネル大学のいいところは、自分の興味のある分野に沿ったプログラムを監督教授のアドバイスのもと履修できることです。修士論文はベトナムのジェンダー問題について書きたかったので、ベトナム語の語学研修を兼ねてベトナムに短期滞在をし、国連機関やNGOの文献や現地の新聞などを通してリサーチもしました。また、この間、外務省、JICA、JBICの方など開発に携わる人達と出会い、多くの刺激を受けたことはとても貴重な経験でした。
大学院修了後は、外務省の専門調査員としてホーチミンで3年間を過ごすことになりました。私の主な担当は、ドイモイ後に一時低迷してしまった直接投資の基盤強化および投資環境改善に関わる側面支援でした。着任当時、日本とベトナム政府は、官民合同ワーキンググループと称し、外務省、通産省(当時)、現地のカウンターパートとともに関税・法整備・雇用問題などを含む投資環境改善のため、実際にベトナムで投資に携わっている民間のパワーを活用しながら分野別政策提言やキャパシティ・ビルディングを行うところでした。ベトナム経済の根幹を担う南部ベトナムに身をおきながら、このような活動の側面支援が出来たことは、大変有意義でした。ベトナムの経済成長の回復を目の当たりに出来ただけでなく、民間やベトナムのカウンターパートの方々からも多くを学びました。また、外務省では、性別や年齢に関係なくプロフェッショナルとして仕事をさせてもらえたのも有難かったですね。ジェンダーと開発への思いも強くあったので、任期後半には経済協力担当の方にお願いをして草の根案件の形成も数件担当させてもらいました。
専門調査員として3年間勤めた後、東南アジアの仕事に関わりたくてJPOに挑戦、合格しました。JPOでの派遣を待っている間、現在勤めているUNDP/日本WID基金の前プログラム・マネージャーの産休の代理をNYにて半年務めました。その後、JPOとしてスリランカのUNDP事務所に赴任。ここでは災害管理と地雷除去案件の担当を任されました。まったく新しい分野でしたし、スリランカ事務所が災害管理に取り組むことは初めてだったこともあって、はじめはとても大変でしたね。今の仕事についたのは、JPOの2年目に当たる年です。幸運にも日本WID基金のプログラム・マネージャーの職が空席となったので、JPOを1年半で切り上げて、NYに赴任してきました。
Q.現在のお仕事について教えてください。
UNDP内にある日本WID基金のプログラム・マネージャーとして、主に、現地事務所からあがってくる案件の査定や、現在進行中の案件のモニタリング、また広報としてレポート作成からウェブサイト管理などに携わっています。
また、最近は、当基金の知見の共有を図ることに特に力を入れています。2005年でWID基金は設立10周年という記念すべき年を迎えたのですが、WID基金の10年は、同時に日本が世界に先駆けてジェンダーという分野に継続して資金を援助してきた10年でもあります。その中から、多くの画期的なノウハウや開発手法が生まれてきました。今でこそ、オランダなど複数のドナー国からジェンダーへの資金提供がありますが、1995年の北京会議からずっと当分野に焦点を当てて資金を提供してきたのは日本だけです。革新的なプロジェクトも数多くあります。例えば、国家予算はどのようにジェンダーに影響を与えるのか、またジェンダーに配慮した国家予算をどのように組み立てるのか、というようなマクロ経済におけるジェンダーの案件やICTを利用した案件を早い段階から率先して支援してきたというのは、かなり革新的だったと思います。
また、東京でシンポジウムを開催することなどを通して、基金の知見を日本国内にも還元できるようにしています。昨年の7月にも東京でマクロ経済とジェンダーについてのシンポジウムを開催したのですが、日本でもこの分野に関する興味がだんだん高まっていることが分かり、手ごたえを感じました。
さらには、WID基金はUNDP内にもその知見を還元しています。WID基金が位置している開発政策局には他にも貧困チームがあり、ミレニアム開発目標の達成、ひいてはガバナンスや環境問題にも携わっています。彼らと同じ局に位置し連携することで、そうしたUNDPが取り組む幅広い分野にジェンダーの視点が取り入れられるように働きかけをしています。
Q.国連で働く魅力はなんでしょうか。
一番の魅力は、なんといっても多種多様な人々と働けることです。世界中から職員が集まり、様々なやり方、様々な考え方を持ち込んで仕事をしています。日本人の固定観念を持ち込んでしまうとやりにくい職場であるともいえますが、それをいったん解き放ってしまえば、違う価値観を共有しながらいろいろな面白いことを可能にしていけると思います。国連では、違う考えをブレンドしながら仕事を進めていくので、作業が遅れたりすることも発生しますが、その分、刺激にも勉強にもなるし健全なプロセスであるともいえますね。
Q.一番思い出に残った仕事について教えてください。
最近でいえば、UNDPの執行理事会において2005年にようやくジェンダーのための予算がコアの資金から出たことです。今までは、コアの部分からはジェンダーへの予算は組まれなかったので、やっとジェンダー主流化が本格化してきたな、UNDPも変わっていくんだな、という実感がわきました。
また、スリランカでのフィールド経験は思い出深いものがあります。地雷除去や災害管理の仕事など、自分の仕事の結果を目の前で確認できたので、非常にやりがいがありました。NYでの仕事はオフィス・ワークが中心ですが、世界中の案件を見るという醍醐味がありますし、フィールドで得た経験から、そうしたオフィス・ワークがどのような結果を生んでいるのかが分かるので、両方の経験が出来ていることは大きな糧です。
Q.国連で働いていて一番たいへんなことはなんですか。
先ほども言いましたが、国連は世界中の様々なところから来た人達が一緒に働いている職場です。いい面も多くありますが、意見をまとめるのに苦労することも多いですし、個人の能力にばらつきがある場合、一つにまとめあげていくことが難しい場面もあります。どんな場合でも、コミュニケーションがとても大切だなということ、また、自分の仕事に最初から最後まで責任をもって取り組んでいくということの重要性を痛切に感じます。
体力的に一番きつかったのは、2005年の秋です。11月に東京で国際シンポジウムを開催したのですが、シンポジウムの準備、シンポジウムのためのビデオ作成、シンポジウムの報告書の作成を進め、同時に複数の案件査定や案件進行の管理なども推し進めていたので、とてもきつかったです。
Q.ジェンダーの分野で日本が貢献できることは何があるでしょうか。
先ほども言いましたが、1995年からずっと日本はジェンダーの分野に特化した基金をつくり、資金を拠出してきました。これはとても革新的なことで、WID基金の10年間で日本はこの分野においてかなりのプレゼンスを確保してきました。これまでは、「ジェンダーといえば日本のWID基金」というくらいの存在感がありましたが、残念ながら最近では日本の存在がだんだん薄くなってきています。WID基金で得た知見は、UNDP内でも出来るだけスケール・アップや応用をしていきますが、やはり継続した支援が大事だと思います。ビジビリティの確保という意味でも、独立した基金の存在は大きいです。
Q.これから国連を目指す人へのアドバイスをお願いします。
国連はとても魅力的な職場だと思うので、ぜひ頑張ってほしいと思います。しかし、国連で働くこと自体を目的にするのではなく、何をやりたいのかを明確にし、数ある国際開発に関わる機関の中の一つの選択肢として国連を考えるというのがいいのではないでしょうか。国際開発の舞台は、国連だけでなくNGO、政府、それからプライベート・セクターらがともに動いて流れを築き上げていますから、国連だけを目指してしまうと、大きな絵を描けなくなってしまいます。目的意識をはっきり持って、長い目で見て国連で働くことを自分のキャリアのなかでどう位置づけていくのか。また、自分のやりたい分野に関わっている多様なアクターのなかから国連を選んで働くということにはどういうメリットがあるのか。これらを常に考えながら、自分が手にしたチャンスを活かしていくのがいいのだと思います。
(2006年12月18日、聞き手:佐々木佑、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジにて国際教育開発を専攻。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター。)
2007年1月16日掲載