宮口 貴彰さん
国連開発計画(UNDP)インドネシア
気候変動担当官
Q.いつから、どうして国連を志すようになったのでしょうか。国連に入るまでの経歴、国連で勤務することになったきっかけを教えてください。
宮口貴彰(みやぐちたかあき):京都生まれ。ミシガン大学アナーバー校(理学士・自然資源環境)、オックスフォード大学(交換留学)、フライブルク大学(ドイツ・交換留学)、シカゴ大学(公共政策修士)を経て、国連大学に勤務。その後世界銀行・東京開発ラーニングセンター勤務を経て、2006年7月よりUNDPインドネシア事務所(環境ユニット)にてJPOとして勤務開始(気候変動担当官) |
私は昔から好奇心旺盛で、世界の様々な地域の歴史や文化などに常に興味をもってきました。また何か現代の人間社会を超えた大きなもの、地球の不思議さなどにも興味があり、小学校の頃より本当に多種多様な本を読んできました。それを通じて、世界において自分自身ができる、当たり前ではないこととは何かということを漠然といつも考えてきており、このような流れの中で、環境というテーマに関心を持ちはじめました。また実家が広告業に携わっていたこともあり、環境とビジネス、特にマーケティングをどう結びつけるか、ということに最初に興味を持ちました。
今までの経歴としましては、京都の高校を出た後日本の大学に一旦入学したものの、物足りなさを感じ、3か月で大学を休学し、カリフォルニアのバークレー校で1年間英語を学び、その後入学したミシガン大学のアナーバー校で自然資源環境の理学士号を取得しました。大学在学中には、インターンシップを3つ経験しています。大学1年生の時、国連環境計画(UNEP)国際環境技術センター(IETC)大阪事務所で、また3年生時には、交換留学生としてドイツのフライブルク大学で林学を学びながら、持続可能性を目指す自治体協議会(ICLEI)欧州局において「持続可能性に向けた自治体と私企業のパートナーシップ」プロジェクトに従事しました。そして学部最後の夏には日本のシンクタンクにて社会責任投資に関してのインターンシップを経験しました。
その後、公共政策修士号を取得するためシカゴ大学大学院に入学し、その夏のインターンシップ先として海外の企業と国連機関両方に30件ずつほど応募したところ、3つの国連機関(UNIDO:ウィーン、UNV:ボン、UNDP:ニューヨーク)からインターンのオファーを貰い、国連開発計画(UNDP)地球環境基金(GEF)をインターン先に選びました。この時から就職先として国連を本気で意識するようになったと思います。
大学院卒業後は国連機関の一つである国連大学で2年間、日本の私企業との共同プロジェクトである「東アジアにおける環境モニタリング及びガバナンス」プロジェクトに従事し、その勤務中にJPOに合格しました。その後JPOで派遣されるまで、防災管理における私企業の役割に焦点を当てたイニシアティブの担当として世界銀行・東京開発ラーニングセンターに短期コンサルとして勤務した後、2006年7月からJPOとしてUNDPインドネシア事務所で働いています。このように、私は小さい頃から国連を目指していたわけではなく、その時その時に自分にある選択肢をすべて試した結果、偶然に国連が就職先になったと思います。
Q.今なさっている仕事はどのようなものですか。
私は気候変動担当官としてUNDPインドネシア事務所に勤務しています。私の担当は、1.第二次国別報告書(Second National Communication)の作成、 2.国家能力自己評価(NCSA: National Capacity Self Assessment)の計画の実施、 3.クリーン開発メカニズム(CDM: Clean Development Mechanism)のプロジェクト作り、の3点で、普段はインドネシア政府の環境省、そして現地の各国の開発系機関とのやりとりを行っています。
インドネシアの国別報告書に関する業務は、国連気候変動枠組条約上の提出義務である国別報告書の第二版の作成です。具体的には、同国において1999年に提出された第一版を分析して問題点をクリアにし、温暖化ガスの発生及び吸収に関する目録(インベントリー)、国における脆弱性の評価、そして温室効果ガスの排出緩和の分析情報を統括してより円滑に行っていけるようなサポート役を続けています。
NCSAとは、環境に関する三つの国際条約(国連気候変動枠組条約、国連生物多様性条約、国連砂漠化防止条約)に対するその国家がもつ能力を自己評価するというもので、インドネシアはその工程のほぼすべてをすでに終わらせており、一連の自己評価の作業で推奨された計画の実施を進めています。
CDMについては、京都メカニズムの一つであるCDM(クリーン開発メカニズム)のプロジェクト作りを担当しています。CDMとは、先進国(附属書I国)と途上国が共同で温室効果ガス削減プロジェクトを途上国において実施し、そこで生じた削減分を先進国がクレジットとして得て、自国の削減に充当できる仕組みです。このメカニズムは各ドナーとの関係もさることながら私企業との連携が欠かせませんが、現状としてインドネシアにおけるCDMの案件作りは残念ながらあまり進んでおらず、現在のところ同国のDNA (Designated National Authority:指定国家機関)より認定されたプロジェクトは10件以下という状況です。
さらに、実施されているプロジェクトも大企業中心であったり、二酸化炭素ではなく温暖化係数(GWP)がより高い温室効果ガス、例えばメタンガスのような種類のみを対象としたものが多いというのが現状です。そこでインドネシアのローカルレベルにおいて、よりCDMの恩恵を幅広い層の人々に行き渡らせることを念頭においた、中小零細企業を対象とするCDMのプロジェクト作りを進めています。CDMという非常に潜在性のあるメカニズムを、いかにその国の持続可能な開発につなげていけるのかというのが命題です。この仕事は最近非常に注目されているテーマの一つですし、実際に関わっていて非常に面白く感じています。
Q.これまでで一番思い出に残った、楽しかった仕事は何ですか。逆に、一番大変だったお仕事は何ですか。
正直に言うと一言で言える答えが見つかりません。連続した物事の中でどれかを切り取ってこれが楽しかった、と言うことは難しいです。「成功」も「失敗」もそれぞれ積み重ねられて表面にでてきたある種連続性のものですし、その前後の事象もすべてつながっているでしょうし。ただ、私は人と話すことが好きです。仕事を通して、企業の方をはじめ、分野の異なる人たちとお会いする機会がありましたが、その際「国連」と聞いただけで距離を感じていた人々に、国連はそのような遠い機関ではなく、国連や私がやろうとしているプロジェクトの良さを理解してもらい、結果として良い関係を築けた時は嬉しいですね。
こんな風なので、大変だったことも特に思い浮かびません。自分に起こりうる全ての事は必然だと信じていますし、どんな場面に出くわしてもそれが自分にとっての最高の学びの機会だと思っています。そしてそれらの経験を通して精神的成長を目指し、自分に厳しく、他人には優しくという姿を目指しています。よって他人に対して腹が立つようなことも滅多にありませんし、自分のなかの精神的な甘えを極力なくし、自分の行動を他人のせいにすることなく、自分自身への言い訳をつくらないような一個の個人になれればと思っています。
このように言うと何か高尚な話に聞こえるかもしれませんが、そんなことは全くなく、要はいかに人生で自分に起こる事象をポジティブに捉えていくのか、ということだと思います。世の中に偶然というものはないと仮定して世の中を見はじめると、外からみたら苦しいような局面でも案外平然と落ち着いていけるように感じます。またこう考えることで世の中がかなり面白くなりますし、受動態でいることがなくなるように思います。
Q.私企業との連携について、その重要性を教えてください。
企業は消費者のニーズを敏感に感じ取り、それを消費者にいち早く提供しています。その行為によって社会に大きな効果をもたらす彼らはいわば社会のエンジンです。持続可能な社会の発展を考えた時に、彼らを外して考えることは不可能です。企業側も企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)の高まりを受けて、我々との協力に積極的です。貧困層の人々、企業、その国の政府、そして国際機関と、それぞれがWin-Winでなんらかの恩恵を得ることは可能だと思います。あと私もすこしずつ関わらせてもらっていますが、UNDPではGSB(Growing Sustainable Business)という、所謂Pro-Poor Growthを目指した私企業との積極的な協力を目指すイニシアティブが進められています。日本企業を特に対象にしたGSBの活動もすでに始まっていますし、国連全体にとっても今後も、世界、特にアフリカとアジア諸国においての私企業との連携はより一層強められていくと思います。
Q.国連で働く魅力とは何でしょうか。
私は常に何か面白いことができないかを考えている人間です。私の取り組んでいる分野はたとえ国連でなくてもどの組織で働いていても取り組むことができると思います。ただ、国連はそれを実践するにあたって非常に面白い組織だと思います。なぜなら国連はビジョンをつくりあげ、そのビジョンを世界の多くの人々と共有することができる稀有な場所だからです。さらに、私は人間に対してとても興味があるので、様々な国籍、人種、性格の人間が混ざり合った「人間動物園」である国連は、現時点で私には非常にあっているのではと感じています。
Q.国際協力全体あるいは現在取り組んでおられる分野で、日本が誇りにできる、貢献できることは何でしょうか。逆に、例えば日本人が途上国での国際協力に関わることで日本が受ける恩恵はあると思いますか。
ODAを通しての日本の国際社会への貢献度は非常に高いと思いますし、日本人の、他人を気遣い、そして思いやる価値観は他の国に類をみない素晴らしいものだと思います。しかし、日本はPR(広報)があまり上手ではないことがすこし問題だと思います。良いことをしていれば必ず人はわかってくれる、という考えはわかりますが、現実として日本が実際に国際社会にどのように貢献しているかを知らない人が多いですし、日本の国際協力のビジョンが国内を含めて共有されていないのは非常に残念です。これは国というマクロレベルだけではなく、一人ひとりの日本人というミクロのレベルでも当てはまると思います。つまり自分たちの持っている考えや価値観をいかに多くの人たちにわかりやすく伝え、理解してもらい、そしてそのビジョンを共有していくのかということです。このようなスキルを、仕事を一辺倒でやりぬくという日本のすばらしい気質とともに伸ばしていければと思います。国連では、「自分を上手く表現する」ことの重要性は常々実感するところです。
日本の国全体が国際協力によって受ける「国益」に関しては既出の意見がありますので繰り返しませんが、日本人の一人ひとりが受ける恩恵として私が思うことは、国際協力を通じて他人・他国と立場で物事を考え、またどんなことが自分にできるのか、自分とは何なのか、を常に考えさせられるまたとない機会を得られることだと思います。またこのことが一人ひとりの精神的成長に繋がっていっているように思います。少なくとも私個人的にはそのように感じます。
Q.グローバルイシューに取り組むことを考えている後輩達にアドバイスをお願いします。
精一杯努力したからといって、良い結果が出るとは限りませんし、「努力をすれば成功する」というリニアな世界ならば、世界中成功者であふれかえっているはずです。「プロセス」と「結果」について言えば、プロセスは人間がコントロールできる部分ですが、結果はそうではありません。このことを理解した上で、一生懸命取り組み、そして出た結果を自分にとっての最高の学びの機会として納得して受け入れることが大事だと思います。今自分が置かれている状況(例えば学生であることや、住んでいる都市や、自分の趣味など)を最大限に活用し、自分の周りにある、取り得る選択肢のすべてを試しながら、2,3年先の目標達成につなげることも大切だと思います。星を見ながら森を歩くように、将来の大きな目標を常に視野に入れつつ、目の前の小さな目標を常にこつこつと実現させていくことも重要です。また、第三者からみた自分、組織、そして国という存在を常に意識して、相対的にバランスの取れた仕事や表現方法を身につけることも非常に大切だと思います。
(2006年12月20日、聞き手:山口絵理、コロンビア大学国際公共政策大学院。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター。)
2007年1月22日掲載