隈元 美穂子さん
国連開発計画(UNDP)エネルギー・環境グループ
テクニカルアドバイザー
Q. まず、UNDPで働き始めた経緯を教えて下さい。?
略歴:隈元美保子(くまもとみほこ) |
中学生の頃に、ぼんやりと国連っていうものがあるんだなと思ってはいましたが、福岡にいましたし、アメリカ等の海外に行くだけで大きなことでしたから、国連で働こうなんて考えもしませんでした。高校入学後、英語関係の仕事がしたいと思いはじめ、英語をそこまで話せるわけではなかったのですが、知り合いの行っているアメリカの州立大学に進学することにしました。思えばこれが国連への道の初めの転機だったと思います。大学では心理学を専攻しました。卒業後はどうしても日本に戻りたくて、地元である福岡に戻りました。大学で専攻した心理学の仕事をしたかったのですが、その当時、心理学の仕事は限られており、他の分野での仕事をすることにしました。
九州電力に入社し、そこで中国、タイ、フィリピン、マレーシア、ベトナムなどのアジア諸国との技術協力(社員交流やトレーニングなど)にかかわり、国際協力や環境問題を意識する最初のきっかけとなりました。6年目に九州電力を退社し、米国のコロンビア大学国際公共政策大学院に進学することにしたのが次の転機です。大学院に進学してからは、場所もニューヨークにありますし、国連で働いている人と出会う機会も増え、国連の存在がぐっと近くなりました。次第に国連で働くということを考えるようになったのはこの頃です。大学院2年生の時にニューヨークのUNDP環境グループで週2日インターンを行いました。大学院在学中にJPOに応募して合格し、卒業後UNDPベトナムで2年間勤務、その後ニューヨーク本部で1年間働き、現職につきました。九州電力でエネルギーの開発を取り扱った経験を活かして、気候変動を担当しています。
私の場合は、子どもの頃から国連を夢見てそれに向かって突っ走ってきたわけではありませんが、自分の射程距離の範囲で一歩一歩道を進めてきたら国連で働く道にたどり着いたという感じです。
Q. UNDPではいまどのようなお仕事をされていますか?
UNDPのニューヨーク本部で、エネルギー・環境グループの気候変動チームに所属しています。気候変動によって影響を受けやすいセクターとしては農業、水、保健、災害防止、海岸開発、環境などが挙げられますが、特に途上国の貧困層は、得る情報も少なく金銭的にも限られた対応しかできない故に特に大きな打撃を受ける人々です。私は、発展途上国が気候変動から受ける悪影響を最小限に抑えるための「適応」を専門に見るチームに所属し、テクニカルアドバイザーとして主に三つの仕事をしています。一つは戦略の策定、案件の形成と管理です。二つめは国家間での気候変動の交渉を円滑にするために、政策のアドバイスを行うこと。三つ目は資金拠出国との渉外です。
Q. これまで手がけたお仕事の中で印象に残っている仕事は何でしたか?
これまでの仕事はどこでも充実していましたが、特にJPOで駐在したベトナムでは、現場の人と一緒に仕事をする楽しみがありました。一方JPO時代にたいへんだったことは、国際協力の現場経験が少ないにも関わらず、限られた指示の中で2年間を過ごしたことでしょうか。最初から最後まで、全体像が見えないままにあっというまに2年間が過ぎてしまいました。3年目に本部へ移動してきて、やっと全体図が見え、長期展望がわかり、本部と現場はどうつながっていて、現場の役割はこうだという点を理解することができました。
Q. いま一番たいへんなことは何ですか?
UNDPは160ほどの国を対象に仕事をしており、本部はそれらの国を地域事務所を通してサポートしています。たいへんなことは、開発途上国の中でも、特に開発が遅れている地域、特にアフリカでは、なかなか物事が進まない点です。あとは、UNDPの仕事は各国の政策をつくるお手伝いをするのが主な仕事なので、なかなか短期間では結果が出ないということもあります。UNDPの案件は主に2-3年の期間ですが、プロジェクト終了までに大きな結果につなげるのは非常に難しいといえます。また、理想はプロジェクトが終了したら、それを国が引き継ぐという形ですが、残念なことにそうならないケースが多い。UNDPが扱う案件は国の政策など非常に面白いのですが、なかなか具体的結果が見えないフラストレーションはあります。
Q. これから国連の中でどんなお仕事をしていきたいとお考えですか?
本部に来てからは、誰が何をしていて、どこの組織がどう動いているかを把握することができ、国連全体が見えるようになりました。また現場にいたときよりも人脈も大きく広がりました。その反面、現場から離れると、どうしても観念的な話にとらわれがちになり、現場のニーズから離れてしまう危険性があります。理想は、現場と本部を交互に勤務する形式ですね。私は、本部で仕事をして4年以上たつので、次は現場に戻りたいですね。
Q. 現在取り組んでおられる気候変動問題について国連が貢献できること、日本が貢献できることは何でしょうか?
気候変動は先進国の発展によって生まれた問題ですが、影響を最も受けるのは途上国という点で政治的に非常に繊細な問題です。中でも難しい点として、温室効果ガスの排出量が最も多いアメリカが京都議定書に批准していないこと。また、インドや中国のように急速な経済発展を遂げており、それに伴い温室効果ガスの排出量が急増している国に対してどのような対応をしていくのか、などが挙げられます。気候変動問題は国の経済成長と密接にかかわっており、各国にそれぞれの思惑があるため、非常に難しい課題です。しかし、この問題は地球規模の問題で、各国が協力しなければ問題が解決されることはなく、とりかえしのない悪影響を地球に与えてしまうかもしれません。国連は公正な立場から、国同士の仲介役を行うという、難しいながらも非常に重要な役割を担っています。環境問題に取り組む国連機関はUNDPのみならず、国連環境計画(UNEP)などもあります。UNEPは研究技術面でリーダーシップをとっており、UNDPは環境問題を開発の問題に取り組み、それを国レベルの現場で実施するという役割分担を行っています。
日本ができることはたくさんありますが、特に重要なのは高い技術を海外に移転することだと思います。高性能かつ開発途上国でも利用できる現場のニーズに合った技術を提供していくことが重要です。さらに、気候変動の「適応」は比較的新しい分野で、ますます研究開発が重要となってきます。この分野でも、日本はおおいに活躍することが可能だと思います。
Q. 国連で働く醍醐味、魅力、逆に辛さはどんなところだと思いますか?
単純に、いろいろな国の人々と仕事をできるのがこの上なく楽しいですね。違う背景を持つ人々が同じ目的に向かってともに仕事をするということは、本当にすばらしいことだと感じています。最近は同僚とも国籍を越えて、同じ目標に進む同士として付き合えるようになりました。昔は、言葉、文化、習慣の違いを感じる場面が少なくなく、それで悩むこともありました。でも、最近は国籍よりもその人の個性をまず先に見て「ああ、こういうひとなんだ」と感じる。それから「この人はどこ出身なんだ」というようにはすぐに意識しなくなりました。今では私の中で、国籍がそこまで重要ではなくなってきたということかもしれません。もちろん、私は日本人でありそれを大切にしているのですが、国籍はその人のひとつの要素でしかないというか。こうなったのは言葉に不自由をそこまで感じなくなったという点と、度胸というか、図々しくなってきたからでしょうか(笑)。このように感じることができるまでに約10年かかりました。
Q. これから国連など国際社会で活躍したいと考えている若い人たちにどんなことを伝えたいですか?
私の意見では、国連で働く上で重要な条件が5つあります。1つ目は自分の専門分野をしっかりと持つことです。2つ目は分析能力。物事を論理的にとらえ、深く掘り下げる分析能力は大切だと思います。3つ目は現場の経験です。どんな職業でも自分のクライアントが何を望んでいるかを知らないと、本当に良いサービスというのは提供できない。国連もまったく同じです。現場のニーズを知り、その土地にあった政策などを作成していくという点で、現場の経験は非常に重要だと思います。4つ目はコミュニケーション能力です。どんなにすばらしい分析能力や考えがあっても、それを明確に、かつ説得力をもって伝えられる能力がないと国連ではたいへん苦労することになります。ここでの仕事は、話をして、人を説得させ、理解を得ながら少しづつ前進していくものです。コミュニケーション、とくにディベート能力はとても大切です。残念ながら、日本の教育はこの点が弱い。ですから、若いうちからトレーニングするのは非常にいいことだと思います。
そして5番目。何よりも重要なのは、やる気を持ち続けることです。情熱を持ってやりたいことに向かって努力をしていけば、ほとんどのことは達成できると思っています。もちろん、人生いろいろありますから、その目的を達成するのに、長い時間を要するかもしれない。また途中で中断して、後に再開ということもありえます。例えば、結婚や出産などですね。でも、それが本当に自分のしたい事であれば時間がかかっても少しづつ前進する。そうすると、大体の場合において実現可能だと思います。ですから、国連で働く事を望んでいる方々には、時間はかかるかもしれませんけれども、情熱をもって、少しづつでもあせらずに前進してほしいと思います。
(2007年10月26日。聞き手:芳野あき、コロンビア大学SIPA、幹事会で本件企画担当。写真:田瀬和夫、国連事務局で人間の安全保障を担当、幹事会コーディネータ)
2007年11月26日掲載