第30回 金平 直人さん 世界銀行 欧州・中央アジア地域局 金融・民間セクター開発部門 ヤングプロフェッショナル イントラプレナーの手で飛躍的なイノベーションを
プロフィール
金平 直人(かねひら なおと)さん
1977年富山県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒、マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院・ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。
大学在学中は村井純教授らの下、研究と起業を通じ日本のインターネットの暁を体感。2000-05, 08-10年にマッキンゼーにて主に通信・電機・自動車業界の研究開発戦略、新規事業構築、組織変革に従事。05-08年の留学期間中、MITメディアラボでの研究活動、マケドニアでのUNDP勤務、コソボ国際文民事務所・欧州連合特別代表部での建国支援を通じ、変わり行く世界における多国籍企業の役割を考察。帰国後、志あるプロフェッショナルが組織の境界を越え世界の課題解決と日本の閉塞感の打破に切磋琢磨するプラットフォームとしてNPO法人ソケットを設立。2010年より世界銀行にYPP(Young Professionals Program)を通じ入行、先進国・途上国間でのイノベーション政策に取り組む。
1.はじめに
1-1.30年-1世代という時間
開発分野に専心すると決めた原体験は、独立宣言直後のコソボだった。セルビア国境を跨ぐ分断された街、緊張が色濃く残るミトロビツァ。時折響く銃声、駐留を続ける装甲車を横目に、民族融和を副次目的として投資誘致と雇用創出をはかる仕事だった。美しい国で気の優しい人達に囲まれ、将来展望を共にすることに魅せられた夏、となるはずだった。
NATOが厳重に守る国境を越え、留学生活を共にしたセルビア人の親友と対話の機会があった。人の心から容易に拭い去ることのできない、過去の痛みという現実に共に向き合う時間だった。時に熱く、時には沈黙を大事にし、互いの立場を忘れて1日語っても乗り越えられない壁に気付く。次の世代に解決を任せるしかない、という一言が耳に焼きつく。
時を同じくして、遠く離れたグルジアにロシアが侵攻。独立地位ということに対する国際社会の意見が揺らぎ、コソボへの投資意欲が激減。後処理もままならぬままコソボを発つ日、今度はリーマンブラザーズが破綻した。若手の同僚は、何がそんな重大事なのか、と不思議な顔。ベテランの上司は空を仰ぎ、俺が30年かけた仕事がこれで吹き飛ぶ、と呟く。
30を過ぎてようやく世界の現実の一端を垣間見た。日本へ飛ぶ機内、この国がこの30年で何をできたかもしれないか、と想像する。享受した機会を顧み30年後の日本と世界に思いを馳せ、現世代の責任に自覚が深まる。自分に残された職業生活30年をどう使うか、能動的に、切迫感を持って問い直す。機体が滑走路に着く音で我に返る頃には、答は出ていた。
1-2.過去-進歩か後退か、あるいは移行・転換か
以下は、直近30年の開発努力の成果の例である。
・1.25ドル貧困ライン以下の世界人口比率が52%から25%に半減[1]
・世界の乳幼児死亡率が8.3%から4.7%に半減[2]
・サブサハラアフリカの成人識字率が33%から63%に倍増[3]
国毎・プロジェクト毎の成果指標を見据えて仕事をし、そこに至るまでの現場の困難を知る開発実務者にとって、この地球規模の変化は奇跡のように映る。新参者の筆者としては諸先輩方の尽力に脱帽の思いだ。
開発関係者の力だけによるものというつもりはない。援助資金を拠出した先進国納税者、輸入を通じて外貨を還流させた先進国消費者、調達や投資を通じて技術移転と雇用を担った国際企業、世論を喚起し資源を動員したNGO、失敗に学び手法と理論を進化させた研究者。何より、希望を持って働き子供を学校にやり、国によっては民主政治に参画し、貧困のサイクルを自ら絶った多くの途上国市民。あらゆる立場から力を結集した成果と考える。
だが、これらは充分な進歩といえるのだろうか。同じ30年間の出来事に例えば以下がある。
・戦争・紛争が少なくとも50数件発生。戦闘による死者は累計300万人。2009年末時点で難民が1,000万人強、加えて国内難民が1,500万人強[4]
・途上国への直接投資は年間500億ドルから2兆ドルに増加、先進国による援助資金の年総額1,000億ドルを大きく超過[5]
・世界のGDPに占める輸出入の割合は38%から57%に増加[6]
・世界の越境旅行者数は年間2.8億人から8.1億人に増加[7]
・世界の人口は44億人から68億人に増加[8]
・CO2排出量は年間19.5Gtから30.6Gtに増加[9]
今日の世界は相互依存が強まり、課題から課題への連関が深まり、情報は一瞬で伝播し、金融不安は一晩で広まり、パンデミックは一週間で世界を覆う。安全保障上も均衡点からは程遠い、きわめて脆弱な側面を秘めている。30年で5億人が1日1.25ドル以下の困窮を脱したが、変化の内訳は中国の極貧層が6億人減、他国総計が1億人増だった[10]。金融危機の影響による極貧層の拡大は更に9,000万人におよぶという[11]。
1-3.未来-埋めるべきギャップ
2011年3月の大地震はその被害の甚大さだけでなく、海外からの支援の速さ、広さ、深さによっても我々の心に長く留まるだろう。国連の潘基文事務総長、世銀のゼーリック総裁はじめ国際機関代表は復興支援を即日発表し、50カ国超の政府が続いた。地震発生後2日目には人員と物資が被災地に到着開始。米国は救助ヘリの発着給油に用いる海軍空母ほか7隻の艦船を送り、USAIDからも災害救助チームの派遣を約束した。これが国際社会の通例を超えた支援であることは、各国財政が現在ほど痛んでいなかった時期、米国ハリケーン・カトリーナに日本が自衛隊もJICA人員も送っていないことを鑑みれば明らかだ。
そして、同胞の痛みと他国支援の重みを体感した日本人は、国際社会が対峙する課題に新たな目を向けられるようでありたいと切に願う。日本の地震に関する海外の報道には、日本の防災技術力、危機対応力の高さを賞賛するとともに、地震規模に比べ被害が小さいことを指摘するものも少なくない[12]。本稿執筆時点で今回の犠牲者数は確定しておらず、原発の状況も予断を許さないものの、近年他国の地震で失われた人命は桁違いに多く、2004年スマトラ島沖地震では20万人超、2010年ハイチ地震では30万人超だった。多数の犠牲につながった背景にインフラや技術の欠如、統治や社会基盤の脆弱さがあったことは言うまでもない。そして、最貧国・脆弱国における人災-1994年のルワンダ虐殺、2003年以降のダルフール紛争など-の犠牲者数は更に一桁多い。現在もリビアをはじめ、世界各地で進行中の危機がある。東北の被災地からの映像に比べ、これらの数字や限られた報道が我々の心理に及ぼす影響は小さいかもしれない。だが、距離や国境の意味が大きく変わった今日、無知や無関心が我々の判断や行動を制限するままでよいのだろうか。地震の経験を、世界で経験される同等以上の痛みへの想像力と共感に変えることはできないだろうか。
本稿の読者には今更言うまでもないが、国際開発はもはや人道的意義や利他的な動機に基づくだけのものでなく、先進国の安全と繁栄にとっても必須の事業になった。目下、金融危機の打撃から抜け出せない先進国が比較的堅調な新興国・途上国に経済成長を依存する状況は暫く続くとみられている。今後、世界の生産と消費とCO2排出源は益々途上国に移り、抜本的な削減策が機能しない限り炭素濃度は復帰限界点を超え、気候変動と海面上昇が広範な地域で生産や居住の適応を困難にする[13]。女性の教育や社会参加、母子保健の改善等で出生率は低下傾向にあるものの、現行シナリオでは更なる人口増が食糧・エネルギー供給を圧迫し、水資源の需要は供給を40%上回り[14]、地政学的なバランスに多大な圧力を加えることになる。
こうした中、中国による途上国への援助・貸出資金は資源確保や安全保障に明らかな重点を置きながら、日本のODAや国連予算はもとより世銀の貸出総額も上回る規模に拡大した[15]。開発・外交・軍事を含め、国際関係は従来の欧米主導とは明らかに異なる局面に入った。
翻って、日本では今後30年で人口が2割減り、就労人口ひとりが支えねばならない高齢者が0.4人から0.7人に増え[16]、GDPはインドにも抜かれるとみられている。こうした中で過去30年の開発アプローチを線形状に今後30年続けることは、効率・効果のうえで決定的に不充分なだけでなく、物量の面でも少なくとも日本にとっては不可能だ。両親の世代から受け継いだこの世界を、次の世代に胸を張って引き渡せるかどうか。それは我々現世代が、少ない資源で劇的かつ非線形な進歩をもたらす仕事をできるかどうかにかかっている。
2.課題:「イノベーション」、しかし何をどうやって?
2-1.イノベーション-混乱と本質
経営者も政策立案者も開発実務者も、学者もNGOも各々の言葉でイノベーションを語る。100年前に初めてこの概念を経済理論に持ち込んだシュンペーター[17]の意とは裏腹に、日本では専ら自然科学分野の発見と工学的な発明・技術進歩の文脈で語られ、金融危機後は社会起業家がもてはやされ、他方で社会的企業とそれ以外の二項対立にも疑問が呈される。
筆者は、イノベーションそのものが社会貢献活動といって差し支えないと考える。最近の経済学によれば革新的な商品・サービスを生み出した起業家が自身で享受した価値は社会価値全体の4%にすぎない[18]。また、実務を支援する立場からはイノベーションを定義するより起こすことに関心がある。そして漸進的な変化でなく上で述べたギャップを埋めるに足る飛躍的進歩を、しかも同時多発的に起こすことが必須という課題認識を持っている。
「新たな組み合わせ」は原理的に、領域の境界を跨いで起きる。歴史は、変革は辺境から訪れること、その原型は実は変化のずっと以前にあり、閾値を過ぎれば加速度的な変化がはじまることを教えている。インターネットの前身のARPANETは30年前、米国防総省の片隅で200台の計算機を繋いでいた。今や加入者が46億人を超えた携帯電話は、30年前に電電公社の自動車電話から始まった。Facebookの利用者数は4年で6億人に達したが、SNSの原理とされる6次の隔たりは1967年にミルグラムによって実証されている。
以下では、課題を次のように捉え直して考えたい。「国際開発の分野で、飛躍的な効果をあげるにはどのようなアプローチがありえるのか? それは今我々が持っているもののうち、何を基に築いてゆけばよいのか?」
2-2.商品・技術-市場の捉え方を変えること
研究所で生まれた原理や着想が起業家を通じて生活を一変させた話は枚挙に暇がない。XEROXパロアルト研究所[19]がスティーブ・ジョブズを触発してアップルを生み、ビル・ゲイツを触発してウィンドウズを生んだことはよく知られている。が、これらの成功が優れた技術や研究成果によるものでないことは、XEROXが何一つ自社で事業化できなかったことがよく物語っている。ジョブズ氏やゲイツ氏が起業家として卓越していたのは市場での実験と失敗から学び、代替物に対し有利に競争できるよう舞台を変え続け、市場が技術の使い方を発見する過程をむしろ主体的に形成してきた点にある。
途上国・貧困層に関心を持って研究開発・教育を行うグループとしてMITのD-Labは日本にも紹介されるようになった[20]。D-Labが材料や機械装置の適正技術を多く扱うのに対し、筆者が所属していた別のグループ[21]では通信デバイスやソフトウェアによる人間行動の可視化を扱っている。ここから派生し途上国をフィールドとする事業には市場での学びが現在進行形で起きているものが多い。以下はそうしたスタートアップ企業の幾つかの、事業開始当初のコンセプトの例である:
1) First Mile Solutions[22] 通信インフラのない途上国農村で、無線LANのアンテナを搭載したバイクがテレセンターや家屋を巡回。メールやWebサイトへのリクエストを収集して都市部で送受信する仕組み
2) txteagle[23] 携帯のテキストメッセージを通じて、翻訳や文字入力など単純作業や現地情報収集を途上国の不特定多数に委託(クラウドソーシング)し、通話料金から差し引く形で対価を支払う仕組み
3) ClickDiagnostics[24] 携帯電話のカメラを用いて、医療へのアクセスが限られる地域での遠隔診断、患者記録の管理、疾病勃発のリスク監視などを広範にリアルタイムに行う仕組み
途上国イノベーション創出への関心を共有する読者諸氏にはここで思考実験を促したい。先進国企業の立場から、3社の何れかを提携先として途上国への事業展開に活かそうと考えるだろうか。開発機関の立場から、プロジェクト実施の協業相手に選ぶだろうか。ベンチャーキャピタリストなら投資をするだろうか。何より途上国市民の視点では、これらを利用する動機や必然性と経済性はどうだろうか。起業家にとって市場から学ぶとは、これらの問い全部に昨日より今日、今日より明日上手く答えられる毎日を過ごすということだ。
あくまで現時点での答え合わせをするならば、1)は残念、2)は成功に向けて邁進中、3)は既に一部成果を出しながら拡大モデルを模索中、ということになろう。
First Mile Solutions は2002年に創業した。当時は途上国で通信アクセスがボトルネックになるとの見方がまだ強かったことと、当初はバイクでなくロバを使う事業計画で新旧技術の組み合わせが斬新だったことで大きな注目を集めたが、商用拡大には至っていない。
txteagle は一流のベンチャーキャピタルから出資を集め、設立後3年で80カ国220社の携帯電話事業者と提携し、21億人の途上国加入者に直接到達できるプラットフォームに成長した。当初はケニアの輸血銀行を携帯SMSで地方診療所と結ぶ血液供給改善システムに取り組んだものの、通信料が診療所のヘルスワーカーの収入水準に不相応に高く、一度頓挫している。
他方、口頭伝承の文化が根強いアフリカ各国では貧しい世帯も所得の1割は携帯通話料に使うことから、経済活動への参加を促し対価を通話時間にキャッシュバックする仕組みに到達。貧困層への携帯電話の普及が爆発的に進んでいる現状は、通信事業者からするとARPU(加入者平均通話料)が毎年減り続けることを意味し、これは設備集約的なインフラ業態には致命的。ARPUを補えるtxteagleに各社が飛び付く格好で現状の規模に拡大した。
筆者は、政治的に困難な移民を伴わなくても先進国・新興国から最貧国に大規模なアウトソーシングが可能になることは経済機会へのアクセス拡大のブレークスルーにつながると考えている。txteagle創業者のNathanとは先日、この点について公開討論の場で議論になった。金融危機以降は雇用減や賃金押し下げを想起させるあらゆる施策が反発を生みやすく、アウトソーシングのプロジェクトを引き受けない方針という。これは移民政策などを見直す保護主義と同じで、今は止むを得ないかもしれないが長期的な事業拡大には決定的な足枷になる[25]。説得力を持ち共感を呼びやすい個別具体的なアウトソース対象業務を見出せるかどうか次第、というのが議論の結論だった。今後に更に期待したい。
ClickDiagnostics は、アジア、アフリカ、中南米の各国で現地政府機関、大手NGO、研究機関や医療機関とパートナーシップを結び、各国の実情に合わせた提供サービスの拡充を続けている。ITを開発に活かす題目での援助資金による「遠隔医療」「遠隔教育」のプロジェクトは過去10年に数多くの失敗をみた。ClickDiagnostics創業者のMridulは自身の政府組織、援助機関、NGOでの経験を踏まえて「自らを市場原理の圧力に晒し続けることでしかこの事業は成功しない」と私企業のアプローチをとり、技術コストが現地ニーズに見合わない遠隔医療でなく、携帯電話のカメラで可能な遠隔画像診断を選んだ。この事業に出資したのは、途上国でカメラ付端末や3G携帯網を普及させることに利害が一致するクアルコム、オレンジテレコムといった企業である。
Mridulは当初、テクノロジープロバイダーを創業したつもりでいたが、各国で事業を進めるうち、「受身の医療システムを能動的で反応性が高いシステムに変容させるソリューションプロバイダー」をやっているのだと気付く。例えばバングラデシュでは母子保健の広域リスク検知に関するデータ収集とヘルスワーカーの勤怠管理を合わせたシステムをBRACの医療施設64ヶ所(受益者30万人)に、マイクロ保険の加入世帯(受益者1万5千人)の健康一次情報を収集するシステムをSAJIDAに提供している。また、ボツワナでは厚生省と共にHIV/AIDSの臨床症期の特定を行っている。いずれも、発病や公衆衛生上の危機が起きてからの治療でなく、大量のデータから予防的な介入が必要な地域と時期の特定を可能にするもので、介入自体は遠隔でなく対面で行われる。
いうまでもなく、医療の実情は国・地域によって大きく異なる。公共機関やNGOや援助機関といったアクターの誰がどこまでの機能を担っているか、末端のキャパシティがどれだけあるか。公衆衛生上の主要なリスクがどこにあるか、医療や保険の制度がどうなっていて、そこから漏れている人がどれだけいるか。Mridulは、txteagleのNathanが踏み込むことをまだ躊躇する、深く混沌とした個別事情の世界に一足先に飛び込んだ。向こう数年は、スケールアウトに先立って必要な学びの期間という。
2-3.組織・機構-知識の市場を内在化すること
「19、20世紀は、もの作りに知識を適用した時代。21世紀は、知識の活用に知識を適用する時代」[26]とのドラッカーの言葉通り、物の生産は低賃金国に移り、先進国での価値創造の重心は知識に移った。かつてイノベーションとは確立した大企業や政府系の研究機関が基礎研究に投資し、長期で成果を社会還元あるいは商業化する線形的な過程だったが、現在はオープンネットワークやユーザーをも巻き込む複雑過程を通じて、画期的な商品・サービスの多くが若い企業から生まれるようになった。
商品・サービスのイノベーション自体が存在基盤となるベンチャーと違い、既存大企業にとってはイノベーションの起こし方のイノベーション、知識創出のプロセスが生命線になった。市場の淘汰は加速する一方で、フォーチュン500社の顔ぶれの1/3が入れ替わるのにかかった時間は70年代は10年、80年代は5年、90年代は3年である。公共セクターでも高度化する要求(エビデンスに基づく政策立案、複雑課題に対応する分野横断の組織プロセス、行政サービスのデリバリー品質向上)に答えるため、政府業務の知識集約化に英国が先鞭をつけている[27]。
企業にとっての顧客や投資家、政府にとっての納税者や民主政治過程に相当する行動指針と圧力を開発機関に与えるのがMDGs、パリ宣言、アクラ行動計画のはずである。一連の国連改革や世銀のボイス改革、情報公開政策も、ガバナンスや成果に対する説明責任に一定の役割を果たすと思われる。が、競争に晒される民間企業が過去10年で成し遂げた知識生産性の向上を目の当たりにした筆者は、冒頭に述べた開発チャレンジとブレークスルーの必要性をふまえれば、開発の仕事の仕方にまだ膨大な改善機会があると考えている。
散在する開発知識: 筆者が初めて、いわゆる貧困層向けの経済機会の創出に携わったのは2006年夏、西バルカン(マケドニア、セルビア、ボスニア)のUNDP GSB(Growing Sustainable Business initiative)だった。この経験が筆者にとって、途上国での事業創出に本来必要な知識がいかに広く深いか、また、それらがいかに組織を超えて分散しているかを実感する契機になった。
この地域で貧困層といえばロマ人である。ジプシーとも呼ばれるこの人たちは伝統的に定住地を持たず、収入は低く、失業率は80%を超えていた。ロマの多くは統計に表れないインフォーマル経済とよばれるものに携わり、その最たるものはごみ収集である。衛生状態が悪いごみ廃棄場に住み、くず鉄など有価のごみを掘り起こして民間の業者に売る。ブラジルなどにも見られるスカベンジャーというこの業態は、市民サービスがまだ分別収集やごみ処理に行き届かない一方、消費増に伴い有価のごみも増えはじめ、安い労働力で民間でのリサイクルが経済合理的になる新興国に特有のものだ。
重さあたりの資源価値は鉄、紙、プラスチックの順に高い。価値が高い鉄は大人が、価値が低く軽いプラスチックは子供が集めるため、児童労働の温床にもなる。そんなことを調べていくうち、マケドニアでPETボトルのリサイクルに情熱を燃やすロマの起業家に会った。ロマが社会的に認められるのは難しい中、例外的に出資や融資を受け、学校と連携して子供が家庭から持ち込むごみに対価を出すなど独創的な仕組みで頑張っている。
PETボトルは回収、洗浄、圧縮、裁断・粉砕、熱処理と経てプラスチック片になり、繊維材料になったりソファやぬいぐるみの詰め物になったりする。集めて売るだけのスカベンジャーを組織化し、途中工程の機械を一台ドイツから買うところまできたこの起業家は、最終工程まで内製して縫製業で女性の雇用創出をしたいのだという。もちろん応援したいので一緒にビジネスプランを弾く。PETの熱処理までやるのは近隣ではルーマニアだけ。人口200万人のマケドニアからPETボトルをかき集めても熱処理の工場に見合う規模にならないが、国境を越えて広がるロマのネットワークで西バルカン一帯を覆うリサイクルチェーンを作れば、公共セクターの市民サービス拡充と正規雇用創出への布石にもなる。
残念ながら、世界のPETリサイクルの動向を精査するうち、このプランは中止になった。全工程を一番安くできる中国の業者が、回収されたPETを国内リサイクル業者のどこよりも高く買い取り、輸出に回すためだ。PETリサイクル工場は日本でも2000年代初めに沢山つくられたが、同じ理由で稼働状況は思わしくない。少量のPET回収が始まったバルカンには、丁度中国の回収船が着始めた頃だった。アルバニアやクロアチアの港でPETを回収し、船上で裁断と熱処理までして中国沿岸部の繊維工場に直接運ぶ彼らと、コスト構造で戦うのは極めて厳しい。国・地域で閉じたリサイクルチェーンが商業的に成り立つのは、輸送が割に合わない金属類に限られると結論付けた。
こうした開発とビジネスとの境界領域においては、断片的な知識が散在し、全体像をもって語れる人が誰もいないことがしばしばある。西バルカンのリサイクル全般については、世界銀行グループのIFCが地域単位の技術支援プログラムを数年前からやっていた。ロマの貧困削減についてはソロス財団が10年以上取り組み、起業家支援もしている。それでも、PETリサイクルにおける中国企業の動向や地域単位での経済合理性は、日本のリサイクルベンチャーと話すまで誰の視野にも入っていなかった。当時勤務したUNDPも、フィールドで個別の「BOPビジネス」プロジェクトに関与することに賛否ある中、GSBの多地域展開に乗り出したばかりで、ノウハウが溜まっているはずもなかった。プランの良し悪しを早期に見極め、良いものを加速するために散在する知識を結集するにはどのような組織のあり方がよいか、と、外部の助言者の立場からでなく一人称で考えるようになったのはこの頃からだ。
深みと広がりのトレードオフ: 現在、筆者が勤務する世界銀行は、「Finance」「Knowledge」「Convening Power」を三大比較優位と掲げ、こと開発全般における研究・実践を通じた知識の蓄積と発信にかけては先導役を自負してきた機関である。伝統的に経済学者が多い一方、社会学者や人類学者など地域専門家、通信・運輸・電力・水などインフラ設計に携わる工学者、保健衛生・教育・金融などセクター毎の、また気候変動・都市開発・産業競争力といった複合・応用分野の専門家を含め、博士号保持者をハーバード、MITなど学術機関と比べても世界で最も多く擁する機関として知られている。
そうした世銀も、複雑化する一方の今日の開発課題に充分対応しうる組織の知的インフラを築けているかといえば甚だ心許ない。内部改革の進捗を報告する公開文書は次のように述べている。「我々がrelevantであり続けるために、知識の改革に乗り出さなければならない…クライアント政府はより世界とつながり、自ら広範な情報源と専門性にアクセスできるようになった。世銀には以前にも増して、開発ニーズと世界中の専門知識とを橋渡しする役割が期待されるようになった[28]」
日々の仕事を通じて、世銀のような組織におけるこうした知識改革の必要性を実感する。筆者が世銀入行前に取り組みはじめたプロジェクトとして「灌漑EV」がある。詳細は別資料[29]に記しているが、要点はi) 南アジアの非電化地域で農業・灌漑用途の地下水汲み上げに消費される膨大な量の化石燃料エネルギーを太陽光発電に置き換える、ii) 土地の所有形態など現地特有の事情から、揚水装置を発電源から切り離し、小規模分散型・可動式とする、iii) そのために必要な着脱式・高容量・軽量の蓄電手段は大手自動車メーカーが製造する電気自動車用のリチウムイオン電池の二次利用で確保する、iv) 現地の燃料コスト削減とCO2排出削減による排出権取引収入を見込み、自動車用途後の電池転売を通じた民間企業にとっての収益事業とすることでスケールアップを図る、というものだ。
この取り組みは現在、世銀の仕事の一部になっている。上記の内部改革の一環で行内から「Game Changer」になりうるアイデアを募って厳選し、予算と認知を与えるという試みの結果だ。人材を雇い行内のエキスパートでチームを組み、関連する知見の棚卸をしてみると、いかにこれまでの自分の取り組みが丸腰であったかに気付かされる。農業や灌漑の技術知識、余剰電力販売・追加収入創出に関わる農村の経済活動の知見、設備へのファイナンシングに関わる現地金融機関の組織能力、排出権取引に関わるCDM方法論開発、現地政府の優先課題・各ドナーとの政策対話の状況および本件の位置づけなどなど、知らなくては前に進めない膨大な知識がすべて、自分以外の皆の頭の中にある。
他方、こうした知識は世銀の中であっても通常、異なるセクターを扱う各部門(エネルギー、水、農村開発、金融・民間セクター開発、カーボンファイナンス、等)に散在している。ある意味で新卒採用から地道に人材育成をする日本式の雇用慣行とは間逆に、学者や研究機関も含めて文字通り世界で最も評価の高い専門家をプロジェクトのニーズに応じて短期で雇い入れ、正規職員も前線で各分野の専門家として高みに達することがよしとされる。こうした組織では自ずと各々が専門を深めることに没頭しがちになる。分野の境界を越え、外部も交えて知識の交換と創発が自律的に充分なスケールで起きるには-この問いは、世銀に限らず知識創造で戦おうとする大組織にとって最重要課題だ。
知識の市場「ナレッジ・マネジメント」という言葉は80年代には情報共有や文書管理などの仕組みを指していたが、多くの企業で知識生産性向上を目指すシステム導入が失敗し、また組織行動論の分野での研究が進むにつれ、次第に技術的というよりは社会的、文化的、また認知的な問題と捉えられるようになった。90年代を通じ、知識の創出と伝播は公式の研究や研修を通じてよりも実践的な課題を共有する非公式なネットワークを介して起きること[30]、暗黙知は形式知化される過程を通じて個人から組織に拡散すること[31]、振り返りと対話を通じた組織学習が環境変化への適応を可能にすること[32]などが知られるようになった。
2000年以降、多くの日本企業における知識プロセスは90年代の教訓を取り入れながらも自前主義を続けた一方、高成長を果たした欧米企業は知識生産の外部化に舵を切ってきた。特に知識集約的といわれるIT分野や製薬業界では、シスコ、インテル、ファイザー等をはじめとする大企業は自社の基礎研究部門に投資する替わりに、有望な研究成果を出し始めたベンチャーを買収することで知識と人材の取り込みを続けた。ベンチャーにとっては、上場するよりも大手に買収されることが有力な出口戦略になった。加えて、中国やインドなど新興国を低賃金の生産拠点としてだけでなくR&D拠点としても活用し、重要課題についてはグローバルチームを組んで意見を戦わせるようになった。同質な集団は漸進的な改善努力に向いてはいても、ブレークスルーを生むことがない。多様性からくる創造性は、内部と外部の境界を緩め、衝突をつくりだすことでしか担保できない。
「開発経済学を民主化する[33]」と標榜し、データやAPIを公表してGoogleやマイクロソフトにアプリ開発を促す[34]最近の世銀のオープンイノベーションに向けた動きは歓迎できる一方、民間企業に10年遅れで追随しているにすぎないともいえる。では、大組織における知識創造の本当のフロンティアは、今どこにあるのか?尊敬する前職の先輩が、示唆に富む提言をしている。「互いに知らない者同士が自分の利益にしたがって価値あるものを交換する過程を促すには、よく知られた解決策がある…それは市場と呼ばれている[35]。」市場が効率的に機能するには、経済学者がよく知る原理原則-価格シグナル、供給者間の競争、交換手続き、仲介者など-がある。中に閉じた作り込み・貯め込みでもなく、中核業務から離れたところでの表層的な外部協業でもない、本当に価値を生むつながりを形成し内外の交換を加速するには、どのようなインフラと組織運営が望ましいのか? この問いには筆者が自身の仕事を通じて答えてゆかねばならないと考えている。「ソケット」の取り組みを通じて追求していることでもあるが、これについては後述する。
2-4.制度・枠組-協業の障壁を打破すること
今そこにある課題: 先進国・途上国を問わず世界中で、金融危機後数年に渡り、雇用の維持・創出は喫緊の政策課題になっている。中東・北アフリカの政情不安も若年層の雇用不安によるとの見方が強い。「職はどこから来るのか」に着目したここ数年の実証研究によれば、若い革新的な企業が雇用成長の大部分を担っており[36]、米国においては過去30年間、雇用純増の6-7割を創業5年以内の企業が生み出してきたことが明らかになっている[37]。こうした理解のもと、オバマ政権は景気刺激策の主眼を2009年のARRA (American Recovery and Reinvestment Act)に代表される大企業救済から高成長企業創出に広げ、今年1月にはStrategy for American Innovation[38]およびStartup America[39]を打ち出した。
知識創出を促し、革新的な成長企業を多く生み出し、雇用創出と経済発展を加速するために政府がとるべき政策は何か-この重要な問いに、研究者と実務家の間でコンセンサスがあるとは言い難い。ミクロな経済政策全般については国家の市場介入はどこまでが適切かを巡り、古くは日本の戦後の技術吸収と経済成長を通産省の産業政策の成功とみなすような見方[40]から、転じて規制緩和・民営化・市場開放を重視する自由主義の時期が長く続き、そして金融市場の失敗への反省・揺り戻しを経た論争はなお続くものと思われる。
イノベーションと企業家精神の誘発に関る政策分野は、この産業政策や競争政策の文脈の中にあって、更に科学技術政策や高等教育、技術移転や知識交換のチャネルとしての海外直接投資の誘致や法人税制、知識労働者の流出入に関る移民政策、知財枠組、また逼迫する財政状況の下で公共資源投入を正当化するうえでのイノベーション効果測定、という課題を含む。加えて国際開発機関の立場からは、気候変動や保健衛生、食糧需給といった地球公共財の保全と増進に技術革新が欠かせないことから、各国国内政策・援助政策とあわせ各国間の政策協調でイノベーションをどう位置づけるかという視点も加わることになる。
勿論、課題の優先度は地域や国毎に大きく異なり、世銀の貸出対象国の中でも中所得国の多い欧州・中央アジアではEUの地域経済政策とも協調した知識経済・低炭素経済への移行が大きく取り上げられる一方、最貧国や脆弱国が多いアフリカではより基本的な国の基盤づくりが優先される。とはいえ雇用や競争力は国・地域を超えた共通課題で、例えば世銀が今年2月に発表したアフリカ地域戦略[41]では1つめの柱にCompetitiveness and employment(2つめがVulnerability and resilience、共通の基盤としてGovernance and public sector capacity)が掲げられている。他方、地域横串でこれらの課題を扱う分野別組織(民間・金融セクター開発部門)では前述の内部改革の一環でサービスラインを集約・強化する方針のもと、民間セクターの開発の3大分野をInvestment Climate、Competitive Industries、Innovation and Entrepreneurshipに定め、各担当局長の配置を含む組織変更の最中である。ワシントン・コンセンサスに沿った受動的な経済政策・構造調整融資と大規模インフラ投資、というかつての世銀の姿とはだいぶ異なる顔をもつことになる。
作りうるものか、それとも: 筆者の世銀での業務は、前述の灌漑EVなど自主的な活動を除いては、大部分がCompetitive IndustriesとInnovation and Entrepreneurshipに区分される。ポーランド、ロシア、カザフスタンといった担当国の経済省庁とともに、企業や学術機関に対する研究開発助成や優遇税制、政策投資金融機関や官営ベンチャーキャピタルファンドの運営、インキュベーションセンターや各種支援インフラなどについて、制度設計や政策評価に取り組んでいる。
闇雲にお金をつければ起業が増える、箱物を建てれば競争力が上がり雇用が生まれるという訳では勿論ない。米国西海岸やMIT界隈からも人を雇い入れて世界の経験を持ち込むのと併せ、経済統計や企業調査をもとにイノベーションの需要と供給両面から国の各産業の推移と現状をみて、起業なり成長なりの障壁を診断し、市場の失敗に対処しうる個別政策を検証することになる。世界の多くの国と比べれば、筆者の現在の担当国では汚職とか、政府組織の行政能力とか、国民の政府に対する信任といったことに起因する苦労に悩まされることがない。その分政策の議論に集中できるとはいえ「正しい」政策への道筋は必ずしも明確でない。エコノミストがみれば、これらは数年かけて完璧なデータを集め、計量経済の手法で答えを導く問いである。他方、クライアントの政策当事者は不完全情報のもと限られた時間軸で、有権者の声と内外の圧力に政権運営を晒されながら仕事をしている。そして、政府がイノベーション促進を試みて成功したとされる例は世界で数えるほどしかなく、失敗例は数限りない。
政府がイノベーション促進に成功するとはどういうことか。シリコンバレーの例をみれば、この問いに単純な答えがないことがよくわかる。この地の歴史は1950年代半ば、Fairchild Semiconductor社の創設に端を発すると語られることが多い。ベイエリア初の半導体研究所から造反してこの会社の創設に携わったのが、のちにスピンアウトしてIntelを創設するゴードン・ムーアとロバート・ノイス、最古参のベンチャーキャピタルKleiner Perkinsを設立するユージン・クライナーなど、「Traitorous eight」と呼ばれる伝説の8名だった。彼らが投資家やメンターとして育てた企業にはAmazon、AOL、Apple、Genentech、Google、HP、Netscape、Sun Microsystems等が名を連ねる。その過程にはスタンフォード大学を通じたエンジニア人材の供給、ロシアや中国やインドや日本を含む各国の知識労働者流入を促した移民開放政策はあれど、特定産業に的を絞った積極的な政府介入はみられない。
米政府の「イノベーション政策」はしかし、シリコンバレーがそう呼ばれるようになる前から大きな役割を果たしている。Fairchildができる前、真空管やトランジスタといった電子部品の技術革新を支えたのは2度の大戦中の軍需だった。要求品質が東海岸の既存産業地帯の能力を超えて上がり続ける中、西海岸の趣味的なエンジニア集団が技術力を増しはじめると、国防総省や国防高等研究計画局はあたかもトヨタが系列サプライヤを指導するように、安定調達と併せ研究開発援助や財務管理にも踏み込んだ企業育成を図った[42]。現在もMITなど主導的な米国技術研究機関への政府資金の大部分が国防総省から提供されていることはよく知られている。
また戦後50年代、Kleiner Parkinsができる以前から、中小企業庁が公的資金でスタートアップ企業向け長期投資を行うSBICプログラムを開始し、創業期のIntelやAppleにシードマネーを提供した[43]。その後も米国は、国防省やエネルギー省、国立衛生研究所など政府機関の公共調達と中小企業向け研究開発援助をあわせたSBIR/STTRをはじめ、広範な技術支援プログラムを展開している。米国イノベーションシステムの研究者は興味深い観察を述べている。「あえて重複を許し、連携をとらずにベンチャーを支援する諸々の政府系プログラムが大きな比重を占める米国の分散型イノベーションシステムの原型は、1980年代までにほぼ完成した…市場放任政策が主流を占め、医療や社会保障など金額の大きなプログラムが上・下院で詳細に議論され縮小を余儀なくされた時代に、個々には小さく目立たないこれらの産業政策が首尾よく生き延びたことは驚嘆すべきことだ[44]。」
人口当たり起業数が世界で最も多く、ベンチャーキャピタル資金が米国に次いで多く流入する国がイスラエルだ。高成長企業の多くが上場する米国NASDAQ市場では米国企業に次いでイスラエル企業が多く、その数は欧州と日本を含むアジア全域からのNASDAQ上場数より多い。2000-2005年の民間企業による研究開発資金のGDP比率は、イスラエル4.5%、日本3.2%、米国2.7%、韓国2.6%、ドイツ2.5%、シンガポール2.3%だった。インテル、マイクロソフトを始め、名だたる技術企業の米国に次ぐR&D拠点もイスラエルにある。
その背景に、イスラエル政府の積極的な投資誘致策や技術人材育成政策、R&D支援策は数多くある[45]。が、こうした狭義のイノベーション政策と同等かそれ以上に成長企業創出に寄与しているのは、国の存続を脅かす存在に3方を囲まれるイスラエル独自の安全保障上の事情だ。情報セキュリティや画像解析、また光学系、医療向け微細加工など、数多くのベンチャーが軍事研究の民生転用による。電気自動車の電池交換インフラで脚光を浴びたBetter Place社は近年日本でも経済産業省と連携して横浜市で実証実験を行ったが、この会社のインフラ導入と共同開発を国レベルで最初に約束したのは、石油依存を脱する動機が殊更強いイスラエルだった。
イスラエルの起業家や技術者、イスラエルに拠点を置く大手企業幹部に取材したジャーナリストが最近まとめた書籍[46]には、起業家が育つ環境としてイスラエルの文化的背景が詳しく述べられている。手段を切り替えながら徹底的に目的追求する、計算し尽したリスクを果敢に取る、失敗は責めずに学び抜く。こうした、成功する起業家に共通する行動様式が、徴兵されチームワークを叩き込まれる中で若者に根付く。エリック・シュミットGoogle会長は技術企業を20年経営した経験から、「世界で最も優れた技術幹部の資質があるのは、シリア戦争を戦い抜いたイスラエルの元戦車司令官」だという。
やはり機構なのか: アメリカやイスラエルの例は、これから知識経済への移行を果たし成長速度を上げようとする中・低所得国の政策実務者にはむしろ悲観的な感想をもたらす。アメリカのような軍事支出大国でなくイスラエルのような緊迫状況にもない国が、50年といった時間をかけずにイノベーション促進をはかる手立てはないのか?短期で知識集約的な成長を果たした国は勿論ある。代表例はシンガポールとコスタリカだ。これらの国から浮かび上がってくるのは、例外的ともいえる高い組織能力を持った経済開発機関の存在だ。ここから教訓を得て実務家が直面するのは、国際開発全般で大きな未解決課題である「institutional capacity」である。
シンガポールの例を見てみよう。この国の一人当たりGDPは直近30年で$14,000から$46,000に成長した。同期間の日本の一人当たりGDP成長は$18,000から$30,000、うち最初の10年(バブル崩壊前)の増分が$9,000である[47]。仮に日本で「失われた20年」の間もその前の10年と同じペースで国富を増やし続けていれば到達できた水準、ということからも、シンガポールの成長スピードがいかに突出しているかがわかる。
この成長を牽引する経済政策を主導してきたのがEDB(経済開発庁)とよばれる機関だ。その歴史、業務内容、際立った組織能力を、MITの教授で企業文化の大家であるScheinが2年間の組織エスノグラフィーでつぶさに研究している。彼によれば、EDBで共有される価値観は「全員による120%のコミットメント」「クライアントに対する絶対的プロフェッショナリズム」「精神的タフさと失敗を吸収する能力」「内部に境界の無い組織」「チーム構成員各々からベストを引き出す」など、プロフェッショナルサービスファームの組織規範そのものだ。EDBはシンガポールのマネジメント人材輩出源としての性格も持ち、政府機関や民間企業の管理職ポジションを占める多くのEDB「卒業生」が、プロとしての職業人格や業務遂行能力はEDBで培われたと語っている[48]。
コスタリカの例も興味深い。この500万人足らずの島国は、一人当たりGDPこそ$10,000程でまだ成長途上にあるものの、過去20年間に急速な産業立地に成功した。コスタリカの輸出総額は70年代から80年代まで年6%程の成長率で推移していたが、90年代前半に年9%、後半(ITバブル崩壊前)は年15%を上回る急成長を見せた[49]。何が起きたのだろうか。
この国の産業発展を決定付けたのは1996年のインテルによる工場建設である。コンピュータチップの製造はシリコンウエハー上に回路を作りこむ前工程と、切断・組み立て・試験の後工程からなる。当時のインテルは高度に技術集約的な前工程を米国、イスラエル、アイルランドに集約する一方、後工程については製造コスト低減を重視し、マレーシア、中国、フィリピンといった国々への移転を進めていた。後工程の新工場を地理的リスク分散のためアジアから離し、東欧もしくは中南米にと考えていたインテル経営陣にコスタリカ政府は熱心な誘致努力をかけ、工場建設を取り付けた。90年代前半からモトローラ、シーメンスといった企業が立地しサプライヤ網の下地があったとはいえ、小国コスタリカが政治体制や電力・輸送インフラ、技術人材の供給、その他事業環境全般を厳しい基準で評価して次々要求を突きつけるインテル投資チームと渡り合い、ブラジル、チリ、メキシコといった強力なライバルを退けて投資を勝ち取ったことは世界を驚かせた[50]。
数年間で5億ドルの直接投資、3,500人の直接雇用、年30億ドルの輸出増をもたらしたこの案件が、間接雇用や技術移転、税収増を含め経済全般に波及効果をもたらしたことは言うまでもない。80年代後半に始まるIT産業立国を牽引したのはコスタリカ政府内のCINDEという非常に有能な投資・輸出促進機関だった。綿密な交渉プランを準備し、大統領や経済大臣を頻繁に動員してトップセールスをかけ、インテルからの要求事項をうけては速やかに各省庁と連携して国内の制度改革に反映した。この組織はUSAIDの支援のもと、1982年に設立されている。
世銀やJICAといった開発機関もこうした機構設立を含む投資・貿易促進の支援を行っているが、コスタリカほど目覚しい成果を挙げた例は筆者の知る限り他にない。CINDEは他と何が違っていて、USAIDから何を学ぶべきなのか。この分野の計量的な比較研究について筆者は薄学にして知らないが、記述的な事例研究からは、法制度面・技術面・資金面での自律性、民間人材を中心に登用した組織構造など一般的な教訓を得ることができる[51]。ただし、USAIDは同時期に中南米各国で同様の支援を展開しているが、他国で同等の成果をあげてはいない。より説得力のある説明は、CINDEの成功要因がUSAIDによる設計でなくインテルとの交渉過程にあったとするもの、つまり民間の多国籍企業が政府機関の人的資本蓄積と組織イノベーションを誘発したとするものだ[52]。
CINDEは、これまで経験したことのない高水準のインテルの要求に直面しながらも、それに応えることがグローバル企業の誘致を通じた経済発展の必須条件と捉え、インテルを特別扱いすることなく、交渉過程を水平的な制度改革や政府機関連携を推進する組織学習の機会として活用した。インテルは、短期的に有利な立地条件の確保に留まらず、多国籍企業との協業における政府機関の組織能力を高めることに価値を見出し、長期的かつ社会的責任を伴う投資を惜しまなかった。筆者には、これは解釈・仮説にすぎなくとも強力な見方だと思われる。自身の職業経験上、個々人の能力を次の段階へと高めるような経験は顧客の要求を上回る成果を届ける極限努力からくると確信しているし、世界レベルで競争に勝ち続ける民間企業の組織能力やマネジメント手法には、開発機関も含めて公共セクターが学ぶべき点が多く含まれるとも考えているからだ。
EDBやCINDEのように価値の創出を牽引する組織を作ること、ひいては広く個人の成長と能力発揮の機会を創ることは、筆者にとって日本の経営者と伴走しながら組織変革に挑んだ前職の経験以降も変わらず、職業規範になっている。それはそのまま、次節で述べるソケットの根底にある考えでもある。
3.提言:イントラプレナーのすすめ
冒頭で述べたギャップを埋めるべく、いくつか例示したような革新的な開発アプローチを開拓してゆく上では、単独の組織・機関でなく非伝統的なパートナーシップを通じ、個別の専門分野でなくセクター・領域を横断する実験・学習をつみあげ人財を育むことが欠かせない。筆者は、国際開発分野でこうした活動を効果的に行うことができるのは、組織の肩書や分野の枠組に縛られずに境界を跨ぐ協業を媒介し、かつ必要に応じて大組織の資源(人的・技術的・資金的)を内部者として動員し組織由来の社会資本や正統性を付与できる個人、すなわちイントラプレナー(組織内起業家)とそのネットワークであると考える。
イントラプレナーの発掘・相互研鑽を目的として、soket(ソケット)を組織している。soketは「society(社会的ミッション)」と「market(市場に即した解決策)」を組み合わせた名前で、差し込めば革新的アイデアの光が灯る、の意味も込めている。主に民間企業と共に途上国・新興国で、社会便益と収益を両立させる事業をつくる非営利コンサルティングの業態をとっている。前述の灌漑EVは、soketを通じてインキュベーションされた事業の1例だ。本業を別途持つ多様なプロフェッショナルが個人の志で参画し、エネルギー、水、教育、ITなどのプロジェクトが進んでいる。イントラプレナーとして職場で事業化提案を目指し、職場外で準備を進める人もいる。スキル、知識、経験を持ち寄ってイントラプレナーを支援するチームを組みながら、自身が手掛ける事業のアイデアを練る人もいる。
誰でも起業家になれるのと同様に、誰でもイントラプレナーになれる。MITで「起業家精神は病気の一種(遺伝子に持って生まれるか、キャリアに接近しすぎて感染するか)」と言われる通り、起業家精神の発揮は環境によっても誘発しうる。大組織にいながらそうした刺激を受け、学びから行動に移す環境をつくることが、soketの狙いである。以下はsoketで指針としている内容だが、そのまま読者個々人の皆様への提言としたい。
3-1.組織と個人
提言1 夜の仕事: 我々一人ひとりが、「夜の仕事」を持つことを提案したい。夜の仕事とは、必ずしも昼の職場で当初から求められることでなくても、個人の目的意識に沿って価値を生む活動に自発的に時間と能力を使うことを指す。大まかには以下の3形態がある。
1) 強いコミットメントなく、できる時にあらかじめ定義されたタスクに貢献する。
2) 目的設定、タスク設計、チーム編成、軌道修正、目的達成までを含む活動を主導する。
3) 必要資源を調達し、活動を組織化し、協業を媒介し、人財を育成し、成果を展開する。
1) はいわゆるボランティアの範疇であり、職場の理解も得やすいが、2)や3)を行うにあたっては、報酬を受け取ることや関与を開示することに制限を設けるべき場合もある。また、活動内容や協業先によっては本業との利害相反を避け守秘義務等を明示化しなければならない。筆者の場合は世銀の規定上、非営利目的かつ無報酬を条件に活動が公認されている。
3) が最も波及効果を見込める形態だが、これを独立・起業を通じてでなく、イントラプレナーとして行うほうが間口が広く効率も良い場合が多い。特に日本では残念ながら、アントレプレナーが割に合いづらい。i) 人的・資金的・知的資源が大企業に集中し、ii) 資源の流動性が低く、iii) 起業の経済的リターン・社会的リターンがリスクに見合わず、iv) 官・民の間の転身の間口が狭く、v) 非営利や国際貢献への転身は経済的な犠牲を伴う片道切符となりやすい、といった諸々の構造要因のためだ。
提言2 キャリア複線化: 上記の硬直的な構造が良いとは思わない。より本質的には「キャリアの複線化」の定着を通じ、個人の集団への所属、ということについて見直しが起こるべきと考える。見直し前の個人は、食い扶持を与えてくれる経済機関としての勤務先、やり甲斐と帰属意識を満たす社会機関としての職場、の両者に対し受動的な存在だ。
見直し後は、個人は勤務先やその他のプラットフォームを活用し、職場内外の活動を組み合わせ、経済的・社会的な報酬を自ら設定する能動的で自律的な存在になる。専門性とネットワークを持つプロフェッショナルにとって職業生活とはプロジェクトのポートフォリオになり、組織は能力発揮と充足の機会を提供することでプロフェッショナルを惹きつける。両者が建設的な緊張関係を保ちつつ、組織は個人の力を組織に取り込むことでイノベーションを継続し、個人は組織への差別化を図りながら成長する。
日本では終身雇用が崩れたが、採用、就業規則から情報管理まで、キャリア複線化を難しくする大組織の慣行があり、税制、解雇規制、社会保障など制度上の障壁もある。翻ってシリコンバレーには例えば、起業家とベンチャーキャピタリスト間で投資前に守秘義務契約を交わさずとも一定の情報交換を可能にする信頼の素地がある。こうした慣行は制度が行動変化を促した結果ではない。むしろ社会に現れ始めた行動を、後押しし拡大するためにインセンティブ設計がなされる場合が多い。この提言を構造変化に向けた政策提言などでなく、読者個人に向けた行動への誘いとするのはそのためだ。
3-2.喪失と適応
提言3 自分を離れて世界を診る: 夜の仕事を持ち、キャリア複線化をはじめると、世界が昼の仕事を通じて見るものと全く違って見えてくることがある。空気のように当たり前だったことが当たり前でない環境に晒される、仕事の進め方や達成すべきことを巡る緊張や対立が起こる、対処したことのない困難や不条理に直面する、といった具合だ。これらを振り返り、知っていた世界と何が違うのか、に注意を払うと、自分の知覚と思考と行動を縛っていた前提が挑戦を受けているのだと気付く。そうした前提を自覚することは、新しい経験を前に縮退するのでなくむしろ前提を外し、新たな行動に移るための第一歩になる。
隣接する工学分野を跨ぐ技術的イノベーションはもとより、組織、セクターや経済文化圏の境界を跨ぐ協業・広義のイノベーションを媒介するイントラプレナーにとって、協業先の世界観を自分のものにすることは必須の力といえる。こうしたことは、子供の頃に転校を繰り返した人、海外で育った帰国子女など、人生の早い段階に無意識に経験した人もいるかもしれない。留学、海外転勤、企業合併や大リストラ、家族との死別など、大きな環境変化でも経験済みかもしれない。
ある発達心理学者は、こうした「客体化」を経て個人が外界から意味を読み取る心理的枠組が「発達」する過程を5段階に分類している[53]。社会で一定の役割を占める成人であれば第3段階に達しているとされるが、興味深いのは、様々な国や職種で広範な調査を行った結果、成人の6-7割は3段階にとどまったまま一生を終えるという点だ。第4段階は複数の社会規範や価値観の体系を意識的に行き来できる状態で、企業経営者や政治リーダーなどにこの段階の人が多いということである。
提言4 アイデンティティを拡げる: 「前提を外すこと=客体化」が最もむずかしいのは、考え方の根底を成す「前提」が挑戦を受けた瞬間だ。こうした前提は、受け継いだ歴史観であったり、両親や恩師が設定した規範であったり、キャリアを通じて積み上げた自身の能力や存在価値についての自負やプライドであったりする。そして、社会が難題に直面する状況においては、複数の社会集団の間での激しい価値の対立を背景に、個人だけでなく集団全体がこうした覆し難い前提の見直しを迫られている場合が多い。これまで接触がなかった組織や社会同士が急速に接近したり、急激な環境変化に晒され、個人の世界観が現実に適応するペースが追いつかないときにこうした困難が起きる。9/11直後の米国がまさにそうであったし、日本は過去20年間、同様の困難を体験し続けているように思われる。
イントラプレナーは表面的には協業をつうじて事業を実現するかもしれないが、その行動の本質は異質な経験を「向こう」から持ち帰り、「こちら」の世界観や価値観の変容をもたらすことにある。言い方を変えれば、アイデンティティの拡大を触媒する役割だ。アイデンティティの元になるidentifyは「(ある集団に)自己同一化する」という意味だから、自分は何の一員であるか、という前提を見直すことはアイデンティティの見直しに他ならない。
現在の日本においては例えば、ものづくり立国、といったアイデンティティは挑戦を受けているように思われる。世界市場における日本製品の凋落は甚だしい。コンピュータのDRAMメモリではかつて日本勢が世界を席捲したが、2000年以降の10年で日本の世界シェアは6割から1割まで落ちた。液晶パネルは9割超からやはり1割に、環境技術分野でも太陽光パネルは5割から1-2割に、リチウムイオン電池は9割超から3-4割に落としている[54]。まさに同じ10年の間、筆者は経営コンサルタントとしてハイテク製造業の主だった当事者企業とともにこの変化を実体験した。インテルがイスラエルで研究しコスタリカで生産するグローバルチェーンを更に中国・インドに広げていた時代、主だった日本の電機メーカーは国内生産を維持しながら台湾・韓国の競合に連戦連敗を重ねていた。理屈の上では、グローバル化を前提とした組織変革に企業としての生存が懸かっていることは明らかだ。立派な経営者の方々と伴走し、大組織の変革に向けた試みの一角を何度も担った立場から、この変革が容易に起きないことが経営者の怠慢では無いことが断言できる。組織の構成員の大多数にとって、多くの場合、求められる前提の見直しが劇的過ぎるのだ。
インクスという会社がある。従来45日かかっていた金型製作工程を3次元CADで45時間に短縮し、10年前に携帯電話や機械部品の試作プロセスを大きく変えた知られざる革新企業だ。綿密な研究開発を通じ、職人の手触り感覚でしか判別できなかった曲がりや滑りを全て数値化するというイノベーションの過程は、匠の技に職業人生を賭けてきた熟練工をデジタル技術で置き換える過程そのものだ。社長の山田氏は、自らの技を不要にするための技術開発に尽くした熟練工を労い、職人技をただ守ろうとして新興国との競争に敗れるのでなく、『彼がいたからできた』という技術の連鎖こそ守られるべき、と記している[55]。
鈴廣という会社がある。140年間かまぼこを作り続ける小田原の老舗だ。原料の魚の選び方、混ぜ方、蒸し方、温度、どれを取っても職人技のこの業界で、いち早く製造技術を数値化する研究所を作りノウハウの体系化をはかってきた。その過程で、化学的加工を一切行わずに天然素材で数年保存できる魚肉たんぱく質を開発。生鮮食保存や輸送のインフラがなく、動物性たんぱく質が採れない低栄養児は途上国に大勢いる。他方、洋上破棄や加工の残りで有効活用されていない魚肉が大量にある。この矛盾にできることはないか-soketが応援する事業化案件の一例だ。
変化を先取りするイントラプレナーが組織を先んじて取り組みの地平を拡げ、内部から周囲に影響をおよぼすことは、自動車会社が、電機メーカーが、その他日本が世界に誇る製造業やサービス業が、技術や伝統に基づきながらも新たな世界の現実に適応する過程の契機になる。そうした実例とロールモデルが多く生まれ、後に続く者が先駆者の経験から学びお互いを高めあうことで、局所的な変化を広く、深く、確かなものにすることができる。
3-3.繋がりと意味
提言5 長期の仲間をつくる:キャリアを複線化し「向こう」の世界観を取り込んだイントラプレナーにとって、「こちら」の所属先はもはや運命共同体でなくなる。ややもすると、最初は孤独な試みになる。また、昼の職場の世界観、規範、期待、プレッシャーは、容易に個人の思考や判断軸を飲み込んでしまう。「向こう」の世界観をともにする仲間と共に歩むことは、取り組みを持続する上で必須だ。それは家族かもしれないし、友人、同僚、切磋琢磨する同志、先駆者、あるいはメンターかもしれない。疲弊した時に時折帰って自分を取り戻す場所であり、独りでは捉え切れない変化の機敏を補いあう目や耳であり、高次の目的に自分を括りつける碇でもある。
Facebook、Twitterといった新たな媒体は従来と異なる形態での共感と集合行動を可能にしたが、そこで形成されるのは多くの場合、長期で緩い、または衝動的で臨時のつながりにすぎない。他方、チームや組織の運営に用いられはじめている対話、学習、認知の変容に関わる新たな組織化の技術[56]を通じて、世界とより広くつながること、また世界への想いを介して人と深くつながることが以前より日常的になった。
筆者にとっては、冒頭ふれたコソボでの仕事のきっかけを作ってくれたのは共にこうした技術を学んだ仲間の1人だった。留学先で卒業間際、進路を話し合った際に「自分はコソボでひと夏働いた後、前職のコンサルティング会社に戻る」と伝えると、「Don’t do that - we are losing you!」と言われたものだった。その言葉が脳裏に焼きつき、開発の現場に戻る決意に少なからず影響した。現在のソケットの中核メンバーとの約束も同等に、目的を思い起こさせる碇になっている。彼ら彼女らに胸を張れる仕事をしているか-そう自分に問いかける、ベンチマークになる仲間がいることは、幸いなことでもあり、重いことでもある。
提言6 心から楽しむ: 上記の全ては、心底好きなことをすすんでやっていればこそ起きる。そのような時には、自分の心が周囲に素直に反応する。他人が困っていれば心配をし、相手が笑えばついこちらも笑ってしまうこと。好奇心や探究心。発見や驚きを人と共有する喜び。こうした日々の豊かさが、一見容易でない仕事にしなやかに、持続力と瞬発力をもって取り組むことを可能にするのだと実感する。
戦後復興や高度経済成長を生きた世代にとり、勤労が繁栄に直結する経済環境で目指す姿を共有することは比較的容易だったものと想像する。我々の世代が子供だった頃、「未来」はまだ夢や希望を想起させる言葉だった。今日、世界の未来は不確実性と困難に満ちており、狭く日本だけを見れば決して明るい展望ばかりではない。他方、一人ひとりが来るべき変化を先取りし、未来を創造する努力に加わるならば、これほど機会に満ちた時代はないはずだ。読者の皆さんにとって、本稿が新たな行動の一助になればこれに勝る喜びはない。
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2011年5月08日掲載
担当:荻、奥村、金田、釜我、迫田、菅野、高橋、中村、宮口
ウェブ掲載:陳 穎