第7回 「紛争後の社会における平和構築のための国連の役割」
2005年8月26日開催
於・国連代表部会議室
国連邦人職員会/国連日本政府代表部/国連フォーラム 合同勉強会
長谷川 祐弘さん
国連東ティモール事務総長特別代表
略歴:はせがわ・すけひろ。ミシガン大学卒業、国際基督教大学大学院修士課程修了、ワシントン大学で国際関係開発学博士号取得。1969年より現在に至るまで国連職員として開発援助、国連平和維持活動に従事。93年国連ボランティア(UNV)選挙監視団統括責任者(カンボジア)、94年ソマリア国連平和維持活動(UNOSOM)政策企画担当部長、95年ルワンダ国連常駐人道調整官及び国連開発計画(UNDP)常駐代表、96年UNDP駐日代表、2002年4月UNDP紛争予防・復興担当特別顧問(ジュネーブ)などを経て、同年7月国連東ティモール支援団(UNMISET)特別副代表・国連機関駐在代表・UNDP常駐代表。04年5月より国連東ティモール支援団(UNMISET)、05年5月より国連東ティモール事務所(UNOTIL)事務総長特別代表、国連機関駐在代表・UNDP常駐代表。
■はじめに
昨日、ワシントンDCで、東ティモールで生じている諸問題と、国連による対処について、米国務省の国連・国際機関担当官と会談した。そこで感じたことは、想像以上に、米国での国連に対する雰囲気が、厳しいことだった。NYにいる皆さんには、既に十分、肌身に感じていることかもしれない。しかし、東ティモールにいる間は、なかなか実感できなかった。さて、今日、皆さんにお話することは、現場で実際に行われている、紛争後の社会における平和構築と、国連の役割についてだが、もしかしたら、こんにち、NYやワシントンで議論されているようなこととは、必ずしも噛み合わないのかもしれないとも思った。
ワシントンでの会議を通じて何より驚いたのは、ホワイトハウスの国家安全保障部国際機関担当官から「MDGは、要らない」と断言されたことだった。私のように、発展途上国、特にLDCのひとつである東ティモールで仕事をしていると、如何にMDGが重要であるかを日々感じている。世銀も、MDGの重要性を充分に認識しており、MDGは重要な数値目標である。この達成に向けて全力で努力しようというのが、国際機関の一致した見解である。米担当官を説得しようと試みたが、大きな隔たりを感じた。
現状は、厳しい。しかし今日は、私の現場での経験から、平和構築において、国際社会や国連が対処すべき6つの分野について、課題を述べてみたい。第1に司法制度の確立、第2に公共政策を実施する行政の確立、第3に民主的政治体制(ガバナンス)の確立、第4に透明性と説明責任、第5に貧困削減と経済開発、第6に正義・真実・和解について話したい。
■1■ 司法制度の確立
二年前に、朝日新聞の「論壇」欄の中で、イラクの戦後復興について、私の意見を述べたことがあるが、兵隊を送り治安を維持した後、復興に必要な要素は何か? 第一には、Rule of Lawの確立である。国民の人権を擁護し、公平な社会を作る、独立した司法機関の確立が何よりも先決である。裁判所の設立だけではなく、警察隊の組織、警官の倫理観の醸成など、民主主義の原則・人権に基づいた司法制度の確立が重要である。
東ティモールでも、最初は、警察隊の養成に力を注いだ。警官養成は、ルワンダやソマリアに勤務していたときにも最初に行った。独立当初は、UNMISETの1200人の国連警察(CivPol)が、地元の警察官の養成を実施し、2年後の2004年5月には、警官養成アドバイザー157人が残り、引き続き訓練を実施。この5月にUNOTILに移管してからは、アドバイザーを60人にまで削減。少しずつ地元警察のキャパシティが育ちつつある。現在のアドバイザーは、米国から8名、中国から8名の他、ポルトガル、ブラジルなどから数名ずつの警察官で構成。東ティモールは、ルワンダやソマリアと異なり、警官を出してくれる国が多いのが幸いだ。では次に、紛争後の地元の警察官には、どのような訓練が必要とされているかについて言及したい。
第一に、警察官としての役割や任務の認識である。警察は、市民を安全から擁護するためにあり、弾圧ではないことを、認識してもらう。特に、途上国で長い間、紛争に巻き込まれた人々の間では、警官と市民の間に信頼関係がないことが多い。警察官の横暴さが当然になっていることが多い。態度に規律がもたせることが不可欠だ。
第二に、組織の独立性と指揮系統である。通常、警視庁長官や、その上の内務省大臣が、警察の指揮系統の長だが、それが機能しないことがある。東ティモールでは、警察隊が総理大臣の指令に従い、令状なしに逮捕したことが、幾度かあった。どの程度、警察が政府から独立性を保つかが、重要。
先日も、その典型的なケースがおきたばかりである。二~三週間前、東ティモールのバウカウという地域で、CPDR-PDRという政治団体に近いグループによる反政府活動があった。CPDR-PDRは、1975年、ポルトガル植民地政権の崩壊後、最初に東ティモールの独立を宣言した政治グループである。自分たちが正統な政府と名乗り、現在の政府や国連は後から来た非正統な組織だと主張している。しかし、政府側見解では、彼らは反政府組織で、強制的な会員の勧誘を行って、市民に横暴な行動をとるという被害報告が、住民からなされている。そこで、総理大臣から警察隊にCPDRの逮捕指令が出され、本拠地に突入し、マシェット(旧日本軍占領時代の名残で"Katana"と呼ばれている)を押収して、家宅捜索をし、幾人かを逮捕した。これに対し、国連の人権担当官や警官養成アドバイザーからは、令状のない逮捕は人権侵害であり、Rule of lawに従った行動ではない、との批判があがった。裁判所からの逮捕令状なしには逮捕することができない、という認識が、東ティモールの警察官及び政府側にも、まだ不十分だ。警察官を養成するに当たり、守られなければならない基本的なルールを、繰り返し教えている。
もうひとつ例を挙げると、3ヶ月前に、教会が反政府デモを起こした。3週間位、約500人、多いときは約2000~3000人のデモ隊が、政府の建物の近くに座り込んだ。このデモを取り締まるため、機動隊の行動範囲が議論になった。というのも、3年前の2002年12月4日、こうしたデモ隊が暴徒化したことがあった。総理大臣の公邸、外国人が利用するスーパー、私の補佐官二人が住むホテルも、焼き払われた。暴徒化の発端は、警官によるデモ隊への発砲。二人死者を出した。未だに、どの警官が発砲したのかは、判明されていない。機動隊が、銃を使わないで、如何に群集を取り締まるか、といった訓練が重要である。
最後に、国家警察の行政機能強化が、重要である。予算・財政管理や人事管理の他、ルワンダ・ソマリアでも感じたが、地方における通信施設や器具の設置は、不可欠である。
■2■ 公共政策(行政)の確立
紛争後の社会に必要な要素として、次に、公共政策(行政)の確立が挙げられる。治安を回復した後に、まず必要となるのが、飲み水、保健衛生、教育施設の修復、教員の確保。政府機関が、最低限度の公共サービスを実施できるよう、行政を確立させるのが不可欠である。
ルワンダでUNDP常駐代表と国連開発問題調整官をしていた際、当時のオランダ国際開発協力大臣(現スーダンSRSG)をしていたヤンプロンク氏が、300万ドルを拠出するため学校の教師に給料を支払ってくださいと、現金を持ってきたことがあった。通常のようにUNDPのHQを通せば、フィールドオフィスへ実際にお金が届くまでに、半年はかかってしまうから、と。ルワンダでは、当時、学校の先生は支給される給与だけでは生計を立てるに難しく、大変大きな助けとなった。しかし、UNDPが直接、先生に給料を支払うことはできないため、当然ルワンダ政府を通すことになった。紛争で疲弊した政府に、ドル・キャッシュを渡し、ルワンダ通貨に換えてもらって、先生に支払うにはリスクが伴った。UNDPは、実際にそのお金が先生に行き届いたかモニターし、チェックすることしかできない。地元政府の行政は、こうした公共政策を実施できるだけのキャパシティがなければいけない。
教員の確保は、学校が機能する上でも重要であるる。その他、教科書や給食も必要になってくる。生徒は、5~10キロの道のりを歩いて通い、お腹をすかせている人も多い。給食は、生徒を学校に引き止める上で、とても有効な手段だ。Jeffery SachsのMDG Projectの中でも、給食は、生徒が学校に来、栄養状態を向上させ、学ぶ効率性を向上させる効果がある、というデータを示している。
そこで、マリ・アルカティリ東ティモール首相に、学校給食の必要性と実施を唱えた。彼は9月に国連総会に出席するというので、その演説の中で具体的な取り組みを出すには、学校給食の開始がもっとも効果的だと、説得した。しかし大統領は32万5千人分の給食経費を、政府が負担することに当初あまり積極的ではなかった。、というのも、去年の東ティモールの国家予算は、79million ドルで、32万5千人の分の給食を年間200日出すとなると、一食25cと換算しても、年間2千万ドルの経費がかかり、全国家予算の1/4を占めてしまう。一食10cにまで下げても、5百万ドルの費用がかかる。国家財政状況を鑑みると、確かに現実的にはなかなか厳しい。
また、国の公共サービスを実施する上で使用される、国語としての言語の改革を進言した。言語問題は、東ティモールが抱える重要な課題である。 東ティモール国民の80%が地元のテトゥン語を、残りの20%が、4-5つあると云われる地元特有の言語を話す。しかし、インドネシア統治下時代の24年間は、一万二千人の学校教師がインドネシアから東ティモールに送り込まれ(現在の教員数6,000人の二倍)、インドネシア語を国語として強制された。現在の30歳位までの若年層は、ほぼ皆、インドネシア語で会話をし、読み書きをする。99年にインドネシア統治が終わると、ディアスポラで海外に離散していた多くの東ティモール人が祖国に戻り、支配層を形成し、2002年の独立とともに、ポルトガル語を国語と制定した。現在いる200~300人ほどの支配層は、その多くが海外帰国組で、ポルトガルやモザンビークから帰ってきた。彼らはもともと、ポルトガル植民地時代に、ポルトガル人と東ティモール人との間に生まれた混血の子供の子孫が多く、ポルトガル語を話す。インドネシアが侵入した1975年以降、海外へ脱出している。一方で、残された国民の9割はポルトガル語を解せない。8割がテトゥン語を母国語とし、5割がインドネシア語を読み書きする。英語を話せるのは、2-3%程度。では一体、何語で教育を行うべきか?
この件について今日、UNICEFのゴータム次長に会い、意見交換を行った。ユニセフは、世界各国での経験から、初等教育は母国語で教えるべきである、という。仏語や英語、ポルトガル語などの国際語での教育は、その後からと。私も正にその点を強調し、まずはテトゥン語で教えるようにしたほうがいい、と東ティモールの指導者に提言してきた。しかし、東ティモールに限ったことではないが、現地語のテトゥン語は、言葉としてあまり発達していないのが実情。過去・現在・未来の区別が曖昧なので、特に法律関係の使用言語にはなじまない。従って指導者の間では、初めからポルトガル語を教えていくべきという風潮である。それに対し、米英豪やアジアの大使館は、今更ポルトガル語を教え込んでも、国際社会では役に立たないとあまり支持していない。インドネシアと豪の間に位置し、近隣のASEAN諸国に行っても英語を知っていたほうが役に立つのではないのか、という。教育言語の問題が、私たちが援助をするにあたっての障害にもなっている。
政府の政治的方針と、教育や保健といった行政の狭間で、効果的な公共政策を実施していくのは、非常に難しい問題である。
■3■ 民主的政治体制(Democratic Governance)
民主的なガバナンスの確立は、重要である。東ティモールでは、四権分立を作り上げた。すなわち、(1)行政府としての政府 (2)立法府としての議会 (3)司法府としての裁判所 そして、(4)大統領府 というものを作った。東ティモールでは米と異なり、大統領と総理大臣で、仕事を分けている。しかし結局は、大統領の権限は限られている。現職のシャナナ・グスマオ大統領は、次期出馬の意志が薄いことを述べている。一方で、実権のある総理大臣の現職、マリ・アルカティリ首相は、国民からの信頼に疑問符がつく。紛争中、ディアスポラで国外に出ていたので、国民は彼のことをよく知らない。そこで、400~500人の村人が参加し、総理大臣や閣僚が説明をした後、村人が質問し対話するというタウン・ミーティングを4~5回開催した。活発な議論が交わされたが、依然として人気は低迷している。
UNDPが数年前に、「Deepening democracy(民主化の浸透)」という人間開発報告書を出した。そこに書いてあり、よく私も感じることだが、民主主義と一口にいっても、排他的(exclusive)にも作れる。民主主義といえば、選挙さえすればいいと思っている人もいるが、このような認識は非常に危険だ。選挙の結果は、選挙法や制度次第で、いかようにも決まってしまうからだ。
今度の月曜日の安保理報告の中で、ひとつ頼まれていることに、1年半後の大統領と国会議員を選ぶ総選挙についての見通がある。その選挙を成功裏に収められるかが要だ。多くの国が、この段階で失敗している。権力者が、選挙制度を操作して、権力に残れるように変えてしまう。私たちが、選挙数週間前に、オブザーバーとしていっても、もう遅い。そのときには、もう結果は決まってしまっている。選挙法を、きちんとしたものに確立しておく必要がある。
グスマン大統領からも、国連から、選挙法について見識のある専門家を送るよう要請がなされている。政府側からは、政権内で選挙法の委員会を作ろうというが、それでは現在の政権政党であるフレテリンの考えを生かすだけになってしまう。そうではなく、反対政党もいる国会の中で審議すべきだと私は思う。それには、半年位時間が必要だ。国会で承認するのに、議論が多くなされるだろう。大統領いわく、国会審議を早くしないと、選挙の数週間前にフレテリン政党や党首であるアルカティリ首相から、法律案が提出されれば、フレテリンの大多数の議席を背景に、すぐに採決されてしまうだろう。それでも、表向きは民主主義のルールに従っていることになる。それで民主的といえるだろうか。民主的な国会の確立は、民主主義において重要。そしてそれを、Rule of Lawで確立する。法律自身を、しっかりしたものにしなくてはいけない。
第二に、人権への配慮。人権と一言でいっても、7つのfreedomに基づいている。そのうち、半分は政治的権利と市民権で、デモ・集会・表現の自由などである。よく問題になるのは、夜間のデモの許認可。一応、不許可となった。夜のデモは、住民に脅威感を与えるので、朝、日の出とともに、6時頃から夕方6時までと決めた。次は、デモ隊の接近距離。首相などは、うるさいので事務所から500m以内近くには来て欲しくないというが、それでは遠すぎる。いろいろ議論したが彼は折れないので、議会に送った。一方、市民と対話をするのが好きなグスマオ大統領は100mでもいいと出し、結局、国会で変更された。具体的なことでも、どんどん議論して決めている。
人権への配慮ということで、拘束について、警察官ともよく議論している。国際水準に基づいて、決めている。警察が拘束する場合、裁判所の許可を得ずに留置できるのは何日間か、ということが問題になった。 日本は、三日間。私たちも三日間にした。しかし、東ティモールでは、日本と違って留置所があまりない。刑務所は今、三箇所。現在、収監されているのは、320~30人ほど。逮捕数は少なく、日本と比べても温和といえるかもしれない。問題がおこるのは、田舎で拘束したとき。裁判所まで連れてくるのに、最低三日かかる。連行し、拘置所に入れ、裁判官に裁判要請手続きをとる。裁判所には、500件ほど山積みされているので、裁判までに1年位かかる。すると、拘置所に入れておいたまま、忘れられてしまう。先週、バウカウの刑務所に行って、ある囚人にインタビューをしてみた。去年の10月から収監されている。夜一杯飲んで、友人と一緒に道路に出ていき、おもしろくないので、そこに止めてあった車を叩いたところ、警官に捕らえられたという。いわく、悪いことしたと思っている。通常なら、裁判により、30日間ほどの刑を受けるわけだが、彼の場合はその状態で1年間も刑務所に入ったままだ。こういったケースの人権への配慮に、具体的にどうしたらいいのだろうか。
しかし、おもしろいことに、反対のケースもあった。3年前、ベコラという一番大きな刑務所で脱獄事件があった。外から人が入り、門を開けて皆、脱獄した。私たちが、囚人を探さなくてはと慌てると、地元の人々はいやいや心配するなという。そうこうするうちに二週間ほどで、みな帰ってきた。外では食べられず、刑務所にいたほうが食べ物をきちんとくれる、と。法務大臣が何度もいっていることだが、囚人一人につき、一日2ドルかかる。東ティモールのGNP per capitaは、460ドル。法務大臣は、best prisonだと自慢している。
次に、弱者の社会復帰と参加。推定では、20年間の独立闘争の間、20万人の東ティモール人が殺害されたといわれている。その間、人口は増えず、約60万~80万人位で止まっていたのが、1999年降急激に増加した。人口増加率は4.3%程で非常に高い。そんな中、これまで独立闘争の中で、戦ってきた元兵士たちが、いかにして社会復帰するかが、問題になる。彼らは教育を全く受けたことがなく、平和になっても、どういう職業につけるかが問題。まずは世銀とIOMが、社会再編入プログラム(FRAP)を行った。それからUNDPは日本から400万ドルの援助を受け、RESPECT(元兵士およびコミュニティのための復興・雇用・安定プログラム)という、元兵士などに職業訓練や、現金収入活動を実施するプロジェクトをした。
また、問題になったのは、東ティモールから出て行った民兵(インドネシア併合派)である。民兵が西ティモール(インドネシア領)の難民キャンプから、東ティモールのふるさとの村に帰還したとき、いかに旧独立派の村人たちと和解するか、が懸案事項だ。
■4■ 透明性と説明責任
最近では、透明性と説明責任が問題になってきた。紛争後、社会の復旧が進み、高度な段階に入ってきた証拠だ。国家レベルでは、監査長官、検察長官、オンブズマン、人権顧問を設置した。さらに、行政・税金・会計監査上級裁判所の設立が重要。特に東ティモールでは、豪との海峡に原油をもつ。先日交渉が済み、今後年間2億ドルの収入が入る予定。この資金をいかに有意義に使っていくか。透明性と説明責任が十分整ったPetrolia fundを作り、公正に資金を使っていく努力をしている。しかし、インドネシア時代と同じKKN(corruption, collusion, nepotism:汚職、腐敗、縁故主義)の芽が発生する徴候が見受けられるので、反汚職政策を掲げ、倫理風土を作っていくのが大事。特にこういった天然資源からの収入の管理、会計監査を整備するのが大事である。
■5■ 貧困削減と経済開発
東ティモールもようやくこの段階になってきたのだが、貧富の差が出始めている。頭がよくて外国資本や外国人との繋がりによって、経済的に余裕のあるな生活をできる人が出てきた。すなわち、二重構造。この解消と貧困撲滅をするための経済発展を、できるだけ努力していかなくてはいけない。
世銀と議論を重ねた。世銀はどちらかというと米の影響を受け、持続可能な雇用、持続可能な現金収入、持続可能なプログラムのためには、民間投資による雇用創出が重要である、と考えるようだ。要するに、公共事業をやったところで、それは一時的なもの、予算がなくなればそれで潰れてしまうという考え。しかし私は、紛争後の社会では、一時的にしろやはり、公共事業による雇用創出を推進すべきと考える。これに関しては最近になり、世銀も賛成してくれるようになった。
■6■ 正義・真実・和解
正義・真実・和解、すなわち Justice, Truth, and Reconciliation という問題がある。これには、日本も含め各国のドナーで頭を痛めている。いかにしてこの3つをうまく標榜できるか。
1999年の暴動だけで、少なくとも1500人が殺害された。国連はこの3年間、現地政府と一緒に調査した結果、その半分ほどの犯人をつきとめ、約400人に逮捕状を出した。が、うち320人は国外にいたので、国内にいた87人を逮捕し裁判にかけた。うち3人が無罪、84人が有罪。多くは自白した。一番重い刑を受けたのは、3人の牧師と2人の尼僧を殺害したケースで、刑期は30年ほど。他、4-5人殺害したケースは、20年程の刑期。そして、中央大学法科大学院教授の横田洋三先生がメンバーを務める、Commission of Expert が、東ティモールとインドネシアで行われた裁判のアセスメントを実施した。東ティモールでの裁判は公正であったが、インドネシア側で行われた裁判は、全員無罪放免で、全く基本的な正義のある裁判が行われていないという結果が出た。この問題を今後どうするか?
大統領は、最近、真実友好委員会をインドネシアと作った。裁判も重要だが、インドネシアの軍人を裁こうとしても、現実では難しい。インドネシアは決して同意しない。独立闘争の過程で起きたこと。正義で裁こうとしても、インドネシアと東ティモールの関係は、一向によくならない、という。それよりも、何が起きたかという真実を解明することが大事で、裁きではなく、過ちを犯した犯人たちが、罪を認めることによってこそ、過ちが二度と繰り返されないようになるのではないか、と南アの例をとって大統領はいう。それに対し、人権関係のNGOや国連は、Culture of Impunity を無くすため、judicial process は遂行すべき、という方針で取り扱っている。
しかし、米も含めたドナーは、対処の方法を決めかねているのが原状。というのは、ユーゴやルワンダの国際特別法廷は年間1億ドルも経費がかかっている。特別法廷は経費が大変にかさむので、20%の分担金を支払う日本政府も尻込み。 東ティモールのケースは、地元で裁判をやったので、年間700-800万ドルの経費に抑えられ、経済的に効率よく実施できた。それでも、米はそろそろ終わりにしたらといい、他のドナーも同調している。それに対し、NZやデンマークは引き続き、特別法廷を設置すべきと主張している。
私も大統領と議論し、こう箴言した。「インドネシアの軍人を特別法廷にかけても、必ずしも、東ティモールとインドネシアの友好関係は改善されないのではないか。日本の場合では、連合軍が東京裁判で8人の軍人を処刑したが、それによって、日米関係や連合国との関係が悪化したということはなかった。」大統領にそう言うと、こう返された。彼いわく、「それは理解したが、ところで日本と中国・韓国の間はどうですか? 私たちが助けてあげられますよ。真実和解委員会が必要なのではないですか?」。
どちらがいいかというのは、難しい問題だと感じます。
質疑応答
■Q■ 今日挙げた6つの分野、財政的な配分はどうあるべきか。国家予算を、いかに資源配分するのが最適か。どのように使っていくのが理想的か。
■A■ 時期による。紛争回復直後と、2~3年後では、全く異なる。東ティモールでは2002年に独立し、12月に暴動がおきた。直後に、安定化プログラムの予算を作ろうとしたとき、何に優先順位をおくかで、議論が紛糾した。国連機関は、教育や保健衛生に多く配分すべきだと主張したが、私は今でも、警察官養成が先決で正しかったと信じている。しかし安定した現在では、保健衛生分野の方が警官養成よりも優先である。
「人間の安全保障基金」は、他に類を見ない、とても貴重な基金である。元兵士や社会的弱者を対象としたRESPECTプログラムへ400万ドル、AMCAP(アイナロ・マナトゥトゥ・コミュニティ活性化プログラム)が600万ドル、DESAが入ってきて160万ドル、 その他FAOにも供与された。総額約1,200万ドルの支援を受け、大変感謝している。できれば、外務省でも外務省が信頼する方でも、開発・人間の安全保障というものを熟知している方を現地に派遣していただきたい。というのも、現地のニーズと、東京やNYの基金から受ける質問とでは、認識のギャップがかけ離れているので、それを埋めるためだけに、時間が浪費されてしまう。
UNDPの強みは、HQはあまり通さず、5年間駐在代表にお金を任せてもらえることだ。政府や現地の人と相談して予算配分できる。基金も、経験があり物事をよくわかっている人を、現場まで出してくれると、基金への感謝も増すのでは。
■Q■ 公共政策の人材の確保で苦労したと聞いているが、どうだったか。
■A■ 初めに、行政機関を作る、省庁を作る。安保理の予算で、Stability advisor と呼ばれる100 人の国連アドバイザーを、教育省や保健省に送り込んだ。それに加え、UNDPを通してDevelopment Advisor と呼ばれる200人のアドバイザー・ポストを作った。彼らは、何でもやる。たとえば、14,000人分の給料を払うシステムを作る、教科書を作るなど。各省庁には、アドミのアドバイザーもつけた。インドネシア統治時代の公務員は、みな引き上げてしまったので、東ティモールには公務員に行政能力がある人がほとんど残っていなかった。
アドバイザーの受け入れにあたって、言語の問題が生じた。国連側は、正直なところ、政府がポルトガル語を国語とすることに対して、必ずしも賛成していなかった。葡語を話せなくても、アドバイザーとして採用すると政府側から批判がなされた。かといって、政府と相談してポ語を話せる人を採用しようとなると、友人を連れてきたがり縁故主義が広まった。そこで政府から一人、国連から一人、外部から一人の審査委員会を作り、採用をはじめた。ひとつのポストに30~50人が応募してきて、資格のある人材が集まってきた。時間はかかったがそれでだいぶうまくいった。
■Q■ 平和構築委員会ができるらしいが、現地から見て、どのような役割が必要か?これがあったら、どのように変わっていたか?どれくらい期待しているか?
■A■ 大賛成だ。初めは、正直なところ懐疑的だったが。これまで、国連平和維持活動局(DPKO)の下、平和維持活動を行ってきて、とても遣り甲斐があったと思ってきている。今回は、平和維持から平和構築に移るまでの三年間で、紛争後の変化を見ることができた。毎日のように社会のニーズが変わっていくのが、見ていてわかった。それが、NYにいる方には、なかなか把握できない。HQの対処の仕方が、必ずしも現地のニーズに噛み合わなくなってしまう。
もっと具体的にいうため、例を挙げる。例えばNYで大火事があるとする。消防署は、多くの消防士と消防車が必要だ。次第に、火事がなくなった。次に、防火のための組織造りが必要になった(institutional capacity building)。 既存の組織を、現状のニーズに合ったものに変え、持続可能な能力をつけていくとなると、PKOとUNDPの中間のようなものが必要になる。それが、平和構築のニーズ。つまり、現場の問題を把握し、政府が解決するのをアドバイスする、コンサルティング的役割が必要。それが、紛争後の国連の役割である。
UNOTILは現在、飛行機二機とヘリコプター二機を、医療退避のために持っているが、PKO予算ではそういうものには、すぐに予算がつく。しかし現場では、今では民間の飛行機がよく飛んでいるし、豪にはflying doctorもいるから、すぐ飛んできてくれるので、あまり必要ない。それよりも、汚職を無くすようなコンサルティング予算が必要といっても、DPKOはなかなか予算をつけてくれない。DDRなどには、すぐに予算がつくが。時期によって、ニーズは変わる。
必ずしも、全てよくなるかはわからないが、平和構築委員会ができれば、そういった対処の仕方が変わってくるのでは、と思う。もし私がNYで受け皿になってやるとするならば、現地でニーズがどのように変わってきているか、現地の人が必要だといっていることを、率直に聞けると思う。現場の必要性を満たせる機構が、本当に必要だと思う。平和構築に対応できるようなシステムが、国連に必要。
しかし昨日、ホワイトハウスの担当官と話して驚いたのは、現在国連から出されているプロポーザルには、委員会の参加国を24カ国くらいにしてどういう国が参加するかということばかりが述べられててあって 、現場でどのような活動をするかは、全く述べられていないと聞いた。ただ機構を作れと書いているばかりで、どういった活動と機能をもつものなのか、どのような必要性があるのか、全く議論されていない、と話していた。それでは困る。
■Q■ 東ティモールは、平和構築のモデル・ケースとなりうるのか? それとも、ただ運が良かっただけなのか? 国が小さく、外からの介入が比較的簡単で、石油があった。アフガンやイラクと比べて、運がよいのでは。
■A■ 運がよかったというのが、三分の一。国際社会の対応が適切だったというのが、三分の一。地元に、国際社会と協調して、真面目に取り組んでいこうという人材がいた、というのが三分の一。
国際社会の対応が適切であったという理由に三つある。第一に、原油からの収入は、まだ使用されておらず、これまでは国際社会からの資金で行ってきたが、その使い道が、これまで話してきたように、適切であったと思う。
第二に、セルジオ・デメロ 東ティモール国連暫定統治機構(UNTAET)国連事務総長特別代表(SRSG)のもと、国連機関が協調してやっていこうという、ピラミッドが完全にうまく作られていた。その前の99年の住民投票を監視したUNAMET(国連東ティモール支援団)は、軍と警察が別々だったので、9月の騒乱を防げなかった。アフガニスタンのISAF(多国籍軍)と警察の指揮系統が、別々。ソマリアでの失敗は、米の独走。カンボジアは、今ではフンセンの独裁と腐敗がひどいと聞く。東ティモールでは、独裁と腐敗をいかに防ぐかが、新しい課題。
第三に、インドネシアが、東ティモールの独立を受け入れたのがよかった。そうでなければ、現在でも紛争状態が続くことになる。豪が多国籍軍に出した指揮官が賢明だったのだろう。9月15日に入り、半年以内に完全に引き上げ、指導権を国連PKO、タイ人の国連PKOコマンダーに引き渡した。もしそのまま豪が残っていたら、よくなかっただろう。
そして何より、東ティモールの指導者たちが真面目だった。真面目に取り組んで国連の意見をよく聞いてやっている。アドバイスをよく聞く。それが、成功するための何よりの要因である。
担当:藤澤