第118回 福岡 史子さん 国連開発計画(UNDP) 地球環境ファシリティ・小規模無償プログラム 副グローバル・マネジャー

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プロフィール

福岡史子(ふくおか・ふみこ):大学卒業後、中学校で英語科教諭となり、その後JICAの国際交流サービスセンター勤務。国際環境NGOコンサベーション・インターナショナル(ワシントンDC・東京)を経て、2003年にUNDPシリア事務所副常駐代表として着任、2008年から現職。ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)にて修士号取得。

Q. 環境問題に関心を持たれたきっかけは何ですか?

レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を学生時代に読んでいましたし、環境は非常に重要な問題だと感じていました。豊かな環境があるからこそ、豊かな生活ができる。開発と環境は切り離せない問題であるからこそ、以前から環境に主眼を置く仕事に就きたいと思っていました。それから、特に意識はしていませんが、小さい頃に里山で遊んで大きくなった体験も影響していると思います。私は田舎に住んでいたのですが、ある日、田んぼが耕地整理で四角く区切られ、農薬がたくさん使われるようになって、近所の池からおたまじゃくしや泥鰌(どじょう)がいなくなったことはショックでした。

私は大学卒業後に中学校の英語科教諭をしていたのですが、環境を専門分野としてより具体的に考えるきっかけとなったのは、教職のあとに就いたJICAの国際交流サービスセンターでの研修コーディネータの仕事です。当時の花形であった溶接コースや金属加工コースには、途上国の工業省などから多くの研修者が来ていましたが、毎日の研修の合間に彼らが「自国の工業が豊かになっていいけれど、水が汚染されて大変だよ」とか「そういう社会で子どもが育つのが心配だよ」とかポロっと漏らすんですね。そういうこともあり、経済発展と環境とのバランスを強く学びたいと思うようになりました。

そしてワシントンDCの大学院で国際関係と国際経済を専攻し、環境を切り口に、「社会変化と開発」を学びました。縁あって、大学院卒業後にすぐコンサベーション・インターナショナル(Conservation International: CI)という国際NGOで環境と開発を両立させる事業に関わることになり、13年間勤務しました。CI時代には、環境NGO団体助成のための世銀や日本政府との「クリティカル・エコシステム・パートナーシップ基金」 や「経団連自然保護基金」の設立に携わるなど、大変やりがいのある仕事をさせてもらいました。

Q. 国連で働くようになった経緯を教えてください。

CIから国連開発計画(UNDP)に移ったのは7年前なのですが、UNDPも含めた国連スタッフとは以前から一緒に仕事をする機会がありましたが、働いていて非常に楽しい人たちでした。NGOは点で光るような革新的な動きを作り出すことができますが、それを繋げて線や面にしていくためには、国連機関などと一緒になって政策レベルに反映し規模を拡大していく必要があります。そういう意味で、私はNGOなど市民社会との連携を国連がどう捉えているのかについて強い関心を持っていました。

そして、偶然その頃UNDPの採用ミッションが日本に来るということで応募を勧められたのです。当時のUNDPは必ずしも途上国でNGOとの接点が多いとは言えなかったので、国連の中から市民社会とのパートナーシップを広げることに私も協力できるのではないかと考えて応募したところ、採用されることになりました。

面白いことに、当初はニューヨーク本部のアラブ局に勤務予定と聞かされていましたが、着任のほぼ一ヶ月前、偶然にも私の誕生日の夜明けに電話がかかってきて、「シリアの常駐副代表」として赴任しないかと打診されたのです。当時はアラビア語も話せませんでしたが、これも運命だろうと腹をくくって東京からダマスカスに向かいました。

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Q. シリアではどのような仕事をされたのですか?

シリアは少し前の日本と少し似て「お上意識」が強く、一般市民が市民社会をつくるという意識が比較的薄い国でした。ただ幸運なことに、新しい大統領が誕生して国全体に新しい風を吹き込もうという時期に私は着任したので、今までになかったさまざまな改革の取り組みに関わることができました。当時は、政府が貧困問題についてようやく表立った作業を始めようとしていた時期でしたし、環境やガバナンス、ジェンダーなどの問題において、市民社会が育つことで改善できることがたくさんあるように思えました。

「シリアは変わらなければならない」という、国際的な圧力をうまく利用しての政府のハイレベルなコミットを受けて、UNDPとしては「開発」を通してシリアの発展を促すよう、政府に提言し支援していきました。MDGを柱とする国家5ヵ年計画が作成できたこともそのひとつですし、ガバナンスの分野でも、政府と共同で女性がより参加しやすい地方選挙にむけた提言作りなど、いろいろなプロジェクトを行うことができるようになりました。環境問題に関して言えば、それまで独立して考えられがちだったのですが、ガバナンスや貧困と結び付けて取り組むよう支援ができたことは大きな変化になったと思いますし、限られた数の国際機関が機能する中、UNDPが中心になって協力する分野が多くあったことには、感慨深いものがありました。

UNDPはすぐには形が見えにくい政策形成にかかわる仕事が多いので、実際の仕事内容を分かりやすく伝える努力もしました。例えば、国内で改革の機運が高まって前出の新5か年計画などが策定されても、当然ながら一般の人々は「計画はいいけれど、今日食べるご飯はどうするの?」と思うわけです。中・長期的な方向性を政府と一緒に作るだけでなく、改革の成果を当面どう見せるかという視点を含めない限り、一般の人々の改革への支援を得ることはできません。また、人々のそうした支持がない限り、改革を継続することは難しいといえます。

そういう中で、私の赴任最後にあたる時期に、大統領夫人とそれぞれの国連機関の代表者が一同に会う前代未問の機会がありました。国連機関はちょっと頭でっかちで貧困の現場とのつながりが薄いとの一般的な印象もあったからでしょう、夫人が現場では何をしているのかと尋ねられました。私はイメージギャップを埋めるチャンス到来と、マイクロ・ファイナンス(低所得者向け小規模金融)などUNDPのアラブ地域内でも認められた実績を紹介し、現場の仕事についても理解して頂くことができました。そして最終的には市民社会発展のためのプロジェクトを作って、シリアでの任務を終えることができました。「市民社会」の醸成に貢献することは当初からの念願でしたので、このプロジェクトの実現には自分でも一番感激しましたね。

イラク戦争やレバノン危機という、隣の国での二度のできごとのため赴任が普通より少々長めになりましたが、その間に、着任当初は30名だった事務所スタッフを、事業拡大に伴って5年間で倍の60名まで増やすことができました。これは私がいる間に行った「チェンジ・マネジメント」、つまり、UNDPシリア事務所の使命と目標を明確にしながら、それに一番資する形で組織を変える、という事務所改革の成果だと思います。2年以上もかかるプロセスですが、その間、同僚とコミュニケーションを密にとり、議論を戦わせながら仕事の内容とやり方(Terms of Reference: ToR)を明確にしていくかたわらで、チームワークも高め、開発の結果につなげていくことできました。チェンジ・マネジメントというと、人員削減につながることも多々ありますが、逆にこのプロセスを通してスタッフ数が膨らんでいったことは、国の中でのUNDPの存在意義がはっきりしていった結果といえます。40以上のプロジェクトの500名近いプロジェクトスタッフの力も借りて、政府と一緒に大きな展開をつき動かしていくことができた5年間でした。

Q. 初めての国連勤務でいきなり副所長になり、苦労されたことはありませんでしたか?

赴任してから、必ず聞かれたのが「国連に何年働いているか」でした。おおかた、国連をどのくらい知っているかで評価されるのだと気づきました。私のように外から中途採用で入ってきた場合UNDPがどのように運営されているのかについて知らないのは当たり前なのですが、以前の勤務先とは、予算の立て方も人事も、決裁の仕方も異なるので、最初は毎日が猛勉強でした。

常駐調整官(Resident Coordinator: RC)をどう支えるのかについても、私にとってまったく新しい仕事でしたが、幸運だったのは、RCの役割自体が世界的に明確にされつつある過程にあたったので、次々と交わされる議論に参加すること自体おもしろかったですね。副所長がUNDPを代表し率いるとはどういうことなのか、ある意味、最初は混沌とした状況の中にポンと入りましたが、次第に皆と一緒になってわかりあっていったという感じでしたね。

さらに良かったのは、UNDPでは組織の変革を早く進めようという意識が強く感じられ、2、3年ごとに色々なシステムを改善するんですよね。これがUNDPの強みでもあるのですが、まるでアメーバのように世の中に合うようさっさと形を変えていく。言い換えれば、前のシステムを熟知しているからといって明日のシステムに対応できるとは限らない。ですから新人でも勉強すれば一緒につくっていけるので、これは私にとってラッキーでした。

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Q. シリア時代のお仕事の中で、一番印象に残っていることは何ですか?

一番印象に残っていることは、シリアが関わってレバノンの大統領候補が暗殺されたのではないか、という一連の国際的な議論が高まった時のことです。レバノンにシリア軍が駐留していたのですが、国連から軍を撤退させる決議が出たことで、シリア国内では国連に対する反発が高まったことは否めません。シリアで働く国連職員、特に現地職員は非常に難しい立場に立たされることになりました。毎日のようにUNDPの事務所にもデモが押し寄せ、対応に追われました。一般の人々から見れば国連といえば、政治的な決定を行う安全保障理事会と開発を支援する国連機関が混同されがちで、現場で働く私たちは、そこのところを常に考えさせられる具体的かつユニークな機会になったと言えます。

そのような中で感じたのは、首相や外務大臣などと日ごろから密に対話を行い、UNDPがシリアで活動する使命について理解しあっておくことが重要だということです。また、現地スタッフとも国連の使命である平和や人権についてよく話していたので、難関を一緒に乗り越えることができたのだと思います。

もうひとつ印象に残る思い出は、2006年夏にイスラエルが突然レバノンを攻撃し、国連ミッション全体が退去しなければならなくなった時のことです。UNDPは現地の国連機関の調整役もしているので、RCは何か起きると調整に回ります。そうなると副代表がUNDPを動かさねばなりません。いつもの会議室がいきなりオペレーションルームに早変わりし、事務所全体で毎日国連スタッフをレバノンからシリア経由で脱出させるために最善を尽くしました。またレバノンからはいきなり2万人近い難民が押し寄せてきていたので、彼らの避難施設や食糧を確保し、保健サービスなどを数日で利用可能にできるようUNICEFやWFP、UNHCRなど他の国連機関と協力し、政府との調整を行いました。普段は紛争国とされていないシリアには緊急事態対応のための能力は常備されていなかったので、レバノンへの支援物資輸送の手配や緊急支援スタッフの派遣要請などを国連が行い、そうした機動的な調整は国連ならではですし、国連らしさを見た気がします。

Q. 現在携わっていらっしゃる仕事について教えてください。

今の仕事はUNDPの環境グループの中にあって、小規模無償プログラム(Small Grant Programme: SGP)という、コミュニティやNGOが行っている革新的な環境イニシアティブに対して直接お金を出すプログラムの実施です。ただし、SGPはリオデジャネイロの地球サミット(1992年)を契機にできたもので、地球環境基金(Global Environment Facility: GEF)に参加する10の国連機関のパートナーシップ・プログラムです。したがって、資金はGEFから出ていますし、私もUNDPからSGPに出向している形になります。過去5年間にSGPへの加盟国は2倍に増え、現在123か国で実施しています。小規模無償とはいえ、毎年の総額は、協調支援を含め円換算で約100億円ほどにものぼります。また、国際的な政府間合意で設立され、NGOやコミュニティ組織に対して直接お金を出すことができる世界規模のスキームとしては、分野を超えてSGPが唯一のものと言われています。

現地での実施に際しては、地域での成功事例を政策レベルにつなげたり(upscaling)他の地域に拡大したり(replication)することで、成果が点から面へと広がります。これが意思決定の過程にも相乗効果をもたし、国レベルの政策もコミュニティにどう裨益するかを考えた上で計画が作られることが期待されます。これは私がまさにやりたかったこと。これまでにも、メキシコでのSGPの支援から始まったハリケーン対策の草の根リスクマネジメントの取り組みや、パキスタンの省エネ住宅作りが、全国的なプログラムにまで大きくなったという好例もあります。

SGPには各国に運営委員会があって、UNDPや政府の代表者のほか、その過半数は市民社会からの代表者で構成されるマルチステークホルダーのアプローチが原則です。そこにコミュニティから直接プロジェクトの申請がきて、選考を行います。ですから、草の根の市民社会にどれだけ裨益し得るかが選考において一番重要なポイントとなります。

それからSGPの斬新なところは、素晴らしい考えはあるけれど申請書が書けないというコミュニティには、一緒になってプロジェクトを設計していくという点です。その意味で、能力開発が現場の仕事の大半であると言っても過言ではありません。支援の対象には先住民族も含まれるので、書面での申請を書くことが難しい場合には、ビデオ申請も認められていて、できるだけ多くのコミュニティが参加できるよう工夫しています。そういう、普通ならばODAの支援が行き届きにくいような遠隔地の貧困層にも、積極的に支援を行っています。なぜなら、気候変動や生物多様性の減少において毎日の生活に一番影響を受ける層は、そうした地域の貧しい人々であり、小さいお金を支援することで大きな変化をもたらすことをSGPでは狙っています。

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Q. 現在取り組んでおられる分野で、日本ができる貢献についてどうお考えですか?

環境問題は、他の問題の一側面として対処することも悪くないけれど、開発の取り組みの中に本流化されて初めて解決されると私は思います。たとえば、気候変動は、環境問題としてくくられるより、まさに開発問題ですよね。開発のためにODAを投資しても、気候変動の影響で効果が半減すると言われています。ですから、環境を担当している機関や部署がいかに色々な分野の人を巻き込んで、包括的アプローチを提示できるかということが大変重要になってきます。

気候変動について言えば、5年前にはこういう形で議論が盛り上がるとは想像がつかなかったはずです。アル・ゴア前副大統領がノーベル賞をもらったことでも認知度が高まりましたが、12月のコペンハーゲンにおけるCOP15(国連気候変動会議)でも問題になったように、新しい課題には斬新な問題解決の枠組みが出てこなければならないと思います。

今までのやり方や、パートナーシップのあり方に限界がきているのは確かです。その意味で、ODAがテコになってもっと大きな力を作りだしていかないと、気候変動のような国家を超えた問題には十分な対応はできないでしょう。つまり、今後は民間セクターとどう協力していくか、彼らがより参加しやすくなるようなインセンティブをどうしたら作り出せるか、ということにより目を向ける必要が出てくるはずです。ですから、日本政府がODAを出すとしたら民間セクターの参加を促すようなスキームを支援するべきですし、二国間援助に加えて、国際的な仕組みづくりに適した多国間援助を実施すべきだと強く思います。

Q. 日本のNGOに対して思うことはありますか?

日本では、NGOは無償ボランティア、自己犠牲で成り立っているなどの固定観念を抱かれることが多いようですが、NGOはプロの集団であるべきです。私が学生だった頃は、NGOは反体制グループと思われた節もありました。でも1995年の神戸での大震災が起きたときには、政府だけですべての復興はできないということが一般人にも伝わりました。プロの集団が入らないと、ボランティアだけでは動かないということも体験から学びました。やっと日本でも市民社会の重要性が広く理解されるようになり、NGO元年とも言われましたよね。その頃から、NGOを就職先として選ぶ人が増えてきたことは、世の中の大きな変化だと思います。だからこそ、なおいっそう、NGOは自分たちがプロの集団だと普通の人にも分かってもらえるように実績を示すことが今後のNGOのさらなる発展につながると思います。

Q. 今後挑戦していきたいことは何ですか?

実は今、Climate Financingにとても関心を持っています。気候変動の対策は「緩和」と「適応」に分けられますが、現場に行くと両方を一緒にやらなければならない場面に出くわします。また、国際的な金融システムがすでにいくつかできあがっていても、それに参加するには能力が不足している国も多々あります。このように、能力開発において国連ができることはたくさんあると思います。さらには、気候変動は特に貧しい人々にしわ寄せがいくことが多いので、SGPのメカニズムを利用して、貧困層が直面する、特に「適応」の問題を直接支援できるしくみ作りにも携わりたいと思います。「適応」への取り組みは、包括的なアプローチが求められます。たとえば、気候変動で水も含めた資源へのアクセスが低くなればコミュニティレベルでもいざこざが増えると予想できますから、自然災害やそれに関連した紛争ができるだけ起こらないように予防することや、女性のエンパワメントも視野に入れなければなりません。革新的な小規模無償のシステムつくりが、今後ますます必要となる分野だと思います。

私は正直なところあまりお金に興味がないのですが(笑)、お金があることによって協力の輪が広がることは素晴らしいと思います。実際、CI時代に関わった前述の「クリティカル・エコシステム・パートナーシップ基金」は政府や国際機関のパートナーシップから、「経団連自然保護基金」は民間セクターから、NGOに直接支援が届く仕組みとなりました。

こうした資金調達のコツがあるとすれば「思い入れ」です。何よりも自分がその必要性を強く信じていることが大切で、それから、どうしたらパートナーとWin-Winの関係を築けるか、共通の関心事となるのか、を考えることが重要だと思います。基金作りは、パートナーシップの構築と意識開発の結果ともいえます。国連には世界銀行のように大きな資金力はありませんが、だからこそ、多国間主義を推進しながら、仕組みを動かすためのニッチな分野に投資をしていくことで、組織間で相互補完ができると思います。
Q. 好きな言葉は何ですか?

一期一会。今この瞬間を大切にしたいし、特に出会っている人を大切にしたいです。そうやって私達は繋がっていくのだと思いますし。ただ、ヨガの先生に「今に集中にしてください」とよく言われるのですが、これはなかなかできないことだと実感します。「一期一会」は口で言うほど簡単なことではないようですね。

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Q. 最後に、グローバルイシューに取り組むことを考えている人たちへメッセージをお願いします。

自分がこうすべきだと思うこと、つまり、自分が実現したい仕事を“つくって”いくことが重要だと思います。私がCIに入った時にも仕事は明確ではありませんでした。CEOからのガイダンスはひとつだけで、「Succeed!」と言われました。でも、どうしたらミッションを達成できるか一生懸命考えていたら周りの方々が自然と協力して下さいました。本人にやる気があり、のっていると、周りも助けてくれる。今の仕事もTORはあるけれど、基本がSGPのヴィジョンをつくる仕事なので、(その苦しみも含めて)仕事はやっぱりつくりあげていくものだと思うんですよね。与えられたものをこなすだけではなく、創造していく部分が多い。そういう風に自分を活かしていける方向を探っていけばいいのではないでしょうか。

国連は官僚組織とよく言われますが、むしろ挑戦させてくれる場所だと私は思います。私にとって、国連に所属するということはゴールではありません。自分が何に、どう貢献できるかということが一番大切なことだと思っています。CIにいた時も毎日が楽しくて、そこにいたからこそできた仕事がたくさんありました。だから属している組織ではなく、一緒に働いている人と何をつくっていけるか、組織の外にいる人をどうやって巻き込んでいけるかを考える。そして何より自分がまず楽しむ。それが仕事をより楽しくする秘訣なのかなと思います。

2009年11月1日 ニューヨークにて収録
聞き手:田辺陽子
写真:田瀬和夫
ウェブ掲載:岩崎寛央