ミャンマー・スタディ・プログラム - 報告書「4.4. ネピドー班」

4.4.1. UNFPA

  • 日時:2014年11月28日(金)
  • 場所:Nay Pyi Taw (ネピドー)
  • 担当者名:Heli Inkeri Leskela, Programme Analyst, Census

ブリーフィング内容

1983年以来、31年ぶりに行われた国勢調査(以下センサス)のセンサスオフィスを訪問。UNFPA(UN Population Fund、国連人口基金)・その他国際機関・各国ドナーにより、ミャンマー政府に知識、技術、資金を提供し実施された。センサスプロジェクトで大きな役割を担っているUNFPAのスタッフからだけではなく、Ministry of Population(人口省)の役員 からもブリーフィングを受けることができた。それに加え、人口省大臣からの歓迎スピーチもあり、 ドナー国(日本の対ミャンマー有償資金・無償資金・技術協力援助実績額合計2304.29億円)からの訪問者ということを意識する貴重な機会となった。

ブリーフィングは主に2つのパートに分かれた。前半は、センサスについて・データ集計内容・集計方法などを中心に人口省の役員から、後半は、 センサスの技術的なこと、データを集計した後の分析の話などをUNFPAのスタッフから説明してもらった。

インプット内容

  1. ミャンマーセンサスとは。
    • ミャンマー政府は、1983年以来、実に31年ぶりにセンサスをおこなった。これには、主に(1)自国の能力構築(キャパシティビルディング)(2)正確な社会経済的なデータをとり、それに基づく科学的根拠(evidence based)による政策判断、そしてより効率性の高い政策づくりと再建を目指す(3)世界に調査結果を提供し、特に国連機関やドナー国からの援助を促す、という目的がある。一斉調査のための調査員11万5000人、USD$5850万もの資金を導入し実施された。
  2. 統計結果(Provisional version: 暫定版)。
    • (1)人口= 5141万9420人 ※うち120万6353人は推定数値(カチン州・カレン州・ラカイン州の一部地域では、少数民族・宗教・政治的問題のため、実施するのが難しく正確なデータはとれていない)
    • (2)男女比= 男性:女性= 2482万1176人:2659万8244人≒ 1:1.07
    • (3)世帯数= 1088万9348
    • (4)家族構成= 4.4人。カチン州・チン州(5.1人)。エーヤワディ地方域・バゴー地方域・マグウェ地方域・ネピドー連邦直轄市(4.1人)。
    • (5)都市部人口= 1486万4119人(全体比29.6%)。ヤンゴン地方域(地方域内比70.1%)、カチン州(州内比36.0%)、マグウェ地方域(地方域内比15.1%)、エーヤワディ地方域(地方域内比14.1%)
    • (6)人口密度= 76人/㎞2。ヤンゴン地方域(723人/㎞2)、マンダレー地方域(206人/㎞2)、カチン州(19人/㎞2)、チン州(13人/㎞2)
  3. センサス質問内容(一部)。
    • 年齢・性別・民族・婚姻状況・宗教・出生地・居住地・学歴・就業・障害
  4. 集計方法
    • 2014年3月29日(“センサスの夜”)に調査員(enumerator:学校の教師が担当)によって、その時間帯にその場所にいた全ての人々に対して実施された。全国8万1744区間に区切られた調査区間(Enumeration Areas: EAs: 平均125世帯/EA)の地図を元に、調査員はセンサス調査を実施。海外のミャンマー大使館で働いている職員および家族(1000人以下)は、ネピドー市役所に数えられた。
    • ※ 問題点
      • (1)カチン州・カレン州・ラカイン州のいくつかの村では、正確なデータがとれなかったため、推定数値となっている。北方ラカイン州・カチン州のいくつかの村では、KIO(Kachin Independent Organisation: カチン独立機構)が占拠している影響で、調査員の現地入りの許可がおりず正確なデータをとることができなかった。カチン州では、おおよそ97の村が対象外になった。
      • (2)ラカイン州のいくつかのコミュニティでは、衝突を避けるため、調査対象にしなかった人達がいる(ロヒンギャ)
      • (3)民族項目の“その他”。
  5. データ読み込み・エラー修正・資料保管方法
    • (1)集められた資料はダンボールにつめられ、センサス事務所へ送られる。それらをまず手作業で確認する。3回の確認作業があり、その都度色付きシールをダンボールに貼り、混乱をさけた(青色:スキャン準備完了、緑色:スキャンシステムに登録、オレンジ色:スキャン終了)。資料は8台の機械によって効率的にスキャンされる(15万枚/日/台)。
    • (2)機械によって判別できない手書き文字(特に数字・人の名前・職業など)は、画像としてセントラルデータベースに集約され、その後手動で(コンピューターを使用して)作業員が判別・修正する。(職業分類は区分の作成から行っているため集計に時間を要している。)
    • (3)一つのファイルに一つの村の資料がまとめられ、保管される。

質疑応答(質問と、その答え)

  • 質問1「センサスにIDP(Internally Displaced People: 国内避難民)は含まれているのか?」
    • 回答1「含まれている。IDPキャンプの人々もきちんとカウントをし、データに加えている。」
  • 質問2「ミャンマーには、国民IDがあり住民一人ひとりにIDが配られていると聞いたが、今回のセンサスで調査した結果をもとに、国民IDの情報を更新したり、活用したりしないのか?」
    • 回答2「センサス調査で得られたデータは、人口調査のみに使用するという法律があり、その他の目的では使用できないし、使用しない。」
  • 質問3「学校の先生に末端の調査を任せて、正しいデータは取れるのか?学校の先生とコミュニティの関係性は?」
    • 回答3「学校の先生とコミュニティの関係性はとても近く、学校の先生はこの調査をする前から各家庭・コミュニティのことはかなり知っていた。かつ、コミュニティからの信頼も厚いので、他の調査員がぱっと行って質問するよりも正確なデータが取れたと思う。」
  • 質問4「次回のセンサスの時など、デジタル機器(パットやスマートフォン)などを駆使しデータを集計・統計したほうが効率よいと思うが、そのような可能性は、将来的にあるのか?」
    • 回答4「残念ながら、そのような計画はまったくなく、次回のセンサスでそのようなデジタル機器を使用してセンサスを行う可能性は、限りなくゼロに近いだろう。」
  • 質問5「人口調査において都市化を把握するためには、夜間人口だけでなく昼間人口も計算する必要があるのではないか?」
    • 回答5「日本とミャンマーでは状況が大きく異なるが、今後ミャンマーが発展していく上ではそのような調査も必要になる可能性はある。」
  • 質問6「経済活動に関する質問項目が少ないように感じるが、ミャンマー経済への国際的な関心を考慮すると、月間収入など具体的な家計の質問をしても良いのではないか。」
    • 回答6「経済活動については追って労働省が行う予定である。地域の零細な経済活動に関してはセンサスのような個別訪問でないと把握しきれない部分があると言うのも一理あるが、現在そのような計画はない。」

参加者の声(亀山直人さん )

何と言っても圧巻だったのは整然と並ぶ、おびただしい量の段ボールだ。薄暗く天井の高い部屋に所狭しと詰まった生データの列に、ミャンマーという国の高いポテンシャルを感じた。同行してくれた職員の方が、「この列はマンダレー、隣はヤンゴン」とデータが収集された場所を一つ一つ説明してくれる。タウンシップごとに一箱ずつ番号が振られ、青、緑、オレンジのステッカーがトリプルチェックを通過したことを意味する。あらゆる手を使って間違いを未然に防ごうとしていたことがうかがえる。それにしても、準備から現地に赴いてのデータ集計まですべてが手作業だ。考えるだけで気が遠くなりそうだった。
 
今回の調査は、前回の人口調査の質問内容をベースに今回も進められたものの、幾つか新たに加えられた質問がある。教育や祖先についての項目がそれに当てはまるのだが、個人的にはこの国の将来を考えると、人種や宗教など、この国ならではの質問をもっと掘り下げたほうが有効なデータが収集できたのではないかと思った。5800万USDという巨額な予算のかかったプロジェクトなので、この最新データをもっと有効的に、社会福祉保険やデータバンクに使わない手はないと日本人としては考えてしまうところだが、このデータの取り扱いに関しては政府側も考えきれていないような印象を受けた。

さて、30年ぶりに実施されたこの調査だが、次回も同じ調査が行われるとしたらどうなるのだろうか。個人的に今回二回目のミャンマー訪問を終えて言えることは、5年10年後のヤンゴンは確実に今よりも都市化し、情報化の波に影響を受けるだろうということだ。民主化によって周辺国の流行がより早くヤンゴン市民の生活に届くことで、バンコクやシンガポールを追う形で都市部の発展が進むだろう。その一方で、現在も電気がない生活をしている農村に住む人々は、10年後に今のヤンゴンの生活水準に達しているとも思えない。私の疑問は、果たして今回と同様、一つの調査方法でその時満足な情報が収集できるのかどうかという点だ。アナログのまま実行するのか、新たな方法を模索するのか、注目していたいと思う。

今回の調査ではじき出された人口数は、当初の推測よりも1000万人少ない5141万人だった。そればかりを取り上げるメディアを数多く見たが、それよりもこの調査を政府と国連機関が手を組み、8カ国の協力を得て実行したことの方がよっぽど意義があることなのではないかと今回の訪問を通じて感じることができた。

ひとつ気になっていたのは、同行してくださった政府関係のカメラマンが、写真を撮る私の写真を何枚も撮っていたことだ。私は広報班の一人としてできるだけ詳細な記録を残すべく、許可をもらったすべての場所で必死にシャッターを切っていたのだが、先方としても外部向けの広報誌に使うオイシイ写真が必要なのかな・・・と余計なことを考えていた。何と言っても私は報告会で使えそうなオイシイ写真がたくさん撮れて興奮しっぱなしだったのでその時はあまり気にかけなかったが、こうして自分で報告書を書いてみると静止画データの重要性に気づかせられる。

そして政府機関の方の対応の良さに少し拍子抜けしたことは最後に付け加えておきたい。もちろん彼らの教えてくれた情報が100%正しかったとは思っていない。しかし個々の質問に対して身振り手振り交えながらも真摯に答えてくれようとしてくれたことは、想像していた人物像、とりわけ映画に出てきそうな軍関係者とはかけ離れた、親切なミャンマー人であったことだけは参加者の声ということで伝えておきたいと思う。

4.4.2. FAO

  • 日時:2014年11月28日(金)
  • 場所:ネピドー市近郊トゥザナカリ僧院学校
  • 担当者略歴:Mr. Saya U Ko Ko, (FAO)

ブリーフィング内容

  • ここの子どもたちは、紛争が原因で孤児になった子や、親が極度の貧困状態のために送られてきた子だ。
    • 敷地内にある畑では、トウモロコシやオクラなど10種類ほどの野菜を育てている。
    • 水やりなどの畑の管理は、子どもたちが順番でする。
    • 子どもたちは、改宗も可能である。
    • 中には高校や大学にも進み、一般的な職につく子どもたちもいる。
    • いらなくなった服等あれば寄付していただけると非常に助かる。

参加者の声(小林友さん)

  • 違和感と怖れ、最初に感じたのはそういう印象。
  • カチン州の避難民キャンプで会った子供たちの無邪気な笑顔とは対極であった。開放的な屋根の下、美しい歌が響く。仏陀の紀伝か、経典か。黒板に文字が書かれ、その前で僧侶と4-5歳ほどの子ども達数人が輪唱している。別の板には、ビルマ文字で筆算が書かれている。1つの筆算の前で、こちらは大勢、20数人の子供たちが静かに座っている。突然来訪した私達に、興味を抱き目で追いかけては来るが、こちらが挨拶代わりに笑顔を向けても誰ひとり笑わない。
  • ここにいる子供達には、共通して何か異様さを感じる。もしくは、自分とはまるで違う世界観を生きている。こういう空気を持つ子供を、私は初めて見た。親と離れて可哀想という感情が、最初持てなかった。私と価値観があまりに異なる事が明らかだったから。
  • 本堂で休憩させて頂き、また教室の方へ出ると、突如彼らは整列して、歌いだした。愛らしい身ぶりを持って、無表情で歓迎の歌を歌う。訓練兵を想起させる団体芸さながらであった。でも今度は、私の抱いた感情は、怖れではなく、畏敬であった。この仏教寺院の教えが、彼らの髄まで染み込んでいて、ここで習った1つ1つの事が、彼らの存在の根底になっているのだと思った。無表情だが爛々とした眼光は無邪気に笑う子供と同等に尊い。
  • 家庭の経済的理由によって人身売買の対象となる子供も多くいる中で、この僧院に来た子供たちは、教育を受け、衣食を与えられ、仲間を得られる意味では救われている。
  • 訪問で見えた問題は比較的明確だった。社会全体に対し「子供を育てられる経済的保障」「家族計画の概念の啓蒙」が必要である事、また僧院が抱える問題点として寄付・援助に完全に依存しており経営が不安定である事など、説明を受けながら改善の余地を感じた。
  • 帰国後に抱いた疑問としては、彼らは将来結婚して子供を作るのだろうかという事。「選択権」が無い状態で僧院につれて来られた彼らに、将来の選択肢はどの程度与えられるのか疑問である。僧侶からの説明では、改宗も可能だし、高校・大学へ進み一般的な職に就く者もいるとの事であった。援助を受けた子供たちの次世代が、豊かな生活を送れるようにと願う。
  • 彼らの親はどんな気持ちで僧院に子供を送りだしたか。子供のより良い生活のために、子供を手放す行為は正当であると思う。しかし、それをさせる環境に対して援助機関はアクセスし改善していかなければならない。