第177回:堀井健士さん 国連児童基金(UNICEF)コンゴ民主共和国事務所 プログラム専門官(パートナーシップ)

今回の「国連職員NOW!」では、国連児童基金(UNICEF:ユニセフ)のコンゴ民主共和国(DRC)事務所でプログラム専門官(パートナーシップ)として活躍されている堀井さんにお話を伺いました。堀井さんは、各国の大使館や援助機関との調整、資金調達の交渉、さらに他の国際機関との連携を通じて、UNICEFのプロジェクトを支える重要な役割を担っています。これまでの道のり、教育に対する深い思い、そして現場での具体的な経験を踏まえた話から、堀井さんがどのように国際協力の仕事を進めてきたかが垣間見えます。

写真① UNICEFコンゴ民主共和国事務所 プログラム専門官(パートナーシップ) 堀井健士さん

プロフィール

堀井健士(ほりい たけし):千葉県出身。法政大学文学部英文学科卒業。青年海外協力隊として西アフリカのベナン共和国でコミュニティ開発の分野で活動後、ロンドン大学教育研究所(Institute of Education)で修士号(教育と国際開発)を取得。在ハイチ日本国大使館で草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員を務め、その後在ベナン日本国大使館で専門調査員として政務・経済・広報文化事業を担当。2017年よりJPO (ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)として UNICEFブルキナファソ事務所で教育支援を担当。2021年よりUNICEFコンゴ民主共和国事務所でプログラム専門官 (パートナーシップ)として勤務。

Q: まずは自己紹介と、現在のお仕事について教えてください。

私はUNICEFのコンゴ民主共和国事務所でプログラム専門官(パートナーシップ)として働いています。公的パートナーシップの担当ということで、各国の大使館や援助機関との調整、拠出金の交渉や契約締結、資金の適切な管理、ドナーへの報告書の提出など、公的パートナーシップに係る一連の業務を手掛けています。さらに、他の国際機関、例えばWFP(国連世界食糧計画)やFAO(国連食糧農業機関)と共同プロジェクトを実施する際は、各機関および資金を拠出するドナーとの調整も行っています。

開発支援に加え、UNICEFには「Humanitarian Action for Children」というアピールがあり、これに基づいて毎年の人道支援活動を計画しています。コンゴは特に東部で紛争が続き、人道危機が絶えない地域です。さらにコレラやエボラといった感染症の流行も頻繁に発生しており、最近ではM-POXの感染も問題になっています。そうした状況下で、私たちは子どもたちの命を守り、教育や医療、水と衛生、人権の保護といった基礎的な社会サービスを提供するため、コンゴ民主共和国政府、各国政府や世界銀行、国連人道問題調整部(OCHA)や他の国際機関などど連携し、現場での支援を実施しています。

写真② UNICEF代表団が、コンゴ民主共和国タンガニーカ県ムプングウェ村とカノワ村のUNICEF支援コミュニティ・アニメーション・セル​​のメンバーと面会した時の様子(2024年10月3日)

Q: 国際協力の道に進んだきっかけは何ですか?

最初は特に国際協力を目指していたわけではなく、大学に入るときは「英語が好き」というくらいの理由で英文科を選びました。実は私は、高校に行っていなくて、中学生の頃は不登校でした。その後、大学入学資格検定を受けて大学の英文科に進学したんですが、大学で勉強したり、英語だけで行われる授業で出逢った友人にも影響されて、海外のことに興味を持つようになりました。英語だけでなくスペイン語も真剣に学び、法政大学の派遣留学制度を利用してカリフォルニア大学デイビス校に留学したり、長期休暇ではインドネシアのバリ島やコスタリカに長期滞在したりしました。そういった海外での経験から自然と「海外で働きたい」という気持ちが強くなっていきました。

加えて、訪れた国々で、舗装されていない道や、母国語で教育を受けられない子どもたちの状況に衝撃を受けました。「自分に何ができるんだろう?」という思いが、その時初めて芽生えました。そこで、具体的に国際協力の道を考えるようになったんです。

Q: 青年海外協力隊に参加した経緯について教えてください。

青年海外協力隊に応募したのは、ちょうど大学を卒業したタイミングで、もっと直接的に海外で働きたいと思ったからです。当時はスペイン語を勉強していたので、中南米に行きたいと思っていたのですが、面接のときに「スペイン語も英語もできるなら、他の言語もやってみたら?」と提案されました。結果として、アフリカのベナンというフランス語圏の国に派遣されることになり、そこからアフリカでの生活が始まりました。

Q: ベナンでの経験はどのようなものでしたか?

ベナンでは、最初は本当に何もできなかったという印象が強いです。経験も浅く、本当に手探りの活動だったと思います。今思えば政府への働きかけや周囲への巻き込みなど、もう少し上手なやり方があったのかもしれません。ただ、現地の人と同じコミュニティに入ってみて、同じ生活を送る中で、少しずつその社会や文化に対する理解が深まっていきました。これは非常に良い経験だったと思います。

ベナンで一番印象に残っているのは、教育に関する問題です。ベナンでは、多くの子どもたちがフランス語で教育を受けていますが、それが彼らの母語ではないため、学習に大きな壁があるんです。さらに、教科書や文房具が不足していたり、教師が十分な訓練を受けていないなどの課題もありました。そういった現状に直面しながらも、自分の力不足を感じることが多く、もっと現場で役立てるようなスキルを身につけたいという思いが強まりました。

写真③ ベナン、コトヌー漁港女性の家(堀井さんの青年海外協力隊時代の配属先)の託児所にて

Q: その後、ロンドン大学で教育を学び、UNICEFに進まれたのですね。

そうですね、元々不登校だった自分が大学に入り、教育によって人生が変わったという強い実感を持ったということと、ベナンでの経験から教育によって国の根幹を作る人を育てることの重要性を感じたことで、「教育」という分野にもっと深く関わりたいという気持ちが生まれました。

そこで、ロンドン大学のInstitute of Educationに進学し、教育の理論や政策を学びました。途上国の教育システムや、教育が社会や経済に与える影響について研究する中で、教育が持つ力を改めて実感しました。

修士号取得後は、在ハイチ日本大使館の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というプログラムに携わるポストに応募して働くことになりました。具体的には、学校建設や保健センターの建設・機材整備など様々なプロジェクトなどを担当しました。

その後、外務省の在外公館専門調査員として在ベナン日本大使館で勤務した後、JPO制度を利用してUNICEFに応募し、ブルキナファソで教育担当官として勤務しました。JPOには色んなポストがあったんですが、自分の強みは「教育」と「フランス語」だったので、両方を満たすのがUNICEFのブルキナファソ事務所でした。

Q: ブルキナファソでのラジオ教育プログラムについて詳しく教えてください。

ブルキナファソでは、紛争の影響で多くの学校が閉鎖されており、特に北部地域では武装勢力による学校襲撃が頻発していました。そのため、多くの子どもたちが学校に通えなくなっていました。そこで、UNICEFは政府と協力して「ラジオ教育プログラム」を立ち上げました。このプログラムは、ラジオを使って遠隔地の子どもたちに教育を提供する取り組みです。

ちょうどプログラムの準備が整ってきた頃、COVID-19の影響で全国の学校が閉鎖され、教育がストップする危機的な状況になりました。そこで、政府と交渉して、紛争の影響を受けていた一部地域だけで開始予定だったこのラジオ教育プログラムを一気に全国で放送開始し、学校に通えない子どもたちが自宅で学べるようになりました。ラジオを使った教育というのは、学校教育の代替にはなり得ないものの、画期的な取り組みで、紛争やCOVID-19など非常事態下で子どもたちに教育の機会を提供できる有効な手段です。ただ、正直なところ成果を測るのは簡単ではありませんでした。また、緊急的に全国で放送を開始するためのブルキナファソ政府との交渉も、当時まだCOVID-19の全貌がわからず混乱していたこともあり、大変でした。

Q: ラジオ教育プログラムの成果を測るのは難しいとおっしゃいましたが、どのような課題がありましたか?

ラジオ教育プログラムの最大の課題は、実際にどれだけの子どもたちがラジオを聴いているのか、そしてその教育がどれほど効果的だったのかを定量的に評価することが非常に難しい点です。ラジオを聴いているかどうかというデータを集めるのは難しいですし、どれだけの学びがあったかを測定するのも困難です。私たちは現地に赴いて、ラジオ教育を聴いた子どもたちや家族と直接話をしたり、フィードバックを集めたりする質的な調査も行いましたが、それでも限界がありました。

そのため、SMSを使ったアンケートやクイズ形式で学びの成果を確認する量的な調査も試みましたが、インフラやアクセスの問題で十分なサンプルを集めることができませんでした。これがラジオ教育プログラムにおいて非常に難しい部分であり、プログラムのインパクトを定量的に示すことの課題を痛感しました。

Q: 現場での苦労とやりがいについて教えてください。

現場での仕事は、多くの苦労があります。特にコンゴ民主共和国のように、長期にわたって紛争や感染症の影響が続く地域では、常に厳しい現実に直面します。栄養失調で苦しんでいる子どもや、教育を受ける権利が奪われている子どもたちを見ると、もっと仕事を頑張らないといけない、と思い知らされます。

一方で、仕事の結果から感じられるやりがいも非常に大きいです。たとえば、ブルキナファソでのラジオ教育プログラムを通じて、学校に通えない子どもたちに一定の教育の機会を提供できたことは、非常に意義深い経験でした。子どもたちの笑顔を見ると、自分たちの仕事が役立っていると実感します。特に教育は、すぐに結果が見えるわけではないですが、長期的に見たときに、彼らの人生にどれほどの影響を与えるかを考えると、この仕事を続ける価値があると強く感じます。

Q: ワークライフバランスについてもお聞かせください。

国際機関の仕事は、意外とワークライフバランスが良いと思います。もちろん、緊急対応が必要な場合もありますが、基本的には家族との時間をしっかり取ることができています。コンゴでの生活は日本とは違い、治安の面から外出の機会も少ないので、家族と過ごす時間が自然と増えています。娘が2人いるのですが、まだまだ小さい時期なので、一緒に過ごす時間が多いことは非常にありがたいです。

少し話は脱線しますが、UNICEFで働いていると、一定の水準以上の、質の高い教育を子どもに受けさせられることがいかに重要なのかということを身に染みて感じています。私自身アフリカで幼少期を過ごしたことがないので、ずっとアフリカで育っている娘たちの経験や苦労は想像もできませんが、最低限、しっかりとした教育を受け、健康に育ってくれればいいな、と思っています。

Q: UNICEFのアフリカの事務所で働いてどのようなことを感じていますか?

相手に先入観を持たずに接することが大切だと感じます。国際機関の職員は出身国やバックグラウンドが異なることがほとんどなので、お互いにとっての「常識」は存在しないことを痛感しています。また、国際スタッフ、ナショナルスタッフ問わず優秀で尊敬できる同僚がたくさんいるので、一緒に働くのは楽しいです。

また、日本にいるときにはアフリカといえば「紛争」「飢餓」などネガティブな印象が強かったんですが、今ではポジティブな印象の方が強いです。都市部はアフリカでもかなり発展していますし、特に地方に行くと、本当に何もないような場所でも、子どもたちがとてもいい笑顔をしているんです。幸せとはお金だけがすべてではないということを強く感じます。そして、アフリカは日本より子どもに対する目線が優しい気がしていて、子育てがしやすいと感じます。たとえば、レストランで初対面の店員がちょっとした子どものお世話をしてくれることも珍しくありません。

Q: 最後に、国際機関でのキャリアを目指す方へのメッセージをお願いします。

UNICEFなどの国際機関で働くのは、一見すると難しいと思われがちですが、実際には語学力さえあれば門戸は開かれています。特に日本人は、非常に高いクオリティで仕事をしていると思うので、国際機関でもそのスキルを十分に発揮できると思います。私自身、イレギュラーなパターンで大学入学をして、そこで海外に興味を持ち、青年海外協力隊からキャリアをスタートしましたが、そこから国際機関に進むことができました。

また、今の環境が苦しいと思っている人こそ、ぜひ国際協力に関心を持ってほしいです。もしかしたら、世界に出て働くことで新たな居場所、活躍の場を見つけることができるかもしれません。

国際協力に興味を持っている方は、まずは小さなステップでも良いので行動に移してみてください。国際社会でのキャリアは、自分自身の行動次第で大きく広がります。挑戦を恐れず、まずは一歩踏み出してみてください。

写真④ UNICEF DRC(コンゴ゚民主共和国)のスタッフとの集合写真

【参考資料・URL】

「スクール・フォー・アフリカ活動報告会」国連児童基金(UNICEF)ブルキナファソ事務所 教育担当官 堀井健士氏 報告

「スクール・フォー・アフリカ活動報告会」 ユニセフ・ブルキナファソ事務所 教育担当官 堀井健士氏 報告

アフリカの教育支援にご協力いただく毎月の募金プログラム『ユニセフ・マンスリーサポート・プログラム スクール・フォー・アフリカ』。ユニセフ・ブルキナファソ事務所…

法政大学 グローバル教育センター 卒業生メッセージ 堀井健士

https://www.global.hosei.ac.jp/interview/graduates/horii/

2024年9月18日ウェブにて収録
聞き手:郭拓人、久保島結希、住野英理、中村理香、岡本昻
編集:中村理香、岡本昻