第176回:渡邊温子さん 国連高等難民弁務官事務所(UNHCR) 駐日事務所渉外担当官
国連職員NOW!第176回では、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所にて渉外担当官を務めていらっしゃる渡邊温子さんにお話を伺いました。コスタリカの国連平和大学で平和学を学び、南スーダンやパキスタン、ネパールなどの国で豊富な現場経験を積んだ後、東京のUNHCR事務所にて広報のお仕事をされていらっしゃいます。渡邊さんの温かいお人柄が伝わるインタビューをぜひお楽しみください。
(プロフィール)
渡邊温子(わたなべ あつこ):大阪外国語大学(現大阪大学)卒業後、教員として勤務。コスタリカの国連平和大学で修士号(平和学)を取得後、2010年に外務省の平和構築人材育成事業の一環でUNICEFウガンダにUNボランティア教育担当官として勤務。NGO、在外公館においてプロジェクトマネジメントやプロジェクトアセスメント関連の海外勤務経験後、2013年よりUNHCRでジュニアプロフェッショナルオフィサー(JPO)、准プログラム担当官として南スーダンに勤務し、緊急人道援助に携わる。その後、ネパール、パキスタンにプログラム担当官として勤務し、2020年より現職。
Q. 国際協力に興味を持つようになったきっかけは何ですか?
私が高校生の頃、コソボ紛争が発生し、そのニュースを取り上げた新聞の一面でたまたま見た写真がきっかけです。紛争がきっかけで、小さな少年が家を追われ、避難しているところで、馬車に揺られながら泣いていました。私自身、これまで毎日何不自由なく学校へ行く生活を送っていましたが、生まれた場所や環境で境遇に差ができるのはおかしいのではないかという強い疑問を持つようになりました。その後、自分にできることは何かを考えるようになり、国際関係・国際協力に興味を持つようになりました。また公益に貢献したいと、漠然と国際機関で働けたらと思うようになりました。
Q.現在までの仕事内容をおおまかに教えてください。
大学を卒業した後は、3年間日本で中学校の教員をした後、コスタリカの国連平和大学で修士号(平和学)を取得しました。世界中の色々な国から来た人たちと切磋琢磨しながら、平和学を学べたことは大きな財産になりました。
その後、外務省の「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」に応募し、UNICEF(国連国際児童緊急基金)ウガンダで教育担当官(国連ボランティア:UNV)として勤務しました。ここではまさに日本での教員の経験を生かすことができました。
UNV終了後は、日本のNGOの職員として南スーダンに駐在しました。南スーダンでは、出稼ぎ等を目的に都市に移動してきた子ども・青年がストリートチルドレンになっており、教育が重要な課題です。私は、プロジェクトコーディネーターとして、インフォーマル教育事業の強化に携わりました。
その後は、外務省の草の根協力員としてインド・ムンバイの日本総領事館に勤務し、現地のNGOが応募するプロジェクト案件のニーズ調査や実施中の案件のモニタリング、実施済み案件の評価などを担当しました。
そして再び南スーダンへ移り、JPO(Junior Professional Officer)派遣制度を通じてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)南スーダン事務所に派遣され、UNHCRでのキャリアがスタートしました。私は准プログラム担当官として、予算編成、モニタリング、評価、パートナー団体や各機関との調整などを行っていました。当時は南スーダンが独立した直後ということもあり、帰還民が多く、難民にとって帰還するということがどれだけ意味のあることかを肌で感じることができました。
その後、ネパール東部のダマックにプログラム担当官として赴き、現地政府と協力して難民の社会統合という課題に取り組みました。難民、政府、パートナー団体等の関係者が協議できる場とその仕組み作りや、難民が必要なサービスを受けられるよう政府との議論・交渉に携わったりしました。
ネパールの後に赴任したパキスタンでは、首都イスラマバードの事務所で国内各地域のオフィスと連携し、パキスタン全体でのプログラム策定の取りまとめを行いました。
現在はUNHCR駐日事務所で渉外担当官をしています。これまでのプログラム担当官とは違い、主に日本政府との連携や日本の皆さんにも難民支援の現場の話、現状を伝える活動をしています。こちらも大変意義のある仕事であるとともに、以前とは違った角度から難民支援に携わることで、自身の経験の幅を広げることにもつながり、日々学びの連続です。
Q. 大学卒業後にファーストキャリアとして教員を選んだ理由を教えてください。教員としての経験が、その後の大学院での学びやキャリアにどのように活かされたと感じていますか?
大学時代は留学、ボランティア等の機会を利用して海外に出ていましたが、あまり具体的な就職の方向性を描けていませんでした。国連で働きたいという夢はありましたが、そのための専門性や職歴が欠けていることは自分でも承知しており、その地点では遠い夢でした。
学年が上がり、就職活動に悩んだ私は、実家の名古屋滞在中に当時名古屋大学に在籍されており、UNESCO(国連教育科学文化機関)での職務経験がある先生の研究室を訪問しました。突然の訪問だったにも関わらずじっくりキャリア相談に乗ってくださった気さくな先生は、専門性と即戦力が必要で、専門分野となると大きく国際法・経済・教育の分野があること、そのいずれかを軸としたファーストキャリアに進むのも一案であることなどのアドバイスしてくださいました。そこで私はその中でもすでに教員免許を取得していた「教育」分野を専門性の柱として進んでみることにし、教員としてのキャリアをスタートすることになりました。また、父が英語の教員をしていたため、教職が身近だったということも影響していたと思います。
Q. 国際協力の分野に関心を持たれてからコスタリカの国連平和大学を選んだ理由は何ですか?コスタリカではどのような気づき・学びがありましたか?
平和に貢献する新しい学問は、純粋に面白そうな学問だと感じたことが大きかったと思います。国際紛争だけでなく、構造的暴力という当時の私には目から鱗のような考え方もあると知り、学んでみたいと感じました。さらに、平和学はinterdisciplinary(学際的)な学問であり、教員を辞めて修士号取得する際に、どこから深掘りしていけばよいか迷っていた私には幅広く学べる平和学はとても魅力的でした。
コスタリカを選んだきっかけとしては、日本財団が奨学金を出していたということも大きいです。
奨学金について調べていくうちに、アジア人への奨学金で英語のコースを受けられると知りました。海外のどこかで勉強しようと考えていた際に、ちょうど自分の興味がある分野に奨学金の枠があったので、応募したのです。
Q. 国連平和大学ではどのような経験をしましたか?
私が通っていた時には専任教授の他に、名の知れた講師の方たちが短期集中で講義を行う形式で、1、2か月は同じテーマを同じクラスメイトたちとじっくり学ぶという経験をしました。世界中から色々な人が来ていましたが、大学自体が小さいので、国際色豊かで密なコミュニティができあがります。私のような日本財団の奨学生がいるので、日本人もそれなりにいましたが、様々な国籍、文化、経歴をもつ人々の中で、しっかりとコミュニケーションを取るという経験を積むことができました。
Q. 教員としては何年勤務しましたか?また、日本での教員の経験で国際協力の仕事に活用出来たことは何ですか?
前述の名古屋大学の先生にもキャリアと呼べる経験を得るには3年必要と聞いていたため、3年勤務しました。この経験があったからこそ、UNICEFで教育担当官としてのポストに就くことができました。担当内容にToT(Training of Trainersの略、「教師トレーニング」)や学校のモニタリングがあり、日本の教員経験により、現場の先生の苦労が理解でき、それを仕事に生かすことができたと感じています。
Q. 私(注:インタビュアー)は平和構築を学んでいますが、平和構築と関連するものは非常に範囲が広く、専門性として国連やNGO等でのポストに繋げることが難しいと感じています。渡邊さんは、大学院での平和学の学位や学びをどのように具体的な専門性やポストに繋げていこうとしましたか?
興味のある分野、その専門性があって、その知識と経験が国際機関でのキャリアにつながるのが理想的かもしれませんが、私は逆に国連の理念へのあこがれが始めにあり、どういった分野で学び、経験を積もうかと考えていました。試行錯誤のなか、教職につき、次の修士号のステップで縁があったのが平和学でした。その時に自分の興味があった方向、学んでみたいところに進んだという感じです。
仰る通り平和学は分野横断的で、私が学んだ大学にも、ジェンダー、メディア、教育といった幅広いコースがありましたが、逆に言えば分野を限ることなく学べる機会であり、この分野横断的な学びが後のキャリアの下地の一部になっていると思います。
ポストにつなげるという点では、幅広い学びの中から、自分がやってきたこと、それによって何をしたいのか、どう貢献できるか、一貫性を持って説明することが重要だと思います。
Q. UNICEFのUNV教育担当官としてウガンダに勤務されていた頃の業務内容は何でしたか?また、どのような学びがあったか教えてください。
カラモジャという地域で教育担当官として活動していました。この地域の主な部族は伝統的に牛の放牧を生業としており、牛が財産として価値をもつ独自の文化を有しています。そのため、牛をめぐって何世代にも渡って部族間で争いが続き、武器の流入により部族間の紛争が激化していました。教育は牛の放牧を生業とする生活になじまず、当時のUNICEFはこうした地域にどう教育を根付かせるか、という課題を抱えていました。
この地域の特徴的な活動として、インフォーマル教育を通じて、放牧で各地を転々とする子どもが放牧地で教育が受けられる体制の支援がありました。NGOの働きかけで整えられたこのインフォーマル教育の制度は、牛の世話をする子どもたちが早朝に読み書きを学ぶだけでなく、基準を満たせば希望する子どもたちは地元の小学校に移行できるシステムでした。主な活動としては、教育の質向上のために現地の教育大学とパートナーシップを結んで小学校教師のトレーニングを実施したり、学校施設の建設やearly childhood development(幼児教育)のプロジェクトを推進していました。
外国人と仕事をすることも、海外で働くことも初めてだったので、すべてが新しく学ぶことばかりで、毎日が本当に楽しかったです。当時は、電気が1日数時間しか供給されないなど、生活環境はあまり整っていなかったのですが、「この仕事は自分に合っているな」「UNVの経験が面白い」「こんなに楽しいなら今後もフィールドで働きたい」と感じました。現地では、年齢の近いロールモデルとなる同僚とも出会え、あらためて国際機関で働きたいと思いました。
現場で直接プロジェクトの実施に関われた経験は大変貴重で、その後のキャリアや働き方に大きく影響しました。私の実感ですが、UNVには限らず、特にフィールドでの活動が多い国際機関で働く場合、キャリアのはじめにフィールドで勤務することはその後のキャリアにおいて大きな財産になると思います。
Q. キャリアを選ぶ際に重視してきたポイントは何ですか。
その時々に自分がやりたいと思えることと、自分ができることの重なっている部分を選択して、さらに経験や能力をつけて次につなげていくことが大事だと考えています。これまでの国際協力分野のキャリアの中では、興味があってもやってみたら自分には向かないと感じた職種もあり、試行錯誤しながら今に至るので、やはりやりたいこと、できることを探していくということの繰り返しだと感じています。
Q. 国連職員ならではのやりがいや困難は何ですか。
やりがいといえば、現場での難民と直接やり取りしながら行うプロジェクトの実施から政府との交渉まで、いい意味で仕事内容と一緒に仕事をする人の範囲が広いことです。どの事務所にいても、政策から現場まで関われるというのがUNHCRの特色であると思います。難民と話し合い、それを政府の方と相談、交渉して政策やプロジェクトに反映するというのはUNHCRで働く醍醐味であると思います。
Q. 南スーダン、パキスタン、ネパールなど、現地の人々やスタッフとお付き合いされるなかで気を付けていたことはありますか?現場で自分の固定観念や偏見などに気が付いたりしたことはありますか?
日頃からコミュニケーションを図りよい関係を作っておくこと、話や意見をしっかり聞くということが大前提にあると思います。少し「ん?」と疑問に思うことがあっても、いったん受け止めて考えるようにしています。これは自身の失敗から学んで、気を付けていることです。
自身の固定観念や偏見もひっくるめて、チームリーダーになった時に自分のマネジメントスタイルに気が付かされたことはあります。自分のこれまでの生まれ育ってきた環境や経験もあってか、チームリーダーになってみて、こういうやり方でやりたい、またマネージしなければという思いが強すぎて、うまくいかなかったことがあります。繰り返しになりますが、日頃からコミュニケーションをとり、関係を構築すること、意見を聞きチームのメンバーが意見を言いやすい環境をつくるなどのスキルを培っていきたいと考えています。
Q. 国連職員としてできることがいっぱいある一方で、制約があってできないこともあったりするのではないかと推測しますが、国連職員として働くことに迷いが生じたことはありませんか。
私はNGOや在外公館等、国際協力分野での他の職種を経験した後に国際機関で働きはじめたので、比較すると、国際機関で働くのは自分に合っていると思います。そういう意味では迷いはないです。合う、合わないはどの職業にもあると思うのですが、私はいろいろ経験しながら探してきたという感じです。
制約というのかは分かりませんが、UNHCRにはマンデートを遂行するために方針や規則はあります。これらは、どこで働いていてもきっとあると思うので、どうやってベストの方法をとれるか、結果に結びつけられるかを考えるようにしています。
Q. 仕事をする上で常に意識したり、大切にしていることは何ですか。
常に意識していることは、仕事で次善の策を用意しておくこと、大切にしていることは人間関係です。UNHCRでは生活環境が厳しい勤務地もありますが、それで辛くてどうにもならないということになったことはありません。それは、人に恵まれていて、愚痴を言ったり悩みを相談できる同僚や、仕事で迷った時にガイダンスをくれる上司が周りにいるからだと思います。そういう人たちの存在があってこそ、自分は仕事ができる、と思います。
COVID-19のパンデミックが始まった当初、私は海外で勤務していましたが、帰国できず、家族に会えないことがありました。そういうときも、同僚に恵まれて乗り切りました。
Q. ポストコロナ時代の国際協力を見据えて、心境や行動の変化はありましたか?
パンデミックに伴い、難民居住区にアクセスできない、リモートで話さなければならない、ということが増えました。しかし、UNHCRではこれまでも難民のエンパワメントに重点を置き活動してきたので、多くの現場でUNHCRやパートナー団体の職員が現地に行けない場合も、コミュニティの人たちが中心となって自分たちで活動できる基盤が出来上がっていました。今後も同様に難民のエンパワメントはUNHCRの活動の柱となっています。
個人的な話で言えば、COVID-19感染拡大の影響で飛行機が欠航になり、家族に逢えない日々が長くなってしまったことで、そういう制約のある仕事をしているんだな、とあらためて気づかされました。でもやっぱりフィールドで働くのは性に合っているので、いずれUNHCRのフィールドに戻りたいと思っています。
Q. 最後に、国際社会で活躍することを目指す次世代の人にメッセージをお願いします。
私は人生の要所要所で周りの人にアドバイスをいただき、助けられながら、いろいろ経験しながらキャリアを積んできたと思います。国際社会で働くこと、また国連へのキャリアパスといっても、人それぞれで多様であるため一言ではいえませんが、自分の適性と経験がマッチするキャリアパスは必ずあると思います。出会いを大切にし、諦めずに色々なことに挑戦し、試行錯誤しながら自分が納得できる道を見つけて進んでほしいです。
【参考資料・URL】
国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)「最も脆弱な立場にいる人々を救う仕事~UNHCR駐日事務所 渉外担当官 渡邊温子」(2021年9月8日)
https://www.unhcr.org/jp/40781-ws-210908.html
2021年8月22日 オンラインにて収録
聞き手:右馬治樹、岡本昂、北萌、住野英理、辻直子、中村理香、花田珠里、藤崎優香、吉松友美
写真:渡邊温子さんご提供
編集:岡本昂、北萌、住野英理
ウェブ掲載:岡本昂、住野英理