第36回 野副 美緒さん 国連世界食糧計画(WFP) ソマリア・南西部地域事務所長
野副美緒(のぞえみお):1975年東京都生まれ。中央大学総合政策学部卒。学生時代から神戸、イラン、パプアニューギニア、コロンビア、ユーゴスラビア、パキスタンなどで緊急援助のボランティアとして活動する。英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(ロンドン大学経済大学院)発展途上国における社会政策学修士号取得。2003年度JPO試験に合格し、国連世界食糧計画(WFP)スリランカ事務所にて給食事業および津波支援に従事。南スーダンカポエタオフィス、プログラム・オフィサーを経て2008年より現職。http://miomiomiomio.blog.drecom.jp/
崩壊国家ソマリア
海賊や誘拐が主要産業であると冗談半分本気半分で語られるソマリアは、東アフリカの角と呼ばれる沿岸地域に位置し、1991年から勃発した内戦により政権が崩壊してからは、事実上の無政府状態が続いています。暫定政権はソマリア全土を実効支配しておらず、エチオピア軍の軍事支援を受けたり(現在はエチオピア軍は撤退)、首都モガディシオではアフリカ連合軍から日夜護衛を受けており、氏族をベースにした反政府勢力や軍事グループの内紛が現在進行形で各地で続いています。かつてイギリス領であった北部は比較的、治安が安定していますが、91年にソマリ国民運動(SMM)が北部の旧ソマリランドの分離・再独立を宣言し、ソマリランド共和国が発足し、98年にはソマリア北東部の氏族がプントランド共和国の樹立を宣言するなど、国際的に認められていない小国が次々と自治宣言したり、連日のように海賊報道があり、国連機関が自爆テロにあったりと、米シンクタンクが毎年発表する「失敗ランキング」2009年ワースト1の名を裏付ける迷走ぶりを続けています。今年になって、暫定政権下で穏健派の新大統領が選出されたものの、6月にはイスラム急進派のアルシャバブが大統領官邸を包囲し戦闘が続く中で、モガディシオから逃げ出す国内避難民が32万に達するなど先の読めない状態が続いています。国の発展(途上)を語る際によく参照されるUNDPの人間開発指標でも、データ不足のために177カ国の中にリストアップすらされていない国でもあります。
働くミッキーマウス
国連世界食糧計画(以下WFP)は、ソマリア全土に7つの地域オフィスを持ち、その他にも現地スタッフが駐在するフィールドオフィスが5つあります。私が担当する南西地域はPhase V(完全退避勧告)のバダデを除いた南中央ソマリア全域を網羅し、受益者数は2009年10月の時点で7万5千人(/月)です。一般食糧配給、栄養失調の5歳以下の子供、授乳中・妊娠中の女性を対象とした栄養強化プログラム(Supplementary Feeding Programme)、結核患者プログラム、給食事業がメインの活動です。ソマリアの他地域では一般食糧配給も行われており、WFPは月平均、24万の受益者に食糧を届ける予定になっています。食糧の状況は昨年から悪化の一途を辿り、必要とされる食糧援助は前年比7割増です。文字通りの「緊急援助」で、正直なところどう食糧支援が国の安定や発展に結びつくかを議論する段階にはありません。悪化するセキュリティーを理由にソマリア国内で拠点を置いて実際に活動する国際機関は非常に限られていて、私の担当地域の南西部で国際スタッフが常駐している国連機関はWFPのみです。ユニセフやWHOは国際スタッフが出張ベースで訪れますが、普段の活動は現地スタッフが主に行っています。なぜこんな混乱している国に、外国人がいる意味があるのか?「文化の違いを乗り越えて」とか「女性の社会地位の向上を目指す」とかそういうレベルには全く達していない下剋上真っ只中の無政府状態の国で、外国人である私に何ができるのか。一言で言えば、「人寄せパンダ」、ミッキーマウスです。夢の国には、レストランのスタッフやダンサーがいる他、遊具の運転や、安全点検、掃除、金銭的な管理などを分担・運営する人がたくさんいるように、私たちのオフィスも裏方で週末も関係なく働いています。私も普段はこの裏方メンバーなわけですが、準備ができるとここ数年訪れていない場所までミッションとして出て行き、視察をし、現地の権力者と会話をすることから始まります。見慣れない外国人に興味津々で駆け寄ってくる子供たちと握手をし、母親にインタビューし、受益者の選定や食糧配給の現場に行ってモニタリングに参加することもありますが、基本的に私のここでの役割は、その後の人道援助をするに当たって現地のニーズを汲み取ること、そして外部の機関である国連がちゃんと受け入れられるように会話の機会を設け、現場に入ることで「国連が(そしてWFPが)これからここで仕事をしますよ」という意思表示をすることです。現地の風習にのっとり、女性がミーティングで口火を切ることはなく、常にセキュリティーオフィサーを伴う行動となりますが、ここ1年で随分仕事がやりやすくなってきた感があります。初めは会うことすら拒否された権力者と会話の機会をスムーズに設けられるようになったり、問題があると村の長老から直接、携帯に電話がかかってきたりと、積極的にフィールドに出ることが功をなしている、そんな手ごたえを感じています。
苦情処理係兼カスタマーサービス
事務所長とはいうものの、現実は苦情処理兼カスタマーサービスです。フィールドの「何でも屋」として、ナイロビのカントリーオフィスと密接に連絡を取りながら、受益者の確定、プログラムの計画・実行、金銭的な調整から、食糧をいかに予定通りに現場に運ぶかのロジスティック、オフィスを運営するための人事、アドミニストレーション全般を指揮します。事務所と宿舎が兼用なので、そのキャンプ運営をする必要があるし、現場で事業を実施する地元NGOの評価や食糧援助を行う際に、スタッフのチームを派遣してモニタリングを実施すること、食糧配給地点のあるそれぞれの地元権力とのミーティングも重要な仕事です。現在、南中央ソマリアは暫定政権ではなく、急進派アルシャバブの支配下にあります。この1年で3回ほど地元権力が変わり、急進派のグループが牛耳って、しばらくは「女には会わない」と言われていたので、その間、ムスリムのセキュリティオフィサーと現地スタッフがコンタクトをとっていたのですが、今年に入ってから権力者側の態度が軟化し、ミーティングに私も参加できるようになりました。地元の長老たちと風通しのよい関係を維持するのも不可欠です。ブアレだけで4つの氏族、その下に5つの準氏族があって、例えば、オフィスの人事の件に関して、どこからどう情報がまわるのか、雇用されなかった氏族が苦情を言いに来ることが日常的で、人事のみならず、事業を現場で監督するカウンターパートの選択や、コンパウンドのトイレの工事の件やら、大量に買い物をする際のビジネスコミュニティの競合やら、スタッフの誰某の不正告発やら、大きな頭痛の種から重要度の低い小言まで、毎日のように対応しなければいけません。
塀の中の懲りない面々
ブアレでは5人の国際スタッフと、事務所兼宿舎を兼ねたコンパウンドで共同生活をしています。一昔前にはやったSOHOならぬ、HOHO(Huge office, Home office)に現地スタッフは27人、掃除やオフィス内のメンテナンスを請け負うサポートスタッフが10人、AK47を持ったセキュリティーガードが38人という構成で仕事をしています。38人のガードは、24時間体制で2つのグループに分かれオフィスの監視にあたっています。昨年には、滑走路からオフィスに戻ってくる最中に路肩攻撃を受けました。内紛が続く南ソマリアのため、多くの武器を持った過激派が戦闘地に向う途中にブアレによることも多々あり、日常生活は常に危険と隣り合わせです。私もこの1年だけで、3回の緊急退避をしましたし、オフィスのそばで自爆テロがあったり、隣のオフィスに手榴弾が投げ込まれたりしました。また、地元勢力の理解が得られず、一時的に3つのWFPのオフィスが閉鎖したままです。少々のことでは、最近は驚かなくなってきたましたが、それでも体制がくるくる代わる中、全く異なった価値観を持つ相手と仕事をするというのは、思った以上に大変なことです。権力者だけではなく、20年近く機能のしていない国で辛酸をなめてきた人々には、深い闇と傷があるのでしょう。今の私たちにできることは、傷口を無理に開けることはせず、無視もせず、応急処置に集中することと言えるかもしれません。“食糧が必要とされている人に届ける”そのシンプルな命題を実行するためにどれだけ大掛かりな調整と忍耐が必要となることか・・・。スーダンでは6週間ごとの“強制休暇”がここでは4週間ごとにもらえています。
フィールドにも積極的に出るようにしていますが、なにせ“非ムスリム・女性・若い(日本の基準とは違うのです)”の三重苦を抱えた身としては調整に非常に気を遣います。必ずセキュリティーオフィサーを伴い、前後の車に8人ずつの護衛をつけ、殿様行脚でフィールドに出ています。ミーティングでは“相手側の許可を得てから”しゃべらせてもらう、低姿勢。こちらの常識を振りかざして「ブラックリスト」に載ってしまってはもともこもありませんから、低腰笑顔で、しかし、伝えるべきことはしっかり伝えること。中途半端な妥協をしないためにも、背筋はちゃんと伸ばしておかなくてはなりません。
住民、地元権力、現地のカウンターパートと有効な関係をどのように築いていくか、毎日小さな課題を立てて、こなしている内に、あっという間に1年が経ってしまいました。毎日先生に来てもらってレッスンを受けているソマリア語は、まだまだ流暢に使えるレベルにはありませんが、地元の人たちとのやりとりや、権力者とのミーティングの冒頭演説で、場面別に作って練習・暗記しておいたものを使って笑いをとり、関係構築につなげていく有効なツールになりつつあります。
パソコンを閉じて現場に出よう
2年3ヶ月の南スーダン勤務後のソマリア勤務なので、「スーダンの後に、ソマリア!?」と周囲から哀れみをもって驚かれることもありますが、緊急援助の現場で働く醍醐味は、実際の受益者の“顔の見える”場所にいられる「現場の臨場感」が4割、実際目の当たりにした問題を解決策につなげられる「仕事の面白さ」が4割、「仲間の連帯感の強さ」1割、「予期しないインシデントに溢れた日々のワクワク感」1割。一度、足を踏み入れたら、降りかかる刺激が思いのほか心地よく、さらなるアドレナリンと挑戦を求めて、危険地を転々とするようになる「アドレナリン中毒」は、私たち現場志向の人間にはあながちジョークでもないのです。確かにここ数年仕事がどんどん面白くなっていて、何よりも自分がやれる仕事の範囲が少しずつ広がっていること、思うようにいかないことが多い中で、ふっと問題が解決した瞬間の嬉しさが日々の原動力です。守るより攻めるべきことの方が多い“若いうち”に激動する世界の底辺や裏側、濁流・反吐がうずまく部分をがっつり肌で感じておくこと、その中にある本質的なものや美しいものに気づける幸運、大きなチャンスが溢れている場所で微力ながらも「よい社会作り」に貢献できること、今の環境に不満はありません。“せっかく同じエネルギーを使うなら、大きな仕事がしたい!”そう思って始めた国連キャリアも今年で6年目。人のために、人と一緒に、人の中でする仕事。そのうち本部や地域事務所で働いて、組織の政策決定に関わってみたいという欲はありますが、まずは現場で埃と熱気にまみれながら、毎日のごはんをちゃんと届けることが今の私の最重要課題です。
受益者の選定と食糧配給の現場には必ずスタッフを送ること、その前にセキュリティーの問題がない限り、私も足を運んで権力者、カウンタパート、村の人たちとミーティングをすることを欠かさないようにしています。コミュニケーションの技術が発達しても一番大切なのは、「人と会うこと」、「話すこと」。それをしなくては事業の方向性も見えてきませんし、私がここにいる意味もありません。人間関係、信頼の構築は「どれだけきちんとした時間を共に過ごしたか」にある程度比例すると思います。メールや電話はフォローアップの道具としては有益ですが、最初の基盤作りはそこへ行って、“土を掘り、種をまき、一緒にお茶を飲んで、しゃべる”ところから始めなくてはいけません。
アンテナは広く心は柔らかくフットワークは軽く
出張して、現場で話して、撮影したものを文字に起こして、報告書に書いて、事業計画に落としていく。現場で鮮やかな人々の笑顔やホスピタリティーに触れる楽しさはこの仕事の醍醐味ではありますが、単なる旅行ではないので、自分が見聞したこと、議論したこと、約束したこと、考えたことを具体的にどういう形で事業につなげていくか、ナイロビのオフィスに納得してもらうか、創造性、説得力、プレゼンテーション能力、調整能力、様々なインプットが必要になる仕事の“ヤマ”があります。1日100以上来るメールに追われながら、次々とやってくる訪問客の苦情に対応し、フィールドに出たスタッフの報告書に赤を入れ、バレーボールをし、トレッドミルで5キロ走って、夜ホッと一息つく頃には、日付が変わっているということもよくあります。フィールド出張とオフィスワーク、それからそのギュウギュウの合間をぬってプライベートもちゃんと確立しておくこと。満足な病院も薬局もないので、体調の管理や、フィールドの深くとも内向きな視野に縛られ過ぎてしまわないように、様々な分野の本や文書を読むようにしています。ネットがちゃんとつながるようになったので外界の世界とのコンタクトがちゃんと取れるのは、とてもありがたいことです。事件が起こっている、そして受益者がそこにいる現場で、フットワーク軽く、アンテナ広く、精神的にタフでありながら心は柔軟に活動するためには、やるべきことが毎日たくさんあるのです。
2009年11月18日掲載
担当:高浜
ウェブ掲載:秋山