第39回 矢田貝 久美子さん 国連環境計画(UNEP)ジャマイカ事務所
矢田貝久美子(やたがいくみこ):静岡県静岡市生まれ。一橋大学法学部卒。ケンブリッジ大学 国際開発学修士。1997年よりJPOとして国連開発計画(UNDP)レバノンに勤務、以降、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)ガザ本部、JICA新宿本部評価監理室を経て2003年より国連環境計画(UNEP)大阪事務所、2006年より同ジャマイカ事務所勤務。
国連に勤務してもうすぐ12年が経とうとしています。振り返ると本当にいろんなことがあったように思います。情熱はあるけれど不慣れでいろいろと悩んだJPO時代、パレスチナでの紛争勃発と空爆の中での緊急援助アピール、そして、気候変動をはじめ、地球規模の環境問題が注目されるなかでの国連環境計画での勤務。私は法学部出身で、どちらかというとジェネラリスト、専門はプロジェクト監理、モニタリング評価です。そのおかげで3つの違う国連機関に勤務する機会に恵まれました。現在はジャマイカにある国連環境計画の地域海環境保護プログラム(Regional Seas)のひとつである広域カリブ海海洋環境保護条約(Cartagena Convenion)の事務局で行政官(管理部門:プログラム実施モニタリング、ドナー渉外、人事、総務、財務等担当)として働いています。
ご存知のようにカリブは多くの小島嶼国の集まりです。私の従事する広域カリブ海海洋保護プログラムはカリブ海に面しているすべての国と領土を対象にしていますので、その対象国の数はアメリカやメキシコなど沿岸諸国を含み、33にものぼります。そのうちジャマイカオフィスが管轄する広域カリブ海海洋環境保護に関するカルタヘナ条約の加盟国&領土は29です。ジャマイカオフィスは総勢20人ほど、国際職員は私も含めて7人で、ほとんど全員が常に島から島へと飛び回っている、という印象です。
カルタヘナ条約は1986年に発効しました。それ以来、越境の海洋環境に関する問題に地域として取り組むためにさまざまなプロジェクト・活動を実施してきました。カルタヘナ条約にはさらに3つの議定書があります。一つ目は特別海洋保護地区と野生生物に関する議定書(Specially Protected Areas and Wildlife-SPAW Protocol)、二つ目は船舶からの油流出と沿岸諸国の協力義務に関する議定書(Protocol Concerning Co-operation in Combating Oil Spills in the Wider Caribbean Region)、三つ目は陸上活動に起因する海洋汚染防止に関する議定書(Protocol Concerning Pollution from Land-Based Sources and Activities -LBS Protocol)で、この三つの視点から地域海海洋環境保護を推進しています。現在注目されている事柄としては、鯨を含む海洋哺乳類保護、海洋保護地区の設立と運営・管理のための能力開発、ホテルや市街地からの下水の処理の推進と啓蒙活動、海洋環境保護のための国内法の整備、地域間での知識・経験の共有、そして、気候変動のインパクトへの適応などです。捕鯨問題では、日本は常に厳しい批判の対象になっています。
カリブの島々は、文化的にも大変幅広く多彩で、現在でもオランダ領、フランス領、アメリカ領があり、言語も英語、スペイン語、フランス語、オランダ語圏を含みます。同僚はジャマイカの現地スタッフも含めて大多数がフランス語とスペイン語に通じています。私も国連公用語の勉強は、英語、フランス語、アラビア語で終わりにしたい、などと思っていたのですが、着任後は必要に迫られ必死にスペイン語を勉強しています。会議を開催するときには通常英語、フランス語、スペイン語の同時通訳をつけます。会議の文書も3ヶ国語で作成するのでその作業に精通したスタッフが必要になります。人種的にも多様で、アフリカから来た黒人、植民地時代の子孫である白人、インド系や中国系の移民、アラブ商人の子孫などが入り混じり、各地でコミュニティーをつくり、果たして誰が国籍をもつ住民なのか海外からの一時的な訪問者なのか、一見したところわかりません。私も着任一日目から中国系ジャマイカ人を指す「ミス・チン」との愛称で呼ばれ、よそ者に対する奇異の目で見られることもありませんでした。実際カリブには外部から来たものを自然に吸収し、同化させてしまう包容力があります。ジャマイカの国のモットーである"Out of Many, One People" はこの状況を的確に表現していると思います。裏を返せば、カリブの社会はわずかなきっかけで分断されてしまう危険を含んでいるともいえるのではないでしょうか。小さな島国で限られたパイを分かち合うため、他人の縄張りには立ち入らない、立ち入らせない、という暗黙の了解があるようにも思われます。新たなパイを求めてリスクを取るよりは、現状に甘んじて変化を拒み既得権益を失わない、ということに終始しがちです。そのような中、新たな可能性を提示し、経済発展や環境保護のための新しい思考や行動様式に向かわせるためには粘り強く、地道に成功体験を積み上げていくしかなく、社会全体が変わっていくにはまだまだ時間がかかるかも知れません。
広域カリブ海諸国の中には政治的にも多様な立場の国々が存在します。アメリカ、フランス、ベネズエラ、キューバなど、政治的立場の異なる国々の参加する中、プログラムを運営していくのは大変興味深く、またやりがいのある仕事です。近年でもキューバやベネズエラなど、カリブ海で独自の立場をもち、発言が多く、影響力のある国がカルタヘナ条約の会議の方向性に大きな影響力をもった例が多々あります。一国が発言すると、その国と政治的立場が近い国々が次々と賛成意見を述べたり、反対に、立場の違う国々が反対意見を述べるために発言機会を要請したりします。対立意見が怒涛のように、3ヶ国語で行き来し、会議場に緊張感が走ることが多々ありました。そういう場面でこそ国連職員の出番です。違う意見のグループの主張を受け止め、内容を明確にし、不平等感が生まれないように、発言機会を確保し、休憩時間には妥協案を模索すべく奔走します。ここで必要とされるのは「調整能力」ですが、多くの部分が一人一人の国連職員の人格に基づくもののように思われます。
実際、同僚の国連職員たちには一緒に働いていて「さすがだな」と思わされることの連続です。共通点としてはまず皆が国際感覚豊かで礼儀正しくスマートな外交官のような印象です。そして、普段はその友好的な顔の下に隠れていることも多いのですが、「切れ者」である、ことがあげられるかと思います。そして、多くが「情熱家」です。世間では国連の非効率、無駄、さらには腐敗、などが取りざたされていますが、私の周りには国連の目的のために自己犠牲をいとわない情熱と理想を持った同僚が多くいます。一人一人が個性的でプライドがあり主張も強いので(現UNDPの須崎彰子さんが、「珍獣の集まった動物園」、と国連を表現していらっしゃいましたが全く同感です)、内部ミーティングで意見があわないようなときには白熱した議論になり、時には感情的になりお互いに「やっかいな同僚をもったものだ」と地団太踏むこともあります。しかし、その議論の結果、共通理解が生まれ、プログラムの目的遂行のための道筋が合意されれば、あとは個々の能力を最大限に生かし、仕事にあたることができます。お互い違う価値観を持った国籍の違う同僚たちが、国連の共通の目的のために団結し物事にあたれるとき、合唱でそれぞれのパートが上手にそろって共鳴を生み出したような感動があります。
広域カリブ海海洋環境保護プログラムの実施に当たっての最大の課題は、各国政府の人手不足です。カリブの小島嶼諸国では、政府も小さく、環境省も少人数で、担当官数人の上がすぐに副大臣、大臣、というようなところも少なくありません。私もカリブに来てからは自分の今までもっていた「国」という概念を根本から変える必要性を感じました。若手の官僚が、一人で、気候変動、オゾン、生物多様性、と、重要な国際環境条約を担当しているケースが多々見られます。ですから、自分たちの国の環境行政を先進国のレベルに引き上げたい、という情熱はもっているものの、実際には首が回らず、必要な手続き事項も常に遅れがちなのが現状です。予算も限られています。ですから、私たちのプログラムでは、各国の現状、特殊事情を最大限に尊重すると同時に、広域カリブ海地域内での成功体験、情報や専門知識の共有を推進し、国の枠組みを超え地域内での複数の国が参加する共同プロジェクトの実施に力を入れています。着任当初は同じ言語圏での共同プロジェクトが主でしたが、最近ではキューバの専門家がカリブ全体の技術指導にあたったり、英語圏の国々がスペイン語圏・フランス語圏での研修に力を入れたりと、環境保護という大目的の前に、言語や文化の壁は低くなってきたように思えます。これは私たちのプログラムが成し遂げた「地域内での信頼醸成」の大きな成果だと思っています。
過去三年間で私がジャマイカで成し遂げることのできた最大の成果は、対外的には透明性のある財務管理と情報の共有による国連のプログラム運営に対する信頼の向上、内部的には業務事務の効率化とキャリアパスの提示によるスタッフのモチベーションの向上です。私たちのプログラムの収入は加盟国の自主的な拠出金でほぼ100%が占められています。各国の財政事情によって、2年に一度の条約の国際会議で拠出金のレベルを提示し加盟国に同意を求めます。私が着任した当時は、加盟国の多くの拠出金が未払いで、プログラムの運営費の大部分をアメリカ、フランス、ベネズエラなどのGDPの高い少数の国に頼っているような状況でした。その後、拠出金の使い道や国ごとのプログラムの成果を表やグラフのように目に見える形で提示し、会議やワークショップで未払い国の参加者に会うごとに請求書のコピーを渡し、拠出金未払いのプログラムに対する影響を訴えてきました。そしてその努力の結果、一国、また一国と拠出金を払ってもらえるようになりました。中でも財政破綻と治安の悪化で苦しんでいるハイチから、私たちのプログラムの成果に対する評価とプログラムへの継続した支援を象徴する拠出金を受領したときには大きな達成感を覚えました。もちろん、これは私の上司である所長と同僚たち全員の努力の結果ですが、このハイチからの拠出金について私が条約の国際会議で発表したときには参加者の間でどよめきが起こり、拍手が沸きあがりました。発表後には、私たちのチームワークに対して多くの国から賛辞をいただきました。
国連勤務も10年を超え、国連の存在意義や国連職員としての私の付加価値について最近よく考えるようになりました。私が常々、国連職員としての醍醐味であり、付加価値だと思っているのはやはりその「中立性」ではないかと思います。しかしながら皆さんがよく耳にするように、国連というのは国際社会の縮図のようなところです。職員は否が応でも出身国の国力や政治力に影響を受けます。その中で、歴史的にも経済的にも日本とは最も関係の薄いカリブで国連職員として勤務できたことは、ODA大国である日本という母国との関係を一旦はなれ、自分に何ができるのかを試すとてもよい機会だったと思います。国益を超えて、人類全体のための共通利益の実現のためにわずかながらでも貢献できていると思える限りは国連でがんばっていこうかな、などと考えています。是非、日本の若い皆さんにもJPO制度、インターンシップなどで国連の活動に積極的に参加していただきたいです。
国連環境計画(www.unep.org)、広域カリブ海海洋環境プログラム(www.cep.unep.org)もご参考にして下さい。
ジャマイカの北海岸。大規模なホテル開発が進む。持続的な観光業と海岸線管理に関する法整備を推進している
2010年3月6日掲載
担当:猿田
ウェブ掲載:柴土