第43回 森 純一さん 国際協力機構 ハノイ工業大学技能者育成支援プロジェクト専門家
森純一(もり・じゅんいち): 東京都出身。早稲田大学法学部卒業後、電機メーカー勤務。マレーシア駐在後退職、タフツ大学フレッチャースクールにて修士号取得。政策研究大学院大学研究員をへて、2006年にJPOとして国連工業開発機関(UNIDO) ベトナム事務所へ派遣。2008年より同事務所工業開発官。2010年より現職。
1.はじめに
今年建都1000年記念を迎えるハノイよりのエッセイをお届けいたします。皆様はベトナムというと何を思い浮かべるのでしょうか?フォー、ベトナム雑貨、アオザイなどでしょうか。多くの人がハノイに来て驚くのはバイクの群れです。そしてここ数年は車の数も増えてきました。交通渋滞や環境の問題はありますが、ともあれこれらはベトナムの経済成長と活気のしるしでもあります。今や町中にその痕跡はないでしょうが、50歳以上の方々と話していると今でも戦争の話が出て、40歳以上の人たちも1970年代に食料の確保がままならなかった時代の話を聞きます。そのころから考えれば、まさに今は発展への階段を駆け上がっているのでしょうか。
ベトナムは1980年代後半からのドイモイ(刷新)政策以降、アジア通貨危機などはあったものの比較的順調な経済成長を続けているのは多くの皆さんがご存じの通りだと思います。1990年代からベトナムを見ている方にはもっと大きな変化が見えているのでしょうが、2004年からベトナムを訪問している私も肌で変化を感じています。例えば町中を見てもエアコンがありしかもWIFIのあるカフェが増えたり、髪を茶色に染めた女性が増えたり、高価な外国車が増えたりしています。最近ではi-Phoneやi-PADを持ち歩いている若者も多いですから、富裕層の可処分所得は相当なものでしょう。しかし、今後はどうでしょうか?何の根拠もありませんが、このまますべてが順調にいくとは限らない気がいたします。ベトナムの現在の発展は、海に面していることや日本・韓国などの先進国から近いという地理的な要因、比較的大きな人口規模、安価で優秀な労働者階層、そして今のところ安定している政治体制によるものが大きいでしょう。しかし、一人当たりのGDPがUSD1,000を超えて世銀の分類で(低層)中所得国に入った今、さらなる発展のためには様々なステップアップが必要です。工業の分野でいえばどのように製造付加価値を高めていくのかが鍵です。生産ラインのオペレーターは優秀だが技能者・技術者そしてマネージャー層が薄いといわれている中で今後どのように人材育成していくのか、ASEAN自由貿易地域(AFTA)の完全施行後も今までのように外国直接投資(Foreign Direct Investment: FDI)を誘致できるのか、急激な工業化とともに発生しうる環境対策をどのようにするかなど、今後の課題は尽きません。
2.UNIDOでの仕事とベトナム工業化への寄与
私は国連工業開発機関(United Nations Industrial Development Organization: UNIDO)ベトナム事務所にJPOとして2年、その後工業開発官として1年3カ月ほど勤務いたしました。「国連職員」というと直接プロジェクトの現場での活動や政策アドバイスをする姿を思い浮かべる方々も多いと思いますが、多くの場合そうしたことはプロジェクトの中で雇用する専門家の仕事になるように思います。それでは職員は何をするのかというと、プロジェクトの形成―草案づくり・資金調厚・政府との交渉やーそして実施管理が主な仕事なのではないでしょうか。私は個人的にはプロジェクトの運営や政策提言にかかわることが好きでしたが、さまざまな調整業務や雑務にばかり追われている日も多かったのも現実です。
在任中には食品加工分野の女性零細企業家支援、基準・認証能力向上などを通した貿易能力向上プロジェクト、資源の浪費を抑えた環境にやさしい生産(Cleaner Production)の促進などさまざまなプロジェクトにおいて形成・実施そして終了時のExit Strategyづくりなどにかかわりました。その中で、形成段階に力を注いだベトナムの中小企業の「企業の社会責任(Corporate Social Responsibility: CSR)」促進プロジェクトを簡単に紹介したいと思います。
CSRというと哲学的に聞こえて敬遠されることも多いのが現状だと思います。ましてや先進国ですら中小企業でのCSRの実施は難しいでしょう。そのため、できるところから始めようということで、時にチェックリストアプローチともいわれてCSRとしては初歩的な部分ですが特に環境関係のCompliance―法律もしくは規準の順守から入ることにしまいた。しかし、「環境に配慮しましょう」だけでは企業の心をとらえることはできません。どんなにきれい事をならべようと、企業はまず儲けを確保しなければいけません。そこで、プロジェクト目標を「多国籍企業のCSR調達基準に対応することにより、ビジネスチャンスが拡大します」、というところに設定しました。
私が働いていた電気電子業界でも環境関係、特に含有化学物質の規制などは欧州などを中心に厳しくなる一方でした。色合いを鮮やかにするカドミウムや、プラスチックを燃えにくくするPBB・PBDEといった難燃剤などは製造側の目的にはあいますが、人や環境に良いものではないかもしれません。一方で、大企業ですらこうした規制への対応は大変なわけですから、途上国の中小企業には大きな負担となります。私はEUによるプラスチックへのカドミウム使用規制が導入された際にマレーシア工場に勤務していましたが、工場も倉庫もてんてこ舞いになってしまいました。人材もシステムも十分でない途上国の中小企業ではどのようなことになってしまうのは容易に想像できます。せっかく世界経済に統合されそのサプライチェーンの一端を担い始めたベトナムですが、こうした国際的な規制に対応できるのが在ベトナムの外資系企業だけではせっかく増加しているFDIの効果を十分に享受することはできません。それどころか、中小企業はさらに取り残されていってしまう可能性すらあります。
上記のCSRプロジェクトは、このような状況を避けるため、繊維・縫製、靴皮、電気電子の3分野の中小企業を対象に、先進国、特に欧州における環境規制とそれにともなう大企業の調達基準に対応する支援を目標としていました。予定した活動の例をあげると、他分野にまたがる欧州のエコラベル・繊維製品分野の規準・電気電子分野のRoHS (Restriction of Hazardous Substances)という化学物質規制などの理解を深めること、業界別の行動規範 (Code of Conduct)の整備や改善、ベトナム中小企業の取引先となる外資系企業と連携してのトレーニングの開催、そしてコンサルタントの養成などがあります。プロジェクトを形成する前にも、欧州商工会と共同でRoHSおよびさらに包括的な化学物質規制であるREACH (Registration, Authorization, Evaluation, and Restriction of Chemicals)についてのセミナーを行いましたが、その際には日系の大手電機メーカーからも特別講師として参加してもらいました。企業側としてもさらなるコスト競争力をつけるために地場の部品サプライヤーを探しており、化学物質規制そして多くの場合それよりも厳しい企業のCSRもしくはグリーン調達基準に適合できる地場企業が増えれば彼らにとってもメリットになるので協力を得られたと思います。ただ、予想はしていましたが、地場企業側はおろか政府側の認識と知識は十分なものではありませんでした。
プロジェクトの骨子を形成したものの、ネックとなったのは資金の確保です。現地への権限移譲が組織内で叫ばれているものの、現状ではUNIDOは中央集権的な組織でした。現地事務所がプロジェクトのアイディアを吸い上げ、そこに本部の専門家が肉付けをし、資金は組織として集めるというのが理想的です。しかし、現地で作ったアイディアに対して本部で資金調達が行われるという事例は、私の在任中には残念ながらあまりありませんでした。本部の職員は自分のプロジェクトの資金調達だけで手いっぱいですから、当り前といえば当たり前なのかもしれません。いろいろな線を考えたのですが、結果としてはたまたまバンコク出張中に訪問したEuropean Commissionの事務所で教えてもらったSWITCH-ASIAという信託基金に応募することにしました。すべてを現地主導というのは,響きこそ美しいのですが、現実は代表と私でそれこそ睡眠時間を削りながらプロジェクト書類を作成して提出しました。他に提出された多くの提案の中から選ばれた時には、代表を含めて事務所のスタッフと手を取り合って喜んだものです。
この経験からも言えることですが、国際機関というともう少し世間離れした機関―簡単に言うと「お金」から離れた世界―なのかなと思っていましたが、現実は少し違うものでした。いわゆるコア資金は本部などの運営費に消えており、プロジェクトを行うにはそれぞれドナーから資金を調達しなければはじまりません。お金のことばかりではいけませんが、現実的にはいかに資金を調達するかがとても大事な仕事になります。そして、実施段階ではどのように使うかも大事になります。効率的に使うことはもちろんのこと、タイムリ―にお金を使うことも大事です。もちろんビジネスとは違いますからお金のことばかりを考えていては本末転倒です。とは言え一般に仕事ができるもしくは頼りにされている職員の方はお金を調達でき、それをタイムリーかつ効率的に使える人なのだと思います。その意味では、ビジネスの感覚がとても重要だと思いました。もちろん理想や専門知識は大事ですが、それだけでは実施にすら結び付かない世界だと思います。
私の場合、上述のCSRプロジェクトは上手くいったケースで、その他の箸にも棒にもかからなかったケースの方が多かったかもしれません。それでもめげずにやっていると、時々は良いことあるといったところでしょうか。妙な例ですが、野球の打撃と同じように考えようと思っていました。つまり、一流打者でも3割しか打てないわけだから、一度の失敗にめげず、粘り強く、大胆に、と自分にいいきかせていました。企業の営業と少し似ているでしょうか。
3.そしてまだベトナムに・・・
2010年初めにUNIDOとの契約を終え、その直後にJICAによる「ハノイ工業大学技能者育成支援プロジェクト」に専門家として移りました。UNではさまざまな国からの人たちと働けるので、なにはともあれ基本的には楽しかったのですが、今一度特定の分野に絞って自分の知識と能力を研鑽するために次はプロジェクトに入ろうと思っていました。また、国連機関の事務所にいる限りは、UNIDOのような専門機関ですら産業振興という分野の中とはいえ環境・貿易・零細企業支援など多岐にわたる分野に首を突っ込まなくてはいけません。そのため、知識は浅く広くなりがちです。機械工業しか知らなかった私には繊維縫製・靴皮・伝統工芸など他分野を知る良い機会になりましたが、もう一度一分野を深く掘り下げてみたいと思っておりました。また、良いプロジェクトの立案者・管理者となるためにはやはり自分でプロジェクトを実施した経験がなければいけない、とも考えておりました。上記のJICAプロジェクトは私が以前から興味を持っていた産学連携しての技能者教育を目指すものであり、同僚にも恵まれ日々楽しくやっております。
これまで、政策研究大学院大学、UNIDOそして現在のJICAプロジェクトと、さまざまな立場からベトナムの工業発展にかかわってきました。難しい話は経済書にゆずるとして、今後のベトナムでの課題をもう少し日常的な視点からベトナム発展の今後を考えてみたいと思います。
私が長くいたマレーシアと比べてもベトナム人は勤勉だと思います。マレーシアのときは、例えば顧客の要求で今日中に製品を出荷しなければいけない状況で、私がトイレに行って帰ってくると皆帰宅していて呆然、なんてこともありました(笑)。ベトナムでは今のところそうした状況には直面していません。一方で、実直なマレーシア人と比べて、ベトナム人はその場限りの対応が得意で「こざかしさ」も感じます。例えばバイクの修理でも、その場限りの修理をして根本的な問題を解決しないがゆえにすぐまた壊れる、もしくは分解するだけで何も修理をしていない、といったことをしばしば耳にします。ある日系企業の社長の方が、「ベトナムにはエンジニアがあまりいない。チェンジニアーつまり部品を交換するだけの人―は多いけどね。」と話していました。確かに、根本的な問題を見つけてそれを解決する能力は一般的にまだ高くないと感じます。問題を見つけるためにはまず正確に現状を把握することが重要だと思いますが、多くの場合現状分析を飛び越えて、いきなり提案がでてきます。現状を正確に分析していないわけですから、その提案は実現可能性が薄く、関係者から受け入れられません。このような状況は政策立案の課程でもしばしば見受けられます。計画経済の名残なのか、計画にはさまざまな数字が入っているのですが、政府関係者ですらその数字の根拠に首をかしげることも多いです。
その他に言語の問題があります。マレーシアでも勤務していた際には私は通訳を必要としたことは皆無でした。マネージャーレベルは私より英語はできるくらいでしたし、スタッフやトラックドライバーでもある程度は英語ができました。マレーシアはイギリスの植民地でしたからそのアドバンテージはあるにせよ、それにしてもベトナムは英語が通じない。それがゆえに通訳に頼らざるを得ない場合が多いのはストレスです。効率を高め、さらに外国の知識を吸収するためにはある程度の語学力は必須です。おもしろかったのは、先日カンボジアとラオスに出張に行った際にはすべてのインタビューを英語でできたのに、ベトナムに帰った途端に通訳が必要になったことでした。もっとも、これについては日本もあまり大きなことは言えないかもしれませんが・・・・。
翻って、よいこととはなんでしょう。一つは柔軟性というのがあります。前述の現状分析が苦手、というところの逆ともいえますが、例えば何かをやると決めた時は、多少準備期間がなくてもとにかくやります。例えば、あるイベントを1週間後にやるという話になったとしましょう。目的にさえ納得すれば、皆特に文句も言わずに準備をして、ともかく最後には帳尻を合わせます。もちろん100%のできというわけにはいかないかもしれませんが、70%くらいは達成するわけです。それでもやらなければ0%なわけですから、やらないよりはましです。同じことを日本でやろうとしたらこれは大変だと思います。日本人はとかく100%をもとめますので、まず「ムリだ」という反応に直面すると思います。そして、できが70%の場合、必要以上非難を受ける傾向はあるような気がします。
そして、頑固さです。援助用語でいえば、オーナーシップでしょうか。ベトナム人は中国人ほどはっきりものをいいませんが、ニコニコきいているようで実は納得しなければ行動に移しません。ドナーや国際機関の言うことを根拠もなしにそのまま受け入れるということはしないのです。これには仕事を勧める上ではイライラすることも多いですが、適度な頑固さは必要でしょう。昔アメリカの国防長官であったキッシンジャーは「ベトナム人は生まれながらの外交官」と評したそうですが、なかなかどうして手ごわい相手です。
最後に、若い力でしょうか。昔の同僚と話していると、自分のやっていることを通じて国を良くしたい、と熱く語る30台の人たちは少なくありませんでした。もちろんそれが多数派かどうかは分かりませんが、このような会話にめぐり合う機会は他国より多い気がします。
よくある会話の中で、ベトナムには何年いますか、その次にベトナムについてどう思いますか、という質問をされます。当然向こうは「良い国です」という回答をしているのですが、私は「興味深い国です」と答えます。同じ国にそこその長くいれば、良いところも悪いところも見えますし、今日は大嫌いになり、明日は悪くないかと思ったりします。しかし、確実に言えるのは、この国の行く末は興味深い、ということです。目に見える変化を起こす活力に疑問はありません。しかし、今後も着実に変化を遂げていくのか、壁にぶつかるのか、もしくは私の想像の枠など大きく超えて変化するのか、どこにいてもとても興味深く見ていきたいと思っています。
2010年12月21日掲載
担当:内田麻衣子
ウェブ掲載:斉藤亮