第2回 国連はどう変わるのか?丹羽敏之さん

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2003年から国連児童基金(以下UNICEF)事務局次長を務められている丹羽敏之さんは、36年に渡り国連開発計画(以下UNDP)、国連事務局などで要職を歴任され、現場・本部において幅広い視点から国連を見てこられました。現職では国連改革に関する中心的役割を担われ、国連の今後のあり方について取り組まれています。2007年5月に退任される直前のお忙しい中、国連改革、国連の存在意義や日本との関わり、そして邦人職員のキャリア形成について、お話をお伺いしました(2007年4月24日、於ニューヨーク)。

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丹羽 敏之(にわ・としゆき)
早稲田大学卒業(経済学士号)、タフツ大学フレッチャー法律・外交大学院修士課程修了(国際関係修士号)。民間企業勤務後、1971年からUNDP勤務。1980~1983年イエメン及び1983~1988年ネパールで、国連常駐調整官・UNDP常駐代表。1988~1990年タイUNDP地域代表。1990~1997年、UNDP総裁補兼財務管理局長。1998~2003年、国連事務局中央支援サービス担当事務次長補、共通サービス担当執行調整官。2003年キャピタル・マスタープラン・プロジェクト執行局長。2004年よりUNICEF事務局次長。

丹羽さんは現在UNICEFの事務局次長としてご活躍ですが、主にどのような業務に携わっていらっしゃるのでしょうか。

私の直接の担当は総務、財務、人事、監査、IT、それから国連の他の機関との調整と、inter governmental workといいますが、UNICEFにおける国連諸会議の担当です。それと、UNICEF駐日事務所の監督もしています。また特別任務として、国連改革に関することは私がすべて中心になってやっております。

それでは、本題の国連改革についてお聞きしたいと思います。まず、国連改革といいますと、国連の存在意義を抜きにしては語れないと思いますが、丹羽さんは国連の存在意義についてはどのようにお考えですか?

国連というのはいわば氷山です。全体業務の20%がみんなに見えるところで、それは氷山の一角に過ぎません。人々が注目するその20%は政治的な部分であり、その中に安全保障理事会だとか、総会などもはいってきますが、そこはいわゆる政治機関としての国連なのです。ですが、氷山に大きな見えない部分があるのと同じで、国連の一番大きな部分というのは注目が集まりにくい社会経済と人道援助活動の分野なんですね。そういう意味でいわゆる改革と言った場合には、人々に見える部分、見えない部分の両者を考えなければならないと思います。しかし、国連の存在意義でありまた国連改革が必要なのは大きさから言っても幅から言ってもその外から見えない部分、社会経済や人道援助の部分ではないだろうかと思います。

■政治機関としての国連改革
国連改革で、政治機関としての国連を変えていくとなると、既得権の問題がでてきます。"United Nations"というのは日本語では国際連合ですが、中国語では国連というのは聯合国、という呼び方をします。つまり"Allied Countries"、国々が連合する、という捉え方をしているんですね。これは、われわれ日本人が考えているような国際機関という意味での国連とはちょっと違いますね。この呼び方は一つの例に過ぎませんが、やはり第二次世界大戦後の各国の既得権が非常に大きな問題で、それで安全保障理事会の改革もP5(常任理事国)をどうするかという問題から離れられない状況があると思います。ですから私自身はいわゆる政治機関としての国連をどのように改革していくかということに対してはかなり悲観的な見方をしています。結局はP5が持っている既得権の中に他の国々がどうやって割り込んでいけるか、ということですから。日本がもし常任理事国になるとすれば、ドイツも、イタリアも、という話になってきますよね。途上国のほうは・・・これはこの間大島賢三国連大使と話をしたとき、ブラジルが入る、入らないというのは、国際連盟(League of Nations)の時代からの歴史がある、と聞きました。同じように、インドを入れるとなれば、パキスタンもまたインドネシアも、するとブラジルも、今度はナイジェリア、南アフリカも・・・という風になってくることが考えられます。このような状況ですから、わたしは恐らく氷山の上の部分の改革についてはなかなか合意に達せられないだろうと思っています。

もう一つの問題は国連の意思決定の仕方ですね。国連の決定の仕方というのは原則的にコンセンサス(全会一致)なわけですが、200近い国がコンセンサスなんていうのは不可能に近い。また、安全保障理事会のほうは拒否権の問題があるということで、言ってみればみんなを満足させることはできない。そういった意味でも政治機関としての国連の改革というのはかなり厳しいと思います。

■開発援助機関としての国連改革
一方、国連の見えない部分については、これは過去50年間に実績を積んできているわけですから、みんなどこにどんな問題があるかということはわかっています。特に問題なのは、国連諸機関がばらばらに仕事をやっているという現状です。現場ではUNICEF、UNDP、UNFPA、WFPなどの実施機関(基金と計画/Funds and Programmes)と、WHO、UNESCO、FAO、ILOなどの専門機関(Specialized Agencies)が国または地域レベルで仕事をやっていますが、今はこれらの足並みがそろっていないというのが現状です。ですから、改革は国レベルのボトムアップで進めることが大切です。また国連と世界銀行(世銀)、IMF、地域開発銀行との調整もうまくやっていかないといけません。

また、これは国連改革には直接は関連してきませんが究極的に問題になってくるのは多国間援助と二国間援助をどういうふうに調整するかということですね。そして最近はGlobal Fund(世界基金/世界エイズ・結核・マラリア対策基金)やNGOなど、様々な世界規模の国際機関がたくさんできて力をつけてきていますから、各国レベルでは国連以外の機関を含めて、いかに開発援助を効果的に進めるための円滑な調整と改革が大切かということがわかると思うのです。

私が言いたいのは、われわれの開発援助の究極の目的が自助努力を促す、持続可能な開発ということであれば、やはり援助全体の改革が必要であるということです。その場合に改革の中心となるのは受益国だと思います。ですから、受益国をどうやって国連機関として助けていくかというのが国連常駐調整官(Resident Coordinator)の役割としてまず浮き彫りになるわけです。そして国連の役割で大切なのは色々な機関が自己の利益にとらわれずにどうやって一つのチームとしてやっていけるかということ、そしてそれが世銀だとか地域開発銀行、Global Fund及び二国間援助機関などとどうやって有機的に仕事がやっていけるかということですね。

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これは私自身が実際やってきたことでもあります。国連改革というのは今流行の言葉ですけど、ご存知のように国連改革というのは過去20-30年の間常に検討されてきました。国連改革の話は1970年代から出ていて、その前にも、1960年末にはUNDPのジャクソンレポート(注:1969年、正式名Study of the Capacity of the UN Development System)によって問題の把握というのはすでにできているのです。この時の前提はUNDPが中心になった国連改革であり、それから時代が若干変わりましたけれども、改革に関係する機関は変わっていません。世銀や地域開発銀行、Global Fundの役割がどうなるかという問題は付け加わりましたが、それ以外はほとんどジャクソンレポートの頃と変わっていないのです。

総括しますと、私は社会経済活動に関する国連機関の改革というのはどんどん進めていかないといけないと思うし、また、進んでいくと思います。ですから、昨年事務総長に提出された国連システムの一貫性に関するハイレベル・パネルの報告書で取り上げられた「ひとつの国連(One UN)」というコンセプト(*語句説明1)はどんどん前に進んでいくと思います。総会では今のOne UN の報告書は批判も色々あり、恐らく全会一致の採択は難しいかもしれません。しかし実質的には、今8カ国で国連諸機関の連携強化策が試行されていますが、こうした試みはこれから増えていくのではないでしょうか。

ご指摘の国連諸機関の連携は非常に重要な課題ですが、それぞれ業務の仕方などが異なり、とても難しいと思われます。例えば丹羽さんは長くUNDPに勤務されていましたが、現在勤務されているUNICEFと比べ、組織自体としてどういう点が一番違うとお思いになりますか?

国連改革に関連してくるのですが、国別に見るともともとすべての国連の機関は国レベルではUNDPの傘下にありました。WFPもUNFPAも、UNDPの常駐代表が兼任で見ていました。それからFAOなどの他の専門機関の代表も兼ねていました。また以前は世銀と地域開発銀行というのはUNDPの執行機関だったんですよ。その当時は世銀や地域開発銀行には無償援助がなく、ローンがつくとまず技術援助の部分が必要になり、その部分については必ず、世銀やアジ銀などが資金を求めてUNDPに来ていたのです。彼らはUNDPから資金を得て、執行機関になり仕事をしていたんですね。したがって、UNDPはこれら機関との調整の役割を、代表者が兼務であるということと、もう一つは資金供給源であるという根拠に基づいてやっていたわけです。これがUNDPと他の国連機関との違いです。

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一方UNICEFは、設立当初から、完全に独立してフィールドでずっと仕事をやってきており、これがUNICEFの独自性を生んでいます。UNDPというのは開発の全般を見ながら、調整を通してみんなの利害そして顔をたてながらやっていこうとしていますが、UNICEFはそうではなく、自分のところでなんでも立案・計画してやろうとします。これはなぜかというと、UNICEFは使命(mandate)が、「子供と母親」ということで焦点がはっきり絞られており、この対象者に対して自分たちで行動を起こしやすいからですね。実際自分自身で仕事をやっていく能力もある。また、事業資金全体の3分の1を民間から調達し、はっきりとしたUNICEFというブランドを確立しています。従って、UNDPがやっているように、例えばFAOにこれは農業のプロジェクトだからやってくださいと頼んだり、UNESCOに教育のプロジェクトだからと実施を依頼することは原則的にありません。

しかしUNICEFがUNDPにお金を出して行ったプロジェクトもありました。私がネパールにいた時、ネパール西部でやっていた「地域開発のための教育」というプロジェクトです。この地域は1990年代に入って共産党毛沢東派に支配されました。このプロジェクトは、学校で普通の教科に基づいて教えるのではなく、農村開発と日常生活に必要なことを教科として取り上げた教育プロジェクトです。おそらくこれが、UNICEFがUNDPにお金を出し、UNESCOが実施機関になった唯一の例だと思います。この結果をもとに、UNICEFは同様のプロジェクトをネパール以外の国々でも実施し規模を拡大していったのです。この事例を除いては、基本的にUNICEFというのは独立して自分でプロジェクトを行います。資金源があり、自分でお金を集めるのも上手です。いい意味でも悪い意味でも一匹狼ですね。これと比べるとUNDPはまあまあ屋で、他の実施機関に依存し、全体を見ながら物事を進めます。従って、UNDPには物事を総体的に見ることができるという強みがあります。

私は二つの機関で働いてみて、もっと両者の間に人の動きがあったほうがいいと思っています。UNICEFからUNDPに国連常駐調整官として人が出る例は最近増えています。おそらくUNICEFの職員にとっては小さい池から大きな池へポンと出されたような気分で、とてもうれしいだろうと思います。でも逆もあっていいのではないでしょうか。UNDPで大きい視点から抽象的に物を考えているだけでなく、UNICEFのような機関でちゃんと腕をまくって現場でプロジェクトを行えば、また違った仕事のやり方や、UNICEFがこだわりをもつ点についても分かってくるだろうと思うんですよ。ですから、UNICEFとUNDPは、体質は違いますが、相互補完関係にあると思いますね。

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減額の一途をたどる日本の政府開発援助(ODA)ですが、これからの日本のODA、特にマルチ(多国間援助)への支援はどうあるべきとお考えでしょうか?

日本のODAが近年大幅に削減され続けていることに関して、私は悲観的にとらえています。ODA削減の理由として考えられることを私の具体的な体験をもとにお話します。私がUNDPで勤務していた10年以上前の話ですが、日本の国会議員4名にアジアばかりでなくアフリカも見て欲しいとアフリカに行ってもらいました。そうしたら、みんなその後の選挙で落選してしまいました。開発援助に非常に興味を持ってくれていた議員も、「開発援助は票にならない」と言っていました。特に当時アフリカに目を向けるといったことは稀でした。これが意味することは何かというと、日本ではアジアを離れて本当の開発援助のことを知ろう、分かろうとする姿勢が少なかった。すなわち、開発援助に対する支持層がほとんどなかったということです。

もっと辛らつな言い方をすれば、本来、開発というものは目に見えない部分の開発が根幹であり、モノを中心としたものではない。日本のこれまでの開発援助のやり方を見てみますと、どうもモノが中心になりがちだったと思います。このようなやり方は確かに目に見えるという効果はあります。これは、目に見えない部分への援助をしても、結果がよくわからないということに対する反応なのかもしれません。また、日本がこれまで行ってきた開発援助の評価が不十分だったからかもしれません。開発援助は国連にとって、日本の国益にとって、国民の将来にとって、次の世代にとって大切だという認識が希薄なのでしょうか。

また、逆に日本のODAがある時期から急激に増えたというのも、GNPが上がって経済大国になったためにお付き合いでやってきたという側面もあるのではと思います。開発援助がどんな意味を持っているのか、政治家にも国民にもよく理解されていなかった、また理解しようとする努力が足りなかったと思えて仕様がないですね。北欧諸国はもちろんのこと、欧州諸国、北米諸国だってみんなODAを増やす傾向にあるにも関わらず、日本のODAは増えないで逆に減少していっているというのは悲しいことだと思います。

それからODAの出資方法についても問題があると思います。国際世論はみな、ODAは国連を抜きにしてはあり得ないと考えているのに、その意識が日本にはまだ少ないですね。国連を通じた援助はまだまだ単発的で、国連通常予算(注:ヒモつきではない。"core"または"regular" resourcesと呼ばれる)への任意拠出金以外は、年度末に余った予算を国連を通して援助するというケースがよく見受けられます。これは我々国連諸機関にとってありがたいことですが、どうしても行き当たりばったりといった感じがします。私は、正念場はやはり、国連通常予算への出資増加の決定がいつできるか、あるいはそもそもそういう決定ができるかということだと思いますね。援助供与国として、そうした国連通常予算への任意拠出金が年々減っているのは問題だと思います。

国連のような多国間援助への出資については、もちろん、いろいろな意見があるとは思います。例えば、国連に出資しても日本の顔が見えない、効果が見えないとよくいいますね。でも、私は国連を通じた援助の将来に大きく影響を与えたのは日本だと思います。

日本は1980年代から世銀や地域開発銀行のなかに政府拠出による信託基金プログラム(注:Special Japan Fund)をつくり、各金融機関に毎年2億ドルを出資してきました。旧大蔵省が予算管理しやすいようにと、旧大蔵省職員の出向先である世銀や地域開発銀行に直接出資するという形をとったわけです。そのような多額の出資を受けても、当時の世銀も地域開発銀行もその資金の使い方すらよくわかりませんでした。それはある意味当然で、同じ技術援助といっても、彼らは技術援助を「ローン貸付のための条件を受益国にどうやって満たさせるか」、という観点から考えますが、国連は受益国の援助吸収、開発能力向上を目指して中長期的な観点から活動しています。だから世銀も地域開発銀行も、当時私のいたネパールでは資金の使い道を私たち国連機関、特にUNDPに相談に来ていました。それ以前は世銀も地域開発銀行も、技術援助に関して国連機関からの任意供出金(grant)の利用を余儀なくされ、より強い補完関係が確立されていました。それが、世銀と地域開発銀行は日本からの信託基金という資金源を得、結果的に国連機関への依存を減らすことになったのです。

世銀や地域開発銀行において無償資金援助の比重が高まっているのは非常に良いことだと思います。一方で、開発援助に対する不十分な把握で始まった80年代の日本の信託基金が、結果的に国連機関との補完関係を希薄にする現在の世銀、地域開発銀行の援助体制を導いてしまったことを、私は残念に思います。

国連フォーラムのウェブサイトを見ている方の中には将来国連機関で働きたいと思っている人がたくさんいますが、国連改革は今後国連職員に必要なコンピテンシー(*語句説明2)にどのような影響を与えるでしょうか。

教科書的な答え方をすれば、まずは修士レベル以上の学位が必要です。それから、もちろん語学力。英語以外の言語もできるということも大事ですが、まずは英語の読む・書く・話すの3つのスキルを全て満たすことが重要です。なかでも書く力は非常に重要ですね。日本語は文体そのものがそもそもあまり論理的であることを重視しないでしょう。英語の文書をどうやって書くのか、私も留学時代にはずいぶん苦労しました。英語の文書構成というのは、まず問題の定義があり、それから分析があり、そして結論がある。これは全体でもいえるし、章でもいえるし、セクションでもいえるし、段落でもいえる。これは英語を母国語としている人がみなそうした文書を書けるというわけではありません。私は仕事でさまざまな文書に目を通していますが、最初の半ページから一ページで何を言っているのか明確でなかったら、その文書は保留ボックスに入れてしまいます。いかに論理的に物事を考え、それを表現できるかということが一番大事だと思います。それを身につけるには、よく読む、それから聴くことも重要です。

もう一つ、日本人の通弊として、自己宣伝が上手でないということがあります。だから、どうしても自分を引っ張ってくれる人が必要になってきます。地道に仕事をしていてそれを認めてくれる周囲と上司がいれば昇進していけますが、それがないと停滞してしまうのです。もちろん、国連機関内でもそれぞれ体質の違いはあります。例えば、UNDPはメンタリングが定着していて、日常的に部下を指導しようとする姿勢が強く、チーム精神が強い文化があります。一方、UNICEFはどちらかというと欧米的で、自分から這い上がってくるのを待つ文化がありますから生存競争が厳しいように思います。ですから、私がUNICEFで組織改革を手がけるにあたってまず指摘したことは、メンタリングの文化がもっと必要だということを強調することでした。それがないと、いい素質を持った人もどんどん国連機関から離れていってしまうのです。しかし、そういう組織体質の違いはあっても、私の持論は、機関や任地ではなく、人を見て職場を選んでほしいということです。私のキャリアを振り返ってみると、数々の指導力のある上司に恵まれていたと思いますね。最初の上司はボリビア人で、私の言うことをよく聞いてくれて、間違っていることもきちんと指摘し、書いたものもちゃんと直してくれる、とても良い上司でした。これから国連機関を目指す人、また国連での生存競争に勝つためには是非、良いマネージャーを選ぶことを心掛けて頂きたいと思います。

国連改革が進むにつれて、今後、新たに必要になってくる能力などはありますか?

物事を総括的にとらえる力ですね。日本人はどちらかというと、自分の専門を確立させてから全体を見渡そうとします。しかし、常に全体を見ようとする、他分野の知識、経験を得ようとする姿勢は非常に重要です。「一つの国連」構想では、UNICEFやUNDPがなくなるわけではありません。結局はみんながどうやって仕事の分担をして、お互いに有機的に支援し、補完してより素晴らしい仕事をやっていくかということですから、物事を包括的にとらえるという力は語学力よりも大切だと言えます。視野を広げるという意味では、国連フォーラムの活動はとても良い機会を提供していると思いますよ。私自身、今まで聞いたこともなかった意見に遭遇して、あぁ、こういう考え方もあるのかと考えさせられることがあります。こういう機会はとても良いと思います。

また、包括的な視点を持つためには、理論的な基礎を固めることも大事です。アメリカやイギリスの教育機関はそういう点をよく鍛えてくれますね。でも最近は日本の大学、大学院で話していても手ごたえがでてきました。幅広い視野をもって、総体的なものに興味をもつ人が増えてきたのは良い傾向だと思います。

今後、国連の中で邦人職員がどのような役割を果たすのを期待しますか?

日本人に限ったことではないと思いますが、私は、日本で美徳とされていることには国連でも通じると思っています。「根回し」という言葉がありますでしょう?これは本当に大切です。会議にいってそこで議論して喧嘩しても何も決まりません。本来の仕事のやり方の旨みというのは、事前に根回しをし、他の人達の考え方、立場をよく事前に理解し、会議では形式的に合意をはかるということだと思っています。根回しは仕事をうまくもっていくために不可欠です。

また、日本の美徳に関して、私にはもう一つ持論があります。先ほど申し上げたことと矛盾するかもしれませんが、「花というものは人からもらうものであって、自分で自分に与えるものではない」ということです。「あなたはいい仕事をしていますね」という言葉は惜しまず言った方がいいですが、自分に対しては、これだけ仕事をしたと自己主張するのではなく、それを他人に言ってもらえるようにするということです。そういうやり方に反対する人もいると思いますが、謙譲の美徳のような日本の価値観は、古いかもしれませんが、私は国連でも通用するものだと思っています。国連も生身の社会ですから、みな、競争意識が高く、日々緊張しながら仕事しているわけです。変な例えかもしれませんが、ポーカーゲームと一緒で、相手を負かそうとして戦略があまり露骨になると、それが相手に伝わって勝ちにくくなるけれども、逆に素直な手でもって応戦すれば、かえって上手くいくことも多いと思います。

丹羽さんの国連でのキャリアは今年で36年になると伺っています。その間、日本人として初めての国連常駐調整官になられたり、生え抜きのスタッフから事務次長補になられて16年間三つの国連機関で仕事をされたり、また最近では天皇、皇后両陛下にもお会いになったとお聞きしています。36年継続して国連を内部から支えてきた立場から国連に対する感想など最後にお聞かせいただけますか?

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もし私に次の人生が与えられたら何をやるかと聞かれたら、躊躇なく、同じことをやりますと言いますね。国連に入る前は私企業で働いていましたし、企業活動にも興味はあるのですが、やはり人道援助、開発援助、そして貧困の問題に、国籍や国旗の色にとらわれずに、対応していく国際公務員は素晴らしいと思います。でも国際公務員は一人ではやっていけません。日本政府の支援が必要です。日本政府は努力はしていると思いますが、他の国と比べると国連で働く邦人職員に対する支援体制がまだ不十分だと思います。実際に、邦人職員の数はあまり増えていないですし、上級管理職がほとんどいなくなっている。緒方さん、明石さんに続く誰が見ても超一流と思える事務次長クラスがなかなか出てこない。したがって、今後は日本政府もきちんと対策を練っていかないといけないと思います。

先日、日本国際問題研究所でも同じ話をしたのですが(注:下記リンク参照)、私は邦人職員の支援策は二つ考えられると思います。一つは、国連の内部にいるキャリアの人間への支援を強化していくということです。国連は本当に生存競争が厳しい社会です。他国の職員には大臣経験者や局長経験者がたくさんいますし、彼らは自国政府から多大な支援を受けています。このように、国連内部で働いている邦人職員を支援することは絶対に必要です。また、外務省を含めて政府から出向という形で国連職員になる人がいてもいいと思いますが、その場合、腰掛けのつもりで来てもらっては困りますね。先日、天皇皇后両陛下にも申し上げたのですが、国連で働くことが勲章になるようでなければ、国連に行こうという素晴らしい人はなかなか出てこないのではないかと懸念しています。国連に行くことが日本人公務員のエリートの進む道の一つだと確立されてくれば、優秀な人が出てくると思います。二年、三年の出向ではなく、骨を埋めるつもりでやりましょうという動機付けにもなると思っています。短期間の出向は、国連での人脈づくりにも影響を与えます。国連の仕事では人のネットワークが非常に重要です。良い人脈を活用して仕事をしていくには、腰を落ち着ける覚悟でこないといけません。

もう一つの問題は、日本では昇進を阻む目に見えない差別、偏見が未だに強いということです。国連で働いた後、日本で帰っていく場所が少ないのが現状です。特に女性の場合、この問題は深刻です。ですから、国連内部での支援体制の強化、日本国内での労働改革、この両方がないと上手くいかないと思っています。今の体制では、おそらく国連の生え抜きでいけるのは事務次長補 (ASG: Assistant Secretary General)まででしょう。私の夢は、内部登用を通じて出てきた日本人が事務次長(USG: Under Secretary General)になるということです。

【語句説明】
1.一貫性ハイレベル・パネルと「ひとつの国連」
開発・人道支援・環境分野の国連システムの一貫性に関するハイレベル・パネル (High-level Panel on UN System-wide Coherence)は、2006年11月9日に事務総長に提出された報告書「Delivering as One」で、国連諸機関が各国で業務の重複を避け業務コストを下げることによって効率的に開発目標に達するため、「ひとつの国連(One UN)」という連携強化方策を提案。2007年より、アルバニア、カーボヴェルデ、モザンビーク、パキスタン、ルワンダ、タンザニア、ウルグアイおよびベトナムの8カ国で、国別プログラムや予算枠組みの統合が試行されている。
参考 :http://www.un.org/events/panel/index.html (英語)

2.コンピテンシー competency
職務や課題を遂行し、業績や成果を挙げるための特徴的な行動特性、能力のこと。職能、資質。どの職種にも共通するコア・コンピテンシーと、職務によって異なる機能的コンピテンシーがある。例えばUNICEFにおいて、前者は「コミットメント」「結果への意欲」等、後者は「分析的・概念的思考力」「ネットワーキング」等を含む。
参考:外交フォーラム2月号 2007 No.223. リレー・エッセイ 国際協力の現場から 第2回
「国際協力に必要なコア・コンピテンシーとは」(久木田純)

【参考】
日本国際問題研究所(JIIA)フォーラム講演 「国連における日本の顔-邦人職員増加への提言-」2006年10月18日 http://www2.jiia.or.jp/report/kouenkai/061018_niwa.html

【インタビュアー】
坪根千恵(つぼね ちえ)(トップ写真左)
コロンビア大学教育大学院、教育学修士課程 国際教育開発専攻
コロンビア大学教育大学院、文学修士号取得
北九州市立大学外国語学部英米学科卒
2002年から2004年までUNICEFインドネシア、2004年から2005年までUNICEF東ティモールでJPOとして勤務

林 神奈(はやし かんな)(トップ写真右)
コロンビア大学国際公共政策大学院、公衆衛生大学院在籍
東京外国語大学外国語学部欧米第一課程卒
学部在籍中に在外公館派遣員として在オーストリア日本国大使館勤務。学部卒業後、東京にて国際会議運営会社勤務、第7回アジア・太平洋地域エイズ国際会議(2005年開催)事務局を担当。

2007年6月10日掲載