第22回 幸村 真希(こうむら まき)さん
第22回 幸村 真希(こうむら まき)さん
大阪大学国際公共政策研究科 博士前期課程
2008年1月~3月 UNICEF東ティモール事務所にてインターンシップ
■インターンシップの応募と獲得まで■
私は現在、平和構築や武力紛争法、国際人権法について勉強しており、将来は子どもの権利保護と支援に携わる仕事がしたいと考えています。留学も就業も経験したことがない私ですが、チャンスがあれば国際協力の現場でインターンシップを行いたいと考えていました。今回のインターンシップは、在籍する大学院の「魅力ある大学院教育」イニシアティブ事務局を通じて募集がありました。本イニシアティブは、若手研究者の養成機能強化を目的とする文部科学省の支援で、2007~2008年度に大阪大学国際公共政策研究科の「国際公益セクターの政策エキスパート養成プログラム」が採用されていました。これにより、本プログラムの趣旨に合うインターンシップや現地調査は助成を受けることができました。このような背景の下、UNICEF東ティモール事務所長である久木田純さんの全面的なご協力を得て、今回のインターンシップが実現しました。私は子ども兵を研究テーマとしているため、紛争後の平和構築段階にある東ティモールのUNICEFでインターンシップを行うというのは、まさに絶好の機会でした。インターンシップ決定までの過程としては、応募書類の提出と電話面接がありました。なお、イニシアティブからは渡航費と滞在費の補助を受けました。
■インターンシップの活動内容■
主な仕事内容は、軍隊・武装集団に関わった子どもの調査でした。この問題に関する既存の資料には、2001年にUNICEFが実施した調査と、東ティモール受容真実和解委員会(CAVR)の報告書があります。まずはこれらの読み込みから始め、次に当時の状況を直接知るUNICEFナショナルスタッフや現地の人々の協力を得て、人権保護のために活動する現地NGOやCAVR、かつての独立闘争組織の集会を訪問し、さらに情報を収集しました。その後、軍隊・武装集団に関わった子ども(現在は20歳代)にインタビューを行いました。
東ティモールでは、1975年のインドネシア侵攻前後から1999年末ごろまで、独立派(東ティモール民族解放軍、地下活動組織)とインドネシア併合派(インドネシア軍、インドネシア民兵)の双方が、後方支援から戦闘までさまざまな業務に子どもを使っていました。子ども達は、戦闘での死傷、激務、司令官からの脅迫、捕虜になった際の虐待、コミュニティからの受け入れ拒否、仕返しの恐怖、教育・就業機会の剥奪、そして西ティモールへの連れ去りなど、多くの危険や困難に直面していました。中には、インドネシア民兵に誘拐され、司令官に脅迫されて東ティモール人の虐殺に関わった当時14歳の子どもが、紛争後に故殺罪で禁固刑判決を受けたという事例もありました。東ティモールの場合、暴力や人権侵害が全土に広がっていたこと、そして、独立闘争の中で「自分も国のために戦いたい」と志願した子ども達の意思をどのように捉えるか、という2点が特に問題であると考えられます。
そのほかの仕事内容は、報告書のレビュー、議事録作成やミーティング運営の補助、国内避難民キャンプや小学校の視察などでした。私がインターンシップを実施した期間はプロジェクトの計画段階で、さらに今年は2009~2013年の5ヶ年計画作成の年でした。そのためスタッフはミーティングや文書作成に追われており、また、大統領襲撃事件に伴って地方の治安状況が懸念されたこともあって、視察の機会は非常に限られていました。その点は少し残念ですが、プログラムの編成や計画作成過程を詳細に見ることで、東ティモールの子どものどのような点に特に配慮してプロジェクトが形成されているのか、理解が深まりました。
■その後と将来への展望■
紛争後の平和構築段階の国に2ヶ月半滞在することは、私にとって初めての体験でした。帰国してすぐのころは、逆カルチャーショックや、両国の間にあるギャップを感じ、日本にいるのに心は東ティモールに置いてきてしまったようでした。また、今回のインターンシップで得られたモチベーションを、日本での日常生活に埋もれてしまわないように維持できるのか、心配にもなりました。しかし、時間の経過と共に東ティモールでの経験を冷静に振り返ることができ、将来もこの仕事がしたいと決意を新たにすることができました。このあと留学の予定が控えているので、時間をかけて自身の専門性を見出していきたいです。
■経験の感想■
今回のインターンシップを振り返って一番に思い浮かぶ感想は、「国連職員として現場で働くことの特殊性」を、身をもって知ったということです。特殊性という言葉はさまざまな意味を含んでいます。たとえば、世界の縮図のような多様性の中で働くこと。休日のスーパーやビーチでも同僚に出会うような小さな町で、公私のバランスを保つこと。PKOが展開する街の雰囲気。マラリアやデング熱など病気やけがの危険。緊急事態も含め、どのようなときであっても、日本の家族から遠く離れているということ。中でも特に印象的な出来事は、2月11日の大統領襲撃事件です。事件を受けて夜間外出禁止令がしかれ、国連ではあわや国外退去かという議論も起こりました。UNICEFでも、いつも明るく笑顔のナショナルスタッフの表情がその日は硬かったことを、私はよく覚えています。現地の人々は2006年の騒乱を思い出し、「またあのときのようになるのでないか」との不安があったようです。私はこのとき、紛争後社会の脆弱性を垣間見たように思いました。
そのほか、インドネシア人と東ティモール人のけんかに遭遇したときのことも印象に残っています。彼らは普段、共に働きお酒を飲む仲です。しかし、ふざけ合いがケンカに発展してしまい、殴られた東ティモール人は仲間に連絡して「仕返し」を謀ろうとしていました。その場に居合わせた、別の東ティモール人の友人は、私に次のように説明しました。「仕返しとはつまり相手を殺すことを意味している。殴られた彼にはインドネシア支配時代の記憶がフラッシュバックして、その瞬間すべてのインドネシア人が『インドネシア人』と括られてしまう。放っておくと、関係のないインドネシア人にまで危害を及ぼすかもしれない。」結局は、周りの人々の力で和解が成立し、事なきを得ました。しかし、紛争後社会には目に見えない多くの引き金が残っていて、その引き金を引いてしまった場合、瞬く間に暴力が広がる危険性があるのかもしれません。
最後に、もう一つ私が忘れられないことは、現地の友人が自らの紛争経験を語ってくれたときのことです。いつもは冗談を言って笑い合っていた彼らも、実は悲しい過去を胸に秘めています。彼らは普段どのようにその気持ちをしまっているのでしょうか。いまの私は、「許そう、しかし忘れまい」という言葉が多分その答えなのかと考えています。そして、現地で出会った人々は、未来を信じる希望を私にくれました。慣れない私を気遣い、励まし、家にも招待してくれた、滞在ホテルの従業員。「たとえ短期間でも、あなたの役に立ちたいと思う。私たちにできることはありませんか」と言ってくれた大学生。UNICEFからホテルへの帰り道、遠くからでも私を見つけ、名前を呼びながら裸足で駆け寄ってくる子ども達。田舎の村で私が向けたカメラのレンズをくりくりの瞳で見つめる元気そうな赤ちゃん。けれど、若者はHIV/AIDSを予防する術を持たねばならず、子ども達には労働ではなく教育の機会こそがふさわしく、赤ちゃんにはきれいな水と予防接種が必要です。生後2週間ほどの赤ちゃんに出会ったときには、そのあまりの小ささに驚き、どうか無事に成長して欲しいと心から祈りました。私が出会った東ティモールの人々が、自らの力を発揮して祖国を支えられるようになるまでの間、国際社会の手助けを必要としている間、私は自らも、その活動に関わりたいと、思いを強くしました。
■これからインターンを希望する方へのメッセージ・アドバイス■
私が今回のインターンシップで得たものは、UNICEFでの経験、人的ネットワーク、国連職員として働くことの具体的なイメージです。インターンシップから得られるものは、赴任地の状況、職場環境、仕事内容、休日の過ごし方などによって異なると思います。そして何よりも、個々人の心構えが大きく作用すると思います。そのような意味で、私が心がけていたことは、「何があっても損することは1つもないよね」ということでした。これは、張りつめた気持ちを抱えて乗った飛行機で、隣の席だった日本人援助関係者からかけていただいた言葉です。私はこの言葉を思い返すことで、限られた機会を十分に生かすように、どんなときでも前向きに自分を奮い立たせることができました。
インターンシップのチャンスは、いつどこから現れるか分かりません。そのチャンスを掴むための準備、つまり、日頃から自分の将来について考え、必要なスキルを磨き、熱意を持つことは大切なことです。そしてもしチャンスが掴めたならば、よいことも悪いことも何でもたくさん吸収するという心構えを持って臨んでもらいたいと思います。
2008年7月7日掲載