第36回 岡崎 詩織(おかざき しおり)さん

大変お世話になった、「コソボ・ファミリー」の数名と。中央が岡崎さん。

第36回 岡崎 詩織(おかざき しおり)さん

コロンビア大学 国際公共政策大学院・ジャーナリズム大学院
インターン先:国連開発計画(UNDP)コソボ事務所
インターン期間:2008年12月から2009年1月(1ヶ月間)

コロンビア大学の国際公共政策大学院とジャーナリズム大学院の修士課程に在籍しております、岡崎詩織と申します。去年の大学院の冬休みの間、1ヶ月ほどコソボの首都プリシュティナにあります、UNDPコソボ事務所でインターンをさせていただく機会に恵まれました。

■インターンシップの応募と獲得まで■

私は将来、国際機関で広報の仕事をしたいと思い大学院に入学したものの、開発に携わったことが全くなく、フィールドでの経験を積みたいと常々思っていました。フィールドを見るまでは、国連が実際どのような仕事をしているのか分かる筈がない、と思っていましたし、NGOや国連機関で海外経験を長く積んだ学生に囲まれ、自分も早く海外の現場を見なくては、という気持ちもありました。

そこで、国連フォーラムでお世話になっていた田瀬さんにご相談したところ、UNDPコソボ事務所の副代表でおられる近藤哲生さんをご紹介いただきました。事務所は年末年始にかけて祝日も多く、普段であれば、インターンになど取っていただく筈もありません。その年はたまたま、近藤さんも年末年始の休暇をお取りになる予定がなかった、という意味でも、非常に運がよかったと思います。

また、コソボでの住まいについても、近藤さんのご紹介で、ちょうど同じ時期に帰国休暇を取られたUNDPの邦人職員の方のアパートに滞在させていただくこととなりました。こうして、たくさんの方のご好意のおかげで、大変恵まれた状況のもと、プリシュティナに向かうこととなりました。

UNDP、UNFPAなどのオフィスが入っているUN House。
コソボには11もの国連機関が駐在しています。

■インターンシップの内容■

コソボについての知識は乏しかったものの、以前から興味はあり、2008年に独立宣言をして以来、国づくりの真っ最中であることは知っていました。 広報に携わりたいという希望を出したところ、幸いにも、コミュニケーション・オフィスで働くことができました。ここは事務所の中でも特に忙しく、①メディア対応、②コソボの地域社会や世界の人々に対する広報、③コソボ政府など公的機関との協力のための窓口、④事務所内のコミュニケーション、という機能をたった三人のスタッフで切り盛りしていました。毎朝のUNDP関連の新聞記事のクリッピングから、UNDPの最新の動向をジャーナリストに伝達、UNDPコソボの親善大使を迎えたイベントや事務所代表によるプレスコンファレンスの企画・運営、プレスリリースや記事の執筆とタイムリーなウェブへの掲載、といった業務をこの人数で実施していることは本当にすばらしいと思いました。彼らは全員アルバニア系コソボ人で、アルバニア語と流暢な英語を駆使して(一人はセルビア語も話しました)活躍していました。

そこで見たのは、これまで経験してきたものとは違う広報の形でした。日本やアメリカの場合、よほど大きな組織か、官邸や国会などのような政府機関でなければ、頻繁に取材してもらうことは難しいと思いますが、UNDPはコソボの新聞に週に数回は取り上げられ、プレスコンファレンスやイベントがあった際には第一面に載っていました。これは、コソボに於ける国連機関の存在の大きさ、特にUNDPの貢献を表しているに違いありませんが、コミュニケーション・オフィスの努力でメディアに取り上げられる頻度は更に増えたと聞きました。オフィスの代表(Head)は、UNMIK(国際連合コソボ暫定行政ミッション)で働きながらコソボの大学へ通い、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスとオックスフォードで修士号を取得した大変優秀な方なのですが、実は私と同い年でした。彼と外出すると、街中のどの道や店でも、必ず彼の知り合いに遭遇しました。コソボは狭いから皆知り合いなのだ、と言っていましたが、よく聞くと、特にジャーナリストと交友関係を保っていることが分かりました。イベント前には記事に取り上げてもらうように電話で働きかけ、常日頃から彼らと食事をしては交友を深め、UNDPの動向を伝えているようでした。家の暖房が壊れたとかで、しばらくオフィスで寝泊りしていた彼は、自分は若く新任だからと冬休みの休暇も取らず、風邪を引いてひどい咳をしながらも、ストレスがたまった時にはベランダに出てタバコを吹かしていました。彼は、未だに対立が激しい北部の町の出身でした。また、コミュニケーション・オフィスの別の職員の方は、紛争中にはウィーンまで家族と避難し、戻ってきた後はUNDPで働き始め、ここ8年間ずっと、オフィスの活動の幅を広げるのに貢献してきた、とても活動的な女性でした。二人の姿から、自国への強いプライドと仕事への熱意が感じられました。

アルバニア語を話さない私にできることは限られており、英語のプレスリリースの編集を手伝ったり、プレスコンファレンスでのマイクまわしなど小さなことはできましたが、十分に助けることはできませんでした。多忙な彼らとしても、そもそも私に声をかける暇もないのが見て取れました。それを見て、近藤さんをはじめとした邦人職員の方々が、私にも可能で、かつ事務所の様々な活動内容がよく分かるような仕事を与えてくれました。例えば、新規職員の採用面接におけるメモ取りや、人間の安全保障など日本からの資金が深く関わっているプロジェクトの資料の和訳などです。一番勉強になったのは、プロジェクトシートの更新のお手伝いでした。プロジェクトシートとは、様々なプロジェクトの概要、進捗評価、予算や各国の出資額などを記載した一枚紙のことで、これにより、法の支配、安全、経済開発、民族融和、環境、難民帰還など、UNDPコソボ事務所がいかに広範囲な分野の開発に携わっているかが分かりました。プロジェクトも、複数の目的を組み合わせたものが多いのに驚きました。例えば、汚職を取り上げた新聞記事を表彰するコンクールを設けることで、汚職の阻止とジャーナリズムの発展が同時に促進されていましたし、ドラゴッシュと言うコソボ南部の谷を多民族で清掃する企画では、民族融和と環境保存が促されていました。これらのプロジェクトの多様性は、事務所の様々な取り組みを表すと同時に、コソボの課題の多さも浮き彫りにしていました。

■経験の感想■

このインターンシップを通して、国連や開発について学ぶことができましたが、特に印象深かったのは、コソボの歴史や政情など、実際に現地に行って初めて触れることができたものです。

まず、コソボ=危険な地、という私のイメージは一掃されました。コソボは、国連の任地の中でも安全性レベルが4(最高6)で、職員が家族を連れて行けず、週に一度は安全確認の為に無線の点呼に答えないといけないという状況でしたが、生活していて身の危険を感じることは全くありませんでした。滞在中に一度だけ、まだ民族対立が比較的強く残っているコソボ北部のバーで小さい暴力沙汰がありましたが、通常は犯罪率もニューヨークなどより低いそうです。

コソボはむしろ、世界中にあるUNDPの任地の中でも、特に経済的に発展した場所だと聞きました。毎日の数時間の停電も断水も、慣れれば不便には感じませんでしたし、スーパーに行けば西ヨーロッパから来た数々の品物が常に揃えてあり、国連機関が多い首都プリシュティナには高級レストランもブランド品のお店もありました。首都を見る限り、経済的な問題は少ないように見えましたが、コソボの失業率は40%という驚異的な数字でした。また、人口の平均年齢が25歳以下、という大変若い国でもあり、雇用促進や、若者を教育して能力を育てることも、UNDPの仕事の一つでした。

滞在したアパートのベランダから見えるマザー・テレサ通り(プリシュティナの目抜き通り)。
イスラム教のコソボも、最近ではクリスマスを商業的に祝い、ライトやツリー、サンタなどをあちこちで見かけました。

そして、コソボの一番大きな課題の一つは、国際舞台に於ける政治的な立場の改善です。コソボは政府を樹立して、どんどん国づくりを進めているにもかかわらず、国連では未だに、安保理決議案1244により、国連統治下とされています。国であって国でない、そんな特異な地にいることを不思議に思いました。他国による認知や、自国の政府を持つことなど、何が国を「国」と定義するのか、ということも考えさせられました。

コソボは、それぞれの地域が歴史に溢れ、戦争の傷跡が色濃く残っていたり、貧困や民族対立など社会的な問題を抱えていたりするので、首都以外の街を見ることも大変勉強になりました。コソボ北部のUNDP事務所を訪ねたり、休日には各地方を近藤さんはじめ邦人職員の方に案内していただいたおかげで、コソボにはアルバニア人とセルビア人だけでなく、他にも4つの民族があり、その対立が未だに続いていることを知ることができました。例えば、グラチャニッツァというセルビア人地区では、首都から10キロほどしか離れていないにもかかわらず、看板などはキリル文字のセルビア語で、通貨もセルビア・ディナールが使われていました。グラチャニッツァの一番の魅力は、14世紀に建てられ、今でも軍服のコソボ治安維持部隊に警備されている美しいセルビア正教会です。この教会はコソボ紛争の火を免れましたが、コソボ中で70以上ものセルビア正教会がアルバニア人に焼き払われたそうです。そのような背景があるからか、私たちも、教会にいたセルビア人のお婆さんに、外国人は歓迎しないと強く抗議されました。プリシュティナでの生活ではそれまで感じなかった民族対立の傷跡を、ここで初めて痛感しました。しかし、外に出ると、今度はセルビア人・アルバニア人より社会的地位が低いとされるロマ人の物乞いの少年に出会い、ずっと付いて来ました。一部の人たちにはウェルカムでない外国人の私たちも、この少年にとっては逆に、一番話しかけたい裕福な人たちと映ったようです。6つの民族、そして隣国からの移民や国連職員などたくさんの外国人がいるコソボが抱える、複雑な民族間の問題を象徴しているような一件でした。

今回の経験は、本当によい出会いに恵まれたからこそ得ることができたものです。アパートをひと月も貸してくださった方など、それまでお会いしたことのない方のご好意もたくさんいただきましたし、一人一人のお心遣いと邦人ネットワークの絆の強さには本当に心打たれました。コソボには当時11人の邦人職員がいらして、UNDP、UNHCR、UN-HABITAT、UNMIKなど様々な機関の方に出会いました。幹事をしている国連フォーラムの「国連職員NOW」や「国際仕事人に聞く」などのインタビューを通して、コソボの歴史や地方の問題、それらに対する各機関の取り組みの違いなど、いろいろなお話を伺うことができました。「コソボ・ファミリー」とお互いに呼び合う彼らが、プライベートの時間を割いて惜しみなくお話をしてくださった時こそ、私にとって一番の勉強になった気がします。停電になればろうそくを囲んで話し、時には夢中になったあまり、真夜中の断水が終わって水がまた出始める朝6時まで話し込んだこともありました。コソボはイスラム教で、豚を食することが禁じられているので、何かの折で豚肉が手に入るたび、豚鍋やとんかつなどのホームパーティーがありました。年末は、お祭り騒ぎが好きなコソボ人の爆竹に負けない音量で皆でカラオケを歌って過ごしましたし、私の帰国が近づくと、手作り納豆など日本食が得意なNGO代表の小野寺ふみさんが、隣国マケドニアまで食材を買いに走り、お別れ会を開いてくださいました。これらのことは、一生忘れられない思い出となりました。

「国際仕事人に聞く」でインタビュー中

インターンシップを始めたばかりの頃は、自分が貢献できていないことに対して歯がゆさを感じましたが、それはコソボのことを知らずに押しかけていった学生としては仕方ないことであり、途中から、では、代わりに自分にできることは何か、と考え直すようになりました。そこで行き着いたのが、コソボに対して強く興味を持ち続け、そのことを他の人に伝えることだったのです。コミュニケーションに興味のある者として、アメリカや日本に帰ってから、何らかの形でそれを伝えることができれば、と思うようにもなりました。

休日に案内していただいた、世界遺産にも認定されているセルビア正教会の デチャーニ修道院。
当日はギリシャ正教のクリスマスで、床に藁が敷き詰めてありました。

■その後と将来の展望■

その機会は思ったより早く来ました。ニューヨークに戻って約ひと月後、以前UNMIKで勤務され、現在は文教大学の教授でおられる中村恭一さんを迎えて国連フォーラムの勉強会が開催されることになり、そこに私も同席して、インターンシップの結果発表をさせていただくこととなりました。UNDPコソボ事務所から、邦人職員全員の参加による、音声付のプレゼンテーションも送って頂きました。専門家の皆様と同じ場で発表するのは大変おこがましいことではあったのですが、参加者の中には将来国際関係に携わりたいという学生もたくさんいらっしゃいました。同じ学生として私がコソボで見聞きしたことが多少なりともインスピレーションになれば、これ以上嬉しいことはありません。

今回の経験は、大学院の授業に対しても、新しい視点を与えてくれました。コソボ紛争は、民族対立、武力による介入など、様々な政治的な分野でよく話題に上るので、議論に多少なりとも貢献できるようになりました。現在のコソボも、国連統治下にありながら独立宣言した特殊な地域であり、それを各国連機関がどう支持していくか、という意味で大変興味深いケーススタディなので、何かにつけ授業の課題でコソボについて取り上げました。コソボ紛争は10年前に終わり、もう過去のこと、という扱いを受けることが多い気がしますが、国の定義を変え、国連の決議案とは違う結果を出し続けているという意味では、どこよりも新しい課題に取り組んでおり、今後とも注目すべき、ホットな地域となりえるのではないかと思っています。

また、とにかくフィールドに行かないと国連の何たるかが分からない、ということを痛感しました。現場を垣間見た後、ニューヨークの国連本部でインターンをしましたが、複雑な本部の会議は、各国の状況を知ってはじめて理解できると思いました。また、UNDPコソボ事務所の活動を見ることにより、広報やコミュニケーションの様々な姿を勉強できたことも幸いでした。将来の道は現時点でははっきりしていませんが、短い期間の間に経験したことは、今後の自分を大きく変えることになったのは間違いありません。

■ これからインターンを希望する方へのメッセージ ■

若い方々には、インターンをある種の冒険ととらえて、挑戦してほしいと思います。「知らなかった、分からなかった」というのは、若いうちしか通用しませんし、それなら、その間になるべく知っておいた方がいいと思います。私自身、ひと月の滞在で何が分かるだろうと考えることもありましたが、どこからか始めないと、次のステップにいけません。国際機関での就職を探している人は、インターンにあたっても、どれだけ貢献できたかでその成果を判断してしまうことがあるかもしれませんが、学生の間はそこを少し甘く見てあげて、知識を吸収することに専念してもよいかと思います。学生は、まだ家族がいなかったりと、時間ももっと自由な場合が多いのですから、その間になるべく見聞きするといいと思います。

最後になりますが、コソボでお世話になった皆様、本当にどうもありがとうございました!

2010年1月30日掲載
担当:清野
ウェブ掲載:秋山