第41回 津田 美樹(つだ みき)さん

首都キエフのペチェールスカ大修道院で迎えた24歳の誕生日。この大修道院の近くにUNDPウクライナ事務所があります

第41回 津田 美樹(つだ みき)さん

ジュネーブ大学大学院開発学修士2年(インターン時1年)
インターン先: 国際連合開発計画(UNDP)ウクライナ事務所コミュニティ開発部局、国際連合開発計画(UNDP)チェルノブイリ復興開発計画

■はじめに■

国際連合開発計画ウクライナ事務所(UNDP Ukraine)コミュニティ開発部局( Community Based Approach to Local Development、以下CBA)に9週間、途中3週間は同じUNDPウクライナ事務所の別の局、チェルノブイリ復興開発計画(Chornobyl Recovery and Development Project、以下CRDP)でインターンを行いました。

※ Chernobylではなく、ウクライナ語表記ではChornobylとなります。

■インターンシップ期間と場所■

2010年7月から9月、ウクライナの首都キエフ(CBAで9週間)およびチェルノブイリ被災地(CRDPで約3週間キエフ州イヴァンキフ、ジトーミル州ルヒネーに滞在)

■インターンシップの応募と獲得まで■

大学院留学前から1年と2年の間の夏季休暇に国際機関のカントリーオフィスでのインターンシップを計画していたため、2010年3月から国連開発計画(UNDP)のロシア語圏を中心に応募をしていました。語学が好きな私は、堪能な英仏語を生かして、学部時代に中央アフリカ共和国で大統領通訳を、カメルーンで外務省主催ODA民間モニターの視察団長を務めた経験がありました。ロシア語圏を志望した理由は、アフリカ以外を見てみたいと感じていたことに加え、学部時代から五か国語目として学んでいたロシア語を生かしたいと思ったからです。大学院での勉強のほかに、留学を始めてから週3回ジュネーブ大学のロシア語学科の授業に出席し、2010年初頭に7週間モスクワ大学とサンクトペテルブルグ大学で語学研修に参加し、ジュネーブでは2010年4月からロシア人の友人とランゲージエクスチェンジを週2回行い、インターンをするうえで必要なロシア語能力を高めていきました。

当初は意気揚々に応募していましたが、応募から2、3カ月たっても連絡が来ず、学期末のペーパー提出や試験で非常に忙しい時期になり、インターンに充てようと考えていた休暇が目前となるとさすがに焦り始めました。国際機関自体も日々の業務で忙しいためにインターンの採用は後回しになるとは聞いていましたが、そのような状況においても、次々とインターンが決まる欧米系の学生に比べて言語、文化的に控えめな私を含むアジア系の学生は苦戦したように思います。(100回願書を送り続け数十回電話をする欧米人と、ひたすら待ち続けるアジア人。そもそも願書に書く言葉が欧米人とアジア人では違ったような気がします。)

数え切れないほどの願書を世界各地の国連事務所に出した末にウクライナに決まったのは、私の個性をうまくアピールできたためだと思われます。通常、インターンの応募には願書や推薦状を含めいくつかの書類が必要ですが、ウクライナに限っては7週間参加したロシア語研修証明書、復活祭の休みに同国を一人旅した時の写真(特にチェルノブイリ)を提出しました。更に願書には、留学時から続けているジュネーブでの生活や旅行先の写真を載せた私のブログのリンク、そしてチェルノブイリ原発事故が起きた1986年の広島原爆記念日8月6日が私の誕生日であることを強調したことにより、何かしらのご縁を感じていただけたことが採用につながったようです。振り返ってみると、CBAとCRDPへの応募のきっかけ自体にも不思議な巡り合わせを感じます。というのも私が各国のインターンに応募していた2月から5月の間にはウクライナ事務所ではインターンを募集していませんでした。6月にたまたまCBAのホームページで募集の告知を見かけたため、今回のインターンに応募することができたのです。そしてCRDPでのインターンへの応募も、ランゲージエクスチェンジをしているロシア人学生が私に勧めてくれたことがきっかけでした。やはり彼も、私がチェルノブイリをすでに訪れていたことを知っていたうえ、原爆記念日である私の誕生日を覚えてくれていたために応募を勧めてくれたようです。この二点からしてもやはり私とウクライナには何かしらのご縁があったように思えてなりません)

6月にUNDPウクライナのCBAとCRDPの二つに応募し、嬉しいことに7月初旬に両方からオファーを頂きました。本来はどちらかに絞らなければならないものの、どうしてもチェルノブイリ復興支援インターンも挑戦したいと伝えるとCBA所長の特別な取り計らいにより両方に参加することができました。

ウクライナと言えば忘れてはならない1986年のチェルノブイリ原発事故。チェルノブイリ原発の近くのキエフ州イヴァンキフにて

■インターンシップの内容■

ウクライナと言えばみなさんは真っ先に何を思い浮かべるでしょうか。ロシアとEUのはざまに揺れる国、農業国、それともやはりチェルノブイリ原発事故でしょうか。ウクライナは、首都にはキエフルーシを代表するぺチェールスカ大修道院、ソフィア聖堂など世界遺産が多く存在し、ボルシチやヴァレ二キなどの非常においしい郷土料理を味わうことができる魅力的な国である半面、国民の約30%が貧困に苦しみ、人身売買が多発し、AIDS感染者が欧州では一番多く、暗い社会経済の見通しに失望する人々が地方へ行けばいくほど多いといわれている国です。

私は、CBAの人的資源アセスメントのリサーチインターンおよびCRDPにて3週間被災地に滞在し、調査を行いました。

コミュニティ開発を目的としているCBAは、ウクライナ人スタッフ15人、ネパール人のプロジェクトマネージャー1人のオフィスで、ほぼ9割方ウクライナ語が飛び交う職場でした。CBAは、EUが資金の9割及び技術を支援するプロジェクトで、クリミア自治共和国を含めウクライナの全ての州を対象に貧困の深刻さを基準に選ばれた村で行われています。ウクライナでは、地方へ行けばいくほど住民は上からの計画や資金援助に依存する体質(ソビエトレガシー)があり、それが地方の開発を困難にしています。それを断ち切るために、住民自らがプロジェクトを立案し、オーナーシップを意識づけるために資金の半分を住民が提供することとし、プロジェクトへの資金援助だけでなく住民の要望に合わせてリーダーシップから資金集めまでの幅広いトレーニングを行い、評価し、次のプロジェクトにつなげていくのがCBAなのです。具体的なプロジェクトとしては、ソ連時代に建設され老朽化した非効率的な水道システムの改善、エネルギー供給システムの改善、地方児童の長距離通学負担軽減のためのスクールバスの設置、簡易医療診断所(Health Post)の開設などがあります。

CBAでは9週間のインターンを行いましたが、最初の2週間は資料の読み込みが中心でした。人的資源や貧困削減の授業を大学院で履修していましたが、アカデミックとフィールドはダイレクトには結び付かないことを多々実感しました。地方での会議や説明会に何度か同行したのですが、いくら住民をエンパワーメントさせようとも、ドナー側と受益側の壁をなくそうと努力しても、住民の上への依存体質は少なからず残っていました。ソ連時代は中央集権が強かったので、予算、計画もすべてモスクワで行われていました。 ウクライナが独立してから20年しか経ていないため、今もなお中央への依存体質が強く残っているではないかと思われます。UNDPをはじめ国際機関、他国の援助でも住民のエンパワーメント事業を行っていますが、まだ新しいためか十分に受益者には浸透していないようです。

またウクライナ人は歓待することが非常に大好きで、受益者である彼らとCBAスタッフの間のつきあい方(距離の取り方)にも配慮する必要がありました。毎回の出張同行には、受益者による全て手作りの料理や、昼間からウオッカが用意されていました。同じ目線に立ってプロジェクトを行うのはウクライナに問わず非常に重要ですが、仕事上CBAスタッフと受益者の距離が近すぎると届けるべき所に援助を届けることができません。ただでさえ地方は財政難であるにもかかわらず、客人を手厚くもてなすことがウクライナ人の生活の一部と化しているため、温かな歓待を断る目的、方法もすでにCBAのマニュアルには明記されているほどでした。

噂では聞いていましたが、カントリーオフィスの職員は自らの職務に非常に熱心でした。インターンとしても職員に対して積極的に質問し、働きかけた方がよいのでしょうが、とにかくスーパーヴァイザーを含めすべての職員が出張やオフィスでの応対に非常に忙しく、割り込む余裕を見つけることすら難しい状況でした。調査計画書を提出しても承認が下りるまで1週間以上かかるということは珍しくなく、一時は自分の落ち度や正当に評価されていないことを不安に思ったときもありました。しかし、あとで担当者に聞けばそれは私の落ち度などではなく、平日に残業しても休日出勤しても終わることのない仕事の山のせいであるということをお聞きしました。日本人は受動的であることが玉に傷ではありますが、この時ばかりは積極的な働きかけをせず正解だったと感じています。

リサーチインターンとしての仕事は、CBAのトレーニングを受けたキエフ州のフォーカルパーソンを対象とする調査、つまり人材育成の成果を調べ、次の人材育成プロジェクトを向上することが主な私の仕事でした。調査計画書の承認が下りた後、調査票の回答を待っている間にCRDPインターンとしてチェルノブイリ被災地で3週間現地滞在し、残りの2週間で回答の解析を行いました。最終段階に至っても職員は非常に多忙であったため、ウクライナ語辞書を引きながら調査票を読み取り、自力で調査結果の集計を試みました。ようやく報告書が完成したのはインターン終了間際でした。

この調査を通して、全体的にはCBAの行うトレーニングは高く評価されており、CBAプロジェクト実行のためだけではなく、トレーニングを通して自らの住む地域の問題への関心が高まったとの総合結果が得られました。更に、積極的なフォーカルパーソンであればあるほどCBAに対して新たなトレーニングの要望、あるいはトレーニングで培った能力を生かして、自らトレーニングを主催していることがわかりました。ジュネーブのロシア人留学生、ウクライナ人留学生、ロシア人の友人そしてCBAオフィスの職員が度々強調していることですが、この地元住民の意識(Local Awareness)の高まりこそが人口減少、頭脳流出、ソビエトレガシーが残るウクライナでは非常に評価されるべきことであり、それこそがCBAの目指している目標の一つなのです。
CRDPは、チェルノブイリ被災地の復興と支援を行うプロジェクトであり、ウクライナ人スタッフ4人がその任にあたっています。この3週間のインターンに関しては2010年10月19日(火曜日)付けの産経エクスプレスに寄稿しております。

  • http://sankei.jp.msn.com/world/news/110121/erp11012112200049-n1.htm
  • http://sankei.jp.msn.com/world/news/110122/erp11012212210039-n1.htm

国内出張で行ったジトーミル州の簡易医療診断所(ヘルスポスト)の看板。御覧のようにEUのマークが明記されている

毎回の出張では、受益者であるウクライナ人が地元特産物を使った手作りのウクライナ郷土料理でもてなしてくれました。もてなしを受けることで彼らのプロジェクト以外の生活や家族の話を聞き、距離が縮まりましたが、朝からウオッカを用意されては…

CBAプロジェクトで建設されたジトーミル州の簡易医療診断所(ヘルスポスト)

■その後と将来の展望■

CBAインターンを通して、ローカルレベルからの貧困削減を専門とする国連職員を目指すという私自身の国連でのキャリアビジョンがより確固となりました。また現場へ行くほど感じたことですが、女性の参加率が非常に高く、彼女たちの地域問題や貧困問題に対する真摯さは男性のそれ以上です。ジェンダーの視点が貧困削減にせよ紛争国の復興支援にせよこれからますます外せない課題であるのは間違いないので、女性の権利向上を対象とする機関においてもぜひ働いてみたいと思っています。

インターンを通して得たものは、キャリアビジョンのみにとどまりません。インターン中に知り合った人々との出会いは、私にとって忘れることのできない大きな財産となりました。インターン中に迎えた誕生日を祝ってくれたことやダ―チャ(別荘)での親睦会などCBAオフィススタッフとの日々の付き合いはもとより、UNICEFウクライナ事務所代表杢尾雪絵氏とも2度お会いし、国連キャリアと私生活の両立のお話を自宅に招かれワイン片手に聞くことができたのもとても光栄なことでした。またキエフ日本商工会代表の大槻裕士氏(三菱商事)、山崎英人氏(ホンダ)をはじめ日本人企業戦士からもウクライナでの仕事内容や、日本と海外企業の今後の展望を伺えたことも非常に貴重な経験でした。これらの出会い、経験を踏まえ、仕事も私生活も、平時も緊急時にも柔軟に対応できる「幅広い」人間を目指したいと思っています。

ネパール人CBA所長の誕生日。ウクライナ人職員のダ―チャ(別荘)にてウクライナBBQのシャシュリクとウオッカで祝いました

■資金確保、生活、準備等■

UNDPをはじめ多くの国際機関でのインターンは、渡航生活費含めすべて自分で賄うのが一般的です。ウクライナの安い物価も助けとなって、伊藤国際教育交流財団奨学生である私は日々の貯金から全て賄うことができました。(地下鉄&バス一回乗車券約20円、一回の食事300円)。

インターン前に既に古今問わず隣国との複雑な歴史を擁するウクライナを一人旅で訪れ、ウクライナ文化と人懐っこい人々に非常に親しみを覚えたので、ウクライナ人とのルームシェア生活は全体的には問題がありませんでした(国連が紹介してくれた場所で家賃1カ月約18000円)。東京での学部時代、ジュネーブでの大学院時代とロシア語を3年ほど勉強し続けているので、隙間時間はロシア語の習得に努めました。また日常生活のうえで必要なウクライナ語についても、テキストを購入して勉強しました。そしてルームメイトとの会話練習を通して、生きたロシア語とウクライナ語を学ぶようにしました。

休日はウクライナ国内旅行、友人と近郊の森でのシャシュリク(ウクライナ版バーベキューを楽しみました。またキエフにあるウクライナ日本センターで小説やDVDを借り、主に通勤や休憩時間に読んでいました。特に司馬遼太郎氏の「ロシアについて‐北方の原型」(文春文庫)、黒川祐次氏の「物語 ウクライナの歴史-ヨーロッパ最後の大国」(中公新書)はこの地域を知る上で必読ともいえるもので、これらの本と出合え、インターンを行う上で指針として活かせたことも特筆しておきます。

勿論全てが順調であったわけではありません。夏はロシア語圏共通のレモント(修理)の時期で、水シャワー4週間、クーラーなしの酷暑という有様でした。そのときはさすがに体に堪え、一度38度の気温の中で39度の熱を出し激しい嘔吐と下痢に見舞われ、数日食べられない日が続きました。

準備に関してですが、日本人は3カ月以内の滞在であればビザを申請する必要はありません。私のインターンが決定したのは途航半月前でしたが、全く問題はありませんでした。

■その他感想・アドバイス等■

私の専攻である開発分野において念願のインターンが叶ったことは良かったのですが、インターンではソビエトレガシーが残るウクライナでの開発の限界や今後の課題をダイレクトに実感しました。

何よりも9週間のインターンをやり遂げられたことは周りの人々の温かいご支援とご協力のおかげに他なりません。調査票作りや文章作成にせよ何をするにしても一から学ばなければならない私に懇切丁寧に教えてくださったUNDPスタッフ、前述したウクライナ在住の日本人の方々からの励ましは、一生涯残る財産となりました。

Japan Bashing」どころか「Japan Passing」が続く今でも、いえ今だからこそ日本人が外に出て何かをやり遂げるモチベーション、アクションが重要ではないでしょうか。国連での就職やインターンにはコネが必要といいますが、それは国連職員を目指し、国際社会に貢献するという強い意志のまえには何の妨げにもなりません。時間がかかってもいい、間違ってもいい、自分なりに下手なりにやりきることが大事だと私は信じています。そうすればその時には結果が出せなくても、後になって必ず実力になってあらわれてくるでしょう。

UNDPウクライナ代表のオフィスにて

産経新聞記事(2010年10月19日付)

  • http://sankei.jp.msn.com/world/news/110121/erp11012112200049-n1.htm
  • http://sankei.jp.msn.com/world/news/110122/erp11012212210039-n1.htm

また2010年12月に行われたコソボでの選挙も産経新聞の記事になっています。(2011年1月11日、火曜日)

  • http://sankei.jp.msn.com/world/news/110111/erp11011119450057-n1.htm
  • http://sankei.jp.msn.com/world/news/110111/erp11011119540058-n1.htm

2011年2月23日掲載
担当:高田
ウェブ掲載:陳穎