第67回 小林 真由美(こばやし まゆみ)さん

 (臓器移植部門の二人の上司と)

第67回 小林 真由美(こばやし まゆみ)さん

筑波大学医学群医学類36回生
インターン先:世界保健機関(WHO)ジュネーブ本部、Service Delivery and Safety, Health Systems and Innovation
インターン期間:2014年3~4月(6週間)

■インターン実現までの道のり■

小学校から高校まで世界中に姉妹校を持つ聖心女子学院で教育を受け、幼少期から将来は国際的に社会に貢献したいという思いを持っていました。医師を志し筑波大学医学群医学類入学後、国際保健やWHOでの仕事に関心を持ったことも、このような背景に基づいています。最初は漠然とした憧れであった思いは、いつしか学生の間にWHOでのインターンを実現したいという強い意志に変わり、大学5年次に、お世話になっていた公衆衛生の先生からWHOのパキスタン人医師をご紹介頂きました。一縷の望みをかけてWHOジュネーブ本部までその先生を単独訪問したのはその二か月後のことです。4日間という短い滞在期間でしたが、朝から晩まで毎日様々な人を訪ね、最終日に紹介して頂けたのは、幸運にも一番関心のあった臓器移植分野の先生でした。少しでもチャンスがあった時のために、という思いで日本から持ってきたCVと共にその先生の部屋を直接訪問し、一度はインターンとしての受け入れを快諾して頂きました。しかし帰国後に連絡は途絶え、待っていたのは先生の母国語であるスペイン語で何度もメールを送り続ける一年でした。出発の3か月前になり、なんとか道を切り拓こうとジュネーブへ国際電話をかけようとしたちょうどその時に、公式の受け入れ通知のメールが届きました。ようやくWHOへの切符を手に入れることができ、今でも忘れられないほど嬉しく、涙が出るほど安心した瞬間でした。

■WHOインターンで臓器移植分野を希望した経緯■

大学医学部での授業を通じて、小さな臓器でありながら、全身を映す鏡ともいわれるほど生命維持に重要な役割を果たす腎臓に魅せられました。その後大学4年次に学生団体の交換留学でスペインの大学病院の腎臓内科に留学しました。スペインは移植大国であり、留学中に“Modelo Espanol (スパニッシュモデル)”と呼ばれる世界に先駆けて確立された移植コーディネートのシステム、および腎臓内科的な腎移植管理に関心を持ち、臨床と国際保健の両方の観点から臓器移植について知識を深めたいとの思いが強くなりました。その後、上記のように紆余曲折を経て、ようやく大学6年次の春にWHOインターンを実現することが決定しました。

■資金確保、生活、準備など■

インターンが決定した時点ですでに出発の3か月前をきっていたため、現地での生活の準備としてまず住居探しを急ぐ必要がありました。WHOインターンのためのパンフレットに掲載されていた宿泊施設に上から順番にメールを送りましたが、どこもすでに空きがなく、最終的に20近い施設にメールを送り空いていたのは1施設でした。WHOに歩いて通える範囲にある学生寮で、勉強机とベッドがあるだけの小さな部屋でしたが、ほかの国連機関でインターンをしている仲間とも知り合うことができ、一日の仕事を終えて寮に帰った後も寂しさを感じることはありませんでした。滞在中の食事は朝と夜は基本的には寮で、昼はWHOのカフェテリアで同僚とともにとることがほとんどでした。何をするにも物価が高いジュネーブで、時折日本食が恋しくなってもなかなか手が出ませんでした。そんな時に、家に招いて手作りの親子丼をご馳走して下さった日本人インターンの先輩のご厚意は今でも忘れません。

■インターンとして過ごした日々■

Service Delivery and Safetyの部門は、臓器移植のほか、血液製剤関連の安全確保、外科や救急治療へのアクセス向上、保健医療サービスの普及など様々な分野に関わっていますが、私は臓器移植分野の2人の上司の元でインターンとしてお世話になりました。インターン期間中は主に、(1)「死の定義」のクライテリア作成、(2)Notify Library(移植のデータベース)作成及び、8か国語への翻訳などに関わりました。特に(1)については、先行研究分析及び専門家会議招集の段階から上司とのディスカッションに参加し、世界中のコンセンサスを得ることができるクライテリアを作成するための議論のノウハウ、また、それを世界基準にしていくプロセスを学びました。また、スペイン人移植外科医である上司からは、移植のシステムの世界モデルとなっている“Modelo Espanol (スパニッシュモデル)”に関連して、ONT(国立臓器移植機構)を中心にスペイン全域の病院で連携がとられているシステムや経済面を含めた国の支援体制、移植コーディネーターの役割などについて詳細に教えて頂きました。日本の移植医療の発展が進まない原因は、臓器提供に対する日本人の抵抗感だけにあるのではなく、移植医療に関わる経済基盤やシステム作りなどの不足にもあると思い、改善の余地を強く感じました。

臓器移植分野で上司と共に仕事をする傍ら、インターンとして、ほかの部門のインターンと共に新興感染症発生時の対応や聴衆を惹きつけるプレゼンテーション方法の講習など各種セミナーにも参加することができ、各分野の最新知見や世界中から人が集まる場において、人を魅了し説得できるプレゼンテーション技法などを学ぶことができました。 人とのつながりの重要性もWHOで強く感じたことです。上司に関心事を伝えると、その分野の専門家をご紹介頂ける強力なネットワークもあり、100人近い数のインターン仲間、職員の先生と知り合い、さらに日本でご活躍される先生方もご紹介頂きました。経験や実力に加えたヒューマンネットワークの重要性を痛感しました。

(WHOカフェテリアでインターン仲間と共に)

■インターンを終えて■

憧れを抱いていた国連機関でのインターンを学生の間に実現できたことは、私が医師として、まずは臨床経験を積みたいと決意する上でも非常に大きな意味を持ちました。世界中から集まった多種多様な経歴を持つインターンや上司の話に刺激を受け、様々な考え方を学んだこと、日本を客観的に見ることができるようになったこと、人の優しさに触れ医師としてだけでなく人として尊敬できる先生方にお会いできたことなど、毎日色々なことを学びましたが、その一方で、カルチャーショックも経験しました。ディスカッションに対する姿勢やテンポの速さに最初は戸惑い、日本人の控えめな性格のままでは何も得ることなく時が過ぎるということにも気付きました。教室に座っているだけで多くのものを与えて頂いてきた日本の環境とは異なり、自分のやりたいこと、できることを自ら探し、思っていることは発言しなければ、ディスカッションに参加できる土俵にさえ立っていないのだと痛感しました。国際社会における日本は、自分が思っていたほど大きな存在ではないこともよく分かりましたが、その上で、相手を見て柔軟に対応できる日本人の器用さや相手に敬意を持つことができる心は大切にしたいと感じています。大変なことも多々ありましたが、困難を自分で乗り越えていくことを通じて精神的にも強くなり、国際社会で働く上での積極性や度胸も身に付いたと感じます。

インターン中に、ほかの国連機関で活躍される日本人の先生を訪問する機会も頂きました。国を超えた責任を背負いながら第一線で活躍される先生から伺った言葉を今でも鮮明に覚えています。

「自分の本質的なもの、大切にしたいもの、好きだと思うことをどんな時も何よりも大切にすること。やろうとしていることが本当にやりたいことなのか、いつも自分の心に問い続けること。好きなこと、楽しいと思えることなら努力できるから。国際機関で働くことは口で言うほど簡単なことではない。現実はいろいろな問題や争いもあるけれど、それでも、理想や目指すべきものをいつも見据えて、それに向かって走り続けること。」

語学力や知識が必要であるのはもちろんですが、何よりも大きな原動力となるのは、大きな夢を抱く気持ち、そしてそれを実現しようと高きを望み、あきらめない精神だと思います。本当にたくさんの様々な分野の方々のお力添えにより実現できた経験が、これからインターンを希望される方にとって少しでも役に立てばという思いで寄稿させて頂きます。

(WHOメインエントランスにて)

2016年11月13日掲載
ウェブ掲載:三浦舟樹