第1回 南 香織さん 国連事務局 事務総長室(スケジュール管理室 事務官)
プロフィール
南香織(みなみかおり):千葉県船橋市生まれ。 1991 年、慶應義塾大学法学部卒。アメリカン大学国際コミュニケーション学修士。日本アセアンセンター、アジア生産性機構( APO )事務局勤務を経て、 99 年度国連競争試験(広報)に合格。国連広報局広報戦略部、同局対外関係課特別事業室を経て 2004 年 5 月より現職。
Q.いつごろから国連勤務を目指されたのですか?
4歳から中学校入学前まで、家族でニューヨークに住んでいました。学校の同級生たちとは人種に関係なく仲良くなり、小学校を卒業するとき、慕っていた担任の先生が「将来は、外交官か国連職員になったらいいね」と。その言葉がずっと頭に残っていたんですね。高校生のころから、この二つの進路について調べ始め、大学生のときに国連に的を絞りました。多国籍の環境の方がやりがいがあると思ったのと、ちょうど冷戦が終わり、グローバリゼーションや民族紛争が話題になる中で、国連の役割は大きいと思えたからです。同じころ、広報を専門にしようと決めました。湾岸戦争の報道で、メディア対策や情報の流通に興味を持ち、また文化交流が好きだったので、対外的なイベント企画に携わりたいと思いました。
Q.国連で勤務開始なさるまでのご経歴を教えてください。
ワシントン DC にある大学院に進み、国際コミュニケーション学と開発学を学びました。幸運なことに卒業前の 5 か月間、 NY 国連本部の広報局報道官室でインターンをすることができたんです。マスコミからの問い合わせに応じてリサーチをし、事務総長名で出す広報資料の下書きをし、記者ブリーフィング用に情報や資料を集めました。国連は、組織も扱っていることも幅広い。実際に現場で国連職員と話をし、資料を手にして、ようやく大学院で勉強したことがすとんと来ました。ここが最終目標だな、と感じましたが、日本である程度経験を積み、日本人としての信頼性を高めた後に国際的なレベルに挑戦しようと決めました。そして、東京にある二つの国際機関で広報を計 8 年間担当し、国連競争試験に合格しました。
Q.今までで最も楽しかったお仕事は。
ちょっと特殊でしたが、2004年に初めて国連本部を舞台に映画が撮影されまして。「The Interpreter」(2005年、 Sydney Pollack監督)という映画制作の支援は面白かったですよ。内部の撮影は商業用には禁止だったのですが、アメリカ人向けの広報として最適だということで、法務局、事務総長室と何度も協議し、説得に努めました。脚本の台詞で専門用語がきちんと使われているか、国連のイメージを傷つけていないか、衣装やロゴの使い方もチェックし、撮影中の警備の手配もしました。主に週末を使っての撮影だったのですが、毎週主役のニコール・キッドマンやショーン・ペンに会えましたよ。公開後、映像効果で本部を訪れる観光客も増えました。
Q.逆に、特に大変だったお仕事はありますか。
その特別事業室での仕事の前に、広報戦略部で部長補佐をしました。そこで担当した情報委員会の仕事は大変でしたね。広報局の政策や事業、今後の方針について話し合うため、毎年4月に10日間にわたり開催されます。私は連日夜中、時には午前3、4時ごろまで各国政府代表者と協議をし、議事録の作成や議長スピーチの草稿などをしました。特に国連総会に提出する決議を草案するとき、各国とも自国の意見を採り入れるよう要請し、細かい文法の修正まで指摘してきます。中には、自国の意見が無視されたと大声で私に怒鳴りつけ、国際会議では考えられないような乱暴な言葉を使う人までありました。私は呆れて無視したのですが、その代表の怒りはますます募り、最後には調停に入った部長に「政府の人にはもっとにこやかに接するように」と注意されました。この部での仕事を通じ、広報政策の全体像を知ることができ、大変勉強になりました。
Q.現在は、国連の心臓部・事務総長室にお勤めですね。どのような職場なのでしょう?
映画撮影支援の仕事を楽しんでいたとき、突然、事務総長室からお電話を頂きました。「ちょっと上がってきて」、と。あそこから電話がかかってくると、どきっとします。新しくスケジュール管理室ができるから入ってみないかと聞かれ、何も知らないまま別世界に飛び込みました。
その名のとおり、アナン事務総長を身近で補佐する部署です。オフィスの最上38階にあるので、年数回の避難訓練のときは足が筋肉痛になって大変です。事務局の中では特殊なオフィスで、センシティブな内容の情報の取り扱いも多く、職員の一般公募もしません。国連改革の準備に向けて、職員は2年前の約80名から100名に増えました。ただ、現総長の任期が今年末で終わるため、次期総長の意向次第で組織構造もメンバーも来年大きく入れ替わると思います。
Q. 日々のお仕事について教えてください。
事務総長の年間行事予定を作り、日々の日程の管理をし、各国政府との二者協議のアレンジをしています。イベントや会議で総長が誰と何時何分にどこで会うかなど、ロジ関係の交渉をしながら細かい分刻みのプログラム作りをします。総長の出張の準備もし、同行者用に予定や関係資料をまとめた「トリップ・ブック」を作っています。
また、毎日たくさん送られてくる招待状への返答もしています。総長との関係を調べ、内容によっては各局の専門家に相談します。断らなくてはならない場合が多く、日本人には苦手な「No」を連発する日々です。「どうして出席できないんだ?」と批判されることもありますが、あいまいな対応は厳禁です。理由を言っていいときもあれば良くない時もあり、総長のイメージにも関わるため、対応に神経を使います。
スケジュール管理室は、私を含め専門職員3名、一般職員3名です。アナン総長は出張や会議でご多忙ですので、毎日顔を合わせるわけではありませんが、突然、私のデスクの背後に現れることがあります。心臓に悪いからやめてください、と申し上げるのですが。優しく、また厳しい方です。口数は少なく、冷静で温厚。正面を見据える目は鋭く、存在感が強い方です。
Q. 今の国連の課題は、何だと思われますか?
MDGs (ミレニアム開発目標)の達成は重要な課題です。また、現行の国連改革を次の事務総長がどのように引き継ぎ実施していくかは、注目すべき問題です。イラクの Oil-for-Food 計画(石油食糧交換計画)での汚職疑惑で国連の信頼性がずいぶんと傷つきましたが、事務局全体で事業管理の仕方を再検討するよい機会となり、改革に拍車がかかったと思います。
Q.国連において日本ができる貢献について、どうお考えでしょうか。
2001 年 9 月の米国での同時多発テロ事件以来、日本でも危機管理のあり方が国民の間で話題となりましたが、日本の長年の平和主義は誇りに思うべきだと思います。海外で様々な国の出身者と接触する中で、日本はいかに恵まれた豊かな国であるか実感します。日本に期待されているのは経済援助だと思われがちですが、難民救済などの人道支援、社会開発、災害時の緊急援助など、多方面においてもっと活躍できると思います。最近、国家ではなく人々の安全を守るという「人間の安全保障」への支援を日本政府が促進していますが、その今後の発展にも期待しています。
Q.これから国連を目指す人たちへ、アドバイスをお願いします。
国連の魅力は、その多様性にあると思います。世界各地から職員が集うので、時にコミュニケーションは大変ですが、びっくり箱のような面白い発見がたくさんあります。私はこの国連の世界の中で、自分がどこまでできるか試すチャレンジ精神を大事にしていきたいですね。
国連に入る方法として、国連競争試験はお勧めです。採用されてから 2 年間の試用期間があり、 62 歳の定年までの雇用契約がもらえます。本部、各国連機関とも短期契約のポジションがほとんどですので、雇用の安定性が違います。
また、専門分野を早い段階で決め、国連に来る前に関連した職務経験を積んだ方がよいと思います。「これならおまかせ!」という自己 PR ができないと、自分のやりたい仕事になかなか就けない環境です。
国連も良いですが、国連以外の職場で活躍する国際援助の専門家になる道もあります。国連は大半の日本企業と比べて育児支援が充実していて、女性にとっては働きやすい職場です。しかし、海外で長期間働くとなると、自分だけではなく家族の人生にも大きな影響を与えるため、かなり覚悟が必要です。
(2006年5月9日、聞き手:山岸、写真:田瀬)