第115回 山田 真美さん UNDP南南協力ユニット

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プロフィール

山田真美(やまだ・まみ):東京外国語大学在学中、アルゼンチンに留学し、以後20年間以上南米に滞在する。その間、JICAの専門家として、チリの開発援助に関する仕事に従事し、2005年からはコロンビアの平和構築支援や国内避難民支援のプログラムの案件形成に携わる。2008年10月、国連開発計画 南南協力特別ユニット、パートナーシップ・資源動員課チーフ。日本福祉大学大学院開発学修士。専門は、貧困対策・南南協力・平和構築。

Q. 開発の分野を目指されたきっかけを教えてください。

開発という分野を意識し始めたのは中学生の頃だったと思います。ニュースやテレビ番組を見ていて将来何になろうか考えていました。もともと小説を読むことや、モノを書くのが好きなタイプでしたが、ニュースを見ていて途上国のために、平和のために何かできないかと考え始めた時期でした。自分の性格を考えると、部屋に閉じこもってモノを書くより、外に出て人と話すことや、海外で仕事をする方が向いているのではないかと考え始めました。そして将来は国連で仕事がしたいなと、ふと思ったんです。

当時は子どもでしたから、そのためにはどうしたら良いか思い浮かばず、とりあえず語学系の大学に入ってスペイン語を学びました。その後、アルゼンチンの大学に留学、そのまま現地の民間企業で貿易に携わり、またチリの日系商社で働き、4年ほど民間セクターで仕事をしました。

でも、そうした過程で語学を勉強しようと思ったきっかけを忘れていたのでしょう。その頃、国際協力機構(JICA)のチリ事務所が現地職員を募集している話を聞き、「そうだ、自分は開発がやりたかったんだ」と思い出しました。日本人として日本の組織で開発をやれるチャンスだと思い、民間企業からJICAに移ったのが18年ほど前のことです。それから16年間、JICA関係の仕事に携わりました。最初の8年間は現地職員として、その後は技術協力専門家として2、3年の決まった期間、さまざまな技術協力プロジェクトを担当しました。

2008年までJICAの仕事をしましたが、最後の勤務地であった南米コロンビアは、国内避難民数が世界第2位、また地雷被災者数は世界第1位、武器を捨てた元兵士は約5万人と平和構築の課題が山積みです。そのようなコロンビアで平和構築のプログラム戦略づくりを担当していた時に、いつの間にか平和のための仕事をしている自分がいました。今、中学時代の夢だった国連での仕事をしています。何かを思い続けることは大事なことだなと感じています。

Q.南南協力にはどのように携わってこられたのですか。

「南南協力」とは、開発途上国がお互いの優れた開発経験や技術を学習し共有することによって、開発を効果的に進めるための協力形態をいいます。1978年に国連の会議で南南協力を促進していこうという決議があり、その後様々なドナー国が南南協力を支援するようになりましたが、日本は決議採択以前からずっと、第三国研修とか第三国専門家というスキームを使って南南協力支援に取り組んでいました。

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例えばチリでの第三国研修は、ラテンアメリカの人たちを対象に、チリ人が研修を実施するのを日本が支援するという仕組みです。また、第三国専門家とは、例えばチリ人の専門家をエルサルバドルに送り、チリのノウハウをエルサルバドルに移転する試みを日本が支援するというスキームです。第三国と呼ぶのは、ドナー国と受益国以外の第三の国を使う方法だからですが、私は91年にJICAに入り、現地職員から専門家になった後も、ずっとこのような南南協力の仕事に携わってきました。

例えばコロンビアで何かやろうと思うと、必ず人を介した人材育成が重要な課題となります。しかしその場合、日本が平和構築の分野で教えられることは限られてしまい、ラテンアメリカのほかの国で、昔同じような内戦を経験した国から専門家を招いたり、コロンビア人を他の国で研修させたりという必要がでてきます。このように、南南協力なしでは平和構築分野の日本の協力がなりたたないことも多々あるため、JICAにいた16年間はずっと南南協力と何らかの関わりを持ってきたというわけです。

Q.国連で勤務されることになったきっかけを教えてください。

現在働いている南南協力ユニットの役割のひとつが、国連南南協力ハイレベル会合の事務局の役割です。1978年に国連会議で「ブエノスアイレス行動計画」が採択され、国連加盟国が南南協力を推進していくための枠組みができたのですが、その進捗状況を2年毎に確認するのがこのハイレベル会合です。

2003年にチリ国際協力庁にJICA専門家として配属されていた頃、私はチリ代表団の一員としてこの会合に参加しました。その時、「こういうユニットが国連の中にあるのか。自分は今まで南南協力と二国間協力の枠組みで関わってきたけど、多国間で行うとこういう形になるのか。いつかこのユニットで働きたい」と思いました。ずっと南南協力ユニットの空席のポストがなかったのですが、2008年にコロンビアでのJICAの専門家としての仕事が終わる前に募集があり、入ることができました。

Q.今なさっている仕事はどのようなことですか。

パートナーシップ・資源動員課のチーフとして、南南協力を実施している国や支援しているドナー国等と関係を構築し、お金だけに限らず、さまざまな協力関係を構築することが大事な任務です。日本の資金協力で行う南南協力プロジェクトの管理も大事な仕事です。日本のODA予算が減っていく中で、日本以外のドナー国から資金を調達することも考えなければなりません。以前勤めていたJICAのような組織であれば、既に予算があってそれをどう効率的に使うかを考えれば良かったのですが、今はやりたいことがあって、それを実行するためにはどう資金調達をするかに頭を悩ませなければいけません。そのギャップが難しいですね。

Q.国連に入って一番大変だったことは何ですか。

政治的なバランス感覚を身に着けることでしょうか。国連では先進国と開発途上国のバランスや政治的な関係にも気をつけないといけません。実は、今年12月1日~3日にナイロビで「ブエノスアイレス行動計画」30周年を祝う会合が開催されるのですが、この会合を実施するための決議案が1年以上も議論されました。決議案の中に南南協力の「効果」について言及するかしないかで、先進国と途上国が真二つに分かれたんです。先進国側は援助効果拡大という流れの中で南南協力の効果に言及すべきと主張する一方で、途上国側は自分たちが連帯する協力、途上国同士が助け合うという点が最も重要であって、そもそも南南協力は援助ではなく、援助効果の議論にはのらないという考えです。

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このように、国連では政治的な議論が多々あり、加盟国全体の意見をまとめるのがとても難しいです。一方、まさにそのための努力をしているのが国連なので、諦めず時間をかけて意見のギャップを埋めていくことが大事です。日本は、30年以上に渡り南南協力を支援してきた唯一のドナー国ですので、これからも議論をリードする存在であってほしいと思っています。

他に大変なことといえば、40代になって転職してしまったことでしょうか。長く慣れ親しんだ日本の組織からまったく違う多国籍な組織に来てしまい、その組織文化の違いに早く慣れないといけないので大変です。また、南南協力に関しては知識と経験があっても、それを実現するために、ドナー国からお金を持ってくることを勉強しなくてはいけません。40代にして、すべてが新しいチャレンジです。また、これまではずっとスペイン語で仕事をしてきたので、英語を使う環境で働くのも初めてで、日々勉強です。

Q.国連で働く魅力は何でしょうか。

私のJICAでの経験では、一対一の二国間協力がほとんどでしたし、対象がラテンアメリカに限られていました。他方、国連では地域的なバランスに配慮し、加盟国全体に我々のサービスが届くようにするため、自分の活動地域がぐっと増えました。国連に来て初めてアフリカ―アジアの地域間協力にも携われるようになりました。そういう意味でも、今まで狭かった自分の知識やものの見方が、かなり広くなったのではないかと思います。

Q. 国連の中での南南協力の位置づけについてどのようにお考えですか。

南南協力に関わる国が増え、また昨今の経済危機の先進国への影響や中所得国の台頭など、新たな世界情勢の中で一層注目が高まっていると思います。昔は南南協力に関わる国はごく一部に限られていたのですが、現在は湾岸諸国を含め、多くの国が関心を持ち、実際に関わり始めています。また、いわゆる伝統的なドナーの援助が減っていることを考えると、ミレニアム開発目標達成のためにも南南協力は必要でしょう。このような状況では、新興援助国が自分たちの地域でどのような協力ができるかということが非常に重要になってきています。もともとUNDPという組織は、任務の1つに南南協力の主流化を位置付けていますが、その他国連の組織もミレニアム開発目標に向け、自分たちの仕事をするために、どれだけ途上国の資金・資源・力を取り込めるかが重要になってきています。

例えば、各国で南南協力信託基金が設立され、最近では世界銀行やUNESCOが南南協力支援のための基金を設立するなど、ドナーや国際機関の関心も増しています。IBSA(インド・ブラジル・南ア)ファンドでは、最貧国の貧困削減のため毎年各国が100万ドルずつの拠出をしています。ナイジェリアも南南協力にお金を出していますし、アクターは確実に増えていますね。

Q. そのような状況の中で、日本ができる貢献についてどうお考えでしょうか。

1978年以来、日本が南南協力に携わってきた歴史には非常に重みがあります。30年間の成果と教訓を他のドナー国と共有し、日本のリーダーシップでほかの先進国を巻き込み、さらに多くのドナー国を南南協力支援に引っ張ってくることができると思います。例えば、ユニットでは12月1日から開催される国連南南協力ハイレベル会合(ナイロビ)に向け、南南協力や三角協力が実際にどのような効果を上げているかについての調査・研究報告書をまとめているところですが、日本の名前が成功例の半分近くに挙がっています。

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この成果は何事にも代えられません。日本がこれだけのことを達成したという事実を背景に、国連内での南南協力の議論を引っ張っていくべきだと思います。そのためには、日本はトップドナーの地位を維持する必要があると同時に、理論構築も必要です。なぜ南南協力が必要で、支援する側、支援される側にとってどのようにメリットがあるのかという点を上手く説明していく必要があります。

Q.将来はどのような分野でキャリアアップされていくおつもりでしょうか。

キャリアアップは今まで考えたことがありません。行き当たりばったりで来たので苦労しましたが、自分の場合は求められていることを一生懸命やることだけを考えてきました。現在はUNDP本部にいますが、今後は開発の仕事を始めた頃のような、現場でプロジェクトを動かす仕事をやりたいと思っています。私の最初の開発現場の経験は、南米チリで牛乳の生産性を上げるプロジェクト管理に携わったときですが、そこで開発の基本を学び、実際に受益者たちと日々関わりながら仕事をしてきました。本部で学んだことを生かして、もう一度現場に戻りたいなと思っています。

それから、自分の経験を体系的に整理して学術分野で使える資料や論文作成に取り組みたいなと思っています。現場で取り組んでいる試みを学術的なものにできればさらに新しい流れができる可能性も増えるので、開発現場と学問の両方を行ったり来たりできれば良いなと思っています。

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Q.これまで一番思い出に残った仕事は何ですか。

最も苦労したのは、チリで能力開発を実施するプロジェクトに携わった時です。チリ人に二国間援助の日本のノウハウを彼らに移転する試みで、国際協力をどのようにやっていくのか、プロジェクト・計画の作り方、モニタリング、評価の方法を教えるという内容でした。その時に気がついたのは、私自身のことを一番大事に思って仕事をしていると、誰もついて来てくれないということです。要するに、自分が成果を挙げるために仕事をするというスタンスでは相手は耳を傾けてくれないのです。相手が必要としていることを理解し、「相手のため」が目的になったときに、初めて話を聞いてくれたり、質問してきてくれたり、情報をくれるようになりました。

人材育成の難しい点だと思いますが、多分自分が上からの目線で途上国の人と接していたから反応が良くなかったのだと思います。目線を同じにして相手が何を求めているのかを把握し、自分のためではなくて相手のためにという姿勢になって初めて人材育成のプロジェクトが動き始めました。途上国の人に学びたいと思ってもらえるようになるためには、自分という人間をまずは信頼してもらわなければなりません。途上国や開発で仕事をしていく上で重要なことだと思います。

Q.週末は何をされていますか。

仕事をしていることが多いですね。それでも週に1日はまったく仕事をしない日をつくるように心がけています。頭を休めないと創造力が低下してしまいますから。時間があればミュージカルを観に行ったりしています。

Q.グローバルイシューに取り組むことを考えている人達に贈る言葉を教えてください。

「何より体力が大事」です。ストレスに負けない強い精神力も重要です。南米コロンビアにいた頃は、警備が厳重であまり外に出られず、インターネット・カラオケで家で友人たちと盛り上がっていました。プレッシャーやストレスのある状況でも、笑える術を持つことは大事です。

(2009年10月23日。聞き手:宇那木智子。写真:田瀬和夫、国連事務局人間の安全保障ユニット課長、幹事会コーディネータ。ウェブ掲載:岡崎詩織)

2009年12月13日掲載