第125回 中 恭佑さん 国連開発計画(UNDP)アジア太平洋地域局

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プロフィール

中 恭佑(なか・きょうすけ):中央大学法学士、ノース・イースタン大学政治学修士、ハーバード大学行政学修士。ラオス、韓国、モルジブ、フィリピンのUNDP事務所、UNDP本部では、国連女性開発基金(UNIFEM)、アフリカ地域局、アジア・太平洋地域局で勤務。専門分野は紛争・自然災害予防と復興、ガバナンス、ジェンダーおよびマネジメント。

Q. いつ頃から国連勤務を目指されたのですか?

大学院の卒業まで空いた時間を有効に使うためニューヨークの国連でインターンシップをしました。インターンとして配属されたのが、国連女性開発基金(United Nations Development Fund for Women: UNIFEM)の前身である『国連女性の10年基金』でした。4カ月のインターン終了後、上司の勧めで日本のJPOとして2年間、その後正規職員として5年間、同基金で仕事をしました。私が仕事を始めた当初の国連女性10年基金は、私を含めて職員わずか3人の小さなオフィスで大変忙しい職場でした。その後この基金を母体に、1985年UNIFEMを設立しました。私の開発の出発点が、「女性と開発」から始まったことはとても有意義なものとなりました。ところで、この基金は1980年代初期から、ワンガリ・マタイ女史(2004年ノーベル平和賞を受賞)が始めたケニアでの緑化運動を支援したり、ムハマド・ユヌス氏(2006年ノーベル平和賞を受賞)がバングラデシュで創設したグラミン銀行に援助したりしてきました。この様に女性の自立や生活の向上を支援する基金は、とても素晴らしい存在です。

Q. これまでで一番印象に残ったことは何ですか?

色々な国や部局で多岐にわたる経験をしてきたので、その場その時で印象に残っている仕事はいくつもあります。UNDPアフリカ地域局で、行政(ガバナンス)アドバイザーとして、レソトでの武力紛争後、短・中期ガバナンスプログラム作成を担当したのも、そのひとつでしょう。

南アフリカ共和国に囲まれた「陸の孤島」、レソトで1998年に国政選挙が行われました。国際的な監視体制が採られた選挙にもかかわらず、その結果をめぐり武力対立・紛争に発展し、レソト政府は非常事態を宣言し、南部アフリカ開発共同体(Southern African Development Community: SADC)に軍隊の派遣を要請しました。一旦平静を取り戻した後、政府は、世界銀行に紛争被害の査定と復興プログラムを、UNDPには国家機能を再生するための短・中期ガバナンスプログラムの作成を依頼してきました。

国内は対立する与党と野党間の相互不信から、政府役人、公務員、軍・警察も含め国民の多くが二分され、首都だけでなく地方でも双方の焼き討ち事件や武力衝突が頻繁に起こり、SADCの駐留軍の非人道的な行いも加わり混乱に拍車をかけていました。私は、もう一人のUNDPの同僚と二人で滞在した3週間に、のべ200人ほどの副総理を含む政府閣僚や高官、王室関係者、与野党のリーダー、学術・研究者、公務員、民間企業、軍・警察、SADC軍の司令官、非政府組織(NGO)、市民社会組織、教会組織、開発援助機関、外交団、国連等の多くの人々と話し合いながら問題解決の道筋を議論し、最良の方法・選択を模索しました。その過程で、選挙以来数カ月にわたり極度の相互不信から憎しみ争い続けていた与野党のリーダー達が、初めてUNDPのビル内でひとつのテーブルに付き、どうしたら国を再生できるか真剣に話し合いを持てた事は、とても印象に残る成果のひとつでした。

短・中期ガバナンスプログラムは、新しい選挙が必要不可決という前提に立って、選挙関連の法律や憲法の改正、国会機能の改革、官僚組織の変革や公務員の中立性に関する規則の制定、軍隊や警察を含む治安部隊の規律の厳守や武力紛争に参加した兵士の処罰、SADC軍による治安の維持、12の与野党勢力の連立からなる暫定政府の確立等、広範囲にわたる提案事項でした。数カ月後には、私達の作った提案のいくつもが、国再生のロードマップとして採用され、新しい選挙が行われて国の再建に結びつきました。とても嬉しかったです。

中立的立場に立ち、平和手段で問題を解決に導き、かつ国や人々の安全と繁栄に寄与する支援は、正に国連だからこそできる仕事のひとつだと思います。

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Q. 最近の開発業界の潮流に関して、どのようにお考えですか?

開発援助の歴史は、その時代の政治・経済の世界情勢を背景に、超大国や先進国からなる援助国と旧植民地や開発途上国の被援助国と言った北と南の関係から始まりました。その後、経済協力開発機構/開発援助委員会(OECD/DAC)によってより各国間で協調的な開発援助の形態が作られました。しかし、被援助国の国々が、自らの主権の下、開発計画を作り実行していくという今日では当たり前のことが、一般的認識となったのは、援助効果向上に関する提案やローマ(2003)、パリ(2005)宣言が採択されてからのことです。もちろんこの様な傾向になってきたのは、各被援助国の自助努力や能力が相応に高まってきたことも大きな要因です。しかし、UNDP はそれ以前からプログラム対象国の立場に立って、その国の開発重要課題を5カ月計画として国づくりのお手伝いをしてきています。UNDPのそうした姿勢が、プログラム対象国から認められ、高い評価と信頼を受ける事につながっています。また近年では、各プログラム対象国の国家計画に合わせ、国連組織全体で協力しひとつの国連開発援助体制を作る方向へ転換してきました。この流れは非常に良いことだと思います。

もうひとつの大きな変化は、気候変動、世界経済危機、食糧危機、石油危機等の世界的問題は、G7、G8といった、ごく少数の国の枠組みではなく、G20や国連を中心としたより大きな枠組みでしか解決し得ないという共通認識が世界全体に広がってきたことです。国際共存、国際協調の下、地域政治・経済共同体や自由貿易協定なども以前に増して重要視されるようになりました。特に開発の分野では、中国、インド、ブラジル、トルコなど新興国の開発援助における役割が増しています。以前からある南北の援助関係に加え、こうした新興国が促進しようとする南南協力の援助形態は、今後その重要性を飛躍的に高めていくでしょう。こうした流れも、国連の開発計画に大きな変革を与え、新たな多角性を生むでしょう。とても楽しみです。

Q. UNDPで働くことの魅力は何だと個人的にお考えですか?

UNDPで働く魅力のひとつは、国づくりの基本に携われるということではないでしょうか。国づくりというのは、国の制度や仕組みを築き高めるだけではなく、そこ国の人々の生活を改善していく機会を増やし、能力を向上させることでもあります。人間開発という言葉がありますが、「人がいて国がある」と言う様に長期的展望に立って人を育てていくことが、国づくりの根幹です。それをお手伝いできることは、UNDPの大きな魅力です。

UNDPを含め国連機関全体が、プログラム対象国に拠出している援助総額は国によって差があるものの、大体その国の政府開発援助(ODA)全体の10%未満です。「そんな小額で一体何ができるか」との疑問は、常に問われてきました。だからこそ、UNDPは自らの比較優位性、本当に求められている役割、開発の重要案件を十分考慮し、その国にとって最も有効なイニシアチブとは何かを、常に問い続けて仕事をしています。これは、とても大切な事だと思います。

他方、UNDPは、1965年に創立しましたが、長い歴史と経験の中で、その開発理念や政策を大きく変えてきました。現在では貧困撲滅とミレニアム開発目標(MDGs)、ガバナンス、持続可能な環境、紛争・災害予防と復興という4つを重点分野と定めています。そして、今までのプロジェクトを中心とした支援に加え、より戦略的で高い成果を目指す政策提言や革新的パイロットプロジェクトの実施、南南協力などその達成手段にも広がりを見せています。

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また、その国の開発には国連の他、二国間援助、世銀・IMFなどの融資、NGO、草の根活動など数多くの国・組織・機関・人が携わっています。その全てが重要な開発支援だと思います。ただ、そこで必要不可欠となるのは、プログラム対象国政府や人々が主体となって、いかにそうした全ての援助をより有効にかつ効果的に調整・実施できるか。そして、どう具体的で実のある成果に結びつけるかということでしょう。マクロな視点と一つ一つの事業の成果主義をしっかりと検証し、実施できる機関や能力が重要となります。

今後も開発問題は多岐にわたり、より複雑化していくでしょう。そんな中で、UNDPや国連はいかにその知識・経験・能力を存分に発揮し、世界の人々と国々の持続的発展に貢献し続けられるかを考えていかなければなりません。現在、190カ国以上の国々が同じテーブルについて討議をし、結論を導き出せる基盤は国連以外にありません。国連は、国連にしか果たせない役割を十二分に発揮し、開発の問題に引き続き取り組んでいかなければならないと思います。

Q. 客観的にご覧になって、日本がもっと貢献できるだろうと思われる分野やその方法はどこにありますか?

近年日本は、独立行政法人 国際協力機構(Japan International Cooperation Agency: JICA)を中心に、日本の海外援助活動を一本化し、より有効で効果的な日本のODA事業を推進しようとしています。この改革は大変素晴らしいことだと思います。しかし、日本は、開発援助に対する理解、コンセプト、評価の方法等をもっと社会全体に浸透させていく必要があります。先の質問でUNDPの比較優位性や有効性といった話をしましたが、同じことが日本にも言えます。本当に日本にしかできない開発援助とは何か。それは、単に多額のODAを出資することではなく、先端技術や高性能の物資や機械・器具を供与することでもありません。援助対象国が、最も重視し必要不可欠なプログラムを一緒に作り上げていく能力と協調体制を構築することこそが、大切なのです。またプログラムの評価方法を向上させ、評価基準を設定し、プログラム単位の成果主義でなくいかにそのプログラムが人々の生活・経済・社会、ひいては地域・国全体へのどのような寄与や影響を及ぼせたかをしっかり評価していくことも、とても重要です。そうした計画・実施・評価の一体化は、今後の日本の海外援助政策にとって非常に大切な根幹になるでしょう。

開発の仕事は、5年、10年の単位で形成される国づくりの青写真です。それは日本で行われている予算の作成・成立、事業の作成・実行・評価、経済の活性化と雇用の創出、教育の充実、貧困弱者の救済、社会・医療保険の充実、産業・貿易の推進、環境の保全、農業の推進と食料の確保・安全、国民生活の向上、等とまったく同じことなのです。援助対象国はそれらの国づくりのプロセスをより困難な状況、より限られた選択肢の中から模索し、実行しようとしています。そうした視点で考えると、日本と援助対象国の共通項は数限りなくあります。そうする事によって、日本は今まで得意としてきたインフラや農業開発等の分野に限らず、その比較優位性や有効性、日本にしかできない開発援助をもっと広い分野から見つける事ができるのではないでしょうか。特にガバナンス分野では、日本の地方自治体の行政制度・予算作成・政策決定の経験・知識・ノウハウは、援助対象国にとって大変有効なのではないでしょうか。

また日本がより良い開発援助の形態と協調性を高めるためには、各援助対象国の実情を知るだけではなく、援助国・国連機関・草の根を含む非政府援助機関等が、どの様な開発支援をしているのかもっとお互いよく知らなければならないとは思います。日本に限らず各国の援助活動については知れば知るほど日本でしかできない、より良い支援やプログラムが作れると思います。

もうひとつ重要なのは、より多くの開発援助に関わる専門家や人材の育成です。現在日本では、外務省や他の省庁・地方自治体の公務員・専門家、国連経験者、教育会・学術会関係の研究者・JICA職員・JPOや青年・シルバーボランティアの卒業生達、民間企業の技術者、NGOの専門家等多くの人材が育っています。その人達は、日本のみならず世界の開発援助のための大切な財産です。その一人ひとりを有効かつ充分に活用することによって、日本の開発戦略や援助政策が作成され、より一層の発展を遂げると思います。

ただ、最近の日本は、残念ながら政治・経済の面でも、日本人全体にしても、元気がなく全てが内向きになっている様に感じられます。早く元気を取り戻してほしいと願っています。

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Q. グローバルな問題に取り組む若者や国連を目指す若者にメッセージをお願いします。

私は、国連を志す若い人達がより増え、高い目標と強い意志を持って国連に入ってきてほしいと思います。女性の国連職員数はいまだ半分に満たない現状ですから、どんどん入ってきてほしいと願います。国連職員は、国際公務員で、世界の国々や人々のために働くのが仕事です。当たり前のことですが、国連は多民族からなる職場です。日本の常識は国連の常識とは限りません。だからより人と人のコミュニケーションや人間関係が重要になってくることもあります。国連での仕事は、時として身の危険にさらされたり、健康を害されたりすることもしばしばあります。家族への負担も相当あります。でも国連は非常に魅力的な職場です。

しかしその反面、国連では専門性を重んじる建て前から、比較的経験の浅い若者を採用しなかったり、育てようとはしなかったりする体質もあります。また組織改革の弊害から若い人々のエントリーレベルの職種がますます減っているのも実情です。国連が今後とも有効に機能し活力のある職場であるためには、もっと新しい考えやエネルギーを持った若い人達が入りやすい裾野の広い健全な組織に変革していかなければならないでしょう。

国連は国際社会の問題が多角化し複雑になればなる程、その存在価値を増し、専門分野も多岐にわたってきます。だからこそ色々な知識やエネルギーを持った若者がより必要になってきます。ぜひ日本の若者にどんどん国連に入ってきて、自ら経験し理解を深めていってほしいと思います。

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Q. 今後挑戦していきたいことは何ですか?

2008年にUNDPニューヨーク本部に戻り、今中国、南北朝鮮、モンゴル、ベトナム、ラオス、カンボジアの国々を担当しています。これらの国の発展段階、政治形態、経済・社会情勢、人々の生活状況等は異なっていますが、いかに国連やUNDPがそれぞれの国づくりのお手伝いができるかを、各国政府、その人々、また開発に関わる様々なパートナーと共に考え、計画し実行することに奮闘しています。各国の開発計画の計画・実施・評価等の過程で起こる様々な問題に対応し最良の解決策を考え、実行していく事が、今の主要な仕事です。それに加え、不慮の異常気象、自然災害、政治不安、経済危機等にも柔軟に対処していくのも大切な役割です。

また私事になりますが、後4年間ほどでUNDPを退職することとなります。国連退職後も、ライフワークとして「開発」の仕事に関わり続けていきたいと思います。

2010年3月12日、ニューヨークにて
聞き手とプロジェクト・マネージャ:鈴木智香子
写真:田瀬和夫
ウェブ掲載:岩崎寛央