第14回 高井 明子さん 国連人口基金 技術協力局HIV・エイズ部

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プロフィール

高井明子(たかいあきこ):東京都生まれ。1994年米国アイオワ州グリネル大学卒。東京大学大学院医学系研究科保健学修士。大学院博士課程在学中にJPO試験合格。NGOぷれいす東京スタッフ、財団法人エイズ予防財団リサーチレジデント、JICA短期専門家、国立国際医療センター研究所流動研究員を経て、2000年よりUNFPA本部技術協力局HIV/エイズ部技術専門官。2006年9月より、UNFPAベトナム事務所HIV/エイズプログラム調整官。

Q.いつ頃から、また、なぜ国連を目指されたのですか?

小学生の頃から、漠然と世界中の人々とともに国連で働くことには興味がありました。しかし、中学生になった頃から、国連のような大きな組織は問題解決に役にたっているのか、メインストリームではないが草の根レベルの活動を行っているNGOのような存在が、実際には影響力をもつのではないかと考えるようになりました。

また、小学生の頃、ハンセン病について学ぶ機会がありました。病気になった時には誰もが手を差し伸べてくれると単純に思っていた当時の私は、ハンセン病患者の方々が差別を受けたり、社会から隔離され苦しんでいることに驚きと悲しみをおぼえました。1980年代半ばになりHIV/エイズが話題になり、同じような苦しみを受けているHIV/エイズ患者の方々が直面している問題に対し、仕事として関わることができたらいいなと漠然と考えるようになりました。

アメリカにある小さな教養学部の大学を卒業した後は、HIV/エイズに関する活動を行っているNGOで仕事をはじめ、数年間働きました。同時に、阪神・淡路大震災が発生し、神戸でもボランティアとして断続的に働く機会があり、その中で、草の根レベルの活動と共に、政府や自治体における政策といった大きなシステムがいかに重要な役割を担うかということを感じるようになりました。そこで、HIV/エイズのような世界的規模で感染が広がりつつあった問題に対し、国連で政策のレベルから働くことも重要なのではないかと改めて考えるようになりました。

現在でも、NGO、そして大学院時代に日本やアジアで培った経験やネットワークは、さまざまな面で助けになっています。

Q.国連におけるこれまでのお仕事について教えてください。

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JPOとしてUNFPAに赴任した当時、UNFPAにはHIV/エイズを専門に担当する部署がありませんでした。上司とともに、HIV/エイズ部の立ち上げを行ったほか、地域事務所の中にHIV/エイズアドバイザーを配置したり、UNFPAのHIV/エイズに関する戦略の組み立てを行いました。その中で、UNFPAのHIV/エイズ活動における重点を、青少年、コンドーム利用の推進、女性の3領域と設定し、これらの領域におけるプログラム・ツールの作成、事業管理などに携わりました。

このようにして、新たな部を立ち上げ、プログラムを形成していく中で、規則などを調べながら手探りで活動したことにより、国連の活動を裏の面からも幅広く学ぶことができ、よい経験になりました。

HIV/エイズ部が立ち上がったあとは、部の中でも、東欧、中央アジア、アラブ諸国を担当し、青少年などHIV感染リスクの高い人々に重点をおいて、主にHIV感染予防に関する仕事をしてきました。特に青少年については、東欧や中央アジアを中心に、Y-PEER(若者ピア・エデュケーション電子リソース)というプロジェクトを通し、情報技術を駆使して、ウェブサイトや遠隔教育などを利用し、青少年におけるピア・エデュケーションのネットワーク形成、また内容の標準化を推進しました。

また、2002年に設立された世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)のUNFPA内の担当者として、世界基金の資金をUNFPAの各国事務所が効率よく獲得し、活用できるよう支援してきました。これに関連して、2005年に、国際機関や各国政府などが集まり、世界基金や世界銀行、アメリカの大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)などのエイズ関連資金をいかに有効活用するかに関する会議が開かれました。この会議後、国連合同エイズ計画(UNAIDS)に参加している国連機関を中心に結成したフォーラムにおいて、1か月に1回開かれるビデオ会議に参加しています。これは、これまでこれらの資金が有効に活用されてこなかった国について問題点を洗い出し、解決策を探るための試みです。

Q.これまで一番印象に残ったのはどのようなお仕事ですか?

2006年6月、2001年のエイズ特別総会から5周年を記念し、再びエイズ特別総会が開催されました。UNFPAは、UNAIDSとの共催で、各国の大臣とHIV陽性者の対話を目的とした円卓会議を開きました。HIV/エイズの分野は国連内でも比較的新しい分野であることもあり、各国連機関のHIV/エイズ担当官は、多くがNGO出身者です。今回の円卓会議でも、かつて草の根レベルでともに働いていた仲間と今度は国際のレベルでともに働くことができたことが印象に残っています。また、今回各国から参加したHIV陽性者の中にも、NGO時代からのつきあいがある人がおり、NGOで働いていたことが、信頼関係の基礎となっていることを実感しました。

一方、これまで国連機関の本部で働いてきたわけですが、本部で仕事をしていると、大きな山の下で働いているような感覚になることがあります。直接ものを動かすというよりは、それを下で支える仕事であり、実際に山が動くところは見えにくい。NGOと比較すると、HIV陽性者の方々、感染リスクに直面している人々と直接仕事をするのとは異なり、やりがいや達成感を感じにくいというのはあるかもしれません。

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Q.ベトナム事務所に赴任されてからはどのようなお仕事をされるのですか?

現場をみてみないことにはわからないことも多いのですが、ベトナムは世界でも最も青少年の割合が高い国の1つです。現在、世界では毎日6000人の青少年が新たにHIVに感染しており、HIV陽性者のほぼ4分の1は25歳未満の人々です。つまり、HIV/エイズは青少年を中心に感染が広がっており、青少年の割合が高いということは、取り組まねばならない課題が数多くあるということです。一方で、青少年が多い国にはさまざまな明るい可能性もあります。

これまでの6年間、本部でUNFPAのHIV/エイズに対する方針やプログラム・ツール開発に関わってきたわけですが、ベトナムでは、これらの方針やツールをいかに現場で実践に移していくかということに携わることになります。これまで開発してきたものが、どれだけ現場で通用するか、これから身をもって体験することができるわけで、大変貴重な機会だと思っています。

Q.国連に対して日本ができる貢献についてはどうお考えですか?

日本は、公衆衛生など、各専門分野において大きな貢献をしていると思います。しかし、日本の専門プログラムに対する政策は、受益国の利益を重視するため、受益国が受け取りやすい援助である一方、日本の存在感を示しにくいという側面もあるように思います。

一方、日本は多額の拠出をはじめとして国連の行政面にも多大な貢献をしています。そもそも、日本人には、行政を含めマネージメントに精通している人が多く、国としても国連のマネージメント面に貢献できることは多くあると思います。今後は、国連をいかに運営するのかといった行政面に対する貢献により力を入れていくことが望ましいかもしれません。

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Q.これから国連を目指す人へのアドバイスをお願いします。

単に国連を目指すというのはどうかなと思います。何をやりたいのか、なぜ国連なのかということを、まず考えておくことが大事だと思います。国連は、目標としてではなく、やりたいことをすすめていくためのいくつもの選択肢の中の1つとして考えるがよいのではないでしょうか。国連を目標として、いざ国連で働いたものの、幻想が打ち砕かれたり、落胆したりということがあるようです。日本では、国際協力に関わるための選択肢が国連以外にもたくさんあります。国連であれば世界を変えられるという話を耳にすることがありますが、たとえ国連事務総長でも難しいことは数多くあります。果たして自分が目指していることはどこでどう働くことで達成できるのか、それをよく見極めた上で、選択肢の一つとして国連を見据えることが重要なのではないでしょうか。

(2006年8月31日、聞き手:井筒節、UNFPA技術協力局専門分析官、写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAにて人間の安全保障を担当。幹事会・コーディネーター。)

2006年10月16日掲載