第150回 弓削昭子さん 国連開発計画(UNDP)駐日代表・総裁特別顧問
プロフィール
弓削昭子(ゆげ・あきこ):幼少時をメキシコで、青年期をニューヨークで育つ。米コロンビア大学を卒業後JPOとしてUNDPに入り、タイ事務所、ニューヨーク本部で勤務。この間、ニューヨーク大学 大学院で開発経済学の修士号を取得。UNDP インドネシア事務所常駐副代表、ブータン事務所常駐代表、横浜のフェリス女学院大学教授、UNDPニューヨーク本部管理局長などを経て、2012年4月、UNDP 駐日代表・総裁特別顧問に就任。趣味はJAZZを歌うこと。
Q.国際協力に興味をもったきっかけを教えてください。
幼稚園から小学校3年までメキシコに住んでいた経験と、中学2年から大学卒業まで暮らしたニューヨークでの経験が背景にあると思います。父の仕事の都合で幼少期メキシコに住んでいたのですが、開発途上国のメキシコでは、村に住む人たちの生活は非常に貧しいものでした。旅行好きの両親に連れられ地方へ行ったときのことです。掘っ建て小屋に住み水道も電気もない暮らしをしている村人を見てたいへん衝撃を受けました。自分とこんなにも違う生活をしている人たちがこんなにたくさんいるのか、と。それはどうしてなんだろうと子どもなりに疑問を抱いたことが、今思えば国際協力・開発への興味のはじまりだったと思います。
ニューヨークでは、イスラエル出身の方やモンゴル出身の方などいろいろな国の人たちとの交流を通して、「この人たちの国ではこんな問題があるのか」と刺激を受け、世界規模の問題を世界中の人たちと一緒に解決することはきっと楽しいだろうなと考えていました。また、ニューヨークに住んでいるということで、ふと見上げればそこには国連ビルがある。国連ツアーにも簡単に参加することができる。このように国連を常に身近に感じていたこともありますね。
さらに、開発途上国への想いで印象に残っているのは、学生時代に訪れたパキスタン・ラワルピンディーのバザールの熱気です。開発途上国の、ただ貧しいだけではない、人と動物がそこで放つすごいエネルギーにとても圧倒されたのを覚えています。メキシコ、ニューヨーク、パキスタンでの経験が開発と国連をつないでいったのかもしれません。
Q.現在のご自身のように国際協力分野で活躍する姿を想像していましたか?
していませんでしたね。でも、国際的な仕事につきたいとは漠然ながらも考えていました。日本にこだわりがあったわけではなく、地球のどこに住んでもいいと考えていましたし、ニューヨークでの生活を通して世界中の人と一緒に世界の様々な問題を考えることに魅力を感じていましたからね。
Q.大学時代はどのような勉強をされていたのですか?
人が好きで、人間というものをもっとよく理解したいと考えていたので、大学時代は迷うことなく心理学を専攻しました。マウスを使った実験も行いました。でも、動物実験よりは性格心理学や児童心理学、異常心理学に興味がありました。やはり「人」についての理解を深めたかったので、人の性格がどのように形成されるか、どういうことに影響されるのか、どのようなタイプがあるのかを学んでかなりハッピーでしたね。でも、卒業するときにはもう満足で、心理学をこれ以上勉強しようという思いはありませんでした。数年後に大学院で開発経済学を学びました。
Q.どのような経緯で国連で働きはじめたのですか?
とりあえず一度は日本に帰ろうと考え、コロンビア大学を卒業して日本に帰国したのですが、その年の日本企業の採用活動はほぼ終わってしまっていました。また、当時の日本では女性には補助的な仕事しかありませんでした。そこで、日本の外で働こうと方針を変え外務省のJPO派遣制度に応募したところ、採用されてUNDPのタイ事務所で働くことになったのがはじまりです。幸運なことに当時のJPOは修士号の取得が必須条件ではありませんでした。
Q.国連で働きはじめてから予想していなかった新しい発見はありましたか?
JPOでタイに行ったのが私のはじめてのフルタイムの仕事でしたので、すべてが新しくエキサイティングでした。 国際会議でUNDPを代表して発言したことも新鮮でしたし、村人との対話からも多くの刺激を受けました。タイ事務所では最初、UNDPのアジア太平洋地域内協力プロジェクトの担当でしたが、もっとタイのフィールド・レベルでの仕事がしたいと考え、日本政府と相談して国連人口基金(UNFPA)に移ることができました。
当時のタイでは人口増加率を抑制するための活動が重要で、私はUNFPAのスタッフとして地方の村落を訪れ、映画やイラストなどで家族計画の大切さを訴える仕事を支援しました。そこで学んだのは、ただ一方的にこちらの考えを伝えるのではなく、村の人たちや現地政府との対話を通して本当に現場で必要とされているサポートを認識して提供することの大切さだったと思います。
Q.国連で働いている際に葛藤に直面したことはありますか?
とくにありませんでした。タイで働きはじめた当時は23歳で、何が起こっているかを把握することが最優先でした。もっとここをこのように改善するべきだと考えるより、毎日学ぶことが多くて刺激的で、楽しかったです。
一方、タイで働いている間は早く修士号をとらなくてはと考えていました。JPOは2年で終わってしまうので、 正規職員のポストへの応募と修士号の取得を考えていたところ、UNDP本部のアジア太平洋局からお誘いがあってニューヨークに転勤。働きながら開発経済学の勉強をはじめました。ちょうどニューヨーク大学大学院で著名な開発経済学者のMichael Todaro先生に師事したいと考えていたので本当に幸運でした。
このように葛藤に直面する前に転機が訪れ、そのチャンスに飛び込んでいくとどんどん道がひらけていったという感覚があります。たぶん私はオプティミストなのでしょうね(笑)。
Q. 現在のお仕事について教えてください。
駐日代表・総裁特別顧問として日本とUNDPのパ—トナーシップをどのようにして高めるか、深めるかを考えて実現するのが私の仕事です。さまざまな地球規模の課題に関して、何が問題でどのように取り組むかを議論する上で、日本の立場、UNDPの立場があります。それぞれの特徴と強みを生かした形で協力し、良い結果を出すためにはどうしたらよいかを政策対話で考えます。
また、それらの政策対話を現場に反映する際、私が今勤めている駐日代表事務所が橋渡し役になるのです。例えば、現地に日本大使館も国際協力機構(JICA)事務所も置かれていない開発途上国での開発協力活動については、UNDPの持つ経験、現場の情報網や人脈を活かして日本とどのような形で連携事業を進めたら効果的なのか、日本側と対話を進めて解決策を一緒に探るのが私の役割のひとつです。
Q. 日本と国連とUNDP駐日代表事務所の関わりについてどのようにお考えですか?
UNDP駐日代表事務所のもうひとつの役割に啓発・情報発信(アドボカシー)があります。UNDPの基本理念である「人間開発」、また貧困と環境、紛争と平和構築、自然災害と防災などについて日本社会と日本の人々にその重要性を伝えます。世界にはこういう問題があるのだと発信することで、開発途上国と開発協力をめぐる様々の課題についてもっと身近に考えてもらいたいと思っています。
知識を共有し、聞くだけでなく何ができるのかを考えて、皆で行動をおこす。そのために大学や学会、公開シンポジウムなどでお話をさせていただくこともありますが、そこでは、日本が地球規模の問題に関して強いリーダーシップを発揮して欲しいということを訴えています。ミレニアム開発目標(MDGs)達成と、その後のポスト2015開発アジェンダ策定に向け、日本は防災、グリーンエコノミー、環境などの得意分野で今までの経験を活かすことができるはずです。
強い日本、強い国連が協力すれば、より効果的に地球規模の課題に取り組むことができます。まずは、日本の皆さんにより関心を持ってもらうこと。そして、自分たちには何ができるのかと考えてもらい、もっと知ろう、そして何かをしようと決意していただけたらよいと思います。
Q.弓削さんに影響を与えたできごとや人物について教えてください。
ひとつの特別なできごとがあったというよりは、さまざまなできごとの積み重ねにより現在に至っているのだと思います。国連で働きはじめたときは毎日が学びの連続でした。例えば若いときは、上司や先輩・同僚からは効果的に相手を納得させるプレゼンテーションや話し方を学びました。見習うべき人が周りにたくさんいたのは幸運でした。
また、ブータンで働いていた際に何度もお会いした当時の国王(現ブータン国王のお父様)のように、物事の考え方がたいへん先見的で特別に広い視野をお持ちの方のお話は、とても良い刺激になりました。
Q.弓削さんとお話をしているとどんどん前向きな気持ちになってきます。弓削さんの元気の源とはなんでしょうか?
健康には気をつけていますね。ブータンにいるときに、医療システムが十分整っていなかったため、病気にならないようにかなり意識していました。地方に視察に行くときは、車の通れる道が少ないので標高3000から4000メートル級の山道を何日も歩かなくてはならないこともありました。ブータンの首都も標高2400メートルのところにありました。視察にいくときはいつも事前にトレーニングしていました。あとは、ワークライフ・バランス。人間がハッピーでいるためには大事なことです。
Q.日本社会にいるとどうしても女性の仕事と家庭の両立が難しい気がしてしまいます。女性として、どうしたらワークライフ・バランスをうまく保つことができるのでしょうか?
難しいと思うと難しくなってしまうと思いますよ。やり方や可能性はたくさんあります。私と夫の場合、両方が柔軟に考えることができたのは良かったと思います。また、国際的な仕事をしていると別居せざるを得ない場合が多いとよく言われますが、私たちは必ず一緒に住むと決めています。そのためにはよく話し合ってお互いに心から納得のできる国を選ぶようにしました。
やはり無理をしても長続きはしないので。家族のことも考えて働くことができるのは国連の良いところだと思います。実際に私は家族との時間を大事にするためにこれまで2回休職していますし、夫は30代後半で会社を辞めてフリーになりました。それに、現在私はディレクターという立場にありますので、職員のワークライフ・バランスも考え、皆がハッピーになれるように私がまず示さないとね(笑)。
Q.休日の過ごし方やご趣味について教えてください。
JAZZを歌うことが好きで、実は昨日もレッスンで歌っていました。あとは歌舞伎やオペラ、バレエなどの観劇、映画も好きですね。音楽やお芝居などの文化的なものに触れると、脳の普段とはちがう部分を刺激している感じがしてリフレッシュされます。時には仕事を忘れることも必要です。
Q. 今後国際協力の道を志す人たちへ、アドバイスとメッセージをお願いします。
まず、精神面でのアドバイスです。自分に足りないことばかりを考える方がいますが、自分で自分の良い点を認めて今ある自分を最大限に活かしてほしいと思います。最初から完璧な人なんていません。理想と現実を近づけるために自分を磨くのであり、知識・経験・スキルはこれから身につけていくものです。
次に、国際協力の現場へ行き、現場を自分の目で見て、現場の声を聞くことを強くお勧めします。マクロな視点から、世界にはどのような課題があり、どのように議論されているか学んでからフィールドに行ってください。実際に村に行き、例えば日本の政府開発援助(ODA)の現場を見たり、村人の話を聞いたりした上で、どの部分に自分が参加・貢献できるのか、したいのか考えてください。
チャンスは毎日あります。待つのではなく掴みに行きましょう。そして、常にAim High and Higherの精神でチャレンジし続けてください。自分に限界はないと思って、挑戦して目標をかなえたら次のステップに進みましょう。自分がエネルギーを注ぎたいと思える、やる気が出ることに取り組んで下さい。好きなことでないと続きませんから。完璧さにこだわる必要はなく、自分らしさを大事に、自分のやりたいことをフルパワーでやればよいのです。
Q.国連のお仕事の魅力について教えてください。
国連の仕事は一人でコツコツやればできるというものではありません。開発の諸問題は当然のことなのですが、ひとつの正しい答えがある分野ではなく、人と人とのつながりを大事にしながらコミュニケーションを重ね、調整をはかることで答(必要とされる援助のかたち)を導きます。何よりも人とのネットワーク、パートナーシップが財産です。さまざまな人との対話を通じて進める開発協力の仕事が私は好きです。
Q.最後に弓削さんの夢について教えてください。
日本を含む世界のより多くの人たちに、自分の問題として開発の現場と課題のことを知ってほしい、そしていろいろな形でかかわってほしいと思います。それは少しずつ、でも確実に実現していると思いますし、これからもさらに高い目標を目指して努力していきたいと思っています。
2013年2月27日 東京にて収録
聞き手:宍倉未記、吉越文
写真:田瀬和夫
プロジェクト・マネージャ:田瀬和夫
ウェブ掲載:田瀬和夫