第149回 関根一貴さん 国連児童基金 パキスタン事務所・HIV担当官

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プロフィール

関根一貴(せきね・かずたか):埼玉県出身。テンプル大学教養学部卒業後、ケニアのNGOでHIV予防のインターンシップを経験。バーミンガム大学から貧困削減・開発マネジメント修士号、ロンドン大学公衆衛生・熱帯医学大学院から公衆衛生修士号を取得。2006年から日本のNGOから派遣され、インドネシアで津波復興支援と東ティモールで母子保健事業に従事。2009年、国際協力機構南アジア部および人間開発部で主に保健事業を担当。2010年にJPO試験に合格し、2012年より現職。現在、東京大学国際地域保健学博士課程に在籍中。

Q.国際協力、とりわけ保健分野でお仕事をされるようになったきっかけや理由について教えてください。

私は大学浪人をしていたのですが、浪人時代、目の前の受験勉強より、自分の人生をこれからどうしたいのかということをよく考えていました。そんな時、世界には生まれた国・地域・家によって、貧しくて学校に行けない人たちや、満足に医療を受けられない人たちがいることを知り、そのような不平等を是正するために、貧しい人や最も支援を必要としている人がいる途上国の問題に職業として関わりたいと思うようになりました。

大学卒業から大学院入学までの期間を利用してケニアの若者を対象としたHIV予防活動を行うNGOにてインターンシップをしていたのですが、当時は今よりもHIV感染率が高かったこともあり、「HIVに感染しているかも」と相談を受けたり、(AIDSによる死亡により)多くの葬式が開かれていることを目の当たりにしたり、HIVが蔓延していることを肌で感じました。

その後イギリスの大学院で貧困削減について学ぶ中で、ガバナンス、経済開発、社会開発、農村開発等を学びましたが、ケニアでのインターンシップの経験などを踏まえ、国際保健を専門分野にすることを決めました。命、健康、医療へのアクセスというのは人類共通の権利であり、ケニアでの経験ではそこに自分が貢献することにやりがいを感じました。また、医師でないバックグラウンドを持つ私でも、勉強すれば病気の予防や健康増進に貢献できると感じたからです。

また、大学院進学前に「日本のODA関係者の中にはMPH(公衆衛生修士号)を取得している人は少ないが、USAIDにはMPHを持っている人はたくさんおり、そのことが日本の国際保健政策・事業を推進するうえで障害になっている」ということある方から伺ったので、そのギャップを埋められる人材になりたいと思いました。

Q.いつごろから国連に興味を持たれたのですか? また国連で勤務することになったきっかけも教えてください。

私の国際協力の第一歩はNGOでした。受益者に一番近いところで働き、支援が届く最前線で経験を積みたいと思ったからです。また、支援を届ける上での障害や住民の感情などの現実を学んでおくことは、将来政策や戦略の策定に関わるうえで必要だと考えたからです。実際、約3年間NGOで働く中で、たくさん失敗しましたが、住民を巻き込んだ活動に携わることができ、市民社会を代表して支援者の思いや賛同を途上国の支援に活かすことの美しさなど多くのことを学ぶことができました。

一方で、面的な広がり、支援のアプローチの多様さ、技術的専門性という観点から制約を感じました。例えば村レベルで効果的な介入を行ったとしても、国や州レベルの政策・戦略や保健システムの整備が不十分な場合、広い地理的単位で成果を生み出し上位の指標を改善することは難しく、どうしても「点」での支援になってしまうと感じました。また、政策決定者に対して保健課題に関する意識や理解を高めるアドボカシーを行うことや、政策・戦略・ガイドラインの策定の支援、保健システムの強化など、小規模なNGOでは取り組むことが容易ではない課題があることも感じました。

NGOを離れて日本に帰国した際に、JICAが募集していたポストに着きました。尊敬できる上司や先輩職員に恵まれ、日本のODAスキーム、保健課題へのアプローチ方法など多くのことを学び、今の仕事の礎になっています。一方、二国間支援やNGOだけでは政治力、組織・予算規模、知の集約などの観点から達成することが難しい世界的な目標に対して、加盟国と共同で知恵を絞り戦略を策定している国連の多国間支援の仕事を経験したいと思うようになりました。その頃私は30歳でしたが、UNICEFのJPOは原則32歳までという年齢制限もあり、今しかできないことだと思いJPOを受験し、幸いにも合格しました。

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Q.関根さんが今関わっているお仕事について教えていただけますか。

私が現在HIV担当官として行っている仕事は主に2つあります。HIV母子感染予防プログラムと、HIV感染リスクの高い若者へのHIV予防プログラムです。

まずHIV母子感染予防について言うと、2009年には40万人の15歳未満の子どもが新規HIV感染しており、そのうち90%以上は母子感染によるものと言われています。低・中所得国の間では効果的な介入がない場合、お母さんから赤ちゃんにHIVが感染する確率は15%から40%と言われており、一方、先進国では医療環境が整っているおかげで、母子感染のリスクは1%と低い現状があります。

2005年のアブジャ行動宣言を受けて、国連機関は2015年までに子どもの新規HIV感染を90%削減する世界的な目標を発表しています。パキスタンは15歳~49歳のHIV感染率は0.1%と低いですが、都市部にいる薬物注射常用者やセックスワーカーの間でHIV感染が広まっています。生殖年齢にある女性たちをHIV感染のリスクから守り、感染した女性に家族計画サービスへのアクセスを確保し、感染した妊産婦から赤ん坊にHIVが伝染しないように医療サービスを提供し、HIVに感染してしまった赤ちゃんにHIV治療を届けることの支援を行っています。

また、パキスタンでは男性セックスワーカーの中で24歳以下の若者が78%、トランスジェンダー・セックスワーカーでは31%を占めており、若者がHIV感染のリスクに曝されています。若者のセックスワーカーはコンドームの使用率が低い一方で、性的暴力の対象となりやすいことがわかっています。若者へのHIV予防はUNICEFの中期戦略計画でコミットしている重要な分野なので、現在UNICEFはUNFPAと共同で、若者を対象としたHIV予防戦略策定支援、NGOを通じたサービスの提供、行政官および医療従事者の能力強化、人権保護のアドボカシーなどを行おうとしているところです。

しかし、パキスタン国内で注目を集めているポリオの撲滅、妊産婦保健、子どものサバイバルに比べるとHIV予防プログラムの優先順位は高くなく、パキスタン保健局の予算や人材の配分が低くなる傾向にあります。さらにパキスタンはイスラム国家なので、性についてオープンに語ることに対して社会文化的な障害があります。そのため、意識啓発や保健教育をする際には性について直接的に語るのではなく、パキスタンの社会文化に配慮しつついかにメッセージを届けるか、十分に配慮することが非常に重要です。

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Q.お仕事をされていて、辛いと感じられることはないですか?

ありますね。他にも大変な仕事はたくさんあると思いますが、仕事では政治的な課題に取り組んだり、文化的違いによるコミュニケーションの問題に直面したり、ストレスを感じることはあります。

またUNICEFパキスタン事務所に関して言えば、UNICEFの中でも最大級の事務所であることも関係していると思いますが、合意形成や事務所内の調整やマネジメントが徹底されていないなど内部の問題にも直面し、ストレスを感じることもあります。ストレス耐性がないと難しいですね。私は体を動かすことが好きなので、休日に毎週サッカーをやったり、32歳から始めたテニスも毎週練習しています。おじいさんになってもスポーツは続けていきたいですね。

Q.大変なお仕事をされる中で、仕事に対するモチベーションになるような経験はありますか?

東ティモールのNGOで妊産婦保健に関わった際に、ある村の知り合いの家族のところに泊めていただく機会がありました。その家族の一人が妊産婦でまさに臨月を迎えていて、朝から陣痛が来ているものの、なかなか赤ちゃんが生まれてこないという状況でした。東ティモールでは80%が自宅分娩で技術者が出産介助をしないのですが、カーテンの向こう側でも妊産婦のうめき声が聞こえてくる緊迫した状況でした。

夕方になっても赤ちゃんが生まれてこず、妊産婦と赤ちゃんの命の危険があったのでNGOの車を使って首都の一番大きい病院まで搬送することになりました。しかし2日たっても生まれず、出産した時には妊産婦さんは命を落としてしまいました。生まれてきた赤ちゃんも状態が悪く、ICUで処置されたものの数日後には亡くなってしまいました。

本来なら家族が一人増えて、家族四人になる幸せな瞬間となるはずの出産が、家族が二人に減ってしまう悲劇を目の当たりにしたので、自分の非力さや妊産婦保健の課題の難しさを痛感しました。東ティモールでも妊産婦の死亡事故はそんなにめったにあることではありません。にもかかわらず、身近なところで死亡事故が起きたことがとてもショックなことでした。これを契機に、仕事を通じて保健課題に対して貢献する決意を新たにしました。この決意は、今パキスタンで携わっている仕事の原動力にもなっています。

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Q.一筋縄にはいかないと思いますが、国連で働く魅力を教えてください。

政策面でいえば、世界的なビジョンを掲げ、政策・戦略を策定し、他のパートナーと共同で計画を実行していることではないでしょうか。他の方がおっしゃっていたことですが、「臆せず、照れずに理想を語れる」という文化は確かに国連内にあると思います。

例えば、UNAIDSは、2015年までに「新規HIV感染をゼロに近づける」「AIDS関連の死亡をゼロに近づける」「HIV/AIDS関連の差別をゼロに近づける」という世界的なビジョンと、各ビジョンに付随する目標を発表し、その目標達成に向けて国連加盟国と一緒に知恵を絞って戦略を策定しています。

また国連というよりはUNICEFに関してですが、やはり子どもへのミッションが強いという特徴があります。スタッフ全員が大局的に同じ方向に向かって仕事をしているという感覚があるというのは職場としての魅力です。

プログラムの面では、担当官として計画立案、実施、モニタリング・評価と一連のプロセスに関われることは魅力的だと思います。また、各担当官の裁量が大きく、責任のある仕事ができると同時に緊張感もあります。職場環境としては多様性に対する寛容性が高いので、私にとっては心地よい場所です。

Q. 最後に、次の世代など、これからグローバルな分野に関わりたいと思っている人に向けてメッセージをお願いします。

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国際協力、途上国支援の関わり方は多様にあり、組織や形態など本当に様々です。自分に合った関わり方を探すことが最初のステップだと思います。自分がやりたい分野をできるだけ早期に見定め、なりたい将来を描いてそこにたどり着くために戦略的にキャリア計画を立て、一つひとつ実行していくことが求められます。

私は大学生の時に「将来の履歴書」を書くことを勧められたのをきっかけに、2~5年後の将来を描いて経験を積み重ね、また履歴書を更新していくという作業を行ってきました。その際、志望している機関や分野に進むことが過去・現在の経験と照らして現実的かどうか、長く働ける機関や分野かどうかなど考えました。

現在も、過去・現在・将来の進みたい道に一貫性があるか、論理的に説明できるかどうかを考えています。もちろん回り道もしましたし、あの時こうすればよかったと思うこともありますが、目の前の現実を直視し課題に取り組むことで道は開けていくと思います。

また、契約ベースで職務経験を積むような道を選んだ場合、1年後の仕事の保障がない中で仕事をすることも多いと思います。私もNGO時代に、貯金がない・職業上の安定性がない・彼女がいない・親の理解がないという「4ない」を経験しました(笑)。実際、前に進んでいるかどうかわからずに迷うこともありましたが、それでも情熱を傾けられることを仕事にしている充実感はありました。大切なのは、国際協力で生き抜く強い意志と覚悟だと思います。日々の業務の中で多くの試練に直面するので、成長し続ける人だけが生き残れる業界だと感じています。

2013年1月20日 イスラマバードにて収録
聞き手:前田志保理、山中菜奈穂
写真:吉村美紀
プロジェクト・マネージャ:田瀬和夫
ウェブ掲載:田瀬和夫