第175回:窪田祥吾さん 世界保健機関(WHO) ラオス国事務所 母子保健担当医官

国連職員NOW!第175回では世界保健機関(WHO)ラオス国事務所で母子保健チームリーダーをしていらっしゃる窪田祥吾さんにお話をうかがいました。窪田さんは高校時代にタイで出家した時や大学時代に仏教人類学を学んだ時に、「命」という根源的なところに関わった仕事をしたいと考えるようになり、国際保健の道を志しました。好奇心をもってさまざまな分野を吸収しながら、物事をポジティブに捉えて、目の前の人たちのために奮闘する窪田さんのインタビューをお楽しみください。

写真①

プロフィール

窪田祥吾(くぼた しょうご):小児科医。大阪府出身。高校の時タイで1年間ホームステイ、出家生活を送る。米国Wesleyan大学宗教学部(仏教人類学)在学中にインドで寺生活送る。Wesleyan大学卒業後に、金沢大学医学部へ学士編入学し、2006年に卒業。2006-08年に聖路加国際病院で初期研修。2008-10年に日本赤十字医療センター小児科で勤務、2012年-2014年に熊本赤十字小児科で勤務しながら、日本赤十字社や国際赤十字社(ICRC)からの要請でタンザニアのコンゴ難民キャンプ、フィリピン・紛争地域における台風後の緊急救援などへ派遣されてきた。2010-2012年、再度2014年よりJICA専門家としてラオスへ赴任。

2016年より現職、WHOラオス国事務所に母子保健担当医官として勤務。NPO 「こころっコロ」(生と死を考える団体)発足人・代表でもある。趣味はコンタクト・インプロビゼーション(コンテンポラリー・ダンスの一種)で、ダンサーとしても活躍している。
※窪田さんのこれまでの活動について詳細を知りたい方は、参考文献(注1)もご覧ください。

Q. 窪田さんはタイでのホームステイや出家生活を送り、アメリカの大学での仏教人類学を専攻した後に、医学部へ編入学しています。比較的珍しいキャリアかと思いますが、これらの経験はその後の国際協力のキャリアにどのように結びつきましたか?

私が子どもの頃、医師だった父はよく一緒に遊んでもらっている時に病院に呼び出されていたので、実は医師は嫌いな職業でした(笑)。中学時代にも父に反発していましたね。ただ、高校の時にタイへ留学し、出家生活などを通じて自分の目指す生き方を見つめる機会があり、どこの国でも役立つような仕事に就きたいと思うようになりました。

高校卒業後、アメリカの大学で天文物理学を経て仏教人類学を専攻しましたが、人の命や「生きるとは何か?」といった命題により深く興味を持つようになり、「命」という根本的なところに関わっていけるような職業に就きたいと考えて、医者を志すようになりました。

シャワーもガスもないタイの田舎の家でのホームステイで出逢った人たち、出家生活で出逢った人たち、アメリカの大学で仏教人類学の勉強を通して出逢った人たちは、みんなそれぞれ違った世界観を持っていましたが、そういった人たちとでも何かを「共感出来た」ということに快感を感じてきました。
「人の命を救いたい」というのは世界共通の想いなので、医療は同じ価値観を見出すのに良い武器だということも、医療、殊に国際保健に関わりたいと思うようになった理由でしょう。

写真② 高校時代、タイで出家した時の窪田さん(左)

Q. 窪田さんは仕事を通して子どもと接する機会が多いと思いますが、子どもに興味を持ったきっかけは何でしたか?

まず、単純に子どもが好きなので、子どもと関わっていきたいと思っていました。
また、大学4年生の頃にコンテンポラリー・ダンスをはじめた時に、既に自分の中にあったのにそれまで気付かなかった自分の身体が持っていた可能性が引き出される感覚を覚え、とても新鮮でハマったのですが、それと同じように子どもがまだ気づいていない自分の可能性に気づき、自分らしい人生を楽しむきっかけを作りたいと思うようになりました。

Q. 専門分野を臨床から公衆衛生へ変更したきっかけ、あるいは職場を日本赤十字社からJICAやWHOにキャリアチェンジをしたきっかけはなんでしたか?また、その時に大事にしていた価値観を教えていただけますか?

実は自分の中でキャリアチェンジをした感覚はないんですよ。自分がその時々でパッション(熱意)を持って取り組みたいと思えることや人の役に立てると感じることを見つけて、次の世界へ飛び込んでいます。自分が今したいことが一番できる組織が赤十字だったり、NPO立ち上げだったり、JICAだったり、WHOだったりしました。

自分の人生を振り返っても、最初は「この世界はどうなっているのだろう?」と考え、天文物理学を勉強し始めました。その後、哲学の勉強を始め、今度は「人はどうやって幸せになるのだろう?」と考えるようになり、宗教人類学の勉強をするようになりました。私の場合は今のところ、医療、国際保健にたどり着きましたが、医療は宗教や人類学とかけ離れているとは思っていません。自分が勉強してきたいろんな分野は一見一貫性がないようですが、自分の中ではすべて繋がっています。

以前自分が新生児科で働いていた時、沢山の重い病気、障害を持った子ども達やご両親と向き合う機会がありました。それぞれご両親は、産まれてきたばかりのこの小さな命を守りたい気持ち、仮に治療がうまくいったとしても大変な人生が本人にも家族にも待っていることに対する不安、苦しませずに楽にしてあげたいという気持ちなど、複雑な感情が渦巻いています。医師たちは、それらの感情を抱いているご両親と一緒に、生命観や価値観をさらけ出しながら、赤ちゃんを囲んで、丸裸で話し合います。ご両親の気持ちを点滴の速度、投薬、手術といった治療方針に翻訳します。医療はデカルトが分離した精神世界と物質世界を再度つなげる作業だなと思い、やりがいを感じたものです。
あるいは、患者や家族各々が自分の中に同時に存在する感情、そして時に相反する感情を調整しながら、共存を赦す作業のお手伝いのようなものかもしれません。これは宗教人類学で学んだことでもあり、このような貴重な体験を今度は公衆衛生、国際保健分野で活かし、学んでいきたいと日本を出ました。

公衆衛生の仕事を始めた頃は、公衆衛生は臨床と違ってなかなか結果が目に見えなくて悩みました。臨床の場合、対象が目の前にいる患者ですが、公衆衛生の場合は対象が目に見えぬ大衆です。でも、段々分かってきたことは、国の政策づくりにしても、目の前の人に感謝されないことは大衆にも広がらないということです。なので、「目の前の人のための臨床VS目に見えぬ大衆のための公衆衛生」ではなく、目に見えぬ大衆に届けるためには目の前にいる人と共有できる価値観とアプローチを作り上げていくことが重要で、それが公衆衛生の醍醐味だと気づきました。

Q. 窪田さんの「国の政策をつくり上げていくにしても、目の前の人に感謝されないことは大衆には広がらない」という言葉が印象的です。WHOという組織ではより多くの受益者に対する長期的な計画や課題などを考える仕事が多くなる印象を受けますが、その点について窪田さんの信念とどのように繋がっているのでしょうか。

目の前の人と一緒に政策をつくり上げていく過程で目の前の人に伝わり、感謝されるようになることが、大衆につながっていくのではないかと思います。ただここで気を付けないといけないことは、どれだけ自分の“目の前の人”の幅を広げ、時に想像力を働かせられるかだと思います。首都にいて、政策を決定する人だけが“目の前の人”になってしまうと現実離れしたり、本当に必要な人たちにとっての政策にならないことがありますからね。自分の目で見る。見る“目”を育む。確かめ、挑戦する。人類学そのものですね。

写真③ WHOラオス事務所にてCOVID-19トレーニングのためのビデオ撮影で患者役にな る窪田さん(写真中央)

よく勘違いされるのですが、WHOという組織の仕事は決してデスクに座って政策を書いたり、会議で口を出したりすることではないんですよ。それもとても大切な仕事ですが、常に現実とのすり合わせが大切です。天文物理学に例えると、あるパラダイムが「正しいかもしれない」とされるためには、少なくとも2つの条件を満たさなくてはなりません。「その説自体に自己矛盾がないこと」、そして「我々が観ている世界と矛盾がないか」ということです。前者、つまり一見もっともらしい政策を書き上げる事はそれほど難しくありません。本部で書かれた書物を現地語に翻訳すれば出来上がります。難しいのは後者です。政策や戦略がどれだけその国において、様々な状況下にある人や地域にとって、公平性、ジェンダー、効率性、継続性といった色々な視点からの挑戦に耐えながらも、同時に実施・応用出来る実用性を兼ね備えるかを“目の前の人たち”に挑戦してもらうのです。この作業こそが本当に物事を変えることが出来る政策や戦略を作る鍵だと思います。

たとえば、天文物理学でも「理論」と「観察」が互いを磨き上げていったエピソードがあります。アインシュタインは一般相対性理論を完成させた当初、宇宙は膨張も収縮もしていない定常状態だと考えていました。それが当時の”定説”だったんですね。しかし、アインシュタインは一般相対性理論の体系を宇宙全体に当てはめて計算を進め、「宇宙が膨張し続けている」ことを導き出してしまいました。アインシュタインはそのことを否定するために、宇宙項という係数を方程式に書き加えました。「宇宙は永遠不変である」と考えていたので、静止宇宙モデルを作ったということなんですね。ところが、その後ハッブルが「遠くにある星であればあるほど、速いスピードで遠ざかっている」という天体観察結果を発表し、実際宇宙が膨張していることを示しました。その結果を受け、アインシュタインは「宇宙項を導入したことは人生最大の失敗」と嘆き、その宇宙項を削除することになりました。しかし、さらに面白いことに、アインシュタインの死後、超新星の観測結果をきっかけに、方程式へ宇宙項が復活することになりました。このように、「観察」が「理論」を磨くように、「現場」の挑戦を受ける事で政策は成長します。

因みに、こうやって演繹と帰納を繰り返しながら、政策や戦略を政府の人たちと時間をかけて作っていくので、うちのチームのメンバーは出張が多くてオフィスにいないことで有名です。よく本部の人は私たちのことを「あなたたちフィールドにいる人たちが…」という言葉を使いますが、その時に私が言い返すのが、「フィールドはもっとずっと奥にあります。あなた方の本部からビエンチャン(首都)に来るよりも、ビエンチャンから“フィールド”までの方が遠いこともありますよ」ということです。

人口が約700万人しかいないラオスで、10万出生数あたり約185人、毎日約1人の妊産婦が亡くなっていっています。死亡率を下げるために医学的な根拠(エビデンス)として分かっている方法はあるけれども、そのままその方法を適用できるわけではないんです。

現場で時間をかけて色々試し、やり直して、やっと結果が出ます。それから首都であるビエンチャンに戻ってくる。しっかりと成果が出せた場合は全国へ展開しますが、その時スムーズに行えるのは政府、保健省などとの信頼関係が強いWHOの強みですね。

「WHOという組織ではより多くの受益者に対する長期的な計画や課題などを考える仕事が多くなる印象」があるとおっしゃいましたが、それはその通りです。ただ、「多くの受益者」は「目の前の人」の集合体ですし、「長期的な計画」は「今日の課題」と切り離せません。「今、目の前の人」の対極にある抽象的な事象を扱っているわけではありませんからね。

Q. 国の政策立案や戦略方針作り、基準設定などをする際に、科学的エビデンスをうまくアプライ(適用)するために窪田さんが工夫していることは何でしょうか。

その質問は国際開発において本当に大切な観点だと思います。臨床医の観点から言われた言葉ですが、公衆衛生にも当てはまりますので紹介しますね。日野原先生(注2)がよく引用されていましたが、内科医の祖父といわれているウィリアム・オスラー(William Osler)(注3)が「医療は科学に支えられたアートだ。(“The practice of medicine is an art based on science”)」と言っています。医療には科学的根拠が必要ですが、それをどのように応用するかについては目の前の患者さんによって変わります。先ほどの重い障害をもった赤ちゃんの両親の例もそうですし、私が思い入れのあるターミナルケアもそうですが、科学的知識をフル動員してその人たちが思い描く生き方や死に方をサポートする作業はアートです。

公衆衛生の現場でも科学とアートを駆使します。構造主義を唱えた人類学者のクロード・レヴィ=ストロース(注4)という人を知っていますか?レヴィストロースの有名な言葉に「The scientist is not a person who gives the right answers, he is one who asks the right questions.」というのがあります。今起きている物事それ自体が、それが存在する社会と独立してどういう意味を持つかではなく、社会との関係の中でどういう意味を持つのか、という視点で現象を見てみると、他の社会で産まれたエビデンスをただ導入するのではなく、その社会にとっての「正解」を見つけるためにエビデンスを“問い”に変換して「介入」を構成することも出来るわけです。

ちょうど今日、国際小児保健学会で発表した例を紹介します。新型コロナがラオスにも入って来た4月に我々はラオス国内全県病院を訪れて新型コロナ対策のトレーニングをしました。各病院でスクリーニング、トリアージ、患者導線、ゾーニングなどを設置する必要があるのですが、これらの設置の重要性や一般的な設置方法をレクチャーしても何も変わりません。初めに訪れた病院で苦戦したのは、図面上完璧な患者導線が実際シミュレーションしてみると、図面では存在しなかったたった10cmの段差のために患者を安全に搬送することが出来ないことに気付きました。こういったシミュレーションによるトレーニングは、あるべき論は置いておき、「実際試してみるとこんな課題が出来ました。さてどうしましょう?」といった具合に課題が同定されるシミュレーションとそれを病院職員が答えを見つけるのを手伝う「質問」で構成されています。挙げられる「課題」もそれに対する「答え」もトレーナー自身もその時まで知らない訳です。トレーナーが準備していくのは、エビデンスに裏付けされた「よい質問」な訳ですね。(より関心がある方は、(注5)https://youtu.be/3gZjGHxr8hwをご覧ください。)

トレーニングを例に出しましたが、国の政策や戦略を作る際にも「よい質問」こそが我々の提供出来るサポートです。

Q. 窪田さんは何が自分の専門性や強みと考えていますか? 

かつての後輩にも言われて嬉しかったのが、「窪田さんは現実的な理想家ですね。」という言葉です。理想やビジョンを持って、それを具体的にどうしたら実現できるのか、その過程をつくっていくのが自分の強みかなと思います。コンテンポラリー・ダンスの作品を作る過程にとても似ています。イメージする世界を創造するための動きや道具、音楽を舞台に重ねていく過程のようなものですね。

また、私は自分とまったく違う世界観を持った人と何かしらの共通点を見つけることにワクワクすることも、特徴的かもしれません。「ああこれは自分らしい仕事が出来ているな」って思った話があります。

日本赤十字社からタンザニアのコンゴ人難民キャンプへ派遣された時のことです。4万人の難民キャンプで端から端まで歩いて1時間程のキャンプでした。

その難民キャンプ唯一の病院で働いていたのですが、そこでは本当に多くの子どもが亡くなっていました。死因は5割が肺炎、4割がマラリア、残り1割は髄膜炎とか他の感染症でした。抗生剤も抗マラリア薬もあるのに、患者さんは病院に治療に来るのが遅いことが子どもがよく亡くなる原因でした。

ある時、肺炎で受診した赤ちゃんの母親に「いつから体調が悪くなりましたか?」と訊くと、その母親は「体調が悪くなったのは1週間前です。その間は祈祷師に行っていました。」との答えが返ってきました。そこで、その母親に祈祷師へ私を会わせてくれないかとお願いしました。
来週の月曜日に来てほしいと言われたので、指定された場所に行くと、小屋の前に祈祷師が座って私のことを待っていました。医者が来たということで、商売敵かと思われたのか、祈祷師から面接を受けることになりました。祈祷師からあなたは何者なのか、と質問されたので、「私は難民キャンプの病院で小児科医をやっています。ただ、医師というのは副業で、本業は宗教人類学を学んでおり、あなたたちがどうやって人を救っているのか教えて欲しい」と言いました。

写真④ タンザニア難民キャンプ(日本赤十字社より派遣)での窪田さん(写真中央)

私は大学の宗教学部を卒業しただけで、勿論学者でもなんでもありませんでしたが(笑)、その場では人類学者として祈祷師に許されて、小屋の中に入ったところ、真っ暗な暗闇の中でドンドコドンドコ太鼓の音がきこえていました。だんだん目が慣れてくるとトランス(状態)で踊っている人が見えました。まさに、来たぜアフリカ、という感じでしたね(笑)。

さらに目が慣れてくると、部屋の奥には赤ちゃんを連れたお母さんがいっぱいいて、まさに病院に早く行って治療を受けて欲しい子どもが沢山いました。シャーマン達のダンスが終わる頃、語りが始まります。「ある日、どうしようもなく頭が痛くなった。病院に行って薬をもらったけどよくならない。私はあの丘に行き、我々の神へ祈りを捧げた。すると痛みがなくなった」という話でした。

「ちょうどもらった薬が効いたんじゃないのかなー?」なんてとても言える雰囲気ではなかったですね(笑)。今日は自分が医師であることはみんなには明かさずに帰ろうと思っていたそんな時、祈祷師から「日本から医者が来ています」とみんなの前に立たされました。

「病院では治せぬ痛み、救えない命がある、というのは残念ながらその通りです。だからこそ、この小屋で救われる人がいるときいてすごく嬉しく思う。ただ1つ、みんなに覚えておいて欲しいことがあります。私たち医療者も、私たちが働いている病院や使っている薬も全てあなたたちが信じている神様の創造物であることです。だからやり方は違うけど、「人を救いたい」という気持ちはあなたたちと同じです」と伝えました。

後日、難民キャンプにいる祈祷師たちと病院の職員たちの話し合いが行われました。その話し合いの時に病院からは、「住民の人たちはあなたたち祈祷師をリスペクトしている。今まで通り住民を救って欲しい。ただ、こういった時はすぐに病院へ送って欲しい。数日もすればすぐに祈祷師さんのところへ送り返すので。」と言って死因の9割であるマラリアと肺炎の重症症状を伝えました。

このエピソードは、全然違う世界観を持った人と共通点を見つけて、同じゴールに向かって何か一緒にやっていけることを示した一つのエピソードかと思います。自分の専門性といえるのかわかりませんが、これが自分らしい仕事の仕方だなと思っています。 

そういえば宗教人類学を学んでいる頃、全く違う世界観を持った人々に会う度に興奮を覚え、それでも通じ合うんだと感じた時に幸福感を感じたのを思い出します。ユングは個人を越えた人類の心に普遍的に存在する領域があるとし、「集合的無意識」と呼びました。これは後年、先ほど紹介しましたレヴィストロースの構造人類学の発展にもつながるのですが、宗教人類学時代も国際保健の実践でも私が信じてきた「もの」はこれに近いのかも知れません。 

Q. 本当にファンタジーのようなエピソードですね。医者と祈祷師では一見患者の取り合いになってしまいそうですが、同じ仲間として関係性をつくっていけるのは窪田さんならではだと感じました。

そうですね、ただこの力は学んだり経験を積んで、身につけていけるものだと思います。根本的に違う世界観を持つ人たちに対してリスペクトをするということ、そしてそれを形にすることが大切だと思います。これはどの分野にも当てはまることなんでしょうね。 

Q. 現在の窪田さんのWHOの仕事は、母子保健分野においてラオスにおける現場の懸念を政府に伝え、政策に反映させる仕事かと思います。改めて、現在の仕事内容、魅力、難しい部分を教えてください。

私がどういう仕事をしているかというと、大きく3つあります。

一つ目は、技術支援です。たとえば、妊産婦死亡率を下げるために技術的に出来ることは何なのか、病院で様々なトレーニングを行い検証しつつ、トレーニングのモジュールを作っています。試行錯誤を繰り返して、効果が示され、また現地の人たちが満足いくものになるまでトレーニング内容を改善していきます。トレーニングのモジュールが完成したら、そのトレーニング方法を全国の病院へ展開していきます。

二つ目は、保健システム強化です。医療者がトレーニングの内容を理解したとしても、人材・情報・機材・お金・インフラなどが十分ではなく、実現できないというのは保健システムの問題です。つまり、臨床あるいは前線で働いている人たちを支える保健システムを強化していく必要がありますね。

三つ目は、ポリティカルダイアログ(政策に関わる交渉等)です。たとえば、現場では医者を増やすより、助産師を増やしていくことが大切だとわかっていたとしても、実際には政治的な理由で「もっと医者を増やそう」となったりすることがあります。僻地における保健センターが必要なのに、都市部の病院が優先されることもあります。政治的な理由で公衆衛生学的に最善だとされることが常に政策に反映されるわけではない中、政府がより妥当性のある選択を選べるような支援、交渉も必要になります。時には法律改定に関わることもあります。

写真⑤ サイソンブン県病院にてCOVID-19病院管理者向けトレーニングをする窪田さん (写真左)

Q. 窪田さんは他機関の方々との協働がとても上手であると伺っています。価値観や立場の違いを乗り越える時に、大事にしていることを教えてください。 

激しく意見をぶつけ合うこともありますが、それは互いを理解し合うために必要な過程かと思います。どんなに議論が白熱しても、「ラオスのために」という共通の目標があるので、根底では理解しあっています。国連機関・NGO・JICAなどそれぞれの機関が持つアジェンダやミッションを理解して、お互いがいいと信じていることについて一生懸命議論できるのはこの仕事の大きなやりがいの1つです。

すんなり決まらないことは、一見面倒に思えますが、実はそうではありません。反対している人は自分の見えない何かが見えているのではないか、と自分の考えを問い直す機会になり、意見の相違から学べる事はとても多くあります。

他の団体が行っていることに違和感を覚えることはよくあります。
ただ、その違和感の中に、自分の大切にしている価値観が見え隠れしています。
何度も繰り返される違和感や憤りにはパターンがあり、自分が大切にしていることを自覚する機会にもなります。そうやって、国際保健に対する自分の在り方やどのような仕事をしていきたいかなどがより明確になっていきます。

Q. WHOがラオスの国民から求められているものは何だと思いますか?また、ラオスの母子保健について、数年後にどうなっていてほしいのか、展望を教えてください。

保健省はラオスの現状を的確に把握して、今後の中長期的な展望を明確にし、それを元に具体的な計画立案、実施をリードしていく責務があります。ラオスのWHO国事務所はそういった保健省の責務を果たすために横から支援をしています。保健医療分野の専門機関として、信頼されていると自負しています。

母子保健分野を例えに話しましょう。私は2010年、2015年、2020年の国家母子保健5か年戦略計画の作成、実施、評価などに関わってきましたが、5年ごとにラオスにおける母子保健の現状を把握し、次の5年間で何を重点項目として、どのようなアプローチをするかを沢山の関係者を巻き込んで1年かけてじっくりと詰めます。2015年からの5か年戦略計画では、世界が保健分野に関して分野別縦割りMDGsからより統合された横断的なSDGsに移る中、ラオスの母子保健はMDGs時代に取り残された各分野の強化に重点を置き、それ以前より一層縦割りに取り組みました。世界の潮流についていっていないという批判もありましたが、その前の5年間のデータを元に各分野の基礎固めなしに横断的な統合は時期尚早だという認識が関係者間で出来上がりました。それから5年後、今正しく取り組んでいるのが、過去5年間の評価と次期5年間の戦略作りです。各分野における効果的な介入の開発やそれを担う人材育成などについて、全国展開は進んできました。次期5年間は効果的な活動が効率よく持続するように各分野の成熟度を見ながら統合を進めて行くという方針に移っています。たとえば、これまで長年Gaviの資金がついて保健システム全体への統合なしに独自のプログラムが展開されて来た予防接種分野、同様にドナーの資金がついて独自に展開されてきた栄養分野を、一般的な小児健康診断に組み込むことで効率性、持続性を上げ、ドナー依存からの脱却を目指そうといった具合です。

Q. 窪田さんのキャリアの中で、印象に残っている出逢いがあれば教えてください。

いろんな方と出逢ってきましたが、一緒のチームで働く同僚に恵まれていることに感謝しています。今はチームを率いる身としての自分の仕事は、チームメンバー各自が持っている知識や経験、そしてパッションといったインプットをどのように妊産婦死亡、小児死亡率の低減といったチームとして出すべきアウトプットへとマッチさせるかを考えながら仕事をしています。自分の価値を置いているものに没頭出来て、それが仕事の成果として認められることが楽しさややりがいにつながると思いますし、チームとしてのゴールの達成にも必要不可欠です。

写真⑥ サイソンブン県病院にてCOVID-19患者治療のシュミレーションで患者役をしながら指導する窪田さん(写真中央)

上司は騙せても、自分のチームメンバーは騙せません。自分のことを本当に評価出来るのは自分のチームメンバーですし、自分を一番成長させてくれる人たちだと思います。

また、仕事という意味ではラオスで暮らす人々との関わりもとても大切です。我々外国人は短期間の仕事になるかもしれませんが、この国をずっと支えていくのは現地の人々自身です。国のことを一番知っているのは彼・彼女達ですし、我々がどれだけラオスの事を考えて仕事をしているかはすぐに見抜きます。その意味でも、現地の人々の意見を尊重し、誠実に接していくことを常に心がけています。

Q. 今後のキャリアをどのように考えていますか?また、中長期的にやってみたいことは何かありますか?

国際保健の仕事はとても楽しいので、まだ当分はこの分野で働いていると思います。どこかでしっかりとターミネルケア(終末期医療)に関わりたいとも思いますし、禅寺で禅修業もしたいです。10-15年ずつ区切っていくつか違う人生を楽しみたいですね。一つ目の大学を卒業する時にダンスか医学か悩んだんですが、ダンスは医者をしながらでも出来ると思い、医学を選びました。長い人生なので、今考えると、身体がもっと動いた時期にどっぷりダンスをしてから医学に進んでもよかったなあ、ちょっと急ぎすぎたかと思いますので、ターミナルケア、禅はもう少し後にとっておこうかとも思っています。これは、キャリアというより人生後半どう楽しもうか計画ですね(笑)。

写真⑦ COVID-19対策会議でファシリテーションする窪田さん(写真中央)

Q. ラオスの人たちの魅力は何だと思いますか? 

過去や未来にとらわれず「今」を生きていますね。

ラオスの人たちが今を大切にする理由は、国の成り立ちにもあるような気がします。ラオスは周辺に大国が多く、革命からまだ40年強しか経っていない共産主義の国です。そのため、日本や多くの先進国の人のような将来が自分の思い通りになるという感覚が強くないように思います。先を考えてもどうなるか分からない。だから、与えられた今を生きる。それは医療への向き合い方についても同様で、病気になった時でも良くも悪くも少し諦めが早いです。日本人は人間がどうにか病気を制御出来ると思ってる人が多いような気がしますが、ラオス人は比較的受け入れる人が多いです。朝、病棟にいくと、我々ならもうちょっとがんばれたのに、、と思ってしまう人が見切りをつけてさっさと家に帰ってしまうこともよくありました。

ただ、仕事をする上ではフラストレーションが溜まることもあります(笑)。たとえば、大きな会議を開催するときに、2週間前に告知しようと提案しても、どうせ忘れられてしまうだろうし、早すぎると言われ、結局3日間になってバタバタするのが常。また、会議終了後に反省会を開こうと提案しても、もう終わったのにどうして?といった調子です。(笑)まあ、何年もいて自分もすっかりその感覚になっちゃいましたが。。。

後は、やはり温厚な性格な人が多く、争いを避ける術を身に付けています。欧米人には裏表があり、何を考えているか分からないと言われていますが、この辺は日本人とすごく似たところがありますね。

Q. これから国際社会を舞台に仕事をしていきたいと思っている若者たちへメッセージをお願いします。

今、情熱を持っていることに対して、しっかりと向き合うのが良いのではないかと思います。その時に大切にしなきゃいけないことを大切にするのって意外と難しいんですよね。特に国際社会で仕事をしたい人にとって、周りがそういう環境になかったり、同志が見つからなかったりする。

自分も医学部にいたときは、その時にしていることが将来自分のやりたい国際保健にどうつながるのか分からず、とても不安でした。サークルを立ち上げたり、国際保健を目指す人たちの集まる団体に参加して、似た志を持った友達を作りました。今でもその頃に知り合った友達と仕事をしています。先が見えず不安だったあの頃の自分に言いたいのは、「焦らなくて大丈夫。今、情熱を持っていることをしっかりとやればいい」ということ。それが次の何かに導かれ、そこでまた新しい自分を発見する。その連鎖で今があるし、未来が築かれていく。私にとって天文学、宗教学、医療、国際保健がそうであったように、一見関係ないような色んな体験が糧となるでしょう。その過程こそが人生だから、まだ叶わぬ夢を追う今もたっぷり楽しんで。

参考文献

(注1)以下、窪田さん関連情報は以下の通り。本文編集時にも参考にしている。

窪田祥吾『国際保健、公衆衛生の醍醐味 ~ラオスの現場から~』(2019.Summer WHO Association of Japan、24ページ)
https://japan-who.or.jp/wp-content/themes/rewho/img/PDF/library/061/book6910.pdf?fbclid=IwAR1NNuNAUurXqF1MfpmDXTLEIGM1l_CAQZhhBUhy8kOmXZjDg4s8LRKzeG0

読売テレビ『グッと!地球便 ~海の向こうの大切な人へ~』(2012年3月25日放送)
https://www.ytv.co.jp/chikyubin/oa/article20120325.html?fbclid=IwAR2dLFyJ7X5vHyUZNjI1OJDJ0fxyVswiDyJYvOfat2-nVK8oaXthMvddPH4
https://www.youtube.com/watch?v=RgVUDSY3IvU&feature=youtu.be&fbclid=IwAR3OstTLUglRRP3Oo_h5K_0jxnLlindJXaMgcRxyxLEy7EOWNLlR1iYqM3g

窪田祥吾『タイ山岳医療実習日記』(2006年1月30日、医学書院)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2668dir/n2668_03.htm

窪田祥吾が設立したNPO「こころっコロ」ウェブページ
※窪田さんは研修医時代に病院で亡くなる人を見ていて、よい最期を迎えるための準備の場を作りたいと思うようになり、小学生やその保護者、医学生と共に「命」や「死」について考えるようになり、NPO『こころっコロ』を設立した。
http://cocoroccoro.blogspot.com/
https://www.blogger.com/profile/03132069067734016505

窪田祥吾『挑戦する人 これが私の医きる道』(レジデントノート Vol.15 No.13 2013年、2450ページ)
https://www.yodosha.co.jp/yodobook/book/9784758105583/

(注2)窪田さんは日野原先生が理事長を務めていた聖路加国際病院で初期研修を受けた。
日野原重明(1911年~2017年):山口県生まれ。1937年京都帝大医学部卒業。1941年聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、院長等を歴任。聖路加国際病院名誉院長・同理事長、聖路加看護大学名誉学長をはじめ、国内外の医学会の会長・顧問等数々の要職を勤めていた。1993年勲二等瑞宝章、2005年文化勲章受章。専門領域は内科学 (循環器)のほか、予防医学、健康教育、医学教育、看護教育、終末医療、老年医学、生命倫理と幅広い。
日本ユニセフ協会『日野原重明大使 プロフィール』(2020年10月11日閲覧)
https://www.unicef.or.jp/partner/partner_pro2.html

(注3)ウィリアム・オスラー (William Osler, 1849年~1919年):カナダ、オンタリオ州生まれ。医学者、内科医。マギル大学、ペンシルベニア大学、ジョンズ・ホプキンス大学、オックスフォード大学の教授を歴任。今日の医学教育の基礎を築いた。1898年王立協会フェロー選出。日野原先生は影響を受けた医師として、よくウィリアム・オスラー先生の名を挙げている。
『未来の医学の中の内科学の位置づけ』(日野原重明、日本内科学会雑誌(2014))
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/103/9/103_2222/_pdf

『ウィリアム・オスラー博士の死に関する哲学と死の研究』(日野原重明、日本医事新報(1993))
https://www.jmedj.co.jp/page/hinohara_paper01/

(注4)クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年~2009年):フランスの社会人類学者、民族学者。ベルギーのブリュッセルで生まれ。現代思想としての構造主義を担った中心人物のひとり。アカデミー・フランセーズ会員。
NHK「100分de名著」レヴィ=ストロース 野生の思考 『「構造主義」の誕生』(NHK、2016)
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/60_yaseinoshikou/index.html

(注5)『第4回JICHA学術大会2020』(2020)
窪田さんは『ラオスのコロナウイルス感染症の状況と対策』と題して、プレゼンを行っている。
期間限定で以下のリンクより動画を公開中。窪田さんのプレゼンは00:48:48~01:07:13の時間帯にて実施。
https://youtu.be/3gZjGHxr8hw

2020年9月19日、オンラインにて収録
聞き手:右馬治樹、岡本昻、桑原未来、住野英理、藤井理緒
写真:窪田祥吾様ご提供
編集・校正:岡本昻
プロジェクトマネージャー:岡本昻、桑原未来
ウェブ掲載:岡本昻、住野英理

写真⑧ 本記事インタビュー後の窪田さんとインタビュアー