第3回 児玉 治美さん 国連人口基金 広報渉外局(議員・NGO担当渉外オフィサー)
プロフィール
児玉 治美(こだまはるみ):鹿児島県鹿児島市生まれ。1992年、国際基督教大学教養学部卒。同大学行政学研究科行政学修士。参議院議員堂本暁子秘書、家族計画国際協力財団(ジョイセフ)のプログラム・オフィサーを経て、2001年7月より現職。
Q.いつごろから国連勤務を目指されたのですか?
小学校の頃、家族でミシガン州に住んでいました。その頃から日本の外を見る視点が養われたのだと思います。高校生活の大半も同じミシガン州で過ごし、各国からの生徒が集まる全寮制の学校に通いながら、国連への憧れを覚えました。大学時代は模擬国連に没頭し、当時話題となっていたアフリカ民族会議(ANC)やパレスチナ解放機構(PLO)などの代表を務めました。
Q.国連で勤務開始なさるまでのご経歴を教えてください。
国際基督教大学(ICU)大学院では国際法を専攻し、政治や紛争について学びました。修了した1994年はちょうどカイロにおける国際人口開発会議(ICPD)が開催された年でもあり、参議院議員堂本暁子氏(現千葉県知事)の下で秘書として人口問題に関わることになりました。北京で行われた世界女性会議やコペンハーゲンでの社会開発サミットなど、日本の議員団の代表としてその後も大きく人口問題やリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)に関わりました。政策レベルでの経験を積んだ後、プロジェクトにも携わってみたいと思い、家族計画国際協力財団(JOICFP、ジョイセフ)にて思春期の若者に対する保健プロジェクトをカリブ海のバハマで実施しました。性教育が徹底していないバハマでは、12歳くらいの少女が妊娠・出産し、学校をやめざるを得ないような状況を目にしました。ジョイセフでは日本の国会議員に対して政策提言も行っていたので、目の当たりにした途上国の現状を伝える良い機会になりました。そして5年前、国連人口基金(UNFPA)における国会議員やNGO担当として現職に就きました。
Q.具体的にはどのようなお仕事をされているのですか?
世界の国会議員、そして先進国のNGOに対するアドボカシー(政策提言・広報・啓発)を行っています。議員さんやNGOのサポートを通じて各国のマスコミや一般市民に対してUNFPAの理解を深めてもらい、政府の政治的・資金的なサポートを得る、という仕事です。
市民社会はUNFPAにとってマイナスをプラスに変えられる欠かせないパートナーなのです。2002年にブッシュ政権がUNFPAに対する拠出金の停止を発表したとき、別の州に住みお互いの存在を全く知らなかった米国人女性二人が「UNFPAの3,400万人の友人」キャンペーンを立ち上げ、電子メールを通して、拠出されるはずであった3,400万ドルを市民で集めよう、とUNFPAに対する募金を呼びかけました。一人1ドルでも良い、ということで、UNFPAの本部には1ドル札の入った封筒から何万ドルの小切手までが連日届きました。キャンペーン開始から4年が経とうとしている今、目標金額にはまだ及ばないものの、300万ドル以上集まりました。しかも、寄付した人々の数は10万人を超え、世界中から今なお寄付が続いているのですよ。
Q.今のお仕事でどのようなことにやりがいを感じますか。
世界の国会議員やNGOとの窓口になっているので大きい目で物事を見られます。自分の思った方向に動かしていけるという感じがして、それにやりがいを感じます。国連は変革の時期です。それを目の当たりに見ることができるのも大変魅力的です。特に、市民社会と国連との関係が90年代から変わってきたということは興味深い展開だと思います。国連は政府間機関ですが、以前の補完的な立場から、アナン事務総長が諮問した賢人パネルが「セカンド・スーパーパワー」と呼ぶほどまでNGOに期待が託されるようになりました。NGOの役割が国連内でより制度化されていくのを見ることがこれからの楽しみですね。
議員さんに途上国を訪問して頂く企画も行っていますが、「百聞は一見に如かず」という通り、プロジェクトを視察して下さった方はUNFPAや人口/リプロダクティブ・ヘルスのサポーターになって頂けます。例えば、アメリカのある議員さんはもともと家族計画に反対だったのですが、マラウイを訪れ、そこで配られていた1ドル程度の出産キット(赤ちゃんが地面に触れないようにお母さんの下に敷くビニールシート、助産婦さんなど出産に立ち会う人が手を洗うための石鹸、そしてへその緒を結んで切るひもと剃刀が含まれています)により多くの女性の命が助かっている状況を見て、帰国後、アメリカで最も強力なUNFPAのサポーターの1人となって下さり、ブッシュ政権がUNFPAに資金拠出を再開するよう、毎年修正案を議会に提出して下さっています。世界で1分に1人の女性が妊娠・出産の合併症により命を落としている状況に対し、アドボカシーを通して何らかの貢献ができている、ということに手応えを感じますね。
Q.逆に、どのようなことがチャレンジだと思いますか。
UNFPAは、政治的に、文化的に、そして宗教的にもセンシティブな課題を扱っているため、国連システムの中でも周辺化されやすい機関です。だからこそNGOや議員さんを通して働きかけをすることに意味があるのですが、NGOは国連より一歩進んだ議論を展開していることが多く、あまり過激なメッセージが発せられると、せっかく勝てる戦も勝てなくなってしまう、というジレンマを日々感じています。
また、UNFPAに対する様々な攻撃に立ち向かうこともチャレンジの1つです。旧東欧諸国の加盟により欧州連合(EU)が拡大されつつありますが、私たちが取り組む問題に対して保守的な立場をとる国が加盟することで、ヨーロッパ全体のリプロダクティブ・ヘルス支援に揺らぎが生じていると感じます。これらの国々をはじめ欧米諸国において強い影響力を持ついわゆる「生命尊重派」(中絶や家族計画に反対の団体)は、事実に基づかない批判をあたかも事実であるかのように宣伝し、UNFPAに対する政治的・資金的なサポートを根絶しようと、政府や国会議員、一般市民に働きかけています。例えば、コソヴォでミロシェビッチ政権が行った民族浄化政策にUNFPAが強制的中絶の実施を通して加担した、中国が一人っ子政策を遂行するために女性に対して行っている強制的な中絶や不妊手術をUNFPAが支援している、緊急人道支援の食糧物資を飛行機から降ろしてまでUNFPAは中絶用薬品を乗せようとしている、などといった全くの嘘を展開しています。このような団体を支援基盤とする一部の保守派の議員の行動が議会で多数派を占めないよう、他の議員に対して正しい知識を普及しようとしていますが、このような批判やバックラッシュに立ち向かっていくことは日々の課題です。
保守的な政策の影響を受けているのはUNFPAだけではありません。ブッシュ政権の政策により資金援助を停止された多くのNGOは、活動を大幅に縮小せざるを得なくなっています。アフリカのいくつかの国においても、その地域に唯一あった家族計画クリニックが閉鎖されています。しかし、サハラ砂漠以南のアフリカで、15-55歳の男性が手に入れることのできるコンドームの数は1年につき3つしかありません。このような状況では望まない妊娠も、HIV/エイズも予防できません。
Q. 国連において日本ができる貢献について、どうお考えでしょうか。
日本は既にUNFPAへの拠出金としては非常に大きな貢献をしています。現在は4位ですが、十数年間連続1位でした。人口問題に対する議員連盟が設立されたのも日本が世界で初めてなのです。岸首相のリーダーシップにより1974年に設立され、その後も首相レベルで推奨されてきました。従って、日本の議員さんが世界の議員さんを引っ張ってきた、といっても過言ではありません。これからもリーダーシップを発揮して頂ければと思います。特に、世間の目はリプロダクティブ・ヘルス全体というよりはHIV/エイズに向いているので、これらの問題がグローバルな課題全体の中で周辺化されないように、働きかけて頂きたいですね。
有森裕子UNFPA親善大使も非常に大きな存在です。カンボジアでハーフ・マラソンを企画し、この2月にもエチオピアにいらして、日本の草の根から集めた5万ドルをUNFPA事務局長のトラヤ・オベイド氏が来日した際に渡して下さいました。今回の事務局長の来日は非常に報道の取り上げ方が大きく、秋篠宮ご夫妻にお会いできたことから、宮内庁や外務省などからもプレス・リリースが出されました。
Q. これから国連を目指す人たちへ、アドバイスをお願いします。
プログラムに携わりたい方が多いと思いますが、スポークスパーソンは必要です。お金を集めないとプログラムは実施できないので、そちらを目指す方が増えればと思います。啓発や広報は経験と知識が求められる分野であり、コアのメッセージを限られた時間内で伝えられる能力が要されます。簡単な言葉で短く伝える。ハートを伝えるためにも情熱やヴィジョンを持つことが大切ですね。
(2006年5月17日、聞き手:田辺・杉山、写真:田瀬)