第31回 道券康充さん 国連開発計画(UNDP) 危機予防・復興支援局 プログラム・スペシャリスト

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プロフィール

道券康充(どうけんやすみつ):大阪出身。1989年関西学院大学法学部卒業、1992年大阪大学大学院法学研究科修士号取得(国際関係論)。1991年ハワイ大学大学院政治学科留学、1994年オランダInstitute of Social Studiesにて修士号取得(開発学)。1995年よりUNDPパキスタンにJPOとして、1997より引き続き同事務所に専門家として勤務。1999年UNOPS東京事務所、1999年アーサーアンダーセン大阪事務所にビジネスコンサルタントとして勤務。2001年UNDP東京事務所プログラム・マネージャ。2004年5月より現職。

Q.国連や、国連で働くことに関心を持ったきっかけを教えて下さい。

大学入学以前より国際関係に興味を持ち始め、大学時代アイセックという国際学生団体に所属・活動したことで関心が高まりました。さらに進路に大きく影響したのは大学時代の恩師との出会いです。当時国際公務員を目指す人も少なく、就職するための情報も少ない中、国際公務員育成に熱心な教授が大阪大学より教えにこられており、その方の授業を履修しました。授業はJPOはじめ具体的な国際関係の講義で、大学卒業後、その教授の勧めにより大学院にて国際公務員を目指し学びました。そして、国連で働くにはさらに専門知識を深め、コミュニケーションなどの能力を高める必要があると感じ、ハワイ大学大学院に留学し、その後オランダInstitute of Social Studiesにて開発学を学びました。

Q.JPOとしてUNDPで働かれ、国連職員としてのキャリアをスタートした後、一度一般企業に勤務されていらっしゃいますがその経緯を教えて下さい。

はじめにJPOとしてUNDPパキスタンに2年間、そして次の2年間を同じ事務所で専門家として勤務しました。その後UNOPS東京事務所に勤務しましたが、留学、海外勤務中は家族と長らく離れて暮らしていたこともあり、家族とともに過ごすため地元の大阪で働ける一般企業に転勤し、ビジネスコンサルタントとして働くことにしました。しかし、一般企業と公共部門とではやはり仕事の仕方や価値観など大きく違うと認識し始めたとき、ちょうどUNDPが日本人職員を採用募集しており、応募したところ採用されUNDPに戻ってきたというわけです。

Q.一般企業で働かれた経験は現在のお仕事になんらかの影響を与えていますでしょうか。

ビジネスコンサルタントの仕事は目に見える例えばテレビやパソコンなどの商品を売るのではなく、形のない自分自身のノウハウや戦略的思考を商品として顧客に提供するわけですが、クライエントのニーズをどう満たしていくかという視点は国連の様々な仕事にも適用できると思います。ビジネスコンサルタントとして培われた論理的に考え分析していく能力は今の仕事にも生かされていると思います。

Q.今なさっているお仕事はどのようなものですか。

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私が現在いるニューヨーク本部、危機予防・復興支援局(BCPR)という部署は二つの仕事がメインになっています。一つは現場(UNDPの各国事務所)への支援です。具体的には紛争や自然災害に直面している各現場の要望に応じ、必要となる専門家を派遣したり、復旧支援プロジェクトの形成、DDR(武装解除・動員解除・元兵士の社会復帰)の調査ミッション等を行ったりします。また、BCPRは緊急災害用基金を管理しており、津波などの大規模な災害が起こった際に、迅速に資金を提供し、現場で速やかに事業を展開するための支援を提供しています。二つ目は危機予防・復興支援分野に関するUNDP全体としての、政策・戦略の立案と実施です。各国におけるUNDPの取り組みを比較分析、評価し、今後の災害予防・復興・また平和構築の分野がさらに強化されるような働きかけを行っています。私自身は現在、アジア太平洋担当として、専門家たちと現地を包括的にサポートするための仕事をしています。また、この分野は、他の国連機関と調整が重要であり、様々な連絡調整会議への参加を通じて、現場との仲介的機能を行う役割もあります。

Q.今後のキャリアアップをどのようにお考えでしょうか。

本部に来て2年半が経ちましたが、もう少し本部での仕事に従事し、その後現場(カントリーオフィス)に戻りたいと思っています。本部での仕事は組織全体、UNDPだけでなく、国連システム全体の動きを学ぶにはとてもいい経験だと思います。一方、私にとってはパキスタンでの経験が原点であり、現地のほうが自分の仕事の成果に直接触れることができ、たいへんなこともありますが、やりがいもあり、区切りのひとつとして現地に戻れればと思っています。

Q.国連でのお仕事で、一番思い出に残っている経験は何ですか。

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現地で行ったプロジェクト形成の経験です。UNDPは現地でプロジェクトをつくり上げ、実施し、現地の人々の生活をより良くすることが役割ですから、プロジェクトを実際に現地で形成していったことが一番印象に残っています。具体的にはパキスタンにいる時、いろいろな事業形成に携わり、UNDPの専門家をはじめ、政府やNGO関係者など様々な人々と協力しながら一つひとつのプロジェクトをつくり上げてきました。プロジェクト形成というのは、新しい物を生み出す仕事ですから、通常のルーティンなやり方でなく、私自身が頑張らないと他の人はついてきてくれないですし、プロジェクトも完成しないのです。そういう意味で出来上がったプロジェクトはわが子のようなもので思い入れもあり、そこにはものづくりの楽しさみたいなものがあります。また、プログラムオフィサーとして様々なプロジェクトを運営した仕事も印象に残っています。プログラムオフィサーはいわば事業全体を統括する仕事で、現地にてプロジェクトがちゃんと効果的に稼動しているか、予算管理は徹底しているかなどモニタリングをしたり、新規事業を発案するという楽しさがあります。

Q.今までたいへんだったお仕事は何ですか。

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現在の部署は、緊急性を要する仕事が多いので、いかに現地のニーズに迅速に対応できるかが大きな課題ですが、一方で国連の様々な官僚的なシステムで思ったように動けない時があるのも事実です。最近で言えば、私の担当している地域で起こったインドネシア津波、及びパキスタン地震の時はたいへんでした。史上まれに見る規模の災害というのもあり、いろいろな機関・人々が関わっており、それらを調整するだけでもたいへんだったのです。現場へのサポートのために、本部では現地要望を迅速に吸い上げ、それに応じどのような支援ができるかを検討するために各機関との定期的会議を実施しました。インドネシアの津波災害の際は、最初の1か月はUNDP全体で毎日連絡会議があり、現地で何が起こっているのかを逐次報告し、現地の要望に応じて本部から包括的なサポートを提供するという作業をしました。

Q.今お仕事をされていてたいへんだと感じる部分はどんなところでしょうか。

国連は様々な国の人が働いており、日本と比べるとチームワークでの作業が難しいと感じることがあります。日本ではチーム一丸となって仕事を進めていくことが多いですが、ここでは個人ベースが中心で、日本的な感覚からすると仕事がやりづらいと感じることがあります。もうひとつはコミュニケーション能力です。これは単に英語力と言うだけではありません。例えば議論をする際、日本人は人の話を聞きそれに応じて発言したり、自分の意見を述べたいときでも人の話を遮ってまで話すということは少ないと思います。しかし国連では言葉がバトルのように次から次への意見が飛び交い、時に人の話を遮ることもあり、自分の意見を述べるタイミングが難しく、議論の際は日本人的感覚では通用しないと実感しています。しかし一方で日本の仕事のやり方は、細かいところまできちんと詰めて質の高い業務を行うというところがあり、その点は評価に値すると思います。外国の方は壮大な意見を述べたりしますが、なかなか詳細にプロセスをつくり上げ実践していくということが日本人と比べると不得手なようで、一緒に仕事をすると仕事の取り組みの違いに驚きます。

Q.今後日本が国際社会及び危機予防/復興支援分野で貢献できる事はなんでしょうか。

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平和構築・自然災害対策は現在ODAの柱となっています。UNDPも日本政府からのこの分野の取り組みに非常に多くの支援を受けています。国際貢献において、日本はお金だけでなく人・知恵も提供すべきだよく言われていますが、この分野では日本は「人間の安全保障」という考え方を打ち出ており、この理念を国際的にさらに広めていくことが大切だと思います。また、これはUNDP自身の課題でもありますが、平和構築のプロセスに比べ、紛争予防分野で具体的に何ができるのかがなかなか見えないということが言えると思います。また、今国際社会では、災害・紛争直後に人道支援だけでなく、早期復旧(Early recovery)支援をいかに効果的に展開できるかが大きな課題の一つになっています。今までは危機直後は、テントや食料を配るなどUNICEF やWFPなどの緊急支援が一段落してからUNDPが自立支援のため現地に入ることが多かったのですが、インドネシア・パキスタンの自然災害や他の紛争後のプロセスに見られるように、最近では危機直後からUNDPが現地入りし現地の人々の生計の建て直しや小規模インフラの復旧、現地政府機関の復旧など早期復旧の支援をすることが、その後の長期的復興に向けて非常に重要であるとの認識が深まっています。日本は制度上、人道援助・復興援助の支援スキームはありますが、今後はその中間に当たる早期復旧部門への貢献を期待しています。

Q.グローバルイシューに取り組むことを考えている若い人たちにアドバイスをお願いします。

私自身も国際機関で働きたいと思ってきたわけですが、国連だけでなく国際貢献ができる仕事をしたいという目標を持ち、それに向かって自分の能力を高めていくよう努力することはとても大切なことだと思います。しかし、国連は非常に不安定な職業です。したがって終身雇用など安定性を求めるのであれば国連は適当な選択肢ではないかもしれません。国連をあくまでたくさんある選択肢の一つとして捉え、その目標を目指して自分を高めていき、また、国連で働くといことだけに囚われず、国際社会のために自分が何をしたいかを考えていく中で、様々な仕事の可能性を探って行ってほしいと思います。

(2007年1月30日、聞き手:横山雅子、コロンビア大学SIPA。幹事会インタビューシリーズ担当。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当。幹事会コーディネーター。)

2007年2月27日掲載