第44回 米川 佳伸さん 国連事務局 経済社会局 行政・開発管理部 プログラムコーディネーター

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プロフィール

米川佳伸(よねかわ よしのぶ):東京都出身。1974年国際基督教大学教養学部卒業。1976年同大学行政学修士課程修了。1979年米国シラキュース大学マックスウェルスクール国際関係論修士課程修了。1978年NY国際連合事務局開発技術協力局プログラムマネジメントオフィサーとして着任。ベトナム・ラオス担当を初めとし、中国その他アジア諸国に対するプログラムを担当。同局にて多国籍企業・管理部部長付、経済政策・社会開発部部長付を経て、1995年社会政策・開発部プログラムコ-ディネーター、2003年より現職。真言宗豊山派僧侶。その他の活動:剣道。

Q.国連で勤務なさることになったきっかけを教えてください。

今になって考えれば生意気で単細胞的な考え方ですが、せっかく生まれてきたのだから何事かをなしたい、という思いがずっとありました。特定の企業や国家の利益のために働くのではなく、もっと普遍的な価値のために働きたいと考えていたときに、国連の存在を知り、企業や国家の枠を超えて世界の平和を目指す国連の理念に魅せられました。

大学では国際法を学んでいたのですが、指導教授のアドバイスをもとに、当時設立間もなかった国連開発計画(UNDP)の法的地位を卒業論文のテーマに取り上げたことをきっかけに、開発そのものに携わりたいと思うようになりました。そのためには専門性を身につける必要がある訳で、日本の大学院では行政学を専攻していたのですが、法律や政治が中心のカリキュラムだったので、もっと専門的に開発関係の分野ついて勉強するためにニューヨーク州の北部にあるシラキュース大学大学院に留学しました。

シラキュースで勉強するうちに、開発の分野に進みたいという思いがますます強くなりました。国連以外の国際機関や、国際協力事業団(現:国際協力機構)や海外経済協力基金(現:国際協力銀行)も志望していましたし、大学院に残って助手として研究を続けるという選択肢もありました。当時、国連に入るための競争試験も始まってはいたのですが、それとは別に面接による選抜もまだ行われていましたので、国連日本代表部に連絡を取り、代表部、国連事務局、UNDP、国連児童基金(UNICEF)などの面接を受けることにしました。これらの志望先の中で、一番初めに話が具体的にまとまったのが国連事務局でしたので、そこで働くことになり、現在に至っています。

自分で進路の方向性を定めようと思ってもなかなかその通りにはいかないこともあると思いますが、自分の将来に関するビジョンを持っていると、いつの間にかその通りになっているということを何回も経験していますし、振り返ってみると、自分が心から願ったことはすべて実現しているように思います。これは仕事だけでなく、仏教を通じた宗教活動、趣味の剣道や、NGOをつくったりニューヨークの警察を支援したりといった活動についても同じことが言えます。

Q.今はどのようなお仕事をなさっているのですか。

経済社会局の中で、公共政策とガバナンスを担当する部署にいます。この部署の仕事は大きく分けて、国や地方の機関の能力強化支援、関連分野の現状分析や政策提言などに関する研究活動、そして技術協力の三つに分かれます。もともとは技術協力を中心に行っている部署だったのですが、最近は研究活動や支援を行う上での規範づくりの方に重点が移ってきました。私は、主に技術協力プロジェクトの企画と執行に携わっています。

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Q.国連で働くことの魅力は何でしょうか。

やはり、国や企業の枠を超えて仕事をすることができ、それがよしとされることでしょうか。また、日本政府の方針と国連の方針や仕事の内容が合致せずに悩むことも、幸いあまりありませんでした。これは、国連の前身である国際連盟で仕事をしていた人たちにとっては大きな悩みだったのではないかと思います。私が国連で働く上では、むしろ日本政府と協力して仕事をしたり日本の参加を促進したりすることが国連という組織の利益に合致することが多かったので、そういう意味では幸せでした。

実は、初めの頃は国連の上司や同僚たちの質がどうも悪いように見えてしまい、国連で働くのが嫌になったことがありました。それで、国連での仕事を始めてから4年目に休職し、東京で政府の外郭団体と社団法人に勤めました。そこで日本の組織の様子やそこで働く人たちの仕事ぶりを見ることができたのですが、その結果実感したことは、どこの組織も同じで、素晴らしい人もいればそうではない人もいるということでした。改めて振り返ってみて、国連も捨てたものじゃないと思い、一年半ほどの休職の後に国連に戻ったのです。それからは、国連の同僚たちや、国連で自分と同じ志を持つ人たちがとても大事に思えるようになりました。また、国連では人種や文化が異なっていても、つくろうと思えば簡単に友達をつくることができます。そういう環境も私には合っていましたし、そうやって様々な人と親しくなり人脈を広げていくことで、私が今も日本で携わっている活動や日本の友人たちの役に立つこともできていると思います。

Q.逆に、国連で働くことの悩みは何でしょうか。

国連では思うようにいかないことがたくさんありますし、ストレスや悩みは常に抱えています。ですが、その悩み一つひとつが自分にとっての挑戦であり、大切なのはそれをどのように処理していくかということではないでしょうか。たとえば、私は日本の大学院では行政学を、アメリカの大学院では国際関係学を専攻していたのですが、実際に仕事をしてみると、やはり知識が不足していると感じることがありました。そこで、ニューヨーク大学の行政学大学院に入学したのです。仕事が忙しかったり出張が重なったりして授業に出席すること自体が難しくなってしまい、途中で辞めざるをえなかったのですが、仕事に必要な知識を改めて学んだり研究手法を身につけたりしたことは、今でも非常に役に立っていますし、大学院に入学した目的は達成することができたと思っています。たとえば今の仕事では、経済学など技術的な専門性を持った職員と一緒にプロジェクトを進めることがよくあります。特定の分野に関する知識や人脈については、当然彼らにはかなわないのですが、大学院で学び直したおかげで、彼らに指示を出したり、彼らをまとめたりする上での不便を感じることはありません。

また、当初は英語で文章を書くことが悩みの一つでしたが、これも次第に解消されました。国連に入ったばかりの頃は、自分が書いた元の文章がすっかりなくなってしまうくらい上司に直されたものですが、仕事を続けるうちにこうしたことが少なくなり、今はむしろ同僚の英語を直すようになっています。

そのほかの悩みといえば、人間関係でしょうか。私は人間関係の様々な問題を悩みととらえず、むしろ楽しむようにしていますが、慣れないうちはやはりつらく感じたものです。様々な国籍や文化を持つ人が集まっている組織だけに、相手が何を考えているのか、なぜそのような行動をとるのかよくわからないこともありました。また、特定の派閥の一員とみなされて、派閥同士の争いに巻き込まれてしまうこともあります。残念ながら国連には、昇進や経済的な利益、面子ということを非常に重んじる人もいるようですが、相手が何を重要視しているかを理解した上で接すれば、問題が起きることはほとんどないのではないでしょうか。

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Q.これまで印象に残ったお仕事はどのようなものでしょうか。

日本は国連に対して資金は出すけれども行動としての参加が少ないとよく言われていました。そこで、日本の地方自治体と国連が共同で仕事をすることをお手伝いしたことがあります。鈴木俊一さんが東京都知事をされていた頃のことです。それまで、東京都は国連が主催する会議を誘致してはいたものの、場所を提供しているにすぎず、東京都が国連と一緒になって情報を発信するということはしていませんでした。それで、東京都の担当副知事の方にお会いして、国連本部と東京都が同じ土俵に立って仕事をしてはどうだろうと提案したところ、東京都側も興味を示してくれました。

まずは共同会議からということになり、私はその会議を開催するための手配に携わったのですが、東京都庁の内部で話が通り、都議会で予算が承認され、都庁のどこの部局が会議を担当するかを決め、東京都と国連との契約をまとめるなど、一連の作業に5年間かかりました。この会議は「都市経営世界会議」として1993年に開催され、全世界から50の都市が参加しました。国連の視点からみれば、この取組みは地方分権化の推進と軌を一にしています。その後日本の経済状況が悪化するなどしたために東京都と国連との関係が発展していかなかったのは残念ですが、その後も福岡市や新潟県など、別の地方自治体と国連の共催事業をお手伝いすることができましたし、これからも同様の試みを続けていきたいと思っています。

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Q.これからどのようなお仕事に取り組んでいきたいと思われますか。

開発には、環境、HIV/AIDS、貧困など様々な分野の問題がありますが、これらの問題に個別に取り組むのではなく、たとえば環境と貧困などを一緒に考えた方が新しい解決法がみつかるのではないかと思っています。国連事務局の経費が削減された後の余剰金を使って設置された国連開発会計(UN Development Account)というものがあるのですが、この会計は経済社会局が管理しており、国連組織全体から、この会計を使った開発のためのプロジェクトを募集したところ、私が提案した、環境・貧困・地方自治体・コミュニティ開発といった分野を軸にして包括的に開発に取り組むプロジェクトも採用されました。

これは、東南アジアの5か国と中央アジアの5か国で既に実施されているプロジェクトを連携させて相乗効果を狙うもので、一つのプロジェクトに割り当てられる金額は約2万ドルと小規模ですが、コミュニティに密着した草の根の活動を支援するものなので、この金額でも十分効果を発揮しています。また、参加団体の代表に集まってもらって、何回か会議を行い、国や地域の枠を越えたネットワークを作ることもできました。こうして、一見異なるようにみえる様々な分野の活動を連携させるという取組みはUNDPなど他の組織でも行われているので、お互いの情報を交換し合ってプロジェクトを進めました。

また、人間の精神的な分野についても関心を持っています。これまで国連は、たとえば貧困とか食糧問題など、具体的な問題を解決するために必要な制度や仕組みを改善しようとしてきました。政府組織の能力強化などがそのよい例でしょう。ですが、その仕組みからもう一歩目を外に向けて、その制度や仕組みを支えている具体的な人間が本来持っている精神的な力や潜在能力を意識的に高めていくことも必要なのではないでしょうか。まだ漠然としていますが、そのための活動を組織していければと考え始めています。

先年、私は真言宗豊山派の僧侶として得度して伝法灌頂もうけました。そのようなコミットメントをしてしまったのは、国連ではどうしても経済や開発や援助の技術や制度やシステムといったことに焦点があたり、人間の心の問題に直接触れる仕事ができにくいと感じていたからです。これは開発に限らず、人道援助などにも同じことが言えると思います。たとえば、紛争地域で困っている難民に食糧や水を渡すのは、彼らの生存を確保するために大事なことです。しかし、食糧や水を得ることとその人が幸せだと感じることとは、密接につながってはいるものの全く同じではありません。

貧困の問題を考えるとき、経済的貧困、社会的貧困、教育的貧困など様々な角度から分析がなされますが、その先に進んで、人間としての尊厳や満足、希望について考える必要があるのではないでしょうか。世界には、どうしようもない状況に追いやられている人がたくさんいます。それでも、国連のような組織が彼らに手を差し伸べて、あなたたちは忘れられていない、私たちはちゃんとあなたたちのことをみている、と伝えて彼らに勇気を与え続けることは非常に大事ですし、そうすることで、彼らが「今は苦しいが将来はよくなるだろう」、あるいは「自分は無理かもしれないが、自分の子どもはもっとよい人生を送れるだろう」と生きる希望を抱くことができたら、それは素晴らしいことです。私はそういう仕事をこれからもしていければいいなと思っています。

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Q.グローバルイシューに取り組むことを考えている若者への一言をお願いします。

開発や国際協力の分野で仕事をしている人は常に少数派です。まず、こういう分野に関心を持ち、実際にそれを行動に移して、その分野で仕事ができるようになる人は日本では非常に少ない。そして、そういう人たちが外の世界で仕事を始めたとき、国連での状況をみてもわかるように、そうした仕事に携わる日本人やアジア人も少ない。内側からみても外側からみても、私たちは少数派でしょう。ですから、私たちは手をつなぐ必要があります。もちろん、この分野で働く人にもいろいろな人がいて、能力や専門分野も様々ですし、それぞれが働く目的も違います。でも、この分野を志すというご縁のあった仲間なので、お互いを大事にし合い、そういう少数派としてのネットワークをつくっていくことが大事ではないでしょうか。

以前、日本では大来佐武郎先生のような大きな指導者がいらして、先生のことを「戦艦大来」と呼んで開発や国際協力のことは何でも大来先生にお願いして、私たちは何となく安心していました。しかし、今は誰か一人に頼っていればそれでいいという時代ではないようです。世界中に散らばっている私たち一人一人の力を効果的に結集していく作業が必要だと思いますし、国連フォーラムのような場を活かして各自が自由に発言することもとても重要だと考えます。日本人が国際機関で活躍していくためにも、このようなネットワークの存在は大きな影響を持ちます。私自身、これまで仕事で行き詰ったときには、周りの先輩たちにずいぶんと助けて頂きました。仕事の大小にかかわらず、一人ひとりが自分にできることをすること、そして存在していること自体が、とても大事だと思います。

(2007年5月25日、聞き手:大槻佑子、国連事務局でコンサルタントとして勤務。幹事会開発フォーラムとのネットワーク担当、写真:田瀬和夫、国連事務局で人間の安全保障を担当。幹事会コーディネーター

2007年7月16日掲載