第79回 上野 ふようさん 国連人口基金(UNFPA)東京事務所 所長補佐
プロフィール
静岡県出身。筑波大学第二学群比較文化学類卒。日本企業で広告/広報担当として6年半勤務した後、スイス、ローザンヌ大学文学部へ留学。同大学にて言語学修士号取得。博士課程在籍中の2005年4月から現職。
Q. 現在の職場である国連人口基金(以下UNFPA)で働くことになったきっかけは何だったのでしょうか?
知人を通じてこのポストの空席情報について知ったのですが、初めは「私ができる仕事なのか」という不安や迷いがありました。というのも、それまでの自分の経験からはまったくかけ離れた分野での仕事だったからです。
私は大学卒業後、まず出版社に勤め、幾つかの企業の広報に携わった後、言語が好きで海外の大学院でフランス語と言語学を学びました。出版社に勤務していた時は広告セクションに所属していたので、メディアと広告業界に関係の深い仕事をし、大学院時代にはどっぷりと言語について勉強していました。ですので、公共性のある仕事という意味でも、国連システムや開発といった分野の仕事という意味でも、まったくの初心者だったわけです。応募する時に初めてUNFPAのことを知ったぐらいでしたから(笑)。
けれども、ウェブサイトを見てUNFPAの活動理念や具体的な活動を知るにつれて、そんな迷いよりも挑戦しよう、という気持ちになっていきました。というのも、「利潤を追求するのではなく、何か公共政策に関連する仕事をしたい」、「特に女性のエンパワーメントに貢献したい」という私の気持ちと重なる部分が大いにあることがわかってきたからです。そこで、在籍していた博士課程を休学し、この仕事を始めることにしました。
Q. 手探り状態で始めたお仕事だったということですが、新しい職場に来てみての実感はどのようなものでしたか?
仕事を始めた当初の実感として覚えているのは、組織全体における自分の位置付けを理解することが難しかったなぁということです。国連という組織が巨大で複雑であるのはもちろんのこと、UNFPAも本部はニューヨークですが世界各国に多様な事務所がたくさんあります。そのような組織の中で、他のオフィスとは地理的にも大きく離れた東京にいながら、自分が関わる仕事の全体像をイメージして自分の立ち位置を把握したり、世界中にいるスタッフとの連帯感を感じたりすることが難しかったんです。メールのやり取りをしてはいても、実際に顔を合わせたり声を掛け合って仕事をする機会は滅多にないので、相手をイメージして仕事するのが難しかったですね。
また、私が着任した時には前任者がいなかったことも、自分の仕事を把握するのが難しかった要因だったと思います。国連ではこういったことがよくあると後でわかったんですけれどね。さらに、人事と経理の新しい管理システムが導入されたばかりだったのも、大変でした。知識も経験もないまったくの手探り状態で、同じ国連大学ビル内に事務所を置いているUNDPのスタッフの方に組織を超えて協力してもらいながら、徐々に新しい仕事に馴染んでいきました。今でも感謝しています。
Q. UNFPAにおける東京事務所の役割とはどのようなものなのでしょうか?
UNFPAの本部はニューヨークにあるのですが、本部以外に世界154か国に事務所があります。それらの事務所は、それぞれが果たす役割の観点から、主に、途上国にあるカントリーオフィスと先進国にある連絡事務所に分けられるのですが、カントリーオフィスでは具体的な活動の実施を、連絡事務所ではドナー国政府と本部、カントリーオフィス間の調整・仲介等の役割を担っています。
Q. 上野さんの東京事務所でのお仕事の内容を教えていただけますか?
はい。小さな事務所ながら、仕事は様々なものがあります。内容については、大きく分けると、(1)UNFPAの日本国内における広報業務、(2)東京事務所のマネジメント業務のサポート、(3)日本国内の様々な関係者とUNFPA本部やカントリーオフィスとの連携調整の3つです。
(1)については、ウェブサイトやパンフレットの作成だけでなく、講義や講演活動、また様々なイベントを通した啓発活動があります。所長が参加する講演やイベントの事前準備やコーディネートをしています。(2)は事務所全体のスケジュール管理や、スタッフ、ボランティアスタッフの調整や管理などですね。(3)については、政府関係者や政治家、有識者、大学等の教育機関、NGO、企業、そして一般の方々とも連絡を取ります。一般の個人の方々からの問い合わせに対しても一つ残らずすべて返事を出します。そうすることで、UNFPAの存在をより多くの人によく知ってもらえるようになると思っています。つまり、日本におけるあらゆる人々に対するUNFPAの窓口が東京事務所なのです。
現在、事務所として取り組んでいるのは、5月に行われるTICAD IVに向けて、UNFPAだけでなく日本にある他の国連機関と協力して提言をまとめる作業を進めています(注:インタビューは3月21日に行われました)。これは、いま国連が全体で推し進めている、「Delivering as One(一貫性を持った支援)」という各機関の間の連携を図っていこうという動きの表れでもあります。TICADプロセスの中で、国連諸機関がそれぞれの専門分野別にまとまって行っているクラスター・アプローチを通じて、日本の対アフリカ支援に対する政策提言をまとめているんです。UNFPAはユニセフとともに、保健クラスターの取りまとめ役になっています。
仕事の量についてはですね、わかりません(笑)。というのも、たくさんありすぎて数えられないんです。
Q. 仕事に対する「思い入れ」を教えてください。
広報の仕事をするようになって常に心がけていることは、「一般の人々に対して、できるだけわかりやすい言葉で説明することで、UNFPAを理解してもらい身近に感じてもらおう」ということです。私の仕事は、専門家の方にではなく、一般の方にいかに知ってもらえるかだと思うんですね。UNFPAで仕事を始めたとき、私自身この分野についてまったくの初心者で、専門用語を理解することさえ簡単ではありませんでした。その気持ちを忘れないようにしようと思っています。
そんな気持ちで、ウェブサイト、パンフレットなどの広報用素材を改訂したり新しく作成しています。例えば、UNFPAの活動の基礎となる重要なキーワードとして、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という用語があるのですが、これはもともと英語の概念なので、ぴったりした日本語訳が難しく、初めて聞く人には理解しにくいものなんです。片仮名表記で定着しつつありますが、この概念を正確により多くの方に理解してもらえれば、と思っています。
プレスリリースの和訳にも、かなり気を使いますね。英語では1語で現せるものでも、日本語では説明を補足したり、1つの文章で言い表す必要があったりする場合もあります。大学院で言語学を専攻した経験が直接活かされているかどうかはわかりませんが、ことばに対するこだわりはあるかもしれません。これからも簡潔でわかりやすい日本語でUNFPAのことを語って行きたいと思っています。
Q. UNFPAで仕事を始めて一番やりがいを感じたことは何でしたか?
新しい方法でUNFPAのことを一般の方に知ってもらうことができた時には、非常にやりがいを感じますね。今までの3年間に、幾つかの新しい試みを経験してきました。まず、あるラジオ番組に東京事務所長が出演したことが印象に残っています。それまでにも、テレビやラジオなどの出演はありましたので、ラジオ番組に出演すること自体は珍しいことではなかったのですが、「これはいい」と思う番組に自分からアプローチし、ルートを開拓して出演を実現させたことに達成感を感じました。
私は、日常生活の中でも、どうすればUNFPAをもっとたくさんの人たちに知ってもらえるかということをついつい考えてしまうのですが、とある有名俳優がDJをしている私自身お気に入りのラジオ番組を聴いていて、ここでもしUNFPAを紹介してもらえたら、と思ったんです。深夜の番組で、そしてDJの俳優も若い方なのですが、社会的な問題にもとても興味を持っていて、1時間の番組の間、彼の率直な疑問に各分野の専門家がわかりやすく答える、という内容です。最初はメールでコンタクトを取ったのですが反応がなく、その後は自身の人脈を活かし、知人を通じてラジオ局にアプローチしました。そして最終的に、その番組に所長が出演することが決まった時には嬉しかったですね。
他にも印象深い仕事として挙げられるのは、昨年の11月に行われたチャリティ・イベント「母と子に捧げるコンサート」ですね。これは、UNFPAなど母子保健分野の団体が推進している「妊産婦の健康を守るイニシアチブ」20周年を機に、日本の少子化や産婦人科医不足の問題から世界の妊産婦医療までを含んだ「世界中のお母さんと子どもの健康」を考えるきっかけとなるようにと開催されたものです。一般企業やジャズ・ミュージシャン、多くの方々が実行委員会をつくってご協力くださったんですよ。特に実行委員長の方は、テーマソング「母の愛にいだかれて- Save the Mothers of the World-」まで作詞作曲して下さったり、ご尽力頂きました。本当に感謝しています。この仕事を通して実感したのは、イベントを成功させることができたという達成感だけでなく、人とのつながりの大切さとその素晴らしさでした。こんなふうに、一つの趣旨や目的のもとに人が集まってその輪(ネットワーク)が広がっていくといいですよね。
今も、7月11日の世界人口デーに向けての展示を企画中です。6月30日から3週間、国連大学ビルの1、2階のギャラリーで行うのですが、今年は若いアーティストとのコラボレーションを予定していて、かなり独創的な展示になると思いますよ。国連人口基金とデブリ・プロジェクト(DEBLI Project)の様々なジャンルのアーティストが発信します。
UNハウス1階には、国連人口基金の活動を紹介するパネル。2階の展示スペースには、Re-cycleを超えたRe-createをテーマに活動を行っているデブリ・プロジェクトのアーティストが生み出した作品が展示されます。世界がいま注目すべき「母と子のいのち」について、より多くの人々が考えるきっかけとなれば、という想いで実現したコラボレーションです。かなりクリエイティブな展示になりそうで、私自身も楽しみなくらいです。ぜひ見にいらっしゃってください。
広報以外にも、本部と日本政府とのパイプ役として、連絡調整していることが目に見える成果として達成した時にはやりがいを感じますね。ここ数年の間に、UNFPAが行うインドネシアの津波やパキスタンの地震被災地への支援や、アフガニスタンの人口調査などに日本政府から緊急の資金拠出がなされました。決定するまでの過程では、UNFPA本部と外務省との仲介をしながら、夥しい数のメールや時に電話がやり取りされるのですが、それが決まった時には東京事務所としての役割を改めて実感します。もちろん、その後拠出された資金がプロジェクトに有効に使われ、実施後の報告をして初めて仕事が完了するので、最後まで気が抜けません。
Q. UNFPAが関わるミッションの中で、上野さんが特に問題意識を持っている課題について聞かせてください。
先ほどもお話した「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」がUNFPAの活動の根本にあります。開発途上国での取り組みは、本部や現地のカントリーオフィスが行っていますが、日本では、この概念がもう少し一般の方に理解され、浸透して行って欲しいと思っています。女性の社会的な地位をはじめ、日本におけるリプロダクティブ・ヘルス/ライツの現状も、まだまだ課題があるように思えます。それは直接的にはUNFPAの仕事とはならないものの、まずはこの概念を理解してもらうのが東京事務所の役割だと思っています。
Q. 上野さんの仕事へのモチベーションはどこから来ているのですか。
私が最初にUNFPAのことを知り、大いに共感を覚えて、ここで働きたいと思った気持ちは今でも変わりません。それは、世界中で女性に生まれたというだけで人間として当然保障されるべき権利が与えられない、という現状に対し、何か少しでも貢献したいという思いです。支援が必要なのは、子どもや難民やエイズなどの感染症に苦しむ人々もそうですし、環境問題も世界的規模の課題ではあります。でも、私が心から実感を持って突き動かされるのは、世界中にいる様々な状況の中で困難に直面している女性のことを思うときです。今の仕事は、直に途上国と触れる機会はあまりありませんが、それでも、自分たちの仕事が最終的には途上国の女性のためになっていると感じるとき、大きな充足感があります。
二つ目には、職場の人たちとの関係です。東京事務所はとてもこじんまりとした事務所で、小さなオフィスならではの良さがあります。事務所全体のスタッフの仕事ぶりが常に見えるので、互いに気を配りながら協力して仕事を進めることができます。こうした温かい空気は、仕事をしていく上でとても大事だと思っています。昨年末に国連大学ビルの中で引越をしたのですが、新しいオフィスレイアウトも、オープンで明るい空間作りにこだわりました。白を基調とした事務所ですが、椅子の色をオレンジ色に揃えました。UNFPAのロゴカラーです。オレンジは若さのシンボルカラーで、元気や明るさ、健康を表す色。また、ロゴには「枠」や「直線」がありません。「枠にとらわれない」、「柔軟な」考え方をしていこうという姿勢の表れなんです。オレンジ色の丸が並んでいますが、これは世代を超えて営まれる「一つひとつの命」を表しています。私がオフィスの移転の際に目指したのは、ちょっと大げさかもしれませんが、まさにこのロゴに表現されているUNFPAの理念の具現化だったのです。スタッフの数は少ないものの、多くのボランティアスタッフに支えられている私たちの事務所が、少しでもUNFPAのロゴのイメージの“明るくてオープン”なオフィスであって欲しいと思っています。
Q. デザインにはそんな思いが込められていたのですね。最後に、グローバルな問題に関わろうとする国連フォーラムの読者のみなさんへ、一言アドバイスをお願いします。
そうですね。この記事を読まれている人たちの中には、国連職員を将来の職業として考えている方が多いですよね。そのような方へ、異色な経歴を持つ私がお勧めするのは、「若い今のうちに何かしら自分が没頭できる分野に関して思い切り勉強しておく」ことです。
私は、初めから国連職員を目指して勉強してきたわけではありません。今の職場ともまったく関係のない言語学や広報が専門でした。それが、縁あって今の職場で仕事をさせて頂くことになったのですが、どんな経験でも、その後の仕事に活きることが必ずあります。もちろん、目指す方向に活かせるプラクティカルな知識や経験は大切ですが、何か自分が興味を持ち没頭できるものを徹底的に極めることで、それは自信となって未来の成果へとつながります。私自身、スイス時代の言語学の研究は直接的な関係はないものの、仕事に取り組む際の基礎となっていますし、精神的な自信となって自分を支えてくれています。
もう一つ付け加えるなら、自分の好きな勉強に没頭しつつも、長期的なビジョンを持って柔軟な姿勢で、幅広い知識や経験を吸収してみることも大事でしょう。特にその過程で築く人間関係は貴重です。私も、大学時代や企業で広告や広報に携わっていた時の人脈が、今でも大いに役立っています。本当に、ネットワークでつながったり、広がる人間関係というのは大切な財産となりますから。
最後に、UNFPAの親善大使をしてくださっている有森裕子さんのことばを皆さんに贈りたいと思います。
「できる人が、できることを、できる限り。」
決して背伸びをすることなく小さなことから始めればいいんだ、ということを励ましてくれていることばですが、有森さんご自身は、人一倍地道な努力を積み重ね、五輪で素晴らしい成果を残した方です。そして、自ら設立したNPO法人を通じてカンボジアの子どもたちの支援や、UNFPAの親善大使としての活動を精力的に行っています。そんな彼女の真摯で誠実な姿を見るにつけ、このことばの意味するところの重みが増してきます。きっと、「すべての人にできる何かがあり、それには限りがない」のだと。それを有森さんは、私たちに見せてくれている気がするのです。
(2008年3月21日。聞き手:池田有紀美、早稲田大学。写真:森口水翔、フリージャーナリスト。)
2008年7月14日掲載