第8回 田頭 麻樹子さん 国連事務局経済社会局 社会政策開発部
プロフィール
田頭麻樹子(たがしらまきこ):兵庫県芦屋市生まれ。1980年、関西学院大学文学部英文学科卒。インディアナ州立大学大学院高等教育/公共政策修士。JPOに合格、UNVに赴任。国連本部の経済社会開発局、女性局に勤務した後、2004年より現職。
Q.国連に入るまでの経歴を教えてください。
大学生のとき、途上国の現状を知るための大学主催のセミナーに参加して、インドネシアを訪れました。そこで、日本での海外の情報は欧米に偏っていることやアジアとの交流をもっと進めるべきではということを感じました。水も電気もなく、子どもばかりがあふれている村を訪れたとき、もし私が日本でなくてここに生まれたら、私の人生は全く違うものになっていたはずだと思いましたね。それが開発の仕事に興味を持ったきっかけです。当時も国連で働くことに関心はありましたが、自分には手の届かない範囲だと思っていました。ただ、インドネシア・セミナーの先輩に外務省や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に就職した方がいて、漠然と憧れは感じていました。
大学卒業後は、日本の民間企業で2年半働きました。当時はまだ女性の地位が低く、入社したての私の仕事と20年働いている女性社員が同じような仕事をしていたんですね。これでは何年仕事をしても同じだと思ったことと、利益追求のためだけにこれからの人生を過ごすのかという疑問をもったため、母校の関西学院大学の国際交流センターに転職しました。そこでは、学生の交換留学、インドネシア・セミナーを含め、いろいろな国際交流活動の立案、運営などの仕事をしていました。
国際交流センターで働いた後、院長室勤務のときに、アメリカのインディアナ州立大学に留学し、高等教育と公共政策の修士号を取りました。職場は休職して留学したので、一旦日本の職場に戻り、このまま日本にいるか、辞めて新しいチャンスをつかむべきかずいぶん迷いましたが、一年後に退職を決めたんです。その後JPOに合格し、国連開発計画(UNDP)の下部組織である国連ボランティア計画(UNV)に入り、当時本部があったジュネーブで2年間働きました。
UNDPは毎年150人ものJPOを受け入れる一方で、終了後に正職員になれる人は10人程度であり、生き残るのはすごく難しいんです。外務省に相談したところ、そのときにたまたま設置されたP3レベルの国連の競争試験を受けてみることを勧められ、受験して合格しました。入ったのは国連本部の経済社会局(DESA)の前身で、担当したのは社会開発、とくに貧困の問題でした。
Q.現在のお仕事について教えてください。
2004年の10月から国連本部の経済社会局・社会政策開発部で、社会開発と紛争予防・平和構築のリンケージの仕事に携わっています。社会政策開発部の仕事は1995年のコペンハーゲンにおける社会開発サミットの進捗管理で、1)雇用創出、2)貧困撲滅、3)社会的統合(social integration)という3つの柱があります。私の所属する課は、高齢者問題、青年問題、身体障害者問題、先住民問題、社会的不平等、などに取り組んでいますが、これは、社会における弱者を含め、すべての人を内包(inclusive)する社会を作るというという概念に基づいています。すべての人が参加し、彼らの意見が社会に反映さる社会を作ることが、結果的には、紛争予防や平和構築の第一歩になるという考え方です。
具体的には、社会開発委員会へのレポートを準備したり、イー・ダイアログや専門家会議の運営などをしています。例えば、宗教・カースト、民族等で差別を受けている人々や、移民、難民、大都市の貧困街など、社会的に疎外されているグループがいる限り、すべての貧困が撲滅できないわけです。もう一つは、そういう疎外されているグループ内に不平等や不公平に対する不満がたまっていると、何かのきっかけで紛争や、暴動に発展する。専門家会議ではNGO、アカデミア、シンクタンクなどの人を集めて、これまでの紛争予防や平和維持活動を社会的統合の観点から見て解明していく、ということをやっています。意外と、紛争の根本的要因は、社会的疎外(social exclusion/ marginalization) にあることが多いんです。アフリカや中東では、今後一層、青年層の失業が増えていくわけですが、こういった社会に参加できない大量の青年の存在は、このまま何もしないでいると、必ず紛争の火種になることは、容易に推察できます。そういう意味でも、この青年をいかに、紛争後の平和構築に引き入れていくかという専門家会議を11月にナミビアで開きます。
Q.これまでで印象に残っているのはどんなお仕事ですか。
一つは、ミャンマーで貧困基準の調査をしたときの経験です。首都だけでなく広く農村で活動をしているミャンマーの農業省、UNDPや日本のNGOであるオイスカと協力をしていました。そのときに驚いたのは、ミャンマーではジープに揺られて何時間もかけて行くような地方の農村でも、地方自治体の役人が博士号保持者であったりするのです。教育レベルの高い人たちを自国に留めている。また、ミャンマーの人権侵害が問題になり世界からの援助が止まったときも、自分たちで道路をつくり始め、無理に思えたような道路をがたがたとはいえ一年で完成させるんですよ。ミャンマーの人たちの、援助に頼らないで自分たちでやろうという自助努力の精神に感心しました。
もう一つは、アフリカでの経験です。私は現在の仕事の前に、6年間女性局で働いており、その間に、紛争に巻き込まれたアフリカ諸国で、平和構築のプロセスのなかにいかに女性の視点を入れていくか、という課題に取り組んでいました。女性はいつも紛争の被害者としてだけしか見られがちですが、実際には、命をかけて、紛争を終わらせるために奔走している女性がたくさんいるんです。そういった勇気のあるある女性たちや、草の根の運動を支援するために、トレーニングを実施する仕事をしていました。シエラレオネ、ギニア、リベリアや大湖地域(ルワンダ、ブルンジ、DRC、ウガンダ、タンザニア)などの国々です。紛争という悪夢の中、或いはその後に、女性のNGOがさまざまな活動を行っていました。
シエラレオネ、ギニア、リベリアでは、国境を越えて女性たちが協力し合い、内戦を終わらせるように大統領とかけあったんですよ。リベリアでは、紛争後の武装解除に女性が自ら乗り込んでいって交渉したり、ルワンダでは、女性たちが紛争孤児たちをフツ族・ツチ族にかかわらず一人ずつ引き取ろうという活動をしていました。戦争未亡人達の職業訓練や、レイプによりHIVに感染した女性たちのリハビリを行っていたNGOもあります。そうした女性たちに関わって、彼女たちの勇気と、次世代のために平和を築こうという決意に感銘を受けましたね。
Q.逆に、国連に入って大変だったことはどのようなことでしょう。
国連は多種多様な人がいて面白いところなのですが、中での足の引っ張り合いが結構あるんですよね。まじめに仕事をしているだけでなかなか昇進できないし、そういう人をたくさん見ています。また、上司が変わると、目をかける部下のラインも変わって、政治家の派閥争いのようなこともあります。できる人ができない同僚や部下から逆襲を受けて閑職に追いやられたりすることもありますし。そういう中で生き残り、昇進をしていくのはたいへんです。自分で幅広い人脈を築くよう努力しなければいけません。
Q.国連で日本ができる貢献についてはどうお考えですか。
開発分野と平和構築分野の二つがありますね。まず開発の分野では、日本の開発援助が“人づくり”や長期的な視点を持っていることはよいと思います。とくにアフリカでは、中でもフランス語圏の国々では日本の貢献を期待する声をよく聞きます。
以前は開発と平和構築の間には住み分けがあったんですが、冷戦後は二つの分野の垣根が無くなってきています。例えば、ルワンダは、開発の模範例とまでされていたんですが、ドナー側に紛争予防に対する配慮なく、民族問題に取り組んでこなかった当時の政府を援助したことが、結果的にに紛争を導く結果になってしまいました。社会的に疎外(social exclusion)されている民族の不満が蓄積し、何かのきっかけで紛争が起こると、これまでの投資が水の泡になる。紛争予防に配慮した開発(conflict sensitive development)の必要性が高まっています。一方、持続的な平和を築くためには政治的解決だけではだめで経済社会開発が必要です。
そういう環境の中で、日本は世界でもまれに見る平和推進国家であり、開発と平和構築のリンケージの部分でやれることは大きいと思います。人間の安全保障はまさにその部分だと思います。紛争予防するだけにとどまらず、「平和な社会を築くためには何が必要か」という考え方ですね。例えば、アメリカでは多種多様な人々が共存しているわけですが、それは偶然ではなく、コンフリクト(広い意味で「考えの違いから来る衝突」の意)を平和的に解決する(Conflict Transformation)メカニズムが機能しているからです。そのメカニズムが何かを解明することが、紛争予防、そして平和構築につながると思います。このような新しい分野で日本が活躍してほしいと思います。また、日本は政治的に中立的な国であることもあって、日本に期待する国は多いです。
Q. これから国連を目指す人へのアドバイスをお願いします。
是非、いろいろな方に国連にチャレンジしてほしいと思います。インターンシップやJPOなどの機会を利用して国連機関で働く機会を作ってください。現在はウェブサイトなどでも国連の情報は得られますが、中にいる人とコンタクトをとることが非常に重要です。
一方、NGOの活躍はめざましく、国連でなければできないことはほとんどありません。グローバルな課題解決に携わることはNGOや二国間協力でもできます。むしろ、緊急援助や紛争予防の分野で最前線で活躍しているのはNGOだといえるでしょう。学術界、NGO等で経験を積んで国連に入ることもよいと思います。
また、開発途上国に行き、現地を自分の目で見て仕事その他の経験を積んでほしいですね。英語だけでなく第二外国語を勉強すること、いろいろな国の人とダイナミックにかかわっていける強さも必要です。
女性にとっては、国連は日本の職場と比べると本当に働きやすいところです。賃金や出張などでまったく男女に差はありませんし、子どもを預ける託児所も国連内にあります。自分自身が密度を濃くして仕事をすれば、6時に帰っても誰も文句は言いません。子育てで仕事時間が限られるので、いかに有効に時間を使うかが勝負になります。その分雑談をする余裕が減ったり、長期のプランニングが必要になったりすることはありますけれどね。
(2006年7月5日、聞き手:谷香織、コロンビア大学にて国際関係学を専攻、幹事会事務局と勉強会担当。写真:田瀬和夫、国連事務局OCHAで人間の安全保障を担当、幹事会コーディネーター)
2006年8月24日掲載