第81回 赤澤 俊一さん 世界保健機関健康開発総合研究センター(WHO神戸センター:WKC) 情報通信担当官

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プロフィール

赤澤俊一(あかざわ・しゅんいち):京都市出身。高校時代にAFS制度で米国に留学し、ミネソタ大学教養課程を経てマカレスタ大学数学科・化学科卒業。ウィスコンシン大学(マディソン校)大学院コンピュータサイエンス学科で修士号取得。日本に帰国後、京都大学大学院医学・工学研究科在籍、1年間の富士通本社海外事業本部勤務の後、1982年2月からWHOジュネーブ本部に情報系専門官として約26年間勤務。2007年10月より現職。

Q. 情報通信という分野でWHOに勤務することになったきっかけを教えてください。

私がアメリカに留学していた当時、コンピュータが注目されはじめた時期でした。私も、これからはバイオ(生物)とコンピュータサイエンスの時代がくると思っていましたので、生化学か情報科学かの選択枝のうち、実験と暗記があまり好きではなかったので、結局この道に進むことにしました。また、アメリカでの生活がとても充実していたことや、素晴らしい指導教官との出会いもあって、アメリカで大学院まで進み、コンピュータサイエンスを学びました。

その後、日本に帰国し、地元の京都大学大学院の研究室に籍をおいて、某コンピュータ学院で講師のアルバイトをしながら、情報通信関連のよい就職先を探していました。そのときに、まったくの偶然なのですが、父の勤務する国立病院で、WHOから採用ミッションが日本にくるというチラシを掲示板で見つけたんです。当時日本政府は、国際機関で働く日本人を増やそうと、国際機関にかなり積極的に働きかけていたようです。その採用ミッションの中に、情報通信専門官のポストがあったため興味を持ち、当時日本で最初の糖尿病・WHOコラボレーティングセンター(WHOの協力機関として研究の実行や結果の提供をする)設立をめざしていた父の勧めもあり、海外の変わった環境で仕事をする魅力も感じて、試しに応募してみたのがそもそもの始まりです。

このように、もともとは情報通信の職探しをしており、保健分野で働きたいという強い思いがあったわけではありませんでした。その後、書類選考を通過し、厚生労働省で面接試験を受けて、幸いにも採用が決定したのですが、WHOからは、赴任国や時期は未定だと言われていました。しかし、案外早い段階で西大西洋地域事務局(Western Pacific Regional Office: WPRO、本部マニラ)からのポストのオファーがあったんですね。私は行く気でいたのですが、独身でのマニラへの赴任を両親に反対され、断念せざるをえませんでした。またもともと興味のあったワシントンやジュネーブのポストでも空席になれば、オファーがくるということでしたので、その間は民間で経験を積んでみたらという同級生(郵政省)の助言に従って、一年ほど日本の民間企業に勤めておりました。

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その後、WHO本部からオファーをもらい、ジュネーブに赴任することになりました。もちろんスイスもジュネーブもどんな所かまったく知らなかったわけで、赴任前は、冬はネスカフェの宣伝にあるツェルマット、夏は牛がいっぱいいるアルプスのハイジの高原の中の山村へ赴任するイメージでした(笑)。それが1982年新年の冬のことです。その当時、私はスキーにたいへん凝っていたこともあって、毎日スキーで通勤(笑)を想像していましたが、実際にいってみると、案外大きな街であったことに驚いたことを今でも覚えています。それでも、赴任後は、毎年40日近く滑って、スイス・フランス・イタリア・オーストリア・ドイツアルプスの息を呑む雪景色や絵本そのままの村々を観る機会に恵まれたのはたいへん幸運でした。ただ、1983年から合流した家内とスキーに投資し過ぎて、家計は自転車営業、貯金はぜんぜんたまりませんでした(笑)。(上の写真は自宅の裏庭からの景色。後ろにみえるのはフランス・ジュラ山脈。)

Q. WHOでの情報通信担当官としてのお仕事を教えてください。

情報通信担当官としての仕事は、WHOという保健・医療の専門機関でありながらも保健・医療の分野を専門的に扱うことはありません。また、国際機関におけるICT(Information and Communication Technology)の情報通信の仕事というのは、私が現在勤務する小規模な現オフィスでも、WPROのような地域事務局でも、また多くの職員が勤務するWHO本部であっても、規模は違いますが職務内容はほとんど同じです。WHOにおいては、すべてのオフィスで、トップの人間がいて、その下に二つの部門がぶらさがっています。一つは人事・経営・事業管理および監視・評価など事務的な機能を持つ総務系(Administrative)の部門であり、もうひとつは保健の分野を専門的に扱う技術系(Health-Technical)の部門です。この両方にICTの支援をすることが我々の仕事です。

具体的に言うと、現代における総務系(Administrative)部門で最も重要なものの一つは、経営管理・総務関係の仕事を円滑、効率的に行うための整備されたグローバルなICTシステムです。当然のことのように聞こえると思いますが、現在は国際機関に限らず、「統合業務管理システム(Enterprise Resource Planning:(ERP))」と呼ばれるICTシステムをあらゆる組織に導入することが主流になっています。例えば、民間企業では経営資源を効率よく運用して機能させるために、それらの流れや使途をERPシステムによって管理・監視・評価しているんですね。このICTシステムは、これまで国連システムではあまり有効に導入されていませんでした。例えばWHOは、これまで本部と地域事務局で全く異なるERPシステムを使っていました。しかし、WHOが掲げるグローバルな目標に向けて各オフィスが戦略を練り、それを実現するにあたり必要な「人・物・金・情報・プロジェクト」の行方を一貫的に管理するために、ここ数年で数十億ドルという投資を行い、すべてのオフィスを対象に統一されたグローバルERPシステムを開発し、導入しました。また、ジュネーブの国連コンピューターセンターで稼動するこのWHOグローバルマネージメントシステム(ERPシステムのWHO名)にアクセスするために世界のすべてのWHOオフィスや研究所(192か国にわたる)をつなぐグローバルプライベートネットワーク(GPN)の開発と管理をすることもICT部門の大切な仕事です。GPN上では、データ通信だけではなく、オフィス間の電話やビデオ会議も行われるので、MPLS(Multi-Protocol Label Switching)という最新通信技術を使って、通信信頼性や品質の詳しい管理も行われています。インターネットがベストエフォート(最善努力:通信事業者が品質に関する義務を負わない)な広域ネットワークなのに比べて、GPNは通信サービスレベル(帯域幅・レスポンス時間など)をアプリケーションの優先順度に応じて保障された広域ネットワークです。

また、保健分野の専門的な立場で活動する技術系(Health-Technical)の部門へのICT支援というのは、鳥インフルエンザやSARS (Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)といった感染症アウトブレイクなどの危機が発生した場合、技術系の部門から特定疾患や特定のイベントの情報管理、およびGIS(Geographic Information System:地理情報システム)などのICTシステムを開発したいという要請があることがあります。その場合、その技術系の職員と徹底的に話し合い、システムの要求条件をまとめ、内部で開発するか、または外注の場合は計画書を作成し、もっとも最適な開発業者を選び、概要・詳細設計を早急にうながし、開発サイクルの管理支援をします。

さらに、最近ではWHOの本部や各地域事務局にStrategic Health Operations Center(SHOC: 戦略的健康危機管理センター)が立ち上がり、自然大災害や流行などによるグローバルな健康危機の管理・対策本部の役割をするようになりました。そこには最先端のICT技術が集約しています。また、WHOコラボレーティングセンターとして全世界に3,000以上の大学や研究所がその指定を受けているのですが、それらのWHOコラボレーティングセンターとこれらのICTを通してつながりを強化することで、莫大な情報を共有したり、協力を推進したりすることができます。 また、各WHOコラボレーティングセンターに、これらのICTをどのように持続的に管理するかといったことへの助言も行います。

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ウェブサイトの管理も重要な仕事の一つです。基本的にウェブサイトというのは3つあります。インターネット(Internet)・ウェブ、エクストラネット(Extranet)・ウェブ、イントラネット(Intranet)・ウェブです。世界中からアクセスが可能な公開情報のウェブアプリケーションをインターネット・ウェブといいます。私たちが身近に使用しているYahooやGoogleなどがそうですね。WHO本部のインターネット・ウェブサイトはhttp://www.who.int/ にありますが、その他のWHO地域事務局やWHO研究所もそれぞれインターネット・ウェブサイトをもって世界に情報を発信しています。

エクストラネット・ウェブというのは、あらかじめ決められたパートナーとの間のみでのアクセスが可能なウェブのアプリケーションです。例えば、国連システムのエクストラネットというのは、国連システムに勤務する方たちのみがアクセス可能なウェブシステムのことです。どういうものがあるかというと、面白いものでいえば、国連システムには独自の年金制度があるのですが、そのエクストラネットに個人パスワードを使用してアクセスすれば、今まで毎年どのくらい年金を払ってきたか、今退職したら自分の年金がいくらであるか、あと数年働いて退職したらどれくらいの退職金や年金を受け取ることが出来るのか、退職する国によって条件がどう変わるか、自分が死んだら配偶者にどのくらい年金がでるのか、といったシミュレーションができます。

日本でも住民基本台帳ネットワークシステムなど個人情報がIC化されつつありますが、社会保険庁もこのようなシステムを導入するとよいと思います。個人的な意見ですが、国民背番号制にして、これらのシステムを導入して情報をICT化すれば、国民がわざわざ社会保険庁まで足労することなく、現在よりも問題解決がしやすくなるのではないでしょうか。また日本の医療・保健情報システムも各指定病院、公立・私立の大学病院・診療所・個人医院などがそれぞれ別々のシステムを使っていますが、中央で管理された統一されたシステムを導入すれば、保険点数の最適評価、医療の効率化、事故の防止、情報公開、大規模な疫学の研究促進、ICTコスト削減などが飛躍的に進むのではないでしょうか。情報セキュリティやプライバシーの問題がありますが、法的整備をして、第三者による監査システムなどを導入すれば、現在の暗号・電子証明書などの情報科学手法を使えば解決できるはずです。おもしろいことに、70年代以後、中央集権型の大型計算機の時代から、分散型中型計算機ネットワーク時代になり、パソコン、インターネット、携帯の時代に発展して、今、グーグルなどの「中央」化されたグローバルなサービス(Software as a Service: SaaS)の時代に入っています。上記のようなエクストラネット・ウェブサービスが国家レベルや国際レベルで可能になる土台は整いつつあります。

最後にイントラネット・ウェブですが、これはさらに規模が小さくなり、一つの機関やオフィス内でのみアクセスが可能なウェブのアプリケーションのことをいいます。WHOの場合、WHOの職員規則や、国・街別出張手当・換算レート、出張時の安心・安全心得、危機管理(例えばテロや地雷原や子供兵士に遭遇した時の心得)、キャリア開発のコース案内、労働組合の情報、会議場の予約システム、いろいろな申込書のテンプレート、フィットネスセンター、今日のカフェテリアのランチメニューまで、職員の仕事や生活に有益な多彩な情報やサービスが提供されます。

Q.特に思い出に残っているお仕事は何ですか?

WHOに勤務し始めた頃の80年代にイタリアのNIH (National Institute of Health)とWHOの共催で、イタリアの都市(ローマ・ミラノ・ヴェニス・シエナ・ペルージア・フローレンスなど)で7年以上にわたって、定期的に行われた情報通信のセミナーは、とても思い出に残っています。これは、当時はICT部門の支援は総務系が重要視されていたのですが、当時の私の上司が国際医療情報学連盟(IMIA)会長の開原成允・東京大学医学部中央医療情報部長・教授(当時)とたいへん親しく、彼自信も副会長を務めていたこともあり、これからは総務部門のみならず、技術系にも情報通信が重要になってくるという考えをもっていたことと、WHOの組織内だけのICTを充実させるだけでなく、加盟国へのサポートの重要性にも興味をもっていたことで開催されました。まずは、中開発国・途上国の保健省の幹部候補生を対象とし、ICTと保健について、その将来性などについても指導・助言しようという試みでした。

私は、このセミナーの準備から指導用教材作成、実際の講義までを担当する特別チームのメンバーに入れてもらい、今でもその上司にたいへん感謝しています。その時の参加者やその後輩が、何人も各国の重要ポストに就いてICT導入を積極的に進めていると聞いています。20年以上も前に行ったセミナーの意義がその後も活かされ続けられていると感じることができ、とても嬉しく思います。また、セミナー自体の運営はイタリアのNIHが行ったのですが、おもてなしの精神に溢れている上、とても美しい環境の中で行われました。それから、そのセミナーの仕事の延長としての各国への出張、特にセイシエルやスリランカへの小さな島国への出張、はとても印象深いですね。仕事のみならず、異文化に触れ、多くの出会いを経験し、素晴らしい方々と接することができたのは80年代のこの時期だったかと思います。

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Q.国際機関で情報通信の仕事をする魅力は何でしょうか。

90年代に入ってインターネットの時代が始まります。初め数回のINET国際会議の頃は、一部研究者を除いて、世の中で誰もインターネット通信技術の存在を知りませんでしたし、ウェブはジュネーブにあるCERN (Conseil Europeen pour la Recherche Nucleaire: 欧州原子核研究機構)で生まれたのですが、1994年CERNで開かれた第一回WWW(World Wide Web)国際会議参加者はたった300人だけでした。CERNのウェブ開発研究者、当時、全く無名だったTim Berners-Lee(現在はMITのW3Cの所長で、2004年にエリザベス女王から大英帝国勲章授与)と彼のグループが、我々ジュネーブにある国際機関の有志にウェブ技術のデモ(オンライン・デモンストレーション)をした後、CERNのフランチレストランへ招待してくれて、一生懸命ウェブ技術の宣伝・促進をしたのをまだよく覚えています。その時、これは「すごい」、インターネットが変わると個人的には思いましたが、世の中では人知れず、彼らが熱心に「宣教」していたのが、おもしろいコントラストでした。

このようなインターネットを実用化した米欧やアジアの最先端の研究グループと接する機会に恵まれて、その後のWWWやINET国際会議などにもWHOのICT担当職員として参加、大変啓発されました。誰も知らなかったインターネット通信技術やウェブという研究者の極めて特殊な研究が産声を上げてから、劇的にグローバルな情報通信基盤として世界制覇する過程を目の当たりし、とても興奮したことを覚えています。それらの最先端のグローバルな技術を有効に利用し、新興・再興の疾病を問わず国際保健の課題の解決のための使命をもつことは大変有意義で魅力的ですし、その責任を幾分でもまっとうしてきたと考えています。NET94では、保健・医療分科会の議長をしたり、有志とWHO本部のインターネット・ウェブサイトを国際機関でもいち早く立ち上げ、重要・優秀サイトの評価も受けました。このような活動を通じて、歴史的な、画期的なイベントの渦に参加している感覚を味わえたのは、魅力的な瞬間でした。

仕事をする上で、情報通信に対する純粋な好奇心に加え、国連の保健・医療における専門機関で働くというアイデンティティの両面を持ち合わせてきました。私は、WHOに入ったときには保健・医療というものに強い関心があったわけではありませんが、仕事をしながら興味が非常に深まっていった気がします。

2000年代に入ってからは、情報セキュリティ分野の仕事に従事しました。情報セキュリティ・ポリシーを草案したり、セキュリティ監査で地域事務局を廻ったり、ISO27000という情報セキュリティマネージメント国際標準に準拠するWHOの規格・枠組みを草案したりしましたが、文化や価値観の違う本部内部、各地域事務局やその担当スタッフらの統一的見解・公式同意に達する難しさをしみじみ感じました。そのなかで、最近のグローバルERPやGPNのような統合情報通信システムや「Web2.0」と呼ばれる新世代のウェブ技術が、今後、国際機関をどこまで効率的・効果的な仕組みにできるのか、今興味津々で見守っています。もしうまくいかなければ、更に新しいICTの技術革新を待たなければならないかも知れません。唯一つ言える事は、国際機関でICTの重要性が益々増していることです。すべての活動で、そのグローバル性のゆえに、ICTなしでは、国際機関の存在はありえません。

Q.グローバルイシューに取り組むために日本が若い世代のためにできることについてどうお考えでしょうか。

グローバルなコミュニケーションの手段である「言葉」、特に「英語の力」、は大前提として必要です。スポーツと一緒で世界に通ずる力は、できるだけ若い頃に養うにこしたことはないため、若者が今よりずっと若い頃から海外にでていく機会を政府がつくらないといけないと思っています。宮里藍や石川遼のゴルフスィングは、10代の前半かそれ以前から猛練習しなければ生まれません。サッカーではジュニアやU19日本代表が国際試合にでています。かなり思い切った新しい教育システムの導入が必要なのではないでしょうか。例えば、優秀な子どもについては、小学生を5年、中学高校を5年で済ませて、余った2年を国費海外留学できるようなシステムを日本でつくったらいいのではないかと思います。欧州では、スイスやデンマークなどの小さな国も国際的に活躍しています。このような国も含めて、多くの有力な先進国では5%のエリートが残りの95%を引っ張り支えるというのが普通ですが、日本も将来的には「残りの95%を支えうる責任感のあるinternationalなエリート」を増やすシステムを導入できれば、地理的にも文化的にも孤立したこの極東の島国でも、より国際的に活躍・競争できる国に変貌していくのではないかと思います。また、現在でも、帰国子女も含めて、将来を支えかつ国際的に活躍できる優秀な日本人の若者はたくさんいます。彼らが国際的に活躍できる場はもっとあると信じています。その手助けを日本政府や地方自治体にしてもらいたいと思います。

小さい頃からの外国語教育についてその是非を討論されていますが、いろいろな選択枝をいろいろなコミュニティで挑戦して試せば、歴史がどのシステムが最適か証明してくれると思います。ただ言える事は、「言葉」は、身体で覚えないといけないという事です。その土地にいったり、住んだりしないと本当に身につかないのは確実です。

国際機関という分野に限って言えば、「英語力」以外に「フランス語力」が必要です。歴史的理由で、開発国のほとんどは、母国語以外に、英語かフランス語を使います。国際機関本部の多いジュネーブもフランス語圏ですし、WHO職員の公募にも、ほとんどの場合、英語とフランス語を使える能力をうたっています。ついては、日本政府に少なくとも一部の優秀な学生に対しては、若いときからのフランス語教育の充実も図ってほしいものです。

また、近年特に、「グローバライゼーション」の余波か、英語が母国語の「旧大英帝国植民地(カナダ、アメリカ、英国、アイルランドからオーストラリア、ニュージーランドまで)」の人々が国際機関の重要ポストをたくさん握って人事などたいへん影響力を持っています。それに対抗する手段を、日本の優秀な若い人にもっとチャンスを与えるために、日本政府に講じて頂きたいものです。

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Q.将来、グローバルイシューに取り組むことを希望している若者へのメッセージをお願いします。

「international」「国際」というのは「国と国との間」「国の際」と言う意味であり、internationalに活躍するためには、国同士が相対するときの緊張をうまく処理する外交力、友好の可能性を探ることのできる創造力、他国を代表するような優秀な人と勝負できる競争力、を持っていることが条件です。それを身につけるために若い頃から自覚を持って鍛錬して欲しいと思います。また、できるだけ海外に出て、目と身体で異文化の世界を見たり感じたりすることが、internationalに活躍するために必要な「勘」や「体技心」(「心技体」よりもまず健康で強靭な体力からという意味で)を育てるのにとても効果があると思います。ですので、まだ海外に出ていない若い方は、思い切って外の世界を体験、「海外遠征」してもらいたいと思います。外国にでれば、自分が日本人だ、「日本代表チーム」の一員だ、という事を身にしみて思い知らされるものです。国家が基本だからこそ、世界の少数民族も、みな命をかけて自分の国を作ろうとし、大切にするのではないでしょうか。

(2008年4月25日。聞き手:忽滑谷諒子、関西学院大学法学部。写真:堤敦朗、先端医療センター・元WHO災害精神保健担当官、幹事会。写真2枚目、赤澤俊一)

2008年7月28日掲載