第112回「医師が国連外交を担う時」

  • 日時:2017年5月23日(火)19時00分~20時30分
  • 場所:コロンビア大学ティーチャーズカレッジ図書館 306室
  • 講師:鷲見学氏(国際連合日本政府代表部参事官)

講師経歴:鷲見 学(すみ まなぶ)氏

名古屋大学医学部、ハーバード大学大学院卒業。医学博士。公衆衛生学修士。 医師として医療現場に従事した後に厚労省へ入省し、診療報酬改定等を担当。環境省への出向を経て、2003年にハーバード大学へ留学し、MPH(公衆衛生学修士号)取得。その後厚生省に戻り、食品安全部基準審査課、障害保健福祉部精神・障害保健課、大臣官房国際課を経た後に、2008年よりWHO(ジュネーブ)に出向、総務局渉外担当医官として勤務した。帰国後は、厚生労働省健康局がん対策推進室長、食品安全部国際食品室長を経て、2014年より、国際連合日本政府代表部/経済部にて参事官として、保健分野や水、衛生分野を中心とした開発分野の交渉に従事。

■1■ はじめに

今回の勉強会では、鷲見学さん(国際連合日本政府代表部参事官)をスピーカーにお招きし、「医師が国連外交を担う時」と題して勉強会を開催しました。

鷲見さんは医師であり厚労省職員、現在はニューヨークの国連代表部で外交官として勤務しています。そのキャリア構築の過程でハーバード大学で公衆衛生修士号を取得したり、ジュネーブのWHOに出向したりと、文字通り世界を舞台に活躍しています。

順風満帆だったわけでは必ずしもなく、それぞれの場所で様々な課題に直面し、それを熱意と行動力を持って乗り越えてこられたことを今回の勉強会を通じて知ることができました。保健という人の生命に直結する分野を担当し、国連代表部に着任した当初にエボラ出血熱の流行が起こるなど、解決しなくてはならない課題が降りかかる中、一つ一つの課題に真摯に取り組まれた臨場感あるお話に参加者一同聞き入りました。また、鷲見さんの後進の指導に熱心な人柄が感じられる勉強会でした。

当日は40人超の参加者が集まり、現在の保健を巡る世界の動向から鷲見さんのキャリア構築まで様々な質問が投げかけられ、その後の懇親会も含め大変楽しい時間となりました。

以下の議事録の内容については、所属組織の公式見解ではなく、発表者の個人的な見解である旨、ご了承ください。

■2■ 自己紹介

私は国家公務員である医系技官。医学部に入学した中で医系技官になるのはわずか0.1%、つまり1000人に一人しかならない珍しい存在。医学部の一学年は100人であることから医系技官になるのは10年に一人ということになる。なぜ医系技官を目指すことになったのか、そのきっかけから話を始めたい。大学の卒業が近づき、臨床実習をしながらどの診療科で働こうか考えていたときに、臨床だけでなく基礎医学、社会医学、医療訴訟、医療工学など色々な選択肢を机の上に置いてみた。30年後に生き生きと働いていたいと思ったのもこの時だった。そのようなことを考えながら様々な先輩からお話を聞いた際、厚生省(当時)の先輩のエネルギッシュに働く姿に惹かれ、もし自分に合わなければもう一度研修医として一からやり直せば良いと、思い切って厚生省に入ることを決めた。

厚生省に入省し診療報酬改定に携わった後に、環境省に出向しオスのメス化を引き起こすとされた環境ホルモンなど化学物質に関する仕事を行った。その後、留学の機会を得て、ハーバード大学公衆衛生大学院の修士課程に留学した。帰国後は、厚労省に戻り、食品安全の分野でアレルギー表示に携わるとともに自殺対策などを行う精神保健分野に携わることになった。国際保健の分野では、洞爺湖主要国首脳会議(G8サミット)を担当。保健をG8の議題にどう入れ込んでいくか奮闘した。現在、日本がG8/G7サミットを主催する時には必ず保健が議題として入るようになってきている。その後,世界保健機関(WHO)では渉外担当として官民連携等に携わった。帰国後はがん対策に取り組み,欧米では乳がんや子宮がんの罹患率が下がっている一方で日本では減少が見られないという現状を踏まえ、がん検診受診率の上昇等に取り組んだ。その後環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の食品安全分野の厚労省の代表として関わった。

■3■ 世界保健機関本部勤務時

37歳の時に政府から派遣する形でWHOに出向した。厚生労働省ではガイドラインを都道府県や市町村等に発信していたが、WHOではガイドラインを加盟国に発信するとともに、それらを策定するそれぞれのプロセスなど、WHO本部の仕事と厚労省の仕事は同じ種類のものだったと感じる。

初めて英語で仕事をしたこともあり、当初、幹部へのブリーフィングのための資料作成などにおいて厳しい指導も受けたが、厚労省での経験を振り返りながら、自分なりのスタイルを確立して途中からうまく盛り返すことができたのではないかと思う。

WHOでは、External Relations Officerとして勤務していた。20年程度前の日本からのODA拠出額が潤沢だった頃は日本の拠出金を適切に管理すれば良かったが、自分が着任したときには日本のWHOへの任意拠出金は大きく減少していたため、自分の価値をどのように出すべきか四苦八苦した。そこで注力したのは、企業との連携の模索である。エーザイからフィラリアという熱帯病に対する協力を取り付けることが出来たことが大きな成果だった。

また,ジュネーブで驚いたのは、ワークライフバランスの良さである。ジュネーブには自然が多く、素晴らしい環境で質の高い仕事に携わることができた。現在の日本では東京でしかできないような仕事が自然豊かな東北でできるような感じであり、ワークライフバランスがとても良いと感じた。自分自身は慣れない仕事だったこともあり着任当初は毎日仕事が夜の9時、10時までかかっていたが、驚くことにその時間になると誰もオフィスにおらず、遅くまで職場で一人で仕事をしていると、何か悪いことをしているのではないかと思われてしまうぐらいだった(笑)。業務時間が終了すると早々と帰路についたり、仕事の締め切りを守らないまま休暇に入ってしまう同僚たちをみて、責任感がないと思ったこともあった。さらに、ジュネーブで暮らすこと自体が目的になっている同僚もいるのではないかという疑問ももったことがある。しかしながら、今振返ると、それらを差し引いても能力の高い人を集めることができる組織には大きな魅力があるのも事実であると感じた。また、働き方を含め文化や言葉が違う人たちとどのように良い仕事をしていくか大変勉強になった。このようにWHO出向中の3年間は様々なことを勉強でき自己の成長につながったと感じられた。

■4■ 国連日本政府代表部での仕事

現在は、ニューヨークの国際連合日本政府代表部(以下、代表部)に参事官として勤務している。日本政府(東京)が適切に判断できるよう、代表部の分析を含めながら必要な情報を適時適切に伝えることが大切な仕事である。今回の業務を通じて外務省と厚労省の仕事の違いを感じた。厚労省の仕事は良くも悪くも医療現場等で施策の影響が出るため成果が分かりやすいと言えるが、外務省の仕事は形としては見えにくい信頼を得たり国力を築くといったものである。こうした取り組みは相手に伝わらないと意味がないため、広報活動も非常に重要な業務である。

エボラ出血熱流行の対応にも取り組んだ。エボラ出血熱流行が政治分野を含め様々な分野へ影響するとともに、西アフリカ(リベリア、ギニア、シエラレオネ)における文化や風習がその流行に関与していることなど情報収集を行った。この業務を通じて、一つの問題を様々な視点から分析するいい訓練となり、貴重な学びの場となった。また、当時エボラ出血熱に関する記事が毎日の新聞で数ページにわたっており、それを毎日読み通すことにより,欧米のメディアの報道の質の高さも感じることができた。

現在担当している国際保健の分野では、健康危機管理、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(全ての人が、基本的な保健サービスを、支払い可能な費用で受けられることのできる制度)、HIV/AIDS、結核、コレラ流行(ハイチやイエメンなど)などの感染症、生活習慣病などの非感染症を担当している。

また、国連児童基金(UNICEF)やUNFPA(国連人口基金)を担当し、執行理事会対応をするとともに、財政的貢献だけでなく知的な意味で貢献することも重要である観点からこれらの機関で活躍する邦人職員の支援も大切な仕事である。

人口開発も担当業務の一つである。一昔前の人口開発分野の仕事は人口爆発に関連する課題への対応が中心であったが、現在は女性の人権問題と深く関連した活動が多く、特にSRHR(Sexual and Reproductive Health and Rights:性と生殖に関する保健と権利)については、種々の決議案交渉においても常に議論の的となる課題である。また、統計委員会も担当分野であり2030アジェンダの指標をつくる仕事を担当している。

国連の仕事は、「世界の足場作り」という言い方ができると思う。例えば、急にシリア情勢を改善させることができるわけではないけれども、加盟国により決議を採択することにより、世界が少しずつ解決に向かうための足場を作っていると言えるのではないかと思う。また、財政的貢献だけでなく知的な意味で貢献することも重要であり、その観点で国連で活躍する邦人職員の支援も代表部の大切な仕事である。

総理や外務大臣などが国連に出席する際の対応も重要な仕事である。今年の国連総会には厚労大臣が初めて出席した。また、二年前には皇太子殿下が、自分(鷲見)が担当する水と衛生に関する諮問委員会にご出席されたが、皇太子殿下のご対応ができ、大変光栄だった。

WHO勤務時にはジュネーブだったので今回のニューヨークの経験との違いを述べたいと思う。国際保健の中心はジュネーブであるという認識がジュネーブの国連職員や政府関係者にはあり、ジュネーブでは保健政策の重要性・優先性は所与のものである。一方、ニューヨークでは,テロや移民・難民など,その時々で様々な議題が提案される中で、保健に限らずそれぞれの議題の重要性について所与のものとはならず再度議論することになる。それこそがニューヨークでの議論の難しさであり、面白さでもあるが、多種多様な議題がある中でどのように保健問題を売り込んでいくのか工夫が必要である。

■5■ 国際保健と外交

国際保健は以前に比べてますます重要になってきている。1993年の世界銀行の世界開発報告書をきっかけに、世界エイズ・結核・マラリア対策基金や、ワクチンと予防接種のための世界同盟(GAVI)等様々な主体が出現するとともに、外交においても国際保健の重要性が増してきた。同時に、ミレニアム開発目標が作られた時から国際保健分野での進展があったからこそ、2030アジェンダにおいては国際保健以外の分野にも目が向けられるようになったとも言える。国際保健分野で、日本への期待は大きく,昨年の伊勢志摩G7サミットやTICAD(アフリカ開発会議)でもユニバーサル・ヘルス・カバレッジや健康危機管理を重要議題として取り上げた。世界中で高齢化が進む中で,日本の国民皆保険制度の行く末は世界のバロメーターとも言われている。

■6■ 若者へのメッセージ

公衆衛生分野においては、世界の状況を適切に把握しないことには、日本においても適切な施策も打てない時代である。科学的な見解もあくまでその時その時でのコンセンサスでしかないのだ。だからこそ、「誰が」「どこで」「どう」そのコンセンサスを決めているのか知ることは、我が国の施策を打つ上で非常に重要なのである。

また、仲間(ネットワーク)をつくることも重要である。留学した時には公衆衛生分野で活躍する同級生たちに勇気づけられた。公衆衛生の問題を解決するには、他分野との連携は必須であり、そうした他分野との調整こそが公衆衛生の真髄であると、自分の20年間のキャリアの中で気がついた。公衆衛生分野における経験や知識はもちろん必要であり、それがなければ仕事はできないが、それに加えて粘り強く対応する情熱が大切であると思う。

日本への期待としては、世界のトップが集まるG7等の場で公衆衛生の重要性と方向性を打ち出すことだ。日本の好感度の高さをいかしつつ、日本人特有の強い責任感などの強みを発揮しつつ、コミュニケーション下手などの弱みを克服しながら,世界の場で活躍する若い人たちが出てくることを期待したい。

強靱力(レジリエンス)、サバイバル力をつけることは国際的な場で活躍する上で必要である。自己肯定感を持つことや、新しい環境への適応力、安定した人間関係を構築する力などがこれらの力をつけるのに役立つだろう。また、自己肯定感とも関連するが、社会に貢献している,と感じられることも大切だ。また、自分をコントロールするために、運動するなど気分転換できる生活習慣を持つことも大切である。

最後に若い人へのメッセージとして言いたいことは、「リーダーシップは若い時から発揮できる」ということである。上にならないとリーダーシップを発揮できないということはない。最終的に決定する権限がある人に対してアプローチをして正しい決定がなされるよう働きかけることは若い時からできるのである。また、留学中はあまり理解できなかったけれども、多様性がとても大切であると今は分かる。多様性がある強みは物事を様々な視点から検討できることにあると思う。ただし、多様性がある環境の中で物事を進めるためには強いリーダーシップも同時に必要であり,それがなければ物事は決まらないのも事実である。自分が進むべき方向を定めることも重要だ。多忙な日々を送っていると方向性を見失いがちであり、時に正しい方向に進んでいたつもりがいつの間にか間違った方向に進んでいることもある。常に自分が向かっているベクトルが正しい方向に向かっていることを確認するために立ち止まることも重要である。

キャリア戦略における環境の重要性についても述べたいと思う。目の前のキャリア戦略も有効ではあるが、より大切なのは実力がつく環境に自分を置くことだ。自分もまだもちろんキャリア構築の途中であるので偉そうなことは言えないが、短期的な損得の視点や目の前の金銭的視点でキャリアをつくるのではなく、長期的な視点でキャリアを築くことを目指したほうが、結果的に自分自身も満足できるキャリア構築ができるように感じる。

■7■ 質疑応答

質問:数年ごとに幅広い分野でお仕事をされてこられたが、短期間でどのようにしてスキルを得て、成果を出してきたのか?

回答:自分は幅広い分野に関わったといっても、基本はすべて公衆衛生に関連する分野だった。公衆衛生分野に共通する経験や知識を得る努力をするとともに、個別の分野に特有な知識や経験、ネットワークを構築しながら仕事を進めてきた。また、今の日本の省庁における人事異動システムでは簡単ではないが、自分の学習曲線とアウトプット曲線に時間的にずれがある中で、意識すべきことはアウトプットをできるだけ早くだせるよう努力することだ。

質問:がん対策など政策立案の場で働いてきた中で、医療現場と政策とのギャップはうまってきていると思うか?

回答:医療現場と政策とのギャップは常に指摘されている課題であるが、そのギャップを埋める試みがなされている。2年間程度医療現場から医師が人事交流という形で派遣されてくるのもその試みの一つである。また,その分野の医療関係者や患者・患者家族からヒアリングする機会もできるだけつくられている、と理解している。一方で,医療現場を知っているとする医師であっても,すべての医療現場を知っているわけではなく,例えば,都市部の医師が地方の医療現場を必ずしも理解しているわけではない。このため、自分がすべての医療現場を知っているわけではない、と謙虚に認識した上で、様々な人達から医療現場の実情を伝えてもらいながら、最大限の想像力を働かせてギャップをうめていくことが大切ではないかと思う。

■8■ さらに深く知りたい方へ

このトピックについてさらに深く知りたい方は、以下のサイトなどをご参照ください。国連フォーラムの担当幹事が、勉強会の内容をもとに下記のリンク先を選定しました。

● ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ・デー 12月12日
http://uhcday.jp/   

● 国際連合(国連)日本政府代表部ホームページ
http://www.un.emb-japan.go.jp/jp/

● 医系技官とは | 厚生労働省 医系技官採用情報
http://www.mhlw.go.jp/kouseiroudoushou/saiyou/ikei/pages/what01.html

2017年7月31日掲載
企画リーダー:中島泰子
企画運営:原口正彦、三浦弘孝、西村祥平、天野彩佳、洪美月
議事録担当:原口正彦
ウェブ掲載:中村理香