第32回 「平和構築における民軍関係」

上杉 勇司さん
広島大学大学院国際協力研究科助教授 

藤重(永田)博美さん
日本国際問題研究所 研究員

2007年2月6日開催
於:ニューヨーク日本政府国連代表部会議室
国連邦人職員会/国連日本政府代表部/国連フォーラム共催 合同勉強会

写真①

■1■ 統合ミッションにおける人道ジレンマ 【上杉さん講演部分】

はじめに

平和維持活動および平和構築の分野においては、日本の研究者・学界は現場・実務者からかなり離れていて、現場のオペレーションと理論のギャップを感じることが多い。どのように両者を「つないで」いくのかが課題である。

1.統合ミッションとは何か

近年の国連ミッションの多くが統合ミッションという形を取っている。統合ミッションが増えた背景には、国連が内戦後の混乱状況における新たな国家づくりに関わるようになり、そのために必要とされる法の秩序や行政機構を確立するために、従来のような平和維持だけでなく平和構築にも携わるようになったという事情がある。このような状況の中で、より良いミッションにするための試行錯誤の結果、統合ミッションという形が取られるようになった。

2000年に発表された「国連平和活動に関する委員会報告」(「Report of the Panesl on United Nations Peace Operations」、通称ブラヒミ・レポート)内にもIntegrated Mission Task Forcesという形で統合ミッションの概念にふれている記載があり、アフガニスタンで実施されたUNAMA(国連アフガニスタン支援ミッション)は初の統合ミッションとされている。

統合ミッションは、2006年2月9日の国連メモ(「Note of Guidance on Integrated Missions: clarifying the Role, Responsibility and Authority of the Special Representative of the Secretary-General and the Deputy Special Representative of the Secretary-General/Resident Coordinator/Humanitarian Coordinator, 17 January 2006, which was endorsed Note from the Secretary-General Guidance on Integrated Mission on 9 February 2006」)において、次のように定義されている。「統合は、紛争後の状況下での複雑な国連活動を企画・実施する際の原則であり、平和構築の異なる局面(政治、開発、人道、人権、法の支配、社会、治安)を一貫性のある支援戦略へと結びつけるための指針である。(中略)国連システムは、この統合化の過程を通じて、異なった取組みの相互補完的な関与を実現し、紛争から立ち上がってきた国家への支援を最大化することをめざす」(「統合ミッションについての手引き」より)

国連平和活動、特に平和構築において、一貫性のある、かつ最も効率的な活動を進めるための包括的な取組みとして、統合ミッションが採用されるようになった。この取組みは、国連平和活動の組織変化にも具体化されている。

(1)伝統的国連PKO

伝統的な国連PKOでは、文民・軍事部門が共に軍司令官の指揮下にあり、和平交渉のセッティング、和平交渉などの政治的活動を国連事務総長特別代表(SRSG)が担っていた。平和維持軍による活動とSRSGによる政治的活動は、互いに関連してはいるものの、一つの戦略の下に行われていたわけではなかった。また、SRSGは必ずしも現場に赴任せず国連本部にて作業を進めることもあり、現地では軍司令官が国連の代表を務めることが多かった。国別チームと称される国連の各専門機関はPKOの枠組みの外で各々の活動を行っていた。

(2)複合型国連PKO

冷戦が終わると、カンボジアなどでみられるように、SRSGがミッションの代表として現地に赴任する複合型PKOが確立された。複合型PKOでは、SRSGの下、軍司令官が軍事部門、次席国連事務総長特別代表が文民部門を統括するようになった。しかし、文民部門の人権・警察・選挙などにおいては、国連の専門機関はミッションの中に組み込まれることなくなく、別個に活動が行われていた。カンボジアにおける難民支援の場合はUNHCRとUNTACが密接な関係にあったが、必ずしも一つの戦略の下で活動していたわけではない。 

(3)統合ミッション

従来PKOミッションの枠外で国連の専門機関による活動を統括していた次席国連事務総長特別代表がSRSGの指揮下に入り、PKOミッションの中に国別チームの活動が統合された。シエラレオネやブルンジでは、より効果的に現場での活動を統合するため、SRSGの代わりに国連事務総長執行代表(Executive Representative of the Secretary-General)がトップに立ち、国連人道調整官(Humanitarian Coordinator)および国連常駐調整官(Resident Coordinator)を兼務して国別チームの活動とミッションを指揮している。

2.人道的ジレンマ

統合ミッションにおいては、安保理決議に基づいて政治的な使命を受けたPKOと、政治的中立性を原則の一つとする人道的活動を統合したことによる、いわゆる人道的ジレンマが生じている。

(1)民軍調整の指針

人道援助の観点からはできる限り非政治的な活動を行うことが目的とされる一方で、国連の統合ミッションには安保理の決議に基づいた命令・権限(マンデート)が与えられる。例えば、選挙の日程が安保理において政治的に決定されている場合、選挙実施までにできるだけ多くの難民を帰還させることが政治的な要請となる。他方で、人道的な観点から難民帰還は時期尚早であると判断されれば、それは政治的要請と対立することになる。統合ミッションの建前は、一つの戦略の下、平和構築の異なる局面に関する活動を協同して行っていくことである。一方、ミッションの政治的要請と人道的要請の対立点をいかに回避していくかは大きな問題であるが、これに関する新たなガイドラインは定められていない。既存のMCDAガイドライン(Guidelines on the Use of Military and Civil Defence Assets in Disaster Relief)には民軍調整(civil military coordination)の概念に基づき、これらの問題にどう対処していくかが記載されている。それによると、人道的原則を擁護することを前提に活動するとあるが、人道的原則と政治的要請が対立してしまった時にどうするかは明確に記されていない。

(2)人道援助の三原則

人道援助には、(1)人道主義、(2)政治的中立性、(3)不偏不党性(非差別)の三原則があり、これに基づいて6つの基準が定められている。すなわち、(a)軍事的資産の使用要請は人道上の配慮のみに基づいて決定する、(b)軍事的資産は最後の手段として、緊急の人道的ニーズを満たすために利用される、(c)たとえ軍事資産を利用しても、それは軍事的資産が文民の指揮統制下に入ることを意味しない、(d)人道的援助は人道援助機関が実施しなくてはならない、(e)軍事的資産を利用する際には、予め期限と規模、文民への移譲計画を明らかにする、(f)人道活動を支援するために軍事要員を派遣している各国は国連行為規範と人道原則を遵守しなければならない、である。

しかし、これらの基準のうち、はじめの三点については、統合ミッションの枠組みの中で実現しようとすると無理が生じる。なぜなら、

  • (a)軍事的資産の使用要請は政治的な当局からではなく、人道調整官・常駐調整官が人道上の配慮のみに基づいて決定するとあるが、統合ミッションにおいて最高決定権を有するのは政治的な存在であるSRSGであり、国連のミッションとして派遣されている以上、政治的配慮が多々必要になり、純粋に人道的配慮のみに基づいた決断を行うのは難しい。
  • (b)軍事的資産を利用するのは最後の手段であり、緊急の人道的ニーズを満たすためのみに許されるとされている。しかし、統合ミッションの目的は往々にして国連支援の最大化、効率化、あるいは相乗効果の拡大を目指すことであり、また和平合意締結後、通常の開発援助活動を行うまでのギャップを埋めるものであることが多い。このため、最後の手段や緊急のニーズを満たすため以外にも軍による支援活動がなされる場合がある。
  • (c)人道援助機関が軍の協力を得たとしても、軍は文民の指揮統制下には入らないとあるが、統合ミッションにおいては、SRSGによって指揮が一本化されるため、軍事部門も文民の統制下に入ることとなる。

(3)人道的空間

なぜ人道援助の機関が人道援助の三原則を尊重するのかというと、支援を必要としている人々のもとへ援助を届けるためには人道的空間が確保されていなければいけないという大前提があるからだといわれている。人道的空間とは、自らの活動において中立性と不偏不党性を保ち、軍との明確な区別を維持する事で確立される。例えばA-B間で紛争がある場合、人道援助機関はABを区別せず援助するということである。
しかし、コンゴやハイチでは通常の人道援助機関が治安上の問題でなかなか活動できない状況があり、そこで人道的空間をどのように作れば良いか、ということが問題になってきた。最近では文民の保護を国連PKOの任務とするケースが出てきた。文民保護は人道援助機関の重要なミッションのひとつであり、それをPKOが担うとなると、PKO軍と人道援助機関が共通の目的を持つこととなる。このような状況下で、双方が協力することの方がより多くの現地の人々を救えるのか、あるいは人道援助の原則を優先することの方がより多くの人々を保護できるのか、という決断を迫られる事例が増えているが、人道援助機関の人々に話を聞いたところ、現時点では明確な解決策はなく、ケースバイケースで進められているとのことである。

(4)最近の国連平和活動

国連平和活動の九割が国連憲章七章による行動を許され、そのうち七割が文民保護の任務を与えられている。人道援助に携わる文民が人道的空間を確保できない状況下で、どのように人道部門と軍事部門が関わり合いを持っていくかという問題が浮上している。

3.討論のための質問

(1)国連平和活動の政治的要請と人道的要請との対立を解決する統合戦略とはどのようなものか。
(2)人道援助機関をそもそも統合ミッションに含めるべきなのか。
(3)統合ミッションというアプローチは文民の保護に有効か。
(4)援助の効率性と中立性の維持とではどちらを優先すべきか。また、自らの安全確保と中立性の確保ではどちらを優先すべきか。
(5)住民の目に映る「中立性」とはどんなものか。住民からは、文民も軍も「外国人」という同じくくりで見られているのではないか。

4.実務家と学者の統合ミッション

日本の研究者が持っている問題意識は、現場の実務家の問題意識とずれていることが多い。また、実務家は日々の問題を解決することに忙しく、体系的に問題を振り返る時間を取ることが難しい。今回のような勉強会を通じて、実務家と研究者を統合し、両者のギャップを埋めていきたい。また、大学の教授陣が現状についての講義を行うことで若者がこの分野に関心を持ち、人材が育成されていくことに期待したい。

■第2部 平和構築と治安組織改革(Security Sector Reform: SSR)【藤重さん講演部分】

1.Security Sector Reform(SSR)の台頭の背景

(1)紛争解決の手段としての国家再建

冷戦後、内戦が多く勃発し、国家が破綻したり、正常に機能しなくなったりする状況において、国家機能をどうやって再建するかが問題となったことから、SSRというアプローチが生まれた。国家の再建には治安を確立することが最も重要である。紛争を解決するためにも、持続可能な平和を構築するためにも、治安の維持は欠かせない。冷戦直後にはSSRの重要性が十分に認識されておらず、いったん多国籍軍によって治安が回復されると、治安維持権限をすぐに現地政府に引き渡してしまうことが多かった。しかし、そもそも内戦は治安組織に問題があり、治安を維持することができなくなったことを直接的な契機として起こるもので、その治安組織の問題を解決しないまま治安維持を現地政府の手に委ねても、再び紛争が起こってしまう可能性がある。

内戦の原因となるような治安組織の問題としては、警察による捜査の方法が確立されていないなどの技術的な問題だけでなく、体質的な問題が大きい。たとえば、警察官や軍そのものが罪を犯すなど、市民の信頼を得られていないケースが多い。また、単に気に食わないからという理由で警察や軍が市民を攻撃し、些細な事で拘留したりリンチしたりすることもある。さらに、内戦が起こるような地域では、国民全体を代表する警察や軍が存在していない事が多く、それぞれの宗派や民族ごとに軍が存在したりする。たとえばボスニアでは、セルビア、クロアチア、ムスリムが各自の軍を持っていた。日本にたとえると、警察が自民党組織の一部になっているようなものである。すると、自民党員の罪には甘い対処をするが、民主党員には厳しくあたる、ということが起きる。このような状況では、市民が自らの身を守るために武器を持ち、自衛手段が高じて内戦に至ることが多い。こうした問題を解決して平和を確立するために、SSRが注目されるようになった。

(2)国家再建におけるSSRの重要性

SSRの究極的な目的は、暴力的な手段を用いずに治安を確立することである。このため、法の支配を確立することが必要となる。再建が必要な国では、国連多国籍軍や維持軍がはじめに実効的な治安維持体系をつくり、次第に現地の警察や司法組織に権限を移して徐々に暴力のレベルを下げるとともに、法の支配を確立していかなければならない。また、紛争後には暴力を抑えることで平和の配当を少しでも早く国民に感じてもらわなければならないが、人道的空間が確保できないと人道援助機関が活動することができず、国民も平和の配当を受けることができない。そこで、早期にSSRを支援し、実行することが必要となる。

SSRには、大きく分けると以下二種類の活動がある。第一に、現地の治安組織自身で治安を確立できるようにしていくことである。これは消極的平和とも表現でき、とにかく暴力を少なくしていくことが目的である。第二に、治安組織の体質改善を行うことである。治安組織自体がそもそも秩序を悪化させる原因になっていることが多々あるので、警察や軍だけでなく、統治機構、つまり政治的な問題にも目を向け、積極的平和のために構造的改革を行う。

2.SSRの実際

(1)SSRの概要

SSRは、正確にはSSR支援活動だといえる。何故なら内戦に至ってしまった国はそもそもSecurity Sector(治安組織)に問題があることが多く、自力でSecurity Sectorを立て直すことが困難なため、国際機関や他国の援助ドナーなどの支援が不可欠だからである。SSR支援に積極的に取り組んでいる機関としては開発系ドナーが多く、経済協力開発機構(OECD)のDevelopment Assistance Committee (DAC)、イギリス国際開発庁(Department for International Development、DFID)、アメリカ国際開発庁(United States Agency for International Development、USAID)などが非常に熱心である。そもそもSSRとは開発分野から出てきた用語で、冷戦後の東欧における民主化と経済発展を促すため、予算規模が大きく国家経済の負担になっていた軍部の縮小が必要となったことから始まっている。その後、中南米の警察改革・民主化への支援を経て、90年代には紛争解決アプローチの中に、SSRが取り込まれるようになった。国連機関では、UNDPが司法関係、刑務所、裁判所などの改革を支援してSSRを行っている。しかし、全般的に国連機関ではこれまでSSRはそれほど行われておらず、今後力を入れていく分野であるようだ。また、二国間援助の形でSSRを支援している国もある。シエラレオネではイギリスが、ハイチではアメリカが、それぞれ支援を行っている。

(2)SSRの対象

SSRの対象となる「Security Sector」にはどこまでが含まれるのか、という点は議論のあるところである。一般的には、警察と軍が含まれることは勿論であるが、文民によって構成される内務省・国防省、そして文民統制を行うという観点からは議会・国会などの政府内非武装組織、民兵・ゲリラなどの政府外武装組織、オンブズマンなど政府外非武装組織がSecurity Sectorの中に含まれるとされている。その中で、紛争後に拡散してしまった武器を一箇所に集め、政府が管理することによって治安を維持するという意味で、SSRの中にDDR(Disarmament, Demobilization, Reintegration、武装解除、動員解除、社会再統合)が含まれることもある。国連PKO局ではDDRとSSRを分けて考えているようだが、個人的には、DDRもSSRの一環として含めるべきであると考えている。

(3)SSRを構成する諸活動

警察改革はSSRの中心となる活動であり、秩序回復のために直結している。警察を、実効力のある組織にしていくことが重要となる。しかし、警察だけを改革しようとしても意味がない。警察、裁判所(司法)、刑務所(懲役施設)の三者全てが機能していないと法の支配も治安も確立できないし、内戦が再発してしまうこともある。DDRについては、武装解除した人々をどうするのか、というReintegrationが重要となるが、経済的および感情的な事情から、難しい問題でもある。解決策の一つはこれらの人々を軍隊や警察に取り込んでいくことで、具体的な作業は別々に行われるとしても、全体的な戦略を考えるうえでは、SSRの中にDDRを統合させる必要がある。また、DDRを行う際には、どうやって国民に武器を手放させるか、ということが課題となる。多くの場合、武器を手放すと逮捕されてしまうという意識があるため、国民の側もなかなか武器を手放そうとしない。そこで、ある程度の恩赦が必要となってくることがあり、こうした面でも、SSRに司法改革やDDRが関連してくる。

国家破綻に陥るような国で警察改革を行うのは容易なことではない。日本では、警察と軍が別個の組織となっていることが当たり前になっているが、発展途上国では、警察が軍の下部組織となっており、独立していないことの方が多い。日本のように軍から独立している警察を「文民警察」と呼ぶが、こうした用語があること自体、文民でない警察がいかに多いかということを示している。警察が軍の一部となっていることの問題は、そもそも軍は外部の組織に対して非常に敵対的な性質を持っているということである。かつて植民地であった国では、宗主国から見て危険な存在である市民を押さえ込むための機能を軍および警察がそのまま引き継いでいる。このような場合、警察にとって市民は保護するべき存在ではなく、押さえ込むべき敵として認識されている。そのため、まずは警察と軍を分離することで、警察内部での意識改革を行うと同時に、市民の間にも、警察に対する信頼を醸成することが必要である。

SSRにおいては、ローカルオーナーシップとのバランスをとることが課題となる。国際社会の側には、できるだけ早く現地から撤退したいという意向がある。実質的な統治権限をどのようにして現地政府に与えていくかということは倫理的な問題でもある。たとえばハイチでは、長期にわたった軍政の後、1991年に民主的に選出されたアリスティドが大統領に就任したが、同年の軍事クーデターにより、アリスティドは国外に亡命することになった。アメリカをはじめとする国際社会の介入によって1994年にアリスティドが大統領に復帰した際、国際社会は軍を完全に解体するのではなく縮小することを提案したが、アリスティドの強い意向によって軍が解体された。このときに元兵士のreintegrationが適切に行われなかったため、彼らの間に不満が溜まり地下組織が形成され、2004年には暴動が再発することになった。これは、ローカルオーナーシップを尊重しすぎたことによる失敗例といえるだろう。

写真②

質疑応答

■Q■ 政治的要請と人道的要請が対立する事例として具体的にどのようなものがあるのか。 

■A■ たとえば、難民帰還を支援する場合、人道援助機関としては、難民の受け入れ先の治安が安定しているか、地雷が処理されているか、また、難民が農民であれば、種まきのシーズンに間に合うかどうかなど、人道的観点に基づいて帰還が適切かどうかを判断する。しかし国連ミッションでは、安保理決議に基づいて選挙の日程が決定されるため、選挙の日程に間に合うように住民を帰還させることが政治的な要請となる。このため、たとえ人道援助の観点から時期尚早だという指摘があっても、政治的圧力のために住民を帰還させることがある。別の例としては、紛争後社会の治安を安定させるために、平和の配当を現地の住民に実感させることで人心の掌握を図るという政治的目的がある場合、こうした目的を達成するために効果が出やすい地域を選んで援助ミッションを派遣することがある。しかし、効果が出やすい地域が必ずしも最も人道援助を必要としている地域ではないため、こうした場合には政治的要請と人道的要請が対立することになる。

■Q■ 文民保護の観点から、PKO軍と人道援助機関が協力した方がよいのか、それとも人道援助の原則を優先した方がよいのかの決断を迫られる事例があるということだが、具体的にどのような場合か。

■A■ 国連平和活動が行われているような地域では状況が刻々と変わり、たとえある一定の時点では現地の住民がPKO軍に良い印象を持っていても、その直後にPKO軍に対する反感が生まれることもある。このような場合、PKO軍と人道援助機関が協力して活動していると、現地の住民からは、文民である人道援助機関もPKO軍の一部と見られることがあり、人道援助活動に支障がでるばかりでなく、攻撃の対象となることもある。こうしたケースを想定すると、人道援助の原則を守って、人道援助機関と軍との距離を保ったほうがよいともいえる。

■Q■ 東ティモールは国際社会の支援が平和維持から平和構築に移行し、その後暴動が起こったために再び平和維持が必要とされたケースである。元兵士の間で待遇に不満が生じていたことが暴動のきっかけとなったといわれているが、現場でSSRおよびDDRを実施するにあたって実際にどのような手順を取ればいいのか。東ティモールで行われた平和構築では警察の能力開発を重視し、警察官の訓練も積極的に行ったそうだが、それにもかかわらず暴動が起きたということは、SSRおよびDDRでは解決できない根本的な問題があったのではないか。

■A■ 東ティモールにおける暴動再発の原因は、西側の元兵士が解雇された後の待遇に不満を持っていたことや東西対立であるといわれていたが、これは表面的な見方にすぎず、根本的な原因はアルカティリ(前)首相とグスマン大統領の政治的対立だったのではないか。この事例からも、SSRだけでは平和を構築するためには限界があることがわかる。治安組織を改革しても、その上位にある政治的意思が、国際社会が望ましいと思うような改革を望んでいなかった場合にどうするのか、という問題がある。

この事例では、アルカティリ(前)首相が不満分子を集め、武装蜂起を仕掛けたとされている。しかし、アルカティリ(前)首相とグスマン大統領の対立は早くから指摘されており、この暴動は予防できた可能性が高いと思う。従って、PKOを縮小する過程において国連が政治的介入・調整を行って両者の対立を解決するべきだったのではないか。 

東ティモールにおける警察組織改革は成功したとよくいわれるが、必ずしもそうではないと思う。国連側としては現地から早期に撤退したいという事情があるため、事務総長報告などでは現状の良い面しか書かれていなくても、実際には問題が残っていることが多い。東ティモールにおいても、現地警察の能力は必ずしも十分ではなかった。警察改革を行う際の一般的な問題として、警察官の訓練機関が短いことが挙げられる。東ティモールの場合、捜査方法などに関する基礎訓練と実務に関する訓練を3ヶ月間ずつ行った後、職場での実務を通じて6ヶ月間の教育訓練が行われ、合計約1年間で警察官として仮採用される。一方、たとえば日本の警察官は高卒であれば21ヶ月間、大卒であれば15ヶ月間と、東ティモールよりもはるかに長期間の訓練を受けている。平和な日本でもそれだけの時間をかけていることを考えれば、東ティモールのような紛争後社会では4~5年間の訓練を行う必要があると思われる。

また、東ティモールにおいて、警察や軍はあくまでも実力装置にすぎず、その装置を実際に操っていたのは政治家である。東ティモールでは国連が早く撤退しすぎたという議論があるが、むしろ、国連が現地で行っていたことが正しかったのかを問うべきではないか。つまり、警察と軍を、政治家の私益の為に容易に操作されないような装置にする必要があったと思われる。

■Q■ 人道援助は政治的に決定されるべきものではなく、人道的な観点に基づいて自発的に行われるべきものではないか。

■A■ 統合ミッションにおいては、SRSGの命令に基づいて人道援助が行われることが前提となっている。しかし、人道援助の特性を考えると、必ずしも政治的存在であるSRSGの指揮下に入れないほうがよいのではないかという見方もあり、最近では人道援助を完全にミッションの中に入れるのではなく、半統合(semi-integration)という形を取る方がよいという議論がある。

■Q■ 人間の安全保障とは、極端にいえば、全てのミッションを現地の要望から定義するものである。その観点からすると、現状では半統合ミッションが最善の解決策であるとは思う。しかし、軍人、警察、文民という区分があるから問題が生じるのであって、たとえば、軍人でも警察でも人道援助に携わる文民のどれにも区分けされない新たな業務内容を作ることは理論的に可能か。

■A■ これは、たとえば日本が自衛隊を海外に派遣するにあたって、自衛隊の内部に平和活動を専門に行う組織を作ってはどうかという議論と同じではないかと思う。国連が軍人でも警察でも文民でもない準軍事的な組織を持つということになると、どこの加盟国がそのような組織を常設できるかという問題が生じてくる。また、軍民問題においては、実際の肩書きがどうかということよりも、現地の人々がそれをどうとらえているかということの方が問題である。新たに準軍事組織を作っても、現地の人がそれを軍と同じであるととらえれば、結局はジレンマが解決されることにはならない。

また、軍が有効に機能しているのは、階級や厳しい規律に基づいた組織が確立されているからこそであり、軍でも警察でも文民でもないという組織では、軍としての有用性はなくなってしまうのではないか。

■Q■ SSRの中心となる警察・軍・司法の改革や外部監視制度の構築は、治安を守る側を改革することによって合法的な暴力を制度化することを目的としているのに対し、DDRは治安組織によって守られる側を巻き込んで、暴力における合法・非合法の区別を明確にし、非合法な暴力を排除することを目的としている。このため、SSRの諸活動の中で、DDRだけは全く異なった活動であるといえるのではないか。

■A■ SSRの中にDDRを含めるかどうかという点については結論が出ていない。しかし、学者にはDDRを含めるべきと考える人が、実務家にはDDRは当然含まれないと考える人が多いようである。実務に携わる人がこのように認識しているということは、やはり活動の性質が異なっているということなのだろう。他方で概念的には、DDRは当然SSRに含まれるべきであると考える。DDRとは、合法的な組織が非合法な組織から武器を回収し、それをいかに集中管理して拡散させずにおくか、という問題であるために、治安組織と深く関わってくる。また、人員に関しても、DDRによって復員した元軍人や民兵がすぐに一般社会に馴染むことは難しいので、軍隊に採用することで彼らに職を与え、かつ管理することができる。従って、理論のみならず現場の実務においても、SSRの戦略を立てる際にDDRを含め、全体像を見渡すことが必要であろう。

また、DDRを実施する事によって、紛争直後には混然としている合法な暴力と非合法な暴力が明確に区別され、合法であるとされた側に対する改革はSSRとして位置づけられる。そういう意味で、DDRはSSRを始める前の儀式でもあり、合法と非合法を分けるうえでの入り口でもある。

■Q■ 実際の紛争後社会では、SSRを通じていくら警察改革を行ったとしても、治安を脅かすテロはなくならず、テロを防止するためにはむしろDDRが不可欠である。さらに、社会的に除外されている人々がテロを起こし、あるいは支援することが多いので、治安を回復するためにはテロの原因となるこうした社会的要因を解決しない限り、SSRだけを行っても意味がないのではないか。

■A■ SSRの究極的な目的は、国家の正統性と信頼性を回復することである。なぜなら、国家に対する信頼感が欠けているから国民が自己防衛のために武器を取るからである。テロが頻繁に起きているイラクやアフガニスタンのように、アメリカが破壊した国家をアメリカが再建しようとしているケースでは、再建後の国家が正統性を得ることは非常に困難だろう。

■Q■ DDRについては、日本もアフガニスタンなどにおいて支援を行っており、重要な分野だと思う。アフガニスタンでは昨年あたりから急激に治安が悪化してきているが、DDRは既に完了したということになっている。こうした状況の中で、非合法武装集団の解体(Disbandment of Illegal Armed Groups、DIAG)を行うために国際社会にはどのような支援が求められているのか。

■A■ アフガニスタンにおけるDIAGはなかなか進んでいない。DDRには、現地の人々に対して、「これから新しい世の中を作るんですよ、平和は素晴らしいものですよ」ということを政治的にアピールするという面もある。DIAGは非合法な武装部隊を相手に、自発的または強制的に武器を回収することを目的としているが、アフガニスタンの警察の現状をみると、強制的な武器回収は無理だと思われる。とはいえ、現在の情勢悪化に鑑みて、自発的な武器回収も困難だろう。

また、アフガニスタンでDDRを実施するにあたっては日本が主導国となっていたが、実際に現地で指揮を取っていた方によると、日本政府はDDRは完了したという見解を出しているものの、アフガニスタン全体でみると、どこまでDDRが成功したかは「成功」の定義によって変わってくるものであり、疑問が残る点もある。

■Q■ DDRの一環として武装解除を進めるためにはある程度の恩赦を行うことが必要になるとのことだが、この問題には体制移行期における正義の実現(transitional justice)が関係してくると思う。SSRの中にtransitional justiceがどの程度組み込まれているのか。個人的には、司法改革とは司法の制度および機関を構築することであり、SSRで実施されるような責任者処罰、国民和解、再発の防止は司法改革とは少し違うのではないかと感じているが、この点についてはどうか。

■A■ 確かにSSRの中では、司法の制度および機関を構築するというよりも、平和構築を進めるにあたって住民の間にある感情的なしこりを解消するために正義の実現を重視していることが多い。なぜSSRにおける司法制度と機関構築が遅れるのかについては、実務家の皆さんのご意見を伺ってみたい。

統合ミッションにおいても、transitional justiceは、特に人権と政治的要請の間のジレンマとして問題となることが多い。人道犯罪者であっても、その人物が和平合意をまとめてそれを実施するために重要な存在であれば、その人物を優遇して和平合意を進めることが政治的要請となる。しかし、人道援助を行う側からは、そのように人道犯罪者を優遇してしまうと、将来においても人道犯罪者の再発を招くのではないかという懸念が生じる。

■Q■ 統合ミッションにおける政治的要請と人道的要請の対立は、バランスの問題ではないか。将来的には統合ミッションがますます増えると思われるが、現在は軍事および治安に関する要請があまり高くない統合ミッションが多い。これらの要請が高い場合にのみ人道的空間を確保することが問題となるわけで、治安確保があまり求められないような統合ミッションであれば、政治的要請と人道的要請のバランスの取り方が変わるのではないか。

■A■ イラクやアフガニスタンでは、国連の活動が全面展開されているわけではなく、アメリカが中心となり、軍と文民が一体となって治安維持と復興支援を同時並行的に進める地方復興チーム(Provincial Reconstruction Team、PRT)による活動が行われている。アメリカが取っているPRTを用いたアプローチと、国連が取っている統合ミッションを用いたアプローチは基本的に同じものであるため、イラクのように治安が悪くPRTが機能していない状況ではたして統合ミッションが機能するのか、という疑念が生じている。軍も様々な活動を行っているので、個別のケースに応じて対処のしかたを変えていかなくてはいけないのかもしれない。たとえば、軍がどの程度地元の住民に受け入れられているかを指標として、政治的要請と人道的要請のバランスを取るための基準とすることも一案であろう。

■参加者からのコメント■

■ 1980年代から1990年代前半頃までは伝統的なPKOミッションが多く、人道援助と軍事活動を明確に区別することができた。しかし、最近では、国連機関としては明確に区別をしているつもりでも、現地の住民の側からは、人道援助と軍事活動を区別することが難しくなってきているのではないか。たとえばイラクでは、人道援助に携わる文民が攻撃された。このような状況で人道的空間を確保することは非常に困難だろう。また、かつてスーダン内戦が起きた際、UNICEFは中立性が確保できていたため、和平交渉に関する決定力を持っていたジョン・ガラン(スーダン人民解放運動リーダー、元副大統領)と直接交渉をすることが可能だった。しかし、現在国連ミッションが派遣されているような地域では現地の有力者にアクセスすることさえ難しく、それがなおさら問題の解決を遠のかせていると思われる。

議事録担当:堤/吉田
写真:田瀬