第62回 「国際刑事司法の動向と新しい流れ」
藤原広人さん
国連旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)検察局犯罪分析官
2010年1月19日開催
於: ニューヨーク国連日本政府代表部会議室
国連日本政府代表部/国連フォーラム共催 合同勉強会
■1■ はじめに
本日の勉強会では、主に以下の3つの目的を持って、国際刑事司法についてお話ししたい。
1.「国際刑事司法」を身近に感じること:国際刑事司法の中心的組織の一つである、国際刑事裁判所(International Criminal Court)の略称ICCをGoogleで検索すると、International Cricket ClubやInternational Chamber of Commerceが先に出てきてくる。このことからも、国際刑事裁判所、また国際刑事司法そのものもあまり知名度が高いとは言えない。一方で国際刑事司法の現場に身を置くものとして、国際刑事司法は「絵に描いた餅」でなく、現実に動いており様々なドラマを持つものである。実例のいくつかをを紹介することで、身近に感じてほしい。
2.国際刑事司法独自の性格:「刑事司法」という言葉で通常想起される「国内司法」と、国際刑事司法も含む「国際司法」とは、かなり性格が異なる。特にその差について理解してほしい。
3.新しい流れ=被害者信託基金:国際刑事司法が適用されるのは主として紛争後の社会。したがって、国際刑事司法が独立して動いて上手くいくわけではなく、平和構築や開発といった分野と結び付けて位置づけられる必要がある。
■2■ 国際刑事司法のこれまでの動向
1) 国際刑事法廷の系譜
イ.WWII後の戦勝国による国際法廷(Victor’s Justice):はじまりは、WWII後の戦勝国によるニュルンベルグ裁判(1945)、東京裁判(1946)であった。
ロ.国連安保理決議に基づく国際法廷(1993、1994年)WWII後遅々として発展はしなかったが、冷戦後、安保理決議が出るようになったこともあって、特定地域に関する管轄権を持つ国際法廷が設立された(旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR))。実際に設立された当初は、関係者ですらどのように動かしていけばいいか(成否如何についても)未知数で、全てが手さぐり状態であったようである。95年に講師(藤原さん)がICTYに入った時も、まだほとんど予算がついておらず、オランダの保険会社の建物の数部屋を借りて作業している状態であった。
ハ.国際条約に基づく常設の国際法廷:2002年、締約国に関しては時間的・地域的管轄に制限のない、常設の国際刑事裁判所
(ICC)が設立された。
二.国際・国内混合型法廷:一方で、 国際裁判に特化することの問題点が顕在化してきた。例えば、ICTYでも裁判の審理対象となっている地域(バルカン半島)と法廷所在地(ハーグ)が遠いため、フィードバックがうまくいかなかったり、捜査にお金が非常にかかっている。そのため、国際・国内司法の双方の要素を含めた混合型法廷が、当該事件が起きた現地に設立され、運用されている。
ホ.特定事件型法廷:ハリリ・レバノン元首相の暗殺事件のみを事項的管轄として持つ国際法廷が2009年開廷した。後述するが、この法廷の出現は「国際社会の安全に対する脅威」が、誰によって、またいかなる基準において決定されているか、ということの裏返しと言えよう。
2) ICTYの実際
当初は保険会社ビルの一部のみで稼働していたICTYも、現在ではビル全てを借り切り、3つある法廷もフル稼働で作業している。オランダの刑務所の一部使わせてもらうことで、ICTYで審理中の未決囚の拘置所も保持している。ハーグの中心部からさほど遠くない場所にあるこの刑務所は、ヨーロッパ人が見ると典型的な「監獄」のスタイル(特に外観)をしているとのこと。
職員は全部で1,050名(89カ国、2010年)。そのうち邦人職員は4名。
講師が所属していた検察局(Office of the Prosecutor)捜査部門(Investigations Division、現在は訴追部門Prosecution Division に統合)では、以下の4つの種類の人々が働いており、大半がそれぞれの国の警察官出身で占められている。
- 捜査官(Investigator)
- 分析官(Analyst):証拠の断片をつなぎ合わせて全体図を描くのが役割。特に国際裁判は、いくつもの事件を同時に追いかけつつ、そこから国家機構の関与を含む全体像を抽出していくことが要求されるため、最終的には軍や政府の上層部からの指示があるかないかを立証することが非常に重要となる。
- 軍事専門家(Military Expert)
- 法医学・法人類学専門家(Forensic Specialist):例えば大量殺戮後の集団埋葬現場(mass grave)を探す場合、衛星写真を継続調査し、土の色が変色している部分を現地で捜査する。その際、金属の棒を地面にさして土を採取し、腐臭や腐臭止めの石灰の臭いなどがしないか、などの方法で場所を特定していく。
その他、オランダの伝統からか、証言台にコップとティッシュが常備されている。
また、裁判の様子は法廷内に設置されたカメラで、ほぼ逐一一般公開されるが、30分の編集時間がとられている。これは、情報秘匿すべき内容等が公開されないようにするための時間である。
■3■ 国際刑事司法のコンテキストと論点
1) 社会的コンテキスト
国際刑事司法が直面する社会的コンテキストは以下の4点が挙げられる。
イ.紛争後の移行期社会(Transitional Society):
司法機関を含む国内の公的機関に対する、市民の信頼の欠如。
ロ.歴史的な分断期:
終戦直後の日本同様、「歴史」の作り直しを迫られている。
ハ.社会的正義に関する、一般に共有された認識の不足・欠如:
紛争時には社会が混乱し、社会の中で敵・味方分かれて対立し、殺戮が行われるのが通常。平時には可罰的違法性が当然視されている、殺人等の犯罪行為に対する社会規範が揺らぐ。人々が受け入れることのできる社会的正義を、再構築する必要がある。
二.加害者・被害者の混在
誰を被害者と認定し、誰を加害者として訴追するかという決定が非常に難しい。
2) 国際刑事裁判論の論点
イ.「保護する責任(R2P)」と「グローバルな社会統制」
国際刑事裁判は、国家が自国民を保護することができない(あるいは保護する意思が欠如している)局面で、一定の要件が満たされれば、場所・事案を問わず国際刑事裁判の対象となりうるという「保護する責任」に由来する普遍主義的な側面(ICCが代表例)と、超大国やそれらにより代表される安保理などによる政治的選好や恣意性によって動かされる「グローバルな社会統制」というリアルポリティックス的側面がある。後者の例としては、前述したとおり、レバノン前首相の暗殺という特定の事件が安保理決議により国際刑事裁判の対象となる一方で、イスラエル軍によるガザ攻撃など国際人道法違反とされる行為が(最近のゴールドストン報告などにもかかわらず)一向に対象とならない、という点にも端的にみられる。
ロ.「法の支配」の国際的な平面と国内的平面の非連続性
国際刑事裁判制度の発展により国際的な平面における「法の支配」は進展する一方、国際裁判において訴追対象となるのは一部の指導者層のみであり、中・下級の加害者を訴追すべき国内裁判は動かない。また、ほとんどの被害者の救済は手つかずであり、このため、国内的平面における「法の支配」はあまり進んでいないというのが実情である。
ハ.「矯正(または応報)正義(Retributive Justice)」と「修復正義(Restorative Justice)」
これまで国際刑事裁判は、加害者の処罰に焦点をおく「矯正正義(Retributive Justice)」が中心であった。しかし、加害者だけに注目した裁判は片手落ちではないか、という批判が生まれてきている。
■4■ 国際刑事司法の新しい流れ:修復正義と被害者信託基金
1) 修復正義 (ないし修復的司法、Restorative Justice)
イ.内容
- 犯罪を、法益の侵害という側面からのみ捉えるのではなく、人々の社会的関係に対する侵害・害悪であると捉える。
- 犯罪によって生じた、被害者と加害者間の不均衡・不公平の是正が目的。
- 犯罪被害者を犯罪被害を受ける前の状態まで回復させることを目指すことによって、被害者の権利・尊厳の復旧を図る一方、加害者に対しては、修復への義務と悔悛の機会を与えることによってその尊厳を認める。
- 国際刑事司法においても、修復的司法の観点の重要性が、刑事政策・犯罪学・被害者学者らによって注目されて始めている。
ロ.現行制度における修復司法的制度Guilty Plea(有罪答弁)
- 公開裁判制度:被害者が裁判をフォローできるという効果を持つ。
- 被害者参加制度:被害者が、裁判の当事者として裁判過程に参加して、裁判官に直接訴えかける機会を持つことができる。
- Reparations:日本語に訳すると「賠償」だが、これでは金銭的側面が強くなりすぎるきらいがある。ここでは、 “REPAIR”するということが主眼であり、そのため “Reparations”という英語を維持したい。
2) 被害者信託基金 (The Trust Fund for Victims: TFV)
(http://www.icc-cpi.int/Menus/ICC/Structure+of+the+Court/Victims/Trust+Fund+for+Victims/)
イ.法的基礎
国際刑事裁判所の新しい制度である被害者信託基金(TFV)は、前述のReparationsを具現化したものであり、ローマ規定(国際刑事裁判所ローマ規定)に法的基礎を持つ。
- 75条(Reparations to Victims)1項
- Reparationsの3形態を、Restitution(原状回復)、Compensation(補償)、Rehabilitation(リハビリテーション)と定める。
- 79条(Trust Fund)
- 被害者信託基金の設立を義務付け、その運営方法を締約国会議(Assembly of States Parties: ASP)が定める基準に委ねているが、詳細については決まっていない。
- 85条(Compensation)
- 信託基金の受益対象が、裁判所による決定かTFVによる決定によるものなのか、決まっていない。
ロ.思想的背景
- 重大な人権侵害へのReparationsが国際法上の確立した権利であるという認識
- 国際司法における矯正正義(Retributive Justice)の限界
- 被害者の尊厳の尊重、および被害者としての公的認定の重要性の認知
- 例:法廷では、被害者である証人は、入廷後、証人宣誓から退廷するまで、誰もコンタクトすることはできない。特に、証人の信憑性を覆すことを主目的に行われる反対尋問は時には辛らつさを極めることがあり、被害者証人が公の場で屈辱的な質問を受けるなど「二次的被害」にさらされるという危険性がある。
ハ.未決の法律事項
- 受益者の範囲(ICC「手続き証拠規則」85条
- 狭い解釈(ICC法廷審理に出廷した被害者に限定)か、広い解釈(TFVが決定に関与し、ICCで審理中の事件の広義の意味における被害者を認定する)か。
- 裁判所とTFVの関係(「手続き証拠規則」98条)
- 以下の3つのシナリオが考えられるが、まだ未定。
- 裁判所の決定をTFVが機械的に執行。
- 裁判所の決定に先立ち、TFVが被害者の範囲や望ましいreparationsの形態につき裁判所に助言する。
- 裁判所は「一般原則」のみ決定、reparationsの実際の策定・執行はTFVの裁量に一任され、TFVが受益対象の社会的コンテキストなどを考慮したうえで決定。
- 以下の3つのシナリオが考えられるが、まだ未定。
二.今後の課題
- 国際裁判を通した個人賠償の非現実性
- Reparationsと刑事裁判のリンクからの脱却:Reparationsを加害者への懲罰の一形態という発想から、「被害者の尊厳」の回復および認知を主眼とする発想へと転換する必要がある。そのなかで、TFVは、新たな平和構築等との概念的なリンクも持ちうるReparations Programとしての可能性が見いだせるのではないか。
- 未決の法律事項については、今後確定すべき。
■ 質疑応答
■Q■ 被害者信託基金の現状はどのようか。また「TFVによるReparationsの決定」といった場合の、具体的な決定主体は何か。
■A■ 2008年時点でのデータによると、基金の規模は総額3,050,000ユーロ(EUR)(約3億8,180万円)であり、これまでの受益者の総数は、ウガンダとDRCの計34プロジェクトで38万人となっている。基金は、ICC締約国会議(ASP)が、個人資格に基づき選出した、世界の5つの地域を代表する理事と、理事を補佐する事務局により運営されている。現在の理事は、シモーヌ・ヴェイユ女史(仏)、タデウス・マゾビエツキ元ポーランド首相、デズモンド・ムピロ・ツツ・ケープタウン大主教(南ア)、アーサー・ロビンソン元トリニダード・トバゴ大統領、ブルガー・アルタンゲレル元モンゴル大使。
■Q■ 被害者信託基金が、ICCと国内裁判所の役割分担に与える影響についてどう考えるか。また、ICCが被害者信託基金という国際協力における「平和構築」に近い支援に乗り出すにあたって、どのように既存の支援とは違う独自性を持つべきと考えるか。
■A■私見では、Reparation Programsの実施主体として国内裁判も含めうるので、国内裁判とICCがうまく協力していけることが望ましい。被害者信託基金の独自性は、やはり刑事司法との関連の中で、平和構築における被害者と加害者の対話の醸成といった視点がある、ということではなかろうか。
■会場からのコメント■2000年ごろ、人間の安全保障基金から、ボスニア人とセルビア人の和解・共生を目的に支援をしたことがある。この事業は、見落とされていた「和解・共生」という目的を、UNHCRが補完的に行ったものである。今後、ICCがこの目的に焦点を当てて支援に乗り出すことは有意義であると思う。
■Q■修復的司法という方向性は、道徳的・規範的に望ましいものと考えるか。
■A■ 刑事裁判(矯正的正義)というスキームだけを通じて、引き裂かれた社会を修復するのはほぼ不可能。そればかりか、むしろ亀裂を深めるという指摘もある。国際刑事司法に携わる当事者たちも、設立当初の熱狂が冷めてみると、被害者と加害者の和解をはじめとして、国内社会に対して、国際刑事裁判が期待されていたような益を達成していない、ということに気付き始めている。これらのことからも、修復的司法という方向性は望ましいものと考える。一方で、国際刑事司法という法律の世界からみると、やはり被害者信託基金といった存在は異色であり、法律の「純粋性」を汚すものと考える人もいる。被害者信託基金の法的位置づけを今後、どのように詰めていくかは課題であろう。
■Q■ 被害者を救済する必要性は、国際刑事司法の各種国際法廷で共通と考えられるが、判決の執行における被害者の救済等、現実の履行段階においては、やはり事情が異なってくるのか。
■A■一般的には有罪確定者の服役先は、基本的には各国のボランティア・ベースで行われている。たとえばICTYでは、各国と個別に引き渡し協定が定められているので、その協定にしたがって行われる。刑の執行にかかる費用に関しては、たとえばシエラレオネ特別法廷(SCSL)の例では、①有罪確定者の受入国と特別法廷との間の行き来(法廷での証言の場合も含む)及び、②有罪確定者が死亡した場合の本国への送還以外については受入国が負担することとされている。被害者への金銭補償については、ICTY・ICTRは基本的にノータッチである。ICCにおいては、理論的には可能であるが、実際的にどのようなプロセスを経るかは、現実例がないため不明。
■Q■ 国際刑事司法における実体法(刑法、刑事訴訟法等)はどのように定められているのか。また、ICTYが安保理決議によって法的拘束力を付与されているとはいえ、実体法に関して各国で要件等の差異がある場合、どのように処理するのか。
■A■手続きについて、ICTYでは、最初に裁判官選定をし、その後裁判官により手続法の制定が行われた。各国国内法との関係では、バルカン半島ではデイトン合意でICTY協力義務が定められているので問題は生じない。その他の地域については、司法共助という形となる。ICCでは、実定法、手続法の双方が国際条約として定められている。各国国内法との関係は、司法共助として処理される。
議事録担当:錦織
ウェブ掲載:岩崎