カンボジア・スタディ・プログラム - 第3章第4節第7項:「中田厚仁さん」の軌跡
第7項:「中田厚仁さん」の軌跡(通称“アツ村”に住む村人とのQ&A)
現地での参加状況
現地プログラム4日目の11月21日(水)12:30~14:30、ナカタアツヒト村(Prasat Sambour地区)を訪問しました。この村は、1993年に国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が実施したカンボジア総選挙の選挙監視員であった中田厚仁氏を慕う村人たちが集落となり、現在では「アツ村」と呼ばれる村となっています。現地では、村人との交流を通じて、中田厚仁さんのカンボジアでの功績及びUNTACと日本との関わりを学びました。
CSP参加者感想①:田瀬 和夫さん
中田厚仁さんは私とほぼ同じ年で、私が外務省に入った翌年、国連政策課というPKO法を担当する部署で働いていた時に、職場で流れるNHKニュースで彼の悲報を聞いたのを覚えています。私が社会人として歩きはじめた時に、彼はもう国連システムの一部としてとても大きな仕事をされていたわけで、彼の25年の人生の中にはものすごくたくさんのことが詰まっていたんだろうなあと思います。今回その19年後にコンポントムとアツ村を訪れることができたのは、自分にとっても、自らの国連での使命を再確認する上で極めて大切な機会でした。そして、少なくともその周辺に当時住んでいた人たちと言葉を交わすことができたことは大きな喜びでした。
会場の後ろのほうでくしゃくしゃのおばあちゃんが吉川さんとクメール語で話をされていたのですが、その時の彼女の笑顔が忘れられません。彼女にとっては人生は簡単なものではなかったはずです。それがいま、子どもや孫が成長するのを見ながら笑顔でいらっしゃる。人は強いなあと感じました。そして自分の仕事の中でこんな笑顔を作れれば最高だとも感じました。
CSP参加者感想②:田中 陽一朗さん
アツ村を訪問して、国連平和維持活動(UNTAC)がカンボジア社会に大きな貢献をしたことを実感しました。例えば、村の方々とのお話の中で、昔はジャングルだったが、UNTACおよび中田厚仁さん・またその父親によって、道路・病院・学校ができたと伺い、この村の方々の生活の向上に大きく貢献していたと思いました。また、教室に中田厚仁さんの写真が壁の後ろに掛けられており、日本人がカンボジアの地方で慕われているのを見て、日本人が世界にできることはまだまだたくさんあるように思いました。
ただ、このような事実をカンボジアの子供達はあまり知らないことや、現在の日本もこのような貢献をしたことが社会的な関心にあまりならないことを見ると、支援の継続性の難しさを感じました。さらに、村の方々が考えている課題として、未だに貧しいことや教員の人材不足のお話を伺い、持続可能な形の支援をどのように行っていけばいいのかと考えるようになりました。しかし、現地の子供達は、写真を向けると笑顔で皆思い思いにポーズを決めていたこと、今後のこの村の未来がとても楽しみになりました。将来、自分も現地の人々と一緒になってより良い平和な社会を築くことができたらと強く実感しました。