ルワンダ・スタディ・プログラム - 報告書「2.23.ジェノサイド記憶館」

写真①

1.訪問先

ジェノサイド記憶館(Kigali Genocide Memorial)

2.該当テーマ

ジェノサイド

3.組織概要(事業目的、ゴール等)

1994年のツチ族を主な標的にしたジェノサイド被害者の埋葬の場であると共に、世界中からルワンダを訪れた人々にジェノサイドの悲惨さを伝え、将来似たような悲劇を防ぐためにはどうすればよいかを考えてもらう機会を提供することなどを目的として設立された。1994年のジェノサイドに関する展示のほかに、ジェノサイドの犠牲となった子供たち、世界中の虐殺に関する展示、25万人ものジェノサイド被害者が埋葬されている庭、情報センターなどが併設されている。

4. ブリーフィング、プロジェクト訪問において説明された内容・質疑応答の詳細

(質疑応答は行わず)

5.参加者所感

  • 案内してくれた国際機関のルワンダ人職員が、「ここに来ないとルワンダを見たことにならない」とおっしゃっていたのが印象的であった。
  • 出会った人に少し踏み込んだ話を聞かせてもらうと、滞在中に接した多くのルワンダ人が当時多くの家族や友達を失った辛い経験をもってた。それでもみんな自国を愛して、自国の変革に誇りを持って前を向いてるように感じた。この復興のエネルギーはどこから来たんだろう?カガメ大統領の政治的リーダーシップ?草の根の和解促進運動?それとも国際社会の援助?まだまだ分からないことだらけでもっと勉強したい。でも、ルワンダ人の困難を乗り越える強さを垣間見て、人間の強さ・可能性は無限大なんだと改めて感じ、どんな形でも良いから人々のエンパワーメントの一助になりたいと思った。
  • 私が今回ルワンダに行きたいと思った理由は、ツチ族とフツ族によるジェノサイドという人権侵害から国と人は本当に立ち直ることができるのか、国連は本当に必要なのか。9月からの留学において、「人権保障による平和構築において、国際機関の果たすべき役割と機能」をテーマに据えてから、どうしても机上の空論だけではなくて、自分で現場を見た上で勉強をしたいと思っていました。留学先で国連職員の方とお話をする際、国連はすでに役割を終えたというお話を聞くことがあり、私もその中で共感する部分が大きかったのが現実です。しかし、ルワンダに行ってみて、国連は人権分野においてはまだ役目を果たし終えていないこと、国連は人権、人道分野においてまだ機能すべき理由があり、機能する余地を残していると感じました。
  • 1階の展示スペースには、ジェノサイドの過程説明に加え、犠牲者の服が展示してあるスペースがあった。服は土にまみれ、マチューテ(手斧)で切りつけられた時の裂け目があちこちにあり、どす黒い血の跡が残っていた。男性の服もあれば、女性の服も、そしてまだ幼い子どもの服もあった。それだけで、20年前に起きたジェノサイドの凄惨さは容易に想像ができる。
  • 2階に上がると、ユーゴスラビア紛争やポルポト政権といった世界各国で起きたジェノサイドの紹介スペースと、ルワンダジェノサイドで命を奪われた一部の子どもたちの紹介スペースがあった。名前、好きなこと、好きな食べ物、将来の夢、そして殺害された時の状況が大きなポートレイトの下に小さく紹介されていた。私たちがチョコレートを好きなように、彼らもチョコレートが好きで、私たちが幼い頃お医者さんや先生になりたかったように、彼らも自分の20年後を想像しては家族にその夢を語っていた。
  • 「ルワンダジェノサイドは3ヶ月で100万人近くが虐殺された」という。それは、家族や夢や好きな食べ物をもつ1人の人が殺されたという悲しい事件が、100万件起きたということなのだと、ジェノサイド記憶館で思い知らされた。私たちはとかく数の大小で悲惨さをはかりがちだが、その後ろには必ず1つ1つの死がある。
  • 我々も60億人の人間という立場からルワンダジェノサイドを理解するのでなく、1人の人間としてルワンダジェノサイドを知ろうとすると、少し行動が変わってくるのかもしれない。もっと自分の専門的な観点から俯瞰してみることができるかもしれない、同じ性別、歳の人と自分を重ねてみることができるようになるかもしれない。自分ごとに捉えて物事を見る姿勢を意識させられた場所だった。