イノベーションと国際開発 〜世界銀行の現場から〜 後編
(前編はこちら)
金平直人さん: 世界銀行本部
「「国際仕事人に聞く」第21回では世界銀行で活躍されている金平直人さんに世銀改革、SDGsと科学技術・イノベーション、日本の取り組みとグローバルな潮流についてご自身のご経験をもとにお話を伺いました。前編に引き続きの後編です。(2015年8月29日 於東京)
金平直人 (かねひらなおと) |
持続可能な開発を達成するための実現手段として、ファイナンスに続き、2番目に科学技術イノベーション(STI: Science, Technology and Innovation)、3番目に行政機構の組織能力(Institutional Capacity)が掲げられています。イノベーションと機構・制度枠組というのは私の職業テーマで、4年前に国連フォーラム私の提言に寄稿した記事にも書きましたが、世銀入行を志望した理由でもあります。幸い、世銀を含む国連システム全体で、SDGsの達成手段としてSTIを推進する具体的枠組みに深く関与する機会に恵まれました。
国連の場で、科学技術イノベーションについてどのような議論が行われてきたのでしょうか。
まず、国際社会が共有する問題意識の背景として、科学技術と経済社会がこれまでどのように関わり合ってきたか考えてみましょう。活版印刷、天文学と航海術、蒸気機関など、近代まで技術は人間活動を加速させながら、富や権威を集中させ不均衡を拡大させ、また人間と自然環境の不調和をもたらしてきました。二度の大戦は、船舶、航空から電子工学、核利用にいたるまで多くの技術進歩を促し、結果、蓄積された富と多くの人命が失われました。インターネットと情報通信技術は、さまざまな形で産業構造を再編し、地球規模で経済機会への参加を拡大させながらも、アラブの春やテロ組織の台頭に代表される、あらたな不安定要素を生んでいます。医療や農業といった世界の開発に深く関る分野において、遺伝子組み換え技術の利用などの科学と倫理を巡る問いは増える一方です。同時に私たちは、気候変動をはじめ、既存の科学と技術では対処しきれない、困難な課題解決を迫られてもいます。
科学の進歩と技術革新を地球規模で加速しつつ、その成果を世界で誰もが取り残されずに享受できることなしに、SDGsでうたわれているような持続可能な開発が達成できないことは明らかです。この議論は、国連の場では1992年のリオ持続可能な開発サミットではじめて公式化され、当初は環境にやさしい技術、たとえば再生可能エネルギーなどについて先進国から途上国への技術移転をどう促進するかといったことが主な論点でした。今年は、持続可能な開発、ポストMDGs、気候変動枠組条約国会議(COP)などの大きなトピックが、SDGsを含むAgenda 2030として収束する大きなマイルストーンです。これにあわせて科学技術・イノベーションについても、構造対話(※語句説明1)とよばれる国連プロセスを通じて広範な議論がおこなわれてきました。
国際的な政策枠組みで、研究開発や技術移転を左右するものは多くあります。例えば国連関連機関の一つである世界貿易機関(WTO)は、関税や輸出入規制などの貿易政策を加盟国間で協調することで貿易を促進するしくみで、途上国にとってWTO加盟は自国の農産物や軽工業品などを先進国市場へ輸出することで、雇用創出と経済成長を促します。一方で、途上国でも先進国と同様に著作権や特許などの知的財産権を保護する国内制度を整えることがWTOの加盟条件となっています。これによって、途上国で生産された模倣品が先進国に輸出され先進国企業が打撃を被ったり、先進国企業が途上国に自社製品を輸出しても現地の安価な模倣品と競争できないという事態を防ぐしくみになっており、途上国の多くは、これが自国への技術移転を妨げていると主張します。日本の高度経済成長は自動車をはじめ機械産業の模倣と技術革新で加速し、日米貿易摩擦とよばれる軋轢を生みました。もし当時すでにWTOのような枠組みがあり、日本が米国水準の知的財産権保護を徹底していたなら、日本の技術立国としての現在の地位はなかったかもしれませんので、途上国の主張には一定の根拠があるといえます。
国際交渉の末、2001年ドーハの会議で、TRIPS協定の柔軟性、という考え方が採択されました。これは、HIV/AIDSや結核、マラリアといった感染症を治療する医薬品について例外を認め、先進国企業が特許を保持している技術でも途上国に安価に普及させることを目指すもので、結果として、特許が切れる前の医薬品をインドで安価に生産しアフリカに輸出するといった業態が生まれ、インドでのバイオテクノロジー産業の発展をもたらしました。持続可能な開発のための技術移転については、このTRIPS協定の柔軟性を太陽光発電などにも拡大し、新興国が安価に技術移転をうけて温室効果ガスの排出を抑えながら経済成長できるようにすべき、といった主張がなされてきました。先進国は、特許で自国企業の利益を保護し、研究開発に投資し技術革新を促進するインセンティブを保たなければならないとして対立します。このように、科学技術イノベーションは先進国と途上国の間で、総論賛成、各論反対、となる利害の不一致を多く含む、困難なアジェンダなのです。
科学技術イノベーションを巡る国連加盟国間の議論は、SDGs策定という一大マイルストーンに向け、ブラジルとスイスが先進国と途上国の間で共同仲裁国として尽力したおかげで、落としどころがみえてきました。ポイントは、先進国から途上国への技術移転にとどまらず途上国発の技術開発にかかわる機構や組織能力を高めるための支援を増やすこと、技術ニーズに関する情報を体系的に整備し、ニーズとシーズを地球規模でマッチングする仕組みをつくること、個別の論点について各国政府のみでなく科学者、産業界、起業家、市民社会といったさまざまな利害関係者を交えた継続的な対話の場を設けること、といった、各論を保留しつつも議論の位置付けそのものを拡大したことでした。その実施枠組みとしてテクノロジー・ファシリテーション・メカニズムと呼ぶ機構を設立すること、その一環で科学技術イノベーションフォーラム(STIフォーラム)を毎年開催すること、主要な国際機関が共同で機関間タスクチーム(IATT:Inter-Agency Task Team)を設置し企画運営にあたること、などが合意され、昨年末に潘基文事務総長が発表したSDGs交渉に向けての統合報告書「2030 までの尊厳への道」(※語句説明2)では、科学技術イノベーションがファイナンスに続き実現手段の柱の一つと位置づけられました。一部加盟国から世銀も関与するよう要請があり、私が世銀を代表してタスクチームに参加することになりました。
SDGsと科学技術イノベーションについて、国連タスクチームではどんな活動をしているのでしょうか。
今後、建設的で具体的な議論がおこなわれるための土台を整備することに尽きます。国連システムがSTIの議論を深めるにあたり直面してきた困難のひとつはその文脈や課題認識が非常に多様であり、用語や定義が多岐に渡るということです。まず基礎的ながらも示唆的なこととして、最近のSDGsに向けた主な国連文書で一貫して登場する”Science, Technology and Innovation”という題目のInnovationに相当する日本語は、事務総長の統合報告書では国連広報センターによる公式日本語訳で「技術革新」、アディスアベバ行動計画では同じく国連広報センターで「独創的研究」、9月の採択に向け交渉が進んでいる2030アジェンダ草稿では外務省仮訳で「イノベーション」とされています。日本をはじめ各国での議論が、こうした伝言ゲームを通じて同床異夢とならないとも限りません。
より実質的な政策協調や国際協力の内容について、TFM設立に向け密に協議を重ねてきた非公式ワーキンググループの参加機関(2012年より、DESA, UNEP, UNCTAD, UNIDO, ITU, WIPO, World Bank, UNESCO )間でも重点の置き方は大きく異なります。例えば国連環境計画 (UNEP)は環境保全に資する技術移転、世界知的所有権機関 (WIPO)は知的財産権に関する制度整備支援、国際連合工業開発機関 (UNIDO)は産業発展に資する産学連携や民間研究開発投資の、国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)は科学研究政策の、国際電気通信連合 (ITU)は情報通信技術の能力構築や調査研究、そして世界銀行は国別融資業務でこれら全てを扱う、といった具合です。これまでのSDGs交渉で、途上国が研究開発や技術導入に関する資金不足を強調しODAの増額や新たな基金の設立などを要望するのに対し、先進国は既にある国際機関の間の重複や非効率への懸念から難色を示す、といった議論が繰り返されてきました。STIに関する共通の概念枠組みや統計データと指標、現状分析や政策評価が圧倒的に不足している現状、どちらの議論がどこまで正しいのか結論付けることはできず、折衷案のようなかたちで現在の合意に至っています。今後、国際社会がSDGsを宣言するだけでなく達成するためには、目標に照らした共通の現状認識と正しい戦略に基づいて、国連システムや各国、また非政府主体などが必要施策を打ち、目標の達成状況に応じた軌道修正や方向転換を行わねばなりません。しかし、国連機関が自らの取り組みを俯瞰的に把握し、個別に計画立案や資源配分をおこなうことができていないのが現状です。
このような背景から、チームに参加してまず着手したことは国連システム全体としての科学技術イノベーション関連の取り組みの棚卸しと、それに必要な概念整理でした。だれが、どこで、どんな取り組みをしているのか。何を目的として、いくらの資金を投入し、どれだけの成果をあげているのか。各国の自国内での取り組み、また途上国への二国間開発援助や民間努力・慈善財団などと比較して、国際機関のもつ特色や他との違いはどこにあり、比較優位と付加価値は何か。また、国ごと課題分野ごとに、あるいは国際的な論争のなかで決着がついていないさまざまな政策課題について、どのような技術ニーズや知識ギャップがあり、進展が思わしくないのはどこで、追加取り組みとして優先度が高いのは何か。SDGsが非常に多くの開発目標を含み、個別に網羅的に議論することは難しいので、科学技術イノベーションの成熟度、また検討や議論の成熟度にあわせてSDGs自体を大きく分類、構造化し、対応する各機関のSTI施策を分析しています。この棚卸しは今後も取り組みの継続が必要ですが、限られたサンプルに基づく初期の成果と論点整理を、7月の開発金融会議へのインプットとしてまとめ、公表しています。(※参考リンクhttps://sustainabledevelopment.un.org/content/documents/7810Mapping UN Technology Facilitation Initiatives July 23 2015 clean 3.pdf)
このSTI棚卸しの方法論は世銀の戦略策定や費用削減、予算再編で用いたものとほぼ共通していたため、こうした検討を必ずしも経験していない他の国連機関の同僚から頼られ、主導的な役割を果たすことができましたが、棚卸しを通じて、今後のSTI支援の中身についても検討チームの中で世銀への期待が高まっています。国連システム全体に占める世銀の比重が突出していたからです。
世界銀行の科学技術とイノベーションへの取り組みにはどのようなものがあるのでしょうか。
世銀グループのSTIへの関与はじつに多様です。広い意味では、融資や投資によるお金の流れは多くの場合、設備や機構の設置をつうじて、人と知識と技術の流れを伴うことになります。世銀による国ごと、課題ごとの個別の取り組みの少なくとも1割でSTIが目的や手段の中心に位置づけられ、3割以上でSTIが主要な要素のひとつになっていると見積もっています。例を3つお話したいと思います。
一つ目はポーランドのイノベーション戦略で、私が世銀に入行して最初に担当した仕事のひとつです。高所得国の仲間入りを果たそうとするポーランドにとって重要課題は、生産性の向上と高付加価値型の雇用創出にむけた研究開発や新技術導入の促進です。これらは欧州委員会の地域経済政策の課題でもあり、ポーランドを含む欧州新規加盟国はEUから構造基金とよばれる地域内格差解消のための資金枠組みで、イノベーション戦略の実施資金を得ることになっています。構造基金の第一フェーズ、(2007年から2013年)で約70億ユーロ、1兆円弱を財源に、学術研究の助成や研究開発の税控除、起業を促す官営ベンチャーキャピタルや産業設備導入への融資制度など、一連のSTI関連政策が実施されていました。これらの政策の中間評価を行い、目標どおりに機能しているものとそうでないもの、機能していないものについてその理由を明らかにし、それらを踏まえた制度や機構、資金配分などの更なる改革ポイントを洗い出し、2014年以降の構造基金第二フェーズ(100億ユーロ)を最大限に有効活用しうる戦略をつくるための支援が求められたのです。
既に資金源があるため、世銀は融資ではなく、EUとポーランド政府の負担による有償の政策助言を行いました。私を含め世銀内のエコノミストが産業構造や各施策の投資効果を分析し、あわせてイスラエルの元科学技術政策責任者、MITの産学連携責任者、シリコンバレーの元起業家・投資家、という専門家チームを組み、ポーランド国内の政策実施機関や科学者、起業家、投資家コミュニティを密に巻き込んだ政策検討をしています。また、2011年にポーランドがEU議長国に任命されていたため、産業構造については欧州全体の国別比較もふまえて地域経済政策の当事者と協議を重ね、世銀としての欧州に対する成長モデルの政策提言にも活用しています。このプロジェクトは検討範囲においてはSTIを扱う民間セクター開発の案件として標準的なものですが、実施手段においては資金以上に知見を、世銀内にとどまらず世界の第一線から動員し、国を超えて経験を媒介し、政策の質を上げ、実施機関や当事者の能力を高めあうという、世銀では比較的新しい業態を体現するものといえます。
二つ目の例はガンジス川の浄化です。ガンジス川はネパールからインドを通りバングラデシュを流れ、流域人口は5億人、その半分近くがいわゆる貧困層です。インドのGDPの約4割がこの流域で生み出されます。ところが近年、農村での農薬使用や工業地帯からの廃水から川の汚染が進んでいます。環境や生物多様性の観点から重大な懸念であることはもちろん、流域人口の病気や健康被害の8割がガンジス川の水質に起因するとされ、これを平均余命と生産活動に換算すると相当の経済損失になります。日本で水俣病やイタイイタイ病の歴史を振り返れば、病理研究に基づいて公害病が認定、補償され抜本対策がとられたのは1970年代で、高度経済成長期の後半にようやく社会に環境意識が根付いたといえますが、インドの一人当たりGDPは当時の日本の1/3です。文化的、宗教的に特殊な意味を持つガンジス川から汚染を取り除くことは、インドの経済水準からも、行政能力からも、きわめて困難といえます。インド政府の支援要請をうけて世銀は2011年から8年間で10億ドルの融資を承認し、河川行政と環境行政の能力構築、流域各都市の都市計画と水処理施設などのインフラ投資のため、インド中央政府、各州政府の予算とアジア開発銀行、JICAなど他機関とも協調した大規模プロジェクトが進んでいます。
科学技術の活用という観点からこのプロジェクトをみると、その投資の大部分が上下水道や工業廃水処理の技術移転、および技術導入をつうじて行政目的を達成する計画や組織能力を高める知識移転ということができますが、それに留まりません。まず、プロジェクト前に行われた数年におよぶ実現性調査は科学と工学を総動員したものでした。広域での水質測定やさまざまなデータ収集をおこない、ガンジス川をめぐる水循環と流域の社会経済活動をモデル化し、今後の気候変動シナリオを織り込み、加速的に進む都市化と経済成長の河川の振る舞いへの影響から、汚染の進行を食い止めるために必要な政策介入と投資の規模を精査しています。インド国内にはこうした調査研究のための施設も人材も充分ではありませんでしたが、世界から専門家を動員して現地チームとの共同作業をおこない、また、ガンジス川の継続的な水質モニタリングや計画更新のための専門の研究機関を世銀の融資で設置しています。17分野のSDGの文脈では、このプロジェクトは貧困(SDG1)、公衆衛生(3)、水資源(6)、産業・インフラ(9)、都市化(11)、生物多様性(15)、などの開発効果を直接対象にしています。このプロジェクトでは科学技術は目的でなく、複数のSDGs分野にわたる開発目的の達成手段であり、インフラや設備などハードウェアへの投資からより高いリターンつまり開発効果を得るためのソフトウェアといえます。今後、このプロジェクトが質の高い成果を生み出し、成果に対する科学や工学の貢献を明らかにしてゆくことができれば、他国、他分野への教訓が多く得られると考えています。
三つ目は人工衛星からの地球観測データの用途開拓です。宇宙開発と国際開発というのは一見全く異なる分野にみえますが、世銀ではこれまで10年ほど、米国のNASAや欧州のESA、日本のJAXAといった宇宙開発機関との共同作業を進めてきました。人工衛星は画像やさまざまなレーダーをつうじて、地表の植生や構造物、海洋や大気の様子をつぶさに観察することができます。多くの途上国では、統計情報や地上のセンサーインフラが整っておらず、データ収集に実際的な困難が伴います。例えば紛争後のイラクへの融資で各地の学校や病院を復興するにあたり、破壊状況を把握しようにもISISに襲撃されるリスクがありますからフィールド調査にいけない、といった状況です。地球観測データを用いることでこれまでにない低コスト、広範囲、高精度、高頻度で、開発プロジェクトの事前計画や実施状況および成果のモニタリングと軌道修正などが可能になります。地球観測の専門家と開発実務の専門家が実践を共にすることでしか、こうした用途開拓はできませんが、欧州のESAがこれまでとくに積極的で、自然災害、農業開発、都市計画、天然資源管理、森林保全など15件の世銀プロジェクトで地球観測を活用し成果をあげています。これらを踏まえ、アフリカ開発銀行やアジア開発銀行など他の開発金融機関と宇宙開発機関との協業が進もうとしています。
人工衛星に限らず、我々が入手し活用できる情報は伝統的な経済統計からますます人間社会や地球環境全体へと広がり、ソーシャルメディアやIoT(モノのインターネット)が生み出すいわゆるビッグデータ(※語句説明3)とその解析に向けた人工知能の技術基盤が進展するにつれ、データは私たちの生活や企業のビジネスのみでなく、SDGsや国際協力を含む政策立案や施策実施に必須になると思われます。来月、SDGsを採択する国連サミットでは、各国政府、世銀をふくむ国際機関、民間企業や研究開発機関のあいだで、SDGsのデータに革命を起こすことを目的とした「持続的な開発のデータのための地球規模パートナーシップ」(※語句説明4)という官民パートナーシップの立ち上げが予定されています。このパートナーシップの主要な推進企業の一つがシリコンバレーの小型人工衛星ベンチャー、Planet Labsという会社ですが、技術開発や事業拡大のためIFCのベンチャーキャピタル部門が出資をしています。世銀グループの各機関横断で今後も取り組んでゆく分野といえます。
しかしこうした世銀グループあるいは国際機関の取り組みは、SDGsが掲げる野心的な目標に比べれば微々たるものです。歴史を振り返れば、人類が科学技術を進歩させることで世界全体の重要課題を解決し、それに国際機関をつうじた国際協力が充分な役割を果たした、といえる例をあげることは実は易しくありません。むしろ失敗例、あるいは経過観察中と呼ぶべきものばかりです。
国際機関による科学技術とイノベーションへの取り組みが成功するために、何が必要だと思われますか。
これは科学技術イノベーションに限った話ではありませんが、緊迫感と、目的に即した弛まぬ自己改革努力だと思います。それを促すための圧力を加盟国や株主が国際機関に行使し続けるための、成果指標にもとづく説明責任を明らかにすることも必要です。世銀も国連も、その加盟国が合意したSDGsという高い目標に照らせば、改革や改善が必要な点を多く残しています。
SDGsは年限付きの達成目標ですから、SDGsに関わる国際機関のあらゆる取り組みは課題と課題に対する成果、そして成果までの時間という視点で評価されるべきです。例えば保健医療の分野で、HIV/AIDSは一大課題です。エイズによる死亡者数は2005年をピークに減少に転じており、これは一定の成果といえます。しかしアフリカで日和見感染とよばれた症状は1970年代から見つかっており、1981年にアメリカでエイズの最初の症例が認定されてから、国際社会がHIV/AIDSの拡散に歯止めをかけうる体制を整えるまで、30年を要したことになります。国際連合エイズ計画 (UNAIDS)が設立され、世銀が共同スポンサーとして参画したのが中間点の1996年。抗レトロウィルス療法とよばれる治療法の効能が立証されたのも同96年でした。ここから10年間で、ゲイツ財団や地球基金、米国政府PEPFARプログラムなど立役者とよべるアクターが出揃い、対策に弾みがついたといえます。しかし、これらの進歩が10年、15年早く起きていれば、さらに数百万人の命を救うことができました。HIV/AIDS対策ひとつに30年を要する国際社会で、今後15年間ですべての国がすべてのSDGsを達成することは可能か。1981年から15年の間、国際社会と医学会は何をしていたのか。 1996年以降10年でなく2-3年で、各国政府や財界が同様の資源動員をできなかったのか。
科学技術がもたらした大きな成果として、アジアにおける緑の革命も挙げることができます。1963年にノーマン・ボーローグ博士がインドに降り立ち、小麦の品種改良と灌漑や農薬使用を含む農業技術の普及を通じ、数百万人を飢饉から救いました。この成功は、技術進歩のみがもたらしたものでなく、津々浦々の農村に至る普及員の活動や、試行錯誤や改善に積極的に参加できる農村コミュニティの組織化能力に支えられ、その下地はインド独立直後にマハトマ・ガンジー首相が村落共和国というビジョンのもとに進めた参加型の農村開発でつくられたといわれます。しかしながら、参加型の農村開発というアプローチは緑の革命以前、1950-60年代にかけ、アメリカのロックフェラー財団やフォード財団、UNDP(国連開発計画)などが支持し、インドから60ヵ国ほどに広まったものの、期待された成果を生まず、以降1980年代に貧困の多面性が注目されるまで、顧みられることがありませんでした。これら60ヵ国で、インドと同時並行で緑の革命が起こせなかったのはなぜか。世界で穀物生産性が数倍になったのに、最も人口増加のペースが早いアフリカで、世銀や日本をはじめ各機関が農業技術研究や技術普及に多額の支援をしてきたにもかかわらず、数十年にわたり穀物生産性が横ばいのままなのはなぜか。
エイズにかかわる偏見や社会的烙印が政治的な意思表明をさまたげ、これらの払拭に時間がかかったこと。農村開発と技術普及、機会創出や灌漑などインフラ整備といった相互に関連する各分野に携わる開発機関が分野間でも地域間でも分断され、開発アプローチの総合的、横断的な知識交換と改善努力が充分とはいえないこと。こうした教訓は、2011年に世銀改革を始める際、2030年に貧困をなくすためにどのような世銀になるか、という議論をはじめるにあたって分析し、国連の科学技術イノベーションの議論にそのまま当てはまるため、棚卸しのワーキングペーパーにも盛り込んでいます。
SDGs達成のためには、国際社会の主役である各国や、経済の担い手である民間企業、さまざまな声を代弁する市民社会組織の活動が、質、量ともに大きく進歩しなければならず、新技術の研究開発や拡散と、それと並行する国際的な政治意志や資金の動員、また国際間、国レベル、また自治体や村落レベルでのさまざまな行動変容や組織能力開発が、協調的におこなわれる必要があります。そのために国際機関は調整役あるいは触媒として、先導役として、時には実験室として、他に果たせない役割を果たさなければなりません。世銀は開発資金動員のプラットフォームとして財務基盤を磐石にする必要がありますが、その先、開発に関わる研究やデータの蓄積とエビデンスに基づく政策対話の場を提供する知識交換のプラットフォーム、また高い開発目標を掲げる借入国政府の新たな取り組みや他機関との共同作業に開かれた、実践の新結合をうながすオープンイノベーションプラットフォームであるべきだと考えています。科学技術・イノベーションは手段としてさまざまな分野で主流化されてゆくべきもので、ポーランドやEUの経済政策、ガンジス川浄化、また地球観測データ活用のパートナーシップといった例は、すでにその一端を示していると思います。
日本における科学技術とイノベーションの現状を教えてください。
日本がその科学技術力を世界でSDGsが達成されるために最大限に役立てることは、日本が国際社会で名誉ある地位を占めるうえで考えうる最良の貢献の一つです。今回、日本に夏休みで一時帰国している機会を活用して、関連する政府機関で意見交換の場をもつ機会が多くありました。日本でSTI政策の総合司令塔の役割を担うのは内閣府に設置されている総合科学技術イノベーション会議です。また、科学研究や産学連携で文部科学省、産業や貿易の分野では経済産業省、科学技術外交や国連窓口として外務省、国際協力の担い手としてJICA、世銀を株主として監督する財務省。また政策研究や個別重点分野の研究を担う先生方や、具体論では地球観測など宇宙開発と国際協力の接点として内閣府宇宙戦略室とJAXA。個別の面談やさまざまな会合への参加をつうじて感じたのは、議論の大枠が日本国内での、産業競争力、成長、雇用、安心安全といった喫緊の課題への対策が主眼におかれていること。日本のSDGs達成をふくめた、国際課題をふまえた議論はまだ一部でしか活発でないこと。しかし日本の強みに基づいて二国間、また国際機関を通じた多国間の開発協力にあたる戦略は、着実に進展しているということです。
科学技術のための国際協力というと、どうしても議論の範囲が狭まりがちです。しかし科学技術を手段としてみれば、防災、ユニバーサルヘルスカバレッジ、質の高いインフラといった、現在の日本の開発協力における重点分野は、どれも技術移転や技術の活用についての人材育成と組織能力構築をともなうものです。SDGsの文脈で日本の科学技術・イノベーション政策をどうしてゆくか、また日本が世界の期待にこたえ、民間企業が世界でビジネスチャンスをつかみながら、質の高い技術を世界に普及させ各国の課題解決に貢献するにはどうするかといった議論が、来月のSDGs採択以降、日本でも活発になされてゆくことを期待しています。
金平さんにとって国際仕事人とは何ですか。
利害関係者の個別の利益を調停しながら、全体の利益の最大化ができる人。鳥の目と虫の目をもち、緻密な分析や経験の裏付けを大きな構想へ統合できる人。第一線の専門性と大胆な改革志向をもちながら人がもつ現状への愛着と慣性に共感し、チームや組織や社会が皆で今の先にある未来をみつける力を生める人。
国際機関で仕事をする人、あるいはいわゆる国際的な仕事をする人、という括り方はしかし、いかにも20世紀的な感じがします。多国籍企業や地域共同体などが個別の国や文化を次々に含みながらも独自の価値観や行動様式を生み続けるでしょうし、これまでの外交やインテリジェンスはテロリストネットワークなど先鋭化した非国家主体への理解や対応で追いつけていません。また、各国の財政や気候変動をはじめ諸々の地球規模課題が、複雑に絡み合いながら後戻りがきかない一歩手前に来ている今、我々の世代は民主的な権利を一切もたない利害関係者、次世代やその次の世代、に重大な責任を負っています。死ぬ時に孫に向かってごめんなさいと言わなければならないか、安心してこの世界で幸せになるといいよと言えるのか、が自分たちの世代の仕事で大枠決まるということです。前の世代から受け継いだ世界と教訓と、巡り会わせで得られた教育と就業の機会の重さを自覚して、ともすれば悲観的になりがちな厳しい状況にたいして楽観を保ち、自分と仲間の力に信頼と投資を惜しまずパフォーマンスを発揮し続けるプロフェッショナルでありたいと思います。
【語句説明】
1.構造対話
持続可能な開発目標に関するオープン作業部会、持続可能な開発の資金調達に関する政府 間専門家委員会および科学技術に関する構造化された対話。
https://sustainabledevelopment.un.org/content/documents/7046PGA Summary Structured Technology Dialogues - 13 August 2014.pdf(英語)
http://www.unic.or.jp/files/a_69_1.pdf#search='%E5%9B%BD%E9%80%A3+%E6%A7%8B%E9%80%A0%E5%AF%BE%E8%A9%B1(日本語)
2.「2030 までの尊厳への道」
経済的、社会的および関連分野における主要な国際連合の会議およびサミットの成果文書 の、統合されまた調整された実施およびフォローアップを指す。20 年間の開発の実践の経験並びにオープンかつ包括的なプロセスを通じて収集され た情報を利用してこれからの 15 年の間に尊厳を達成するための指針を 示す。
参考:http://www.unic.or.jp/files/a_69_700.pdf (日本語)
3.ビッグデータ
ビッグデータは、データの規模という量的側面だけでなく、データの構成内容、利用方法といった質的側面において、従来のシステムとは違いがあると考えられている。「事業に役立つ知見を導出するためのデータ」とし、ビッグデータビジネスについて、「ビッグデータを用いて社会・経済の問題解決や、業務の付加価値向上を行う、あるいは支援する事業」と目的的に定義している例もある。
参考:http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/html/nc121410.html (日本語)
4.持続的な開発のデータのための地球規模パートナーシップ
データ信頼性の低いまたはデータが取れていない状況を改善し、SDGsの達成に資することを目的として始まったパートナーシップ。政府、NGO、ビジネスが一体となって持続可能な開発に取り組むための健康、ジェンダー、人権、教育、農業等の分野のデータを扱う。
参考:http://www.data4sdgs.org/ (英語)
2015年8月29日、東京にて収録
聞き手:田瀬和夫、志村洋子、瀧澤菜美子
写真:田瀬和夫
ウェブ掲載:田瀬和夫
担当:奥田、亀井、木曽、佐藤、志村、瀧澤、野尻、鳩野
2016年11月3日掲載
※記事に掲載されている情報は2015年8月当時のものです。
記事内容はインタビューに基づく個人の意見であり、世銀や国連機関の公式見解ではありません。